31 存在のない存在

31 存在のない存在




海人は、スタッフのロッカーが並ぶ部屋に入り、

友海から奪った少しだけ油の匂いが残るユニフォームに袖を通し、鏡の前に立った。

胸についていたのは、航が自分で書いたネームプレートで、

それをすぐに外し、横にあったゴミ箱に捨て、その手でロッカーの扉を押した。





「いらっしゃいませ!」

「どうぞ、こちらへ」


給油に来た客から、隣の駐車スペースのことを聞かれ、馬場が説明していると、

また別の客が訪れ、美鈴がそちらへ走り出した。

海人は、室内から出ても、積極的に働かず、スタンドの隅に立っている。

店に立ちたかったわけではなかったが、多恵が諦めて会社を出て行く時間まで、

ここで時を稼がなければならなかった。


「いらっしゃいませ!」

「どうぞ、奥に入ってください」


友海は海人の立つ場所へ客を誘導し、お願いしますと帽子を取った。

他のスタッフはと見回したが、美鈴も馬場も接客をしていて、

空いているスタッフは自分しかいない。


「すみませんねぇ、満タンにしてくれませんか?
私、セルフって何をどうすればいいのか……」


窓を開け顔を出したのは、少し年配の女性だった。

運転は慣れているので怖くないが、給油は自分でやることが出来ずに、

いつも頼んでいるのだと頭を下げる。


「満タンですか」

「えぇ……、窓拭きもしてくださるでしょ」

「あ……はい」


海人が仕方なく給油をするために動き始めると、

友海はすぐに雑巾を手に持ち、フロントガラスから拭き始めた。

年配の女性は、友海をみつけ嬉しそうに声をかける。


「ねぇ、明日からここ駐車場になるんだって?」

「はい、そうなんです。『天神通り商店街』で買い物をしていただくと、
無料のチケットをお配りします。ぜひ、使って下さい」

「うれしいわ、私なんかいつも車だから。
商店街においしいお店があるのも知っていたけれど、
家まで歩くとなると面倒だし、でも、車を止めておく場所がなくてね」

「そうなんですよね」


友海は、年配の女性と世間話を続け、海人は給油をしながら、車のタイヤを目た。

カチャッと給油が終わる音が聞こえ、キャップを閉めると、

溝の部分に指をあて、少し強めに触ってみる。

すぐに空気圧を調べる機械を探そうと、点検場に置いてある器具の方へ向かった。


「何か探してるんですか?」


別の客を送り出した美鈴は、急に別の方向へ動いた海人が気になり、声をかける。


「空気圧を見るんだ、あのお客様のタイヤ、ずいぶん磨り減っているし、
凹みも大きいから」

「あ……」


美鈴は機械の場所を教えると、海人はそこから機械を持ち出し、

すぐに空気圧を計り始めた。友海はそんな海人の仕事をぶりを見ながら

レシートを取りに向かう。


「あの……ねぇ、タイヤがおかしいの?」

「お客様、タイヤはいつ交換されたか覚えていらっしゃいますか?」

「あら……私?」

「はい」

「いつだったかしら。3年前までは主人がいたんだけど、亡くなってしまって。
それからはした記憶がないけど……」


友海がレジからレシートとお釣りを持ち、女性のところへ戻ろうとした時、

航が運転する車がスタンドに入ってくるのが見え、その助手席には聖が乗っていた。

海人は、航の車に気付かないようすで、機械を片付け始める。


「そうですか。それなら、出来るだけ近いうちにタイヤの交換をお勧めします。
少し磨り減ってますし、もし途中でトラブルがあっても、
お客様では、すぐにスペアのタイヤに変えることは難しいですから」

「そうね、タイヤの交換なんて出来ないわ」


海人はタイヤの溝に触れながら、磨り減っている箇所を指差した。

航の車は明日オープン予定の駐車場に止まると、聖と揃って降りる。


「海人……」

「海人?」


二人の目の前では、ユニフォーム姿の海人が、

年配の女性客とタイヤの交換について語っていた。

友海は止まっていた足を、女性客のところへ向ける。


「じゃぁ、こちらでもお願いできるの?」

「はい……馬場、ちょっといいかな」

「はい!」


海人はチーフの馬場を呼び、タイヤの交換について、

時間を決めるように指示を出し、女性客から離れた。

ふと顔を上げると、目の前には、驚きの表情で自分を見ている航と聖が立っている。


「海人……手伝ってるのか?」


海人の視線は、声を出した航から、隣に立っている聖へ向かった。

そしてすぐに空気圧を計った機械を持ち上げる。


「海人……」


航はすぐに海人のところへ走り、こうして店へ出てくる気持ちになったことを、

嬉しそうにほめた。海人は機械を元の場所に戻しながら、面倒くさそうな顔をする。


「やれってうるさいから、やっただけだ。もう行くよ」

「いいじゃないか。明日のこともあるし、一緒に最後の確認をしてくれないか」

「お前が勝手に勧めていることだろ、関係ない」


海人は、それだけを言い残すと、そのまま事務所の奥へと入っていった。

航はすぐに友海に声をかけ、海人の状況についてたずねてみる。


「暇そうだったので、やってくださいって頼んだだけです」

「本当に、それだけ? それだけであいつ、スタンドに出たの?」

「はい、どうも負けず嫌いのようですね、
私に言われると悔しいのか、ムキになるみたいで」

「あはは……そうかもな。
いや、君に言われると、このまま引き下がれないと思うのは、僕も同じだし」


聖の目の前で、海人はユニフォーム姿で店に立ち、それを航は楽しそうに受け入れた。

そして、海人の心をまた動かしたのは、目の前にいる友海で、

形の見えないトライアングルが、そこに存在するように思えてしまう。

航は友海に明日用のポスターを広げ、楽しそうに語りだし、

友海もそんな航を見つめ、笑顔を見せる。

聖は、自分もここに立っているのに、誰にも声をかけられないことで、

どこか存在が余計なもののように思えてきた。


「航さん、私、帰るわ」

「聖さん……いや、ちょっと待って。今、来たばかりなのに」

「いいの、来るべきではなかったみたい」


友海は急に態度を変えた聖の顔を見た。

聖はそんな友海の顔を一瞬見た後、すぐに顔をそらす。


「海人が車で来ているはずだから、もし戻るのなら……」

「必要ないわ!」


止めようとする航を振り切り、聖は大通りを渡って行く。

走っている車の中から、タクシーを捜しているように見えた。


「海人、聖さんを止めてくれないか」

「好きにさせておけばいい」

「海人……」


スタンドのスタッフや友海も何も出来ず、

聖はタクシーを止めると、そのまま立ち去ってしまった。

海人はタクシーが去っていくのを見送ると、また店の奥へ入ろうとする。


「海人、お前のことで動揺してるんだ、ちゃんと話をしたのか」


航の問いかけを無視したままの海人は、無言のまま扉を開け中へ入ってしまう。

ガシャンという重い音だけが、『天神通り店』に響き渡った。





逃げるようにタクシーに乗った聖は、しばらく外を見ていたが、

バッグから携帯を取り出し、番号を呼び出した。


「もしもし……パパ? 聖です。話があるの、行ってもいい?」


聖が電話をかけたのは、会社にいるはずの父、哲夫だった。





32 私の価値
<photo:tricot>

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コメント

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何故??

スタンドの店員、しかもアルバイト。そんな気持ちが聖のどこかにあるのだろうか?
何故友海が航を海人を変えて行くのか分らない。

二人とも何故友海なら許すのだろうか?
自分の存在を忘れように・・・

聖の決心は? 

自分と違う女性

yonyonさん、こんばんは

>スタンドの店員、しかもアルバイト。
 そんな気持ちが聖のどこかにあるのだろうか?

聖の中で、きっと友海は
今まで縁のなかったタイプでしょう。

航と海人の変化を、
彼女はどうとったのか……

で、続くのですぅ!

雲行きが・・・

ももんたさん、こんばんは。

あらら・・・聖さんも何か様子が変ですね。

時間つぶしのために寄ったスタンドだけど、聖は勘違いしたのかな

友海と航と聖と海人これはますます気になります。

パパに電話して聖は何を話すつもりだったのかな?
もしかして航のこと??

だとしたら四人それぞれに・・・混乱が^m^

さらに大きな輪へ

tyatyaさん、こんばんは!

>あらら・・・聖さんも何か様子が変ですね。

はい、海人の見合い騒ぎから、
4人の心模様が色々と変化してます。

>友海と航と聖と海人これはますます気になります。

気にして、気にして!
彼らを囲む輪が、さらに大きくなっていきますので、
もうしばらくおつきあいくださいね。