32 私の価値

32 私の価値




部屋のベランダで、航と友海は並んで月を見上げた。

風が軽く吹き、綺麗に見えていた月が、動いた雲にだんだんと隠されていく。


「なぁ……海人、本当に何も言ってなかった?」

「個人的な話は、何も。ただ、商店街とのどたばたが急に解決したのは
どうしてだって、私が謝ったのかって、それをしつこく聞きましたけど」

「そうか……」


航は、急に店へ出た海人と、海人の姿を見つけると逃げるように帰ってしまった

聖のことが気になった。

あの二人の様子では、見合いのことを軽く聞いてみると言ったものの、

互いに語り合えてないのだろうと考える。

同じ会社にいても、航は現場へ出ることが多く、海人と和彦の動きは、

わからないことも多い。変なことを聞くと、また身構えられてしまう気がした。


「もしかしたら、飯田さんが、一番海人の本音を聞けるのかもしれないな」

「私が?」

「あぁ。損も得も考えず話が出来るのかもしれない。
あいつ、本音を言わないんだ。色々と考えないとならないことがあるはずなのに、
このままじゃ……一人になる気がして……。
せめて、聖さんとだけでも、正面向いて話をしてくれたらいいけど」


友海はそう言いながら下を向き、海人を心配する航の横顔を見た。

その寂しそうな表情が雲の影に重なり、光を無くすように見えた。





その頃、住野家では、父、哲夫の帰りを待っていた聖が、

リビングのソファーで興奮気味に語っていた。


「落ち着きなさい、聖。急にあれこれ言い出すかと思えば」

「パパが言ったでしょ。自分の好きなものを見つけてって。だから私は決めたの。
なるべく早めに今の会社は退社して、『住野運輸』へ入ります。それに……」

「それに?」

「航さんに、うちの仕事を手伝ってもらいたい」


その言葉は、聖が自分の相手として、航を選ぶと決めたことだった。

思っていた通りの展開に、哲夫は聖にそっとグラスを手渡し、

娘に対し、エールを送るつもりでワインを注いでいく。


「どうして急に気持ちを決めたんだ? 彼と何があった」

「別に航さんと何があったわけでもないわ。私は色々と考えたの。
会社を運営していくのには、流されてばかりいるようでは困る、
きちんと意見を持って、しっかりと押し通せる人じゃないと」

「ほぉ……そうか」

「そうよ、私の価値を高めてくれる人じゃないと、『住野運輸』は任せられないから」


父親の決めた縁談に従ったまま、逆らうことのない海人よりも、

自らの意思を貫き、前へ進もうとする航を選ぶのだと聖は言い、

グラスの中にあるワインに口をつける。


「彼の気持ちはどうなんだ」


哲夫の言葉に、聖は傾けたグラスを止めた。航の気持ちが自分ではなく、

友海に向かっていることは明らかで、簡単なことではないこともわかっている。


「……なんとかなるってそう思ってる」


勝気な聖らしい言い方だと、哲夫は思わず口をゆるめる。

どこまでが本心なのかは微妙だったが、

それでも、自分の思う方向へ動いていることだけは間違いなかった。


「なら……パパも動くよ、聖」


どこか自信ありげな哲夫の表情に、

聖はほんの少しだけ怖さを感じながら、残りのワインを飲み干した。





聖の決意から3日後、和彦と海人は古川議員の出席する、経済産業省のOB、

蔵内が設立した会社のパーティーに出席した。

来年行われる予定の選挙に和彦が出て行く話を、力を持つ蔵内に報告するためで、

そこには加納家も姿を見せ、多恵ももちろん出席していた。


「お忙しいんですね、なかなかお会いできなくて」

「すみません」


海人は多恵と二人、会場を出ると下の店へ入った。

注文したカクテルが届き、多恵は軽くておいしいのだと口をつける。

多恵と二人だけになることなど滅多にない機会だと、海人は思いを口にした。


「多恵さん。このお話は、あなたから断ってもらえませんか」

「断る?」

「はい。父がお世話になっている古川議員のご紹介で、
しかも加納家のお嬢さんである多恵さんに、何一つ文句があるわけではないんです。
ただ……」


海人は、その続きを言うことが出来ずに、そのまま言葉を止めた。

店内の静かなBGMが、何小節分か流れていく。


「お好きな方がいらっしゃるの?」


海人は、ただ無言で頷いた。

幼い頃からそばにいた聖。気がきつくて、文句ばかり言われていた気がするが、

その存在を忘れたことは一度もなかった。


「すみません……」


多恵はグラスのふちをなぞりながら、何かを思い出したのかクスクスと笑う。

海人はその表情を確かめたくなり、横を向いた。


「新谷家の跡取りさんって、思っていたよりも純情な方なのね。
私より少し年上だとお聞きしていたので、
もっと恋愛にドライな方なのかと思ってました」


海人は、自らの言葉を簡単に受け流そうとする多恵の態度に、驚きすら感じた。

悔しそうな顔をするわけでもなく、怒りの表情も見られない。


「海人さんが正直に語ってくださるので、私も正直に話します。
あなたを愛しているのかと聞かれたら、まだ、今、その自信はありません。
でも、愛していける可能性は、とても大きいと思っているんです」

「可能性?」

「えぇ……。企業という形がある以上、それを支え合える関係にあること、
これって大事なことだと思いませんか?」


海人は、年齢が下である多恵の方が、よほどドライな面を持っていると思いながら、

グラスに口をつける。


「私の父と母は、完全にビジネスパートナーです。
父には別に愛を語る女性もいたし、母もそれを認めていた。
でもね、決して父と母に愛情がないのだと、言いたいわけではありません。
母は、父の仕事と才能を認めていたし、父も、母の協力があるからだと、
常にそう言ってます。だから、きちんと気持ちはつながっている。
私自身も海人さんとは、まず、ビジネスパートナーになれたらいいと考えました。
与えられた環境と関係の中で、出来上がってくる愛情もあると思うのですが……」

「多恵さん」

「海人さん、私『SI石油』の経営に、とても興味があるの。
大学も経営学を専攻しました。この業界は今、厳しいところがあるでしょ。
組織に入らない人達は、どんどん店を失っているし、強いパイプがないと、
価格を動かすことも出来なくなる。でも、それは逆に、
しっかりとした形で組織を動かしているところは、残っているということですし、
工夫次第で大きくも小さくもなるということです。
誰かの影に隠れて、仕事をする秘書よりも、表に出てみたくて。
実はこのお話、私の方が積極的に父にお願いしました。
ですので、私から断ることは出来ません。
残念だわ、私とのご縁を切ろうとするなんて」


海人は、多恵の言葉に、すぐに返事をすることが出来なかった。

何も知らないお嬢様だと、最初に会ったときにはそう思った。

しかし、長年政治家の秘書として君臨してきた加納家の精神が、

しっかりと多恵にも受け継がれている。



彼女はただ、飾り物でいようとは思っていない。

むしろ、興味があるのは、自分よりも『SI石油』なのではないのかと、

海人はあらためて、多恵の横顔を見る。


「どうしても私が嫌だとおっしゃるのなら、海人さんの方からお断りください。
嫌だとおっしゃるものを、無理に奪うわけにはいきませんから」


海人が多恵との縁談を断ること、それは古川と父が築いてきた信頼関係を、

根本から崩すことだった。それが出来たら、どれほど楽だろうか。


「……このカクテル、軽いと思って注文したのに、結構強いみたいです。
なんだか……酔ってしまいそう」


多恵はそう言うと、横に座る海人にそっともたれかかった。

海人はその先の言葉をつなげることが出来ずに、目の前にあるグラスを握りしめた。





『天神通り店』の新しい試みは、順調なスタートを切った。

オープン当日には姿を見せた航だったが、近頃は他店からも色々と相談が入り、

顔を見せてくれることも少なくなる。


もっと会いたい、もっとそばにいたいと口に出せればいいのだけれど、

こんなときにも意地っ張りな性格があだになり、友海はなかなか会えない状況に、

どこか寂しさを感じてしまう。別のスタッフに休憩を取ると声をかけ、

友海は家から持ってきたお弁当を手に持ち、土手へと向かった。

秋も深まり時々強く吹く風は、思ったよりも冷たく感じる。

夏にはちょうどいい日陰を作った木も、葉は半分以上が落ちてしまい、

また、目の前で1枚、ひらひらと舞っていく。

少しだけくぼんだ場所に大きなダンボールを広げ、座っている航が見えた。

何やら書類を読んでいるようで、こちらに気づく様子は見られない。

友海は後ろに回るように歩き、ゆっくりと近付いていく。


「あの……隣は空いてますか?」


友海の声に航は顔だけを横へ向けた。少し悩むような顔をして、返事を渋る。


「空いてないって言いたいの?」

「いや……どうしても座りたいと言うのなら、譲りますけど」

「……だったらいいです」


友海はそう言うと航の横を通り過ぎ、少し離れた場所に腰をおろした。

航は冗談だと笑い、こっちへ来るようにと手招きする。


「いい! ここで!」

「そんなことですねるなって。見て欲しいものがあるんだ」

「見て欲しいもの?」


だったら仕方がないと言いながら、友海は航の横に空いている場所へ座った。

手渡されたのは『森崎店』の改装案で、貸し倉庫の設計図が書いてあった。

友海がその書類を見ていると、航は友海の持ってきた袋を開け、

中からおにぎりを取り出し始める。


「ねぇ、これもらってもいい?」

「エ……お昼まだなんですか?」

「うん、きっと飯田さんもここへ来るだろうと思ってた」


さりげなく待っていたと言われたようで、

友海は照れる顔を隠すように、また、書類に目を向ける。

航は横に置いていた袋を開け、中から、総菜パンを出していく。


「こっちへ来る途中に、年配の夫婦がやっている店があって、
おいしそうだったから買ってきた。どう? これと交換」

「こっちの方がおいしそうですよ、こっちを食べたらいいじゃないですか」

「ん? うーん……」


友海はそう言いながらも、航の目の前でおかずの入れ物を開けた。

箸を1本ずつ持ちながら、自然に二人で食べ始める。


「うん……おいしい」


友海は、忙しい中、ここに食事をしにきてくれた航の気持ちが嬉しかった。

駐車場が順調に活用されていること、商店街の人たちが、

さらにスタンドへ協力的になってくれたことなど、

航に会えない何日かの話をし続ける。


「へぇ……文具店の奥さんは、おもしろいな」

「ですよね」


その二人の会話を、少し後ろの道で海人が聞いていたことなど、

航も友海も、気づくことはなかった。





33 ほくろの男
<photo:tricot>

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コメント

非公開コメント

同じ思考?

>きちんと意見を持って、しっかりと押し通せる人じゃないと。
航がそういう人だって分っているなら、聖の思い通りになるかどうか分るはずなのに・・・

苦し紛れに言ってみても後悔すると思うけど。

夫婦は夫婦、ビジネスパートナーではありえない。
母親にはちゃんと愛情があると思う。
でなければ夫の子供を産み育てるなんて出来ない。

ドライに考えようと無理してる感じがするな~。
好きになったら負け、だとでも思ってる?

聖と多恵って似てる。

う~~ん・・・

  こんにちは!!

お部屋模様替えしたんですね(^o^)

携帯からだと分からない・・・(^_^;)

しかし、お部屋の可愛らしさと清々しさとは
かけ離れた展開になってきました(-_-)

聖は一時の感情に走るし
(聖パパ、いい人かもと思ったけど結構、腹黒い?
怖いというか、執念深い?じゃなきゃトップは務まらないか)
海人はお嬢様に押し切られるし・・・。

お嬢様、会社目的みたいなこと言ってるけど
案外、海人自身がお気に入り?だったりしてね(*^m^*)

そんな中、雷雲が(?)近づいてるのも知らずに
航と友海はラブラブランチ!

二人の後ろで話を聞いていた海人は何を思う・・・。

周りの思惑の渦に巻き込まれていく4人!

どうなる!!これから・・・

   では、また・・・(^.^)/~~~

ピンチ

父よ母はビジネスパートナー。
そういう両親をみたから多恵もきっと同じ夫婦の形を望んだのかな。

野心的な彼女は海人よりも会社を選ぶ人なんだね。
理論的に物事を進めようとするのは、
結婚も自分のビジネスチャンスと考えてるからだよね。

こういう人を奥さんにすると・・・ちょっと味気ないかも。

しかも彼女は縁談を断るなら海人から・・・というし。
彼女からすれば断る理由ないものね。
海人ピンチ!!!


さて・・・聖もちょっとヤケクソっぽくて。
これから二人はまた寄り添っていけるのかな。

わかっているはずなのに

yonyonさん、こんばんは

>航がそういう人だって分っているなら、
 聖の思い通りになるかどうか分るはずなのに・・・
 苦し紛れに言ってみても後悔すると思うけど。

そうなんだよね。
聖は、海人に向けないといけない目を、
別の方向へ向けてしまっていて。

まぁ、海人も悪いんだけど。

色々なことがズレ始めたことで、
どう展開するのかは、続きをお待ち下さい。

4人はさらに……

mamanさん、こんばんは

>携帯からだと分からない・・・(^_^;)

mamanさんは、携帯から読んでくれているの?
そうだったのか……

>聖は一時の感情に走るし
(聖パパ、いい人かもと思ったけど結構、腹黒い?

あはは……腹黒いかぁ
まぁ、そう思えるかも。(これからますます・笑)

海人と聖のズレが、航と友海にも、
大きな波をもたらすことに!

どうなる! これから!
それは、続きでご覧下さいませ。

多恵という人

tyatyaさん、こんばんは

>野心的な彼女は海人よりも会社を選ぶ人なんだね。
 理論的に物事を進めようとするのは、
 結婚も自分のビジネスチャンスと考えてるからだよね。

多恵の本音は、まだ計れないところも
あるんですけど、海人が嫌いというのでは、
なさそうです。

立場も状況もわかっていて、
あえて海人の反応を見ている……気も。

さて、聖の突っ走りと、
海人のピンチ。
航と友海も巻き込んで、
話はさらに続きます。