33 ほくろの男

33 ほくろの男




部屋の時計は、すでに日付を変えていた。

海人は寝付けないままベッドから起き上がると、

誰もいないはずのリビングへ向かう。

そこには編みかけのマフラーを持ったまま、眠っている母、登志子がいた。



『私の父と母は、完全にビジネスパートナーです』



多恵は、自分の両親を平然とビジネスパートナーと言い、

その二人の関係を、決して寂しいものではないと笑顔を見せた。


航の母親、新谷家の長女であった華代子が家を出た後、

妹である海人の母、登志子は、当時社内でもエリートと呼ばれた和彦と

見合い結婚をした。海人の祖父、平馬が選んだ相手に、登志子は逆らうこともなく、

その運命を受け入れた。



『ビジネスパートナー』



海人は、眠っている登志子を見ながら、

父、和彦は、自分の家を守るためのパートナーだったのだろうかと考える。

祖父が生きていた時代には、この新谷家にもごく普通の時間が流れていた気がするが、

父が社長になり、しばらくしてから、海人の生活は一変した。



『何も考えることなどない。私の指示に従いなさい』



父が社内で部下と呼ぶ男たちは、かつてライバルや先輩ととして

一緒に仕事をしてきた仲間だった。

平馬という後ろ盾がいなくなった父に、露骨に冷たく当たるベテラン社員も多く、

そこから父の視線は、事業よりも政界の方へ向くことになった。

社長という地位に就きながらも、父が、ブランドにこだわり、

海人に見合いを勧める理由は、表向きは自分に従っていても、

心の中では舌を出している社員たちに、絶対的な権力を見せ付けるためなのだろう。

その思いは、もう一人、祖父の血を引く航が姿を見せるようになり、さらに強くなる。


「母さん、寝るなら部屋へいかないと」

「……ん? あら……いやだ、いつの間に。海人、今何時?」

「もうすぐ夜中の1時だ」

「お父様は戻られたのかしら」

「……今日はホテルに泊まるはずだよ。古川さんたちと、打ち合わせがあるからって、
俺は先に戻ったんだから」

「そう……」


海人は眠れない夜をどうにかしようと、棚に並ぶウイスキーの瓶に手を伸ばしたが、

その手は力なく下へ向かう。


「ねぇ、海人。近頃聖ちゃん姿を見せてくれないけど、どうしたの? 忙しいの?」


父と母は、すでに別の方を向いてしまっている。

海人は何も知らない登志子に、どこか哀れみの目を向けた。

父がホテルに泊まることさえ知らず、

住野家が、新たな目標を持ち始めていることも知らない。

しかし、会社をこのままにしておけないと、航を呼ぶ先手を打ったのは、

間違いなく登志子だった。


『ビジネスパートナー』ですらなくなった両親の関係に、

海人の目が少しずつ潤み出す。


「聖はもう来ないよ。あいつ、家を継ぐと思うし」

「『住野運輸』を?」

「あぁ……。おやすみ」


話がわからない登志子をリビングに残し、

海人はまた部屋への階段をゆっくりと上がった。





それぞれの思いを絡めながらも、日々はただ時を刻む。





友海のふるさとへ向かったとき、偶然に出会った古川の秘書と、

持ち主がわからなくなっている土地の、所有者を知りたかった航は、

朝戸に調べて欲しいと頼んでいた。


暦が12月をひとつずつ歩むある日、その調査報告が戻ってきたため、

朝から書類をめくり、時の流れを確認する。


「『TTK』という会社が、今の所有者になっていますね」

「『TTK』? 僕は聞いたことがないけれど、どんな会社なの?」

「私も調べてはみたのですが、何をしているのかがわかりませんでした。
いえ、正確に言うと、実態のない幽霊会社です。
管理者のメンバーの中には、海外の投資家もいるようで……」

「海外の投資家? 幽霊? どういうこと?」

「航さんが伊豆で会ったという、右のアゴ下にほくろがあるのは、
確かに古川議員の第3秘書、佐原さんだと思います。
しかし、彼がなぜそこにいたのか、『TTK』とどう関係があるのか、
そこまでは結びつきませんでした。
でも、調べた土地の持ち主が頻繁に入れ替わっていたことは確かです」

「実態がないっていっても、土地を売買するのなら、
それなりの資格を持った人間が必要なはずだ」

「はい……引き続き調べてみたいとは思うのですが……」


朝戸の考え込むような表情に、航は、そこまでで大丈夫だと、

書類を両手で押さえて見せた。


「ありがとう。朝戸さんも仕事があるんだ。個人的な興味のために、
あまり動いてもらうわけにもいかない。あとは僕がこの書類を見ながら、
一つずつ調べてみるから」


航は朝戸に礼を言うと、書類を袋にしまい、机に入れた。

航は、そのまま朝戸が会議室を出るのかと思ったが、

目の前の男は、何か続きがあるようにじっと動かない。


「どうした? 他に何か?」

「実は……航さんに、聞いていただきたい話がありまして」

「僕に?」


朝戸は、今、外に行っている関山が戻り次第話をしたいと、そのまま頭を下げた。

そして、昼食時間を少し過ぎた頃、関山が戻り、あらためて会議室へ入る。


「『西都銀行』が? それはどういうこと?」

「実は、以前から『西都銀行』には、経営面の危うさを指摘されておりまして、
亡くなった社長の頃からの取引なので、色々とチェックも入ります。
社長が、どうも経営面より、政界への想いが強いこと、
専務の海人さんも、社長の言うままに動いていることなどを懸念しています」


『SI石油』の一番の融資相手は、亡くなった航と海人の祖父、

平馬の頃から『西都銀行』だった。

元々協会関係者とのつながりが大きい西都銀行は、

協会のためよりも、政界のために動く和彦に対し、危機感を持っていた。


「いよいよ、社長が政界に出て行く話も動きそうなので、
この際、航さんのポジションを上げるべきではないかと、そう意見がありまして」

「僕の?」

「はい、そもそも、この話は今浮き出たものではないのです。
海人さんが上に立つときに、対等な立場で意見を言える人間が欲しいと、
私達が話をしたことがきっかけで、奥様が動いてくれました。
始めは実績がなかったので、私たちもそう出来るのかと不安もありましたが、
『天神通り店』の改革や、今進んでいる『森崎店』の試み、
各店舗にいる店長達からも、航さん自身が認められるところまで来ました。
ここは……」

「ちょっと待って……よく意味がわからないのだけれど、僕はそんな話は……」


航は、自分は経営にまで口を出す立場にはなりたくないと、

あらためて朝戸や関山に意見を述べた。

二人はその言葉を聞き、互いに目を合わせる。


「確かに、登志子おばさんから『SI石油』に入ってくれないかと
そう頼まれたことば事実だ。でも、入ってからも、今も、
経営の中心部に口を出すことは一切していない。
あくまでも、会社は新谷家のもので、僕は……」

「航さん。会社は……新谷家のものではありません。
12店舗のパートを含めた社員達、そしてその家族の生活があるのです。
ただでさえ、業界の構図が、変わってきている中、
私達だけが黙って流されているわけにはいきません。
専務に対して、どうか意見を言える立場に就いて下さい」

「朝戸さん……」

「航さん。あなたも同じ、新谷平馬の孫なのですよ」


朝戸の真剣な表情に、航はそれ以上の言葉を挟むことが出来なくなった。

その時、横に置いてあった携帯が震え、手を見ると『住野聖』と表示する。


「もしもし……」

「あ、航さん? ねぇ、今日の夜、時間がない?」

「今日……何かあるの?」

「お付き合いして欲しいところがあるの、他に頼む方もいなくて。
急で申し訳ないとは思うけど、助けると思って引き受けてくれない?」


急な誘いを受けるなど、今までなかったことで、航は不思議に思いながらも、

朝戸達の前でもめるわけにもいかず、とりあえず引き受けると電話を切った。

目の前に座り動かずに航を見る朝戸と関山に、あらためて想いを告げていく。


「申し訳ないけれど、僕はそんな役を引き受けるつもりはない。
これからも、ひとりの社員として、会社のために働けたらそれでいいと思ってる。
この状態でも十分、仕事は出来る。この会社は、新谷家がここまでにしてきたんだ。
僕も確かに、同じ孫だけれど、あの家が嫌で母は出ていった。
それを今さら、海人と同じだなんて、そんなことは言えない」


波風を立てたくないと、航はあらためて朝戸や関山に頭を下げたが、

二人はその言葉の返事をすることなく、黙ってしまう。


「僕は……僕がそんなことをするためにここへ来たわけではないことを、
叔父と海人にわかって欲しいのです。どうか、妙な期待はしないでください」


航はそれだけを告げると、『森崎店』へ行かなければならないと会議室を出た。

外はすっかり冬の空に変わり、厚い雲が光を遮っていた。





航はその日の仕事を終えた後、聖との待ち合わせ場所に向かった。

そのホテルの大きな宴会場では、同年代くらいの男女が50人以上揃い、

名刺を交換しながら互いの家業について語っている。

今まで味わったことのない集いに、航は自分の身をどこに置けばいいのか、

戸惑った。


「この集まりは何?」

「親同士の交流は、色々とあるけれど、経営者の子供たちが集まって、
色々と情報交換しようっていう会なの。参加資格は親が経営者であること」

「経営者? それじゃ僕は参加資格がないけど」

「パートナーはいいのよ」

「パートナー?」


聖は、航の腕を引き、交流のある相手に次々と声をかけた。

始めは言われた通りに動いていた航も、その状況がわかってくると、

そのまま従っているわけにはいかないと、聖を会場の外へ引っ張っていく。


「ちょっと……」

「どういうことなんだ。聖さんの話し方じゃ、まるで僕が、
君の婚約者であるかのような言い方だ。あんな話し方をしたら勘違いされる」

「勘違いじゃないもの。私は、そうなってほしいと思っているし……」


訴えかけるような聖の目に、航は出しかけた言葉を止めた。

聖と親しくしてきたのは、海人の大切な人だという想いがあったからで、

個人的な感情など、持ったことはない。


「これは海人へのあてつけ? こんなことをする前に、本人からきちんと……」

「私は『住野運輸』の跡取りなの。海人とは幼なじみではあるけれど、
一緒の道を歩むことはできない。色々と考えてそれがよくわかった。
航さんなら……あなたなら一緒に……」

「ちょっと待って……」


そう言葉を止めた航の前を、古川の秘書である佐原がゆっくりと歩いていった。

航は、堂々とした姿に、彼の父親も『経営者』なのだろうかと考える。


「佐原さんって、『経営者』の息子なのか?」

「佐原? 誰のこと?」

「今、目の前を通り過ぎた人だよ。ほら……」


航は会場内へ入る男性を、もう一度目で追いかけた。

しかし、よく見ると、特徴的な右アゴ下のほくろが見つからない。


「彼は佐原さんって名前じゃないわよ。あの人は袴田さんだわ。
お父さんは伊豆で海産物の加工業をしているの。パパとも親交があるはずよ」

「伊豆? 袴田?」


友海と出かけたあの日、見かけた男は確かに右のアゴ下にほくろがあった。

それは朝戸からの情報でも間違いなく、古川議員の秘書佐原だったが、

似たような顔を持つ伊豆で力を持つ袴田との関係が、さらに気になっていく。

航は、聖との話も忘れそのまま腕を引き、一度出た会場へ向かい歩き出した。





34 海人の決意
<photo:tricot>

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コメント

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謎の人物

海人は海人なりに自分の親たちを見て困惑してますね。

「パートナー」仕事の夫婦の
海人から見る両親はそのどちらともないみたい。
ふたりの見ている先が違うのは息子にとってはつらいですね。


聖さんは・・・彼女らしからぬ行動じゃないかな。
もっと人の気持ちも考える人だから、
今していることはどこか自分に言い聞かせているみたい。

それを知ってるから航も強く言えないのかも。


佐原さん、袴田さん・・・謎の人物だよね。
同一人物だと思うけど、変装してまで何かを探りに来たのかなぁ。
(勝手に同じ人だと決めちゃいました)

うーん(--;)

人生のパートナーのはずなのに・・・
自分の両親も?海人にとっては簡単に割り切れる話ではないですよね。
聖を好きなのだから。

和彦も婿だから、の陰口を跳ね返そうとした考えが政界に行くことだったのだろうか?

聖は聖で・・・海人に対するあてつけにしか見えない。

皆がそれぞれ少ーし道をずれてしまってる。
修正が効くうちに直さないと・・・

佐原と袴田、私も同一人物だと思うけど?

海人の困惑

tyatyaさん、こんばんは

>海人は海人なりに自分の親たちを見て困惑してますね。

自分の存在がなんなのか。
海人の中で、色々とめぐっているようです。

聖もらしからぬ行動を取っているし……。

しかし、そこから出てきた佐原と袴田。
さて、同一人物かどうか、
それはこの先でわかります。

それぞれのズレ

yonyonさん、こんばんは

>人生のパートナーのはずなのに・・・

そう、和彦と登志子のズレに、
海人は自らの存在に対し、
思い悩むようになってしまいました。

政界へ向かう和彦の思い、
聖の思い、登志子の思い……

さて、佐原と袴田。
この人達は同一人物なのかどうか、
それはもう少し先でわかります。