TRUTH 【消えた影】

TRUTH 【消えた影】

TRUTH 【消えた影】



7年前の女性が、窪田千波さんであることがわかってから、

私は柚希に対して、どこか身構えるようになった。

彼女のことを言われるたびに、過去を知りながらこちらを試しているのかと疑い、

つい、話をそらそうと必死になる。


2年目を迎えた柚希は、『緑山南店』での仕事を増やし、

順調に憧れであったスタイリストへ、自らを近付けていく。

その輝く瞳は私を捕らえ続け、

不安な中でも、身を沈めることしか出来なくなっていた。




そして、季節はまた、桜を色づける。




有野や早坂が出場した『スタイリストコンテスト』が、3年ぶりに東京で行われた。

美容関係者の出席も多く、大きな会場の一部で技術者たちが競い合い、

その周りでは名刺が華麗に飛びかっていく。

ここでの出会いや情報が、それから先の仕事を左右することも多く、

私も初めて会う人たちと、何度も挨拶を交わした。


コンテストで優勝したのは『stone』の若手で、早坂がブロンドメダルに輝いた。

有野も健闘し、審査員たちの目を引いたが、魅せるという点で力が及ばず、

唇をかみ締める。

ここで競った仲間たちとは、これからも色々な場所で出会うことになるだろう。

ライバルという存在があるからこそ、人は上を見るものだ。





「はぁ……疲れた」

「すごいな『トワレ』は。翠はどこにいるのかもわからなかったよ」

「すごいのは会社であって、私じゃないわ。
名刺ばかり交換しても、誰が誰だか覚えきれない」


『スタコン』が終了し、その翌日の夜は関係者たちのパーティーが開かれた。

最初の1時間ほどは私も中でそれなりに繕ったが、飽きてきてしまい外に出ると、

同じような思いを抱え、ため息をついている翠を見つけ、

二人で隣のホテルにある、小さなバーに入ることになった。


「すみません、これもう1杯」

「飲むなぁ……翠は」

「あら、聡はまだ1杯目? どうしたの、なんだかピッチが遅いのね。
体調でも……って、そうだ、どうした? 前にお腹を押さえていたことがあったわよね」

「あぁ……」


医者に早く手術の予約を取るように言われたが、

返事をしただけで、何も連絡を入れないままになっていた。

2ヶ月以上、現場を離れる日を探せと言われても、

このご時世、そんな休暇を取れる人間など、いるのだろうか。


「少し控えようと思うんだ。もう、勢いに任せて飲む年齢ではなくなった」

「何よ、年寄りみたいに……」

「年を取ったよ……」


そう、冗談ではなく年を取った。

責める気持ちよりも、どこか守る気持ちの方が強くなり、

失うことがだんだんに怖くなる。


「翠のご両親はお元気なのか? 一度店に顔を出してくれたことがあったよね」

「あぁ……そういえばあったわね。元気よ、二人とも。
父はもう定年になったけれど、運良く子会社の管理に再就職して、
いまだにスーツを着て頑張っている」

「そうか」

「どうしたの? 急にそんなことを聞いたりして」

「いや……近頃、亡くなった父を思い出すことが増えてね。
こんなふうに酒を飲める年齢まで生きていてくれたらと……」

「聡のお父さん、早く亡くなったの?」

「高校に入る前の夏に、父は亡くなった。
病院で手術をした時には、もう、どうしようもなかったから」


あの時も、医者ははじめ、たいしたことはないと言っていた。

父も母もそれを真に受け、それでも治らないことで別の病院に顔を出し、

そこで手術を勧められた。

我慢強い父を説得し、腹部を開いたときには、もう、どうしようもなかったのだ。

私は酔っていたのか、今までしたことのない話を、何も関係のない翠に語った。


「聡……」

「ごめん、どうでもいい話だった」

「そうじゃないの。ねぇ……」

「医者の言うことを信用していないわけではないんだ。
ただ、明らかになるのが怖い。つい、そんなことを思ったりして、決断を渋っている。
もう、年齢を重ねて、色々なことも経験しているはずなのに、
私は臆病なのかもしれない」


もし、父と同じような運命をたどるようなことになったら……。

そう思うと、一歩進み出ることが出来ずにいた。

父のように、守らなければならない家族もないのだが。


「早く先生の言うとおりにしなさいね。私に愚痴ってみても、何も解決しないわよ」

「ん?」

「仲間に元気をなくされると、自分にも降りかかりそうで嫌なんだけど」


翠はそういうと、あらためてカクテルに口をつけた。

あの、久しぶりに出会い、酒を飲みあった日。

菜穂子への嫉妬と、仕事への不満から、私を誘った翠。

あの時、勢いのまま体を重ねることなく過ごしたことを、心からよかったと思えた。

昔は、男女の間に友情など存在しないと思っていたが、

菜穂子にも柚希にも語れないことを語れるのは、ここにいる翠だけのような、

そんな心地よさがある。



時刻が夜の10時を回った頃、携帯にメールが入った。

仕事を終えた柚希からだろうと片手で開くと、その差出人は真知子さんで、

今日の『スタコン』の取材で、早坂に声をかけたこと、

久しぶりに会った瀬口が痩せて驚いたことなどが、書いてある。



『森住君の育てた芽、順調だね』



細かい配慮のある優しい文面と、どこか返事を待つ表現に、私は返信ボタンを押した。

瀬口が、早坂の上達振りに驚いたこと、

有野がこの日を迎えるのに相当の努力を重ねたことなど、打ち込んでいたが、

その指が止まり、携帯を閉じる。





会いたい……

心がそうつぶやいた。





「ごめん翠。先に出てもいいか」

「いいわよ……かわいい人が待ってるんでしょ」


翠は私の顔をチラリと見た後、耐え切れなかったのか笑い出した。

あまりにも楽しそうに笑うので、その場を去りがたくなる。


「どういう意味だ」

「愛梨さんが言っていたのよ。
森住さん、とってもかわいい彼女がいるらしいって」

「何を言っているんだ」

「愛梨さんの憧れの先輩、その人の愛用品をたくさんもらったって。
アシスタントの女の子が親戚で、譲りたいと言ってくれたからって持ってきたけれど、
きっと、その人が森住さんの相手なんだろうって、どう? 図星?
森住さんが、ただの荷物渡しになんて、ならないはずだって、愛梨さんの推理……」





女の勘……

男にはわからないセンサーが張り巡らされているらしい。





私は、翠の手の中にあるグラスを軽く弾き、そのまま席を立った。





真知子さんは『スタイリストコンテスト』の取材に、福岡から昨日出てきたらしく、

会場から30分くらいのホテルに、宿泊するようだった。

返信代わりに電話をし、飲みにでも行こうかと誘ったが、

すでに酔ってしまったので無理だと断られる。


「ごめん、もう外に出て行く気持ちにはならないわ」

「部屋ならいいってこと?」

「……いいけど……私、酔っているんだからね」

「あぁ……」


会いたくないのなら、来ないで欲しいと平気で言える人だった。

久しぶりに聞いた声は、私の思いを十分に刺激する。

酔っていることを、あらかじめ告げてくるのは、

少し頬を赤らめながら、私を見る目が好きだと知っている、形を変えた彼女からの誘い。





道を出た時に、ちょうど客を降ろしたタクシーが止まった。

私は後部座席に乗り込み、行き先を告げる。

車はすぐに走り出し、ホテルの敷地内を出ると、

最初の信号が赤のため、すぐにストップした。

胸のポケットに入れてあった携帯が揺れ、メールが届く知らせがある。

真知子さんからかとすぐに開くと、それは柚希からだった。



『敵陣視察です!』



そう書かれたメールには添付された写真があり、

開くと、髪の毛を思い切り短くした柚希の顔が映っていた。

千波さんのイヤリングをつけ、耳にかかる髪に触れたあの仕草も、出来ないほどの短さ。





その柚希の笑顔には、あれほど重なった千波さんの影は、どこにも見えない。





「すみません、止めていただけますか」

「ここでですか? まだですよ、ホテルは」

「いえ、いいんです。ここで降ります」


不機嫌そうな顔の運転手に、申し訳ないと5千円札を手渡し、

私は何もない道にタクシーを止め、その場に下りた。

忘れ物ならホテルに戻りますよと、機嫌を直した運転手に言われたが、

それを断り、まだ、夜風の冷たい夜の街を歩く。





何を迷ったのだろう、

何に揺れたのだろう。





私は、真知子さんのメールに、どこか千波さんの面影を持つ柚希から、

逃げようとしたのかもしれない。

そんなぼやけた気持ちは、柚希自身に振り払われる。



私の心の中にいるのは誰なんだ。

真知子さんに会い、その暖かさに身を任せてしまったら、

さらに柚希と会うことが辛くなるのに……。


あの笑顔を曇らせるわけにはいかないと、

真知子さんのいるはずのホテルに背を向け、1通のメールを送った。



『私も今日は酔っているようだから、明日、あらためて会いましょう』



そこから一番近い駅までは、20分くらい歩いたが、待っている人の顔を思い浮かべ、

迷うことなくまっすぐに進み続けた。





部屋へ戻ると、髪の毛を短くした柚希が出迎えてくれた。

どこか恥ずかしそうにしながら、それでもさっぱりして気持ちがいいと笑顔を見せる。


「急に『stone』へ行ったの?」

「いえ、今日の『コンテスト』に、坂巻さんが出ることを知っていたので、
予約を入れておいたんです。私、ライバル店から来たことも、
今、『緑山南店』にいることも話して、
それでも、シザーの使い方を勉強したいとそう……」

「そんなふうに予約を入れたのか」

「はい、隠れて行くのは嫌だったんです。ライバル店でも、技術が優れている人なら、
勉強させてもらいたかったし。今日、有野さんの手伝いで会場に行ったら、
瀬口さんが坂巻さんを紹介してくれました。で、ぜひ、店においでって……。
今日、特別に切ってもらったんです」



坂巻は、『stone』の若手ではエースと言われる存在で、瀬口や有野とも交流があった。

本来なら別の店のスタイリストに、カットを頼むこと自体珍しいことだけれど、

柚希の熱意を知った瀬口が間に入り、実現したらしい。


「右手も左手も、両方でシザーを同じように使うんです。
もう……感動しちゃって。一生懸命動きを見なくちゃって思ったんですけど、
途中から心臓がドキドキするだけで、何がなんだか……。
気づいたら、こうなってました」



私は柚希の髪に触れ、坂巻がどう形をつけたのか、じっくりと見た。

全体像しか見ることの出来ない柚希に、各部分のポイントを説明していく。

柚希は鏡の前に座り、私の言葉を逃すまいと、懸命に聞き続けた。



あの時、柚希からのメールが入らなければ、私は真知子さんの誘いに乗っただろう。

千波さんのことを知ってから、彼女の影が重なる柚希に対して、

どこか向かい合えない気持ちが、心を乱した。

彼女が7年前のことを、知っているのかどうかはわからない。

それでも、ショートヘアになったことで、千波さんの影は見えなくなった。



それはあくまでも偶然で、柚希の心の奥は見えてこない。

けれど、その偶然は私の小さな迷いを消し去った。



左手は髪の毛に触れ続けながら、坂巻の技術を説明し、

私の右手は、何度も痛みを呼び起こす脇腹に触れる。





柚希の夢を叶えてやりたい……

私はそう思いながら、愛しい人の笑顔を、鏡越しに見つめ続けた。






【女の意地】


森住の心は、どこへ向かうのか……
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コメント

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こんばんは!

ももさん、こんばんは!
 お久しぶりです^^と言ってもいつも覗いてるんですよん!
 現在進行の3つのお話の中で”TRUTH"が一番気に入ってます。
 当然他の2つも読んでますが、森住さんに逢えるのがとても楽しみです。
 森住さんの体調が気になります!
 外の日差しもめっきり春の柔らかさになってきましたね、3つのカップルにもそれぞれ春風が吹くと良いです。
 では、次回更新を楽しみにしています。
 

危機一髪!

柚希のメールとその写真に救われましたね~
よかった。。私もほっとしました。

でも、森住さん、早く病院へ行った方がいいよお~
千波さんの影は消えても、病気は消えません。。
私も心配しています。

勇気を出して!

千波さんの影や脇腹の痛み
いろんな不安から思わず真知子さんの元へ逃げようとした森住さん

でも、柚希のメールで迷いが消えて本当に良かった!

それにしても
まだちゃんと治療してなかったんだね
仕事に託けて現実から逃げても病状は進むだけなのに

柚希の夢を叶えてやりたい・・・
その想いが、手術に向かう勇気に繋がってくれれば良いんだけど

森住聡

BABARさん、こんばんは

>現在進行の3つのお話の中で”TRUTH"が一番気に入ってます。

うわぁ……ありがとう。
森住に会えるのが楽しみだなんて、
私が照れちゃいます(笑)

ある程度年齢を重ねた男の語りなので、
一気にはなかなか書けないのですが、
3、4月は、ちょっとペースを上げますので、
最後までおつきあいください。

『核』に向かって

れいもんさん、こんばんは

>柚希のメールとその写真に救われましたね~

ちょっとした心の隙間。
男心の難しいところ……かなと
(男じゃないけど、私・笑)

森住の体調、そして、お話の『核』部分に向かって、
3、4月はちょっとスピードUPの予定です。
心配しながらも、おつきあいしてくださいね。

父と重なる自分

パウワウちゃん、こんばんは

>千波さんの影や脇腹の痛み
 いろんな不安から思わず真知子さんの元へ
 逃げようとした森住さん

はい、森住のずるさと脆さが出そうになった部分です。
でも、柚希のメールに留まりました。

>まだちゃんと治療してなかったんだね

そうなんですよ。
父のことを重ねて、どこか逃げています。
その想いが前へ向くのか!
3、4月は少しペースを上げますので、
もう少しおつきあいくださいね。