28 ふわりの場所(1)

28 ふわりの場所(1)


『相良家の人々』の映画撮影が一段落し、

残すのは上海ロケと、和歌山での撮り残しだけになった。

だからといって、日向さんにロングバケーションが来るわけではなく、

おとといから『赤鼻探偵』の撮影がスタートする。

ただし、こちらはスタジオ撮影がほとんどで、移動の少ない分、

体への負担は少ないかもしれない。


それにしても、全く違う台本を並べ、

両方覚えることに日向さんは抵抗がないのだろうか。

テーブルの上に『相良家の人々』と『赤鼻探偵』、両方の台本をおき、

何かお経でも唱えているように、何度も繰り返していたことを思い出す。


私なんか学生時代、2科目一度に勉強なんて出来なかった。

試験前はどれかに絞ってやるしかなく、あとは神頼みしながら乗り切ったものだ。

でも、久しぶりにスタジオで日向さんの仕事振りを見ていられるなんて、

あの天然研究生も、たまには役に立つ。


「本番行きます! シーン89、『出金伝票、水沼ターゲットを見つけるシーン』、
3、2、1……」


『赤鼻探偵』の本番が始まった。

目の前には、都市銀行のセットが組まれていて、中央の一番後ろに日向さんが座り、

女子行員が2名、カウンター業務をこなす。


「水沼主任、出金、お願いします」


女子行員は、金額が大きいため通帳を後ろにいる日向さんへ手渡した。

日向さんは、その通帳の額を見ると、一度、持ち主の顔を確認する。


日向さん演じる銀行マン、水沼隼人は、普段は優秀で地域にも詳しく、

お年寄りや子供にも優しい顔を見せているが、実は連続放火魔で、

店に来る客の資産状況などを調べるとターゲットを決め、淡々と犯罪を繰り返している。

好葉さん演じる『赤鼻探偵』も、この信用金庫のお客様という設定だった。


「カット! お疲れ様です。ここで一旦、休憩入ります」


助監督さんの声がスタジオに響き、日向さんはモニターの前に座った。

今は、ターゲットを見つけ、一瞬だけ表情を変えるシーンのはずで、

その目の動きなどを確認する。

私も、他のスタッフがのぞき込む隅に、生意気にも参加した。

モニターには、視線をターゲットに向け、冷たい笑みを浮かべる日向さんの顔が映った。

これは演技だとわかっているのに、その表情に、手のひらにはじんわり変な汗が出る。

犯人役が楽しみだと言っていた日向さん、

あまりにも嵌っていて、私からすると、どこか怖ささえ浮かび上がった。


「もう少し、ハッキリ表情に出したほうがよかったかな。
水沼にすれば、また、自分の欲求を満たせるターゲットが見つかったわけだし……」


日向さん、欲求? ターゲットって。

あ、そうでした。今、日向さんはすっかり水沼になっているんだった。


「いや……ここはこれでいこう。むしろ、この後、放火魔が騒がれ始めて、
女子行員たちが噂話をするシーンの方が、水沼としては快感が強いはずだし」


「そうか……それもそうですね。それなら、外へ向かうシーンの時、
台本には背中越しのカットだけになってますけど、
扉の向こうからのカットを加えてもらって、カメラ2つもらえませんか?」

「2カットってこと?」

「はい、扉の方からカメラを向けたほうが、影が強いので、
より、冷淡な表情に映る気がするんです」

「ほぉ……」


映画の撮影でも、日向さんはすぐにモニターを見ながら、

自分なりのアイデアを出すことが多く、田沢さんは30分で済むものを、

1時間かけていると愚痴をこぼしていた。

そんな妥協出来ない気持ちは、『赤鼻探偵』でも同じようで、

後ろで見ている私も、無駄な力が入っていく。



そう、私の力が入ったって、全くの無駄なんだけどね……。



2週連続で放送される『赤鼻探偵』。

先にオンエアされるのは日向さんで、次の畑山さんのことを考えると、

ここはしっかりインパクトを残しておきたい。



監督さん、私も……日向さんのアイデア、いいと思います。

だって、さっきモニターで見たあの冷たい笑み。

あんな表情、私でさえ、見たことがないですから!





彼は……絶対に、やりますって!





「史香!」

「エ……」

「なんだよその顔。久しぶりだな」


肩を叩き、声をかけられた方へ振り向くと、

そこには若村孝輔さんが立っていた。

いや、私の高校時代の憧れの先輩、若村孝輔さんと言った方が、正しい。


「どうして……ここに。若村先輩がどうしてここにいるんですか」

「転職したんだよ、『パーツワン』に」


若村さんは、高校時代剣道部に所属していた。

インターハイ出場ギリギリまで頑張ったが、結局夢は叶わなかった。

最後の試合を応援した後、私はしばらく声が出なかったほど、熱中した思い出がある。

東京の大学に合格し、何度か噂を聞いたり、街で見かけたことはあったけれど、

こうしてしっかり向き合うのは、久しぶりだった。


「実はさ、大学を出てからしばらくやりたいことも見つからなくて、
あれこれ仕事をやっていたんだけど、前の会社の社長が『パーツワン』の社長と親しくて。
ちょっと人手が足りないから来てくれって言われて、2年アメリカへ行ってたんだ。
まぁ、他にやりたいこともなかったから、即決で。
そうしたら気に入ってもらって、僕も仕事が楽しくなって、で、日本へ戻ってきた」


『パーツワン』は小さな製作会社からスタートしたが、

手がけたドラマや映画が次々にヒットし、

今や実力、人気ともにナンバーワンの製作会社となった。

大道具部門や、俳優養成の仕事も出かけていて、その仕事振りは幅広い。


「『赤鼻探偵』は、うちの製作なんだ。ゲスト俳優が日向淳平だって知って、
で、もしかしたら史香に会えるかもと思って。
ほら、MMB大賞の時、お前雑誌に載っただろ。あれをみて驚いたんだ。
まさか同じ世界に足を踏み入れたとは、思わなかったからさ」

「あぁ……あれ」


日向さんが『ドラマ大賞』を獲り、私に花束をくれたことで、

心ないファンから、嫌がらせを受けたこともあった。

それでも今は、そんなこともなく、日々過ごしているのだけれど。


「日向淳平の担当とは、お前もすごいな」

「いえ、私は違うんです。以前、少しだけマネージャーのたまごをしていたんですけど、
今は事務所の方で……」


仕事の担当は外れて、今は心の担当をしています! なんて言えるわけもなく。


「事務所? あ、そうなんだ。じゃぁ、今日は見学?」

「いえ、今日は『第8スタジオ』で、
うちの研究生がオーディションを受けているんですよ。
その付き添いなので、本当はここにいてはいけないんですけど……」

「あはは……そうか、そうなんだ。まぁ、付き添いは暇だもんな」

「はい」


昔から豪快に笑う人だった。

少しふっくらとした気はするけれど、爽やかな印象は、変わらない。

こうして話をしていると、胴衣姿の先輩を、木陰から隠れて見た記憶まで、

蘇ってきてしまう。


「あのさぁ、今度、『パーツワン』の連中が、合同コンパするんだけど、
史香も来ないか」

「飲み会……ですか?」

「俺の日本復帰を祝ってくれるのはいいんだけど、
あまり知らない人たちに囲まれるのはちょっとなと思って。
史香が来てくれたら、話をしたいことも色々とあるし、MMBの佐野さん、
ほら受付の、あの子たちも誘うから……って知ってるだろ」

「はい」

「また、細かいことが決まったら連絡するからさ。携帯番号教えてよ」

「……あ」


若村さんが楽しそうにあれこれ語る間に、

モニターチェックを終えた日向さんは、楽屋に戻ってしまった。

スタジオの大きなライトが少し色を落とす。

撮影に関係のない私が、ここで好き勝手に話をしているわけにはいかない。

久しぶりに会った若村さんに、番号を教えませんというわけにもいかず、

互いにアドレスを交換し、とりあえずスタジオを出た。

日向さんの楽屋に顔を出して、保坂さんのスタジオに戻らなければ。

ここに遊びに来ただけだと、思われてしまう。





モニターで見た冷たい微笑みもよかったけれど、やはり……





「失礼します」

「あ、史香! 何? まだなの? オーディション」

「はい、あと……30分くらいかかるはずで」


楽屋に入ると、日向さんはライトのある椅子に座っていた。

米原さんが髪の毛を整えながら、なにやら話しているけれど、

日向さんは私に気づいてくれて、鏡越しにいつもの笑顔を見せてくれる。





……そうそう、これこれ。この笑顔が一番好き。





たまごの頃は、よくこのポジションで日向さんを見つめていたっけ。

日向さんが口元を動かす体操は、

セリフを噛まないようにするおまじないのようなもので、

全てが終ると、必ず両方の頬をパシンと叩く。

『気合い』が入る、瞬間だ。


「淳平、向こうの誘いに乗ったらダメだからね」

「わかってるよ。米原さんこそ、そんなことを言って、ムキにならないように」


遅れて楽屋に入った私には、何があったのかわからなかったが、

日向さんは鏡の前で軽くネクタイを直した。

ここからは日向淳平ではなく、水沼隼人なのだろう。


「行ってくる」

「よし、頑張れ!」


米原さんに背中をポンと叩かれ、日向さんは鏡を一度見たあとドアノブに手をかけた。

私は、部屋の隅に立ったまま……心の中で、精一杯声援する。


「史香……」




はい……私……ん?




なんの前ふりもないまま、衣装を身に着けた日向さんに抱きしめられた。



あれ? 水沼じゃないんですか? まだ、日向淳平なの?



心の準備も何もなく、それは突風のように過ぎ去っていった。

残された私は、ふわふわ浮いているような足元で、パタンと扉が閉まる。


「こらこら……淳平。ここをどこだと思っているんだか。
ADが飛び込むことだってあるんだからさぁ。
全く、独身女の前で、刺激的なことをしてくれるじゃないの」

「……はい」


米原さんは私の顔を見て、ケラケラと笑い出した。

おそるおそる鏡を見ると、誰が見てもわかるくらい真っ赤になっている。

まさか、出て行く瞬間に抱きしめられるなんて、思ってもみなかった。

心臓が大砲を撃つように、ドカンドカンと私の胸の中で動いている。


保坂さんのいるスタジオへ向かわないとならないが、

心と心臓が平常モードに落ち着くまで、楽屋に残ることにした。

この状態で、保坂さんとバトルをする心の余裕はない。





「樫倉英吾がですか?」

「そう、休憩時間にわざわざ顔を出して。CM、頑張りますって、
どこかのスタジオで撮影らしいのよ。自分が選ばれるとは思っていなかったって。
あいつ、本当に知らないのか、とことん嫌なやつなのか、わからないわ」


米原さんが日向さんに声をかけたのは、そんなことがあったからだった。

田沢さん情報で、ここ4年ほど、契約を更新している『メビウス』にまで、

樫倉英吾の事務所が売り込みをしていることも、耳に入っている。


「史香も、気をつけてね。今、淳平にスキャンダルが出たら、向こうの事務所、
万歳三唱だと思うから……」

「はい……」


浮かれていた私の心臓と心は、一気に冷めていく。

とにかく、忙しい時期を乗り切ってもらわなければと思いながら、

保坂さんの待つスタジオへ向かった。






29 ふわりの場所(2)


恋する二人と、空想に励む私に(笑)
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コメント

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ツボ ヨン点

今日のところは、嵐の前の静けさのような気もしますが、
心穏やかにすっかり史香目線で読みました♪

今日のツボ ヨン点
その1!
>そう、私の力が入ったって、全くの無駄なんだけどね……。
かわいい♪史香

その2!
>仕事の担当は外れて、今は心の担当をしています! 
今日最高のツボです〃▽〃きゃ~『心の担当』いい響き~

その3!
>……そうそう、これこれ。この笑顔が一番好き。
冷たい演技の淳平もいいけどね*^^*

その4!
>「史香……」
 はい……私……ん?
 なんの前ふりもないまま、衣装を身に着けた日向さんに抱きしめられた。
きゃ~♪

でも、このあと、オーディション、先輩、コンパ、樫倉英吾
ちょっと波乱含み?!

反則~~

どんな撮影にも自分の意見を持ち
納得できるまで妥協しない淳平の姿に
思わず大好きな俳優さんを重ねて読んでた私^^;

そうそう!彼は……絶対に、やるよね!史香ちゃん

お騒がせ保坂ちゃんのオーデションに樫倉英吾、
新しく登場の史香の憧れの先輩、若村孝輔ともいろいろありそうで
気になることはいっぱいなんだけど

今回は楽屋での淳平にぜ~~んぶ持っていかれちゃったって感じです"^_^"
衣装のまま、突然抱きしめて出て行っちゃうなんて・・・きゃ~~~
淳平、反則だよ~~~

焼もち?

フフフ~パウワウさんと同じ反応しちゃったyon♪
私の大好きな俳優さんも妥協は許さない!
何度も『もう一度!』を繰り返すのよ(^^)

淳平もきっと立派な役者になるわ。
その心を失わないで。

でた!憧れだった学校の先輩、そして飲み会。。
淳平は気付いたか?何気に仲良さそうな二人を・・
いきなりのハグ(--;)

スキャンダルには気をつけよう!
 

あの先輩は?

こんばんは^^

いいなぁ史香、ぎゅっとされちゃって♪
若村さんはどう絡んでくるのでしょうか?
嫉妬する淳平が見てみたい・・・^m^
また言うか(笑)

ツボがたくさん

れいもんさん、こんばんは

>今日のツボ ヨン点

あはは……読んで笑ってしまいました。
分析、楽しいです。
このお話では、史香になってもらって、
読んでもらうのが、一番楽しいかも知れないですね。

>でも、このあと、オーディション、先輩、
 コンパ、樫倉英吾
 ちょっと波乱含み?!

さて、それは秘密(笑)

あの人っぽい?

パウワウちゃん、こんばんは

>納得できるまで妥協しない淳平の姿に
 思わず大好きな俳優さんを重ねて読んでた私^^;

うん、うん、そういう俳優としての姿勢は、
私も重ねたつもり(笑)
だって、他に例になる人、わからないし。

>今回は楽屋での淳平に
 ぜ~~んぶ持っていかれちゃったって感じです"^_^"

こんなふうにさ、感情のまま行動してくれたら……
と、妄想全開で書いてます。
いいわぁ……自分のお部屋なので、好き勝手です(笑)

出たよ!

yonyonさん、こんばんは

>私の大好きな俳優さんも妥協は許さない!
 何度も『もう一度!』を繰り返すのよ(^^)

うん、うん、私もその人好き……
そういう俳優としての姿勢は、マネしてみました。

>でた!憧れだった学校の先輩、そして飲み会。。

あはは……出た! って(笑)
まぁ、こういう途中参加人物はおきまりでしょう。
しかし、おきまりどうりに動くかどうか、
それは別ですけどね(笑)

するかなぁ

ヒャンスさん、こんばんは

>いいなぁ史香、ぎゅっとされちゃって♪

いいよねぇ……こういう『思いのまま』の行動。
実生活にあり得ないので、憧れてしまいます。

>嫉妬する淳平が見てみたい・・・^m^

嫉妬かぁ……
するかなぁ……(笑)

お疲れ様です

拍手コメントさん、こんばんは

わが家も卒業です。
野球に関しては、趣味程度です。
これからは部活動として、続けて欲しいな……と
親は思っていますけれど、
ご本人は、他のスポーツにも興味があるようで(笑)

団体で過ごすってことは、子どもにも親にも
勉強になることが多いですよね。
(いいことも、悪いことも・笑)

でも、努力する前向きな気持ちだけは、
常に持っていて欲しいなと……私も思っています。

創作は、いつでもここにありますので、
どうぞ、お好きな時に、おつきあいくださいね。