35 その日の夜

35 その日の夜




その日は珍しく、新谷家の4人がリビングに揃った。

父の和彦は新聞を読み、母の登志子は食事の片付けをしている。

海人の問いかけに、反対側のソファーで雑誌を読んでいた妹の真湖は顔をあげ、

真剣な表情の兄を見る。


「なんだいきなり。仕事の話なら明日にしなさい。
家の中でくつろいでいるときまで、細かいことを考えるのは……」

「加納多恵さんとのことなんだ」

「多恵さんがどうした」

「あのお話は、お断りします」


海人のその言葉に、父、和彦はしばらく黙っていた。

聞こえないことはないはずで、海人は空いたソファーへ腰かける。


「どうしてだ」

「自分の相手は、自分で探します」

「聖はダメだと、そう言っただろ」

「多恵さんと結婚する気持ちがないと、そう言っているだけです」


妹の真湖は、二人の緊迫した状況に驚きの声をあげた。

真湖にとっても聖は姉のような存在で、近い将来、兄の嫁になるのは、

聖しかいないと思っていたひとりだったからだ。


「ねぇ、何? お兄ちゃんの相手って、聖さんじゃないの? ねぇ……」

「真湖は黙っていなさい。お前には関係のない話だ」

「どうして? こんな話、黙っていろって言われても……」


真湖と同じように、黙っていられなかったのは、

その話を初めて耳にした登志子だった。


「あなた……海人の相手って、どういうことですか?」


登志子にとっても、海人に聖以外の相手など、考えたこともなく、

父親である和彦も、そう思っていると信じていた。


「聖さんと一緒になるんじゃ……。
ねぇ、加納さんって、あの古川家の秘書をされている……。そんな、どうして……」

「何をあれこれ言ってるんだ」

「何って、海人のお相手の話なのでしょう。私、加納家のお嬢さんのことなど……」

「なら、お前は私に話をしたのか。航を会社に入れることを」

「あなた……」


航を朝戸や関山と一緒に、『SI石油』へ連れてきたのは、ここにいる登志子だった。

それは、会社のこと、海人のことを考えてだと反論するが、

和彦は、その登志子の言い分に新聞を雑にたたみ、テーブルへ投げてしまう。


「あいつが来て、会社をかき回したことで、
どれだけ余計な仕事が増えたと思っているんだ。
12店舗がそれぞれ独自に開発だのといい始めて、会議の数も増えるし、
あの男の魂胆が見えないのか。この会社をのっとるために来たそれが本音なんだぞ。
『SI石油』の責任者は私だ! これ以上、会社のことに口を出すな」

「会社のことじゃありません。息子のことじゃないですか。
海人の一生がかかっているんですよ」

「だからだろ……。だから、確かな相手が必要なんだ。
いいか、今、この業界は大きな組織を作って経営していかないと、
とてもやってはいけない。個人で開いていたスタンドは、どんどん店を閉めている。
『SI石油』だって例外ではないんだ。
全国展開するチェーン店達と肩を並べていくためには、後ろ盾が必要になる。
古川議員は土地の売買から、運輸業界にまで顔が利く人だ。
その人たちと縁続きなれる話がある。それを親として勧めることの、
何が間違っているんだ」

「あなた……。海人は聖さんを……」

「あぁ、確かに昔はそうだったかもしれない。しかし、そこに義姉さんの血を引く、
航が入ってきた。今、住野家は、聖の相手を航だと思っている。
お前もその理由がわからないわけはないだろう」


自信満々に言い切った和彦の態度に、登志子は出しかけた言葉を止めた。

聖の父、哲夫が航に気持ちを向けたのだとしたら、理由は一つしかない。

哲夫が姉の華代子に想いを寄せていたことは、登志子も気付いていた。


「航を連れてきたのは誰だ、登志子、お前だろう。
海人が『SI石油』を継ぎ、航は住野家の婿になって、『住野運輸』を継ぐ。
これ以上のいい話がどこにある」

「あなた……」


海人は言葉を止め、信じられないという顔をしたままの母の方を向いた。

反論することがないのか、それとも和彦の言うことをもっともだと思っているのか、

登志子は布巾を握り締めたまま、下を向いている。


「お前のように、生まれたときから、ブランドを持っている人間には、
私の、この思いはわからないのだろうな……」


和彦はそういうと、リビングから出て、部屋へと入ってしまった。

海人はわかっていたことだったが、空しさはぬぐうことが出来ず、

乱れた新聞を、きちんとたたみ直す。


「海人……」

「母さんが悪いのよ!」


真湖はそういうと立ち上がり、登志子の方を睨みつけた。

思いがけない発言に、海人はリビングを出ようとした動きを止める。


「母さんが、航を会社に入れるから! だから、お父さん意地になってる。
母さんが、航を入れるからよ! 犠牲者はお兄ちゃんだわ」

「真湖……」


登志子の腕を振り切った真湖は、そのまま階段を駆け上がった。

何秒かして、思い切り扉を閉める音が響く。


和彦の思いも、登志子の思いも、そして海人や真湖の思いも、

誰に理解されることなく、バラバラなまま、新谷家の中に漂い続ける。

久しぶりに4人で迎えた夕食後の時間は、寂しさと空しさだけを呼び、

海人は立ち尽くす母をリビングに残し、一人玄関を出た。





海人の思いなど知らない航と聖は、しばらく黙ったまま、電車の中で立っていた。

先に下りる聖の駅が次に近付き、車内放送が入りだす。


「いいわよ……もう細かいことは聞かないから。
もし、袴田さんともっと近付きたいのなら、パパに相談するけど、どうする?」

「……どうするって?」

「3日後のこと、袴田さん来るのよ、東京に」


袴田と親しい、聖の父。何か疑問が解決するかもしれないと思うと、

話を聞いてみたい気はしたが、これ以上、住野家に入り込むことは、

海人のためにも自分のためにもよくない気がして、航はその提案に首を振る。


「どうして?」

「とりあえず、知りたいことは自分で調べてみる。ありがとう」


航のその返事に、聖はどこか浮かない顔で、また正面を向いたままになった。

駅が近付き、電車は速度を下げ、停車体制に入る。


「……てみるから」

「は?」

「聞いてみるから、私も海人に」


聖はそういい残すと、航の横を離れ、ホームへと降りた。

航も、その後に続くようにホームへと降りる。


「航さん、ちょっと……」

「聞こえなかったんだ、今」


プシューという音とともに電車の扉が閉まり、

疲れた通勤客を乗せた車両は、また次の駅を目指し、走り始める。


「聞こえないように、言ったのに……」


聖はそういうと笑い出し、海人としっかり話し合うと告げる。

航はその言葉を聞くと、最大限の協力をするからとそう約束した。





その夜は、はるか遠くを走る電車の音が聞こえてきそうなくらい、

いつにもまして静かな夜だった。

言いあいをした家を抜け出し、海人が向かったのは聖の家で、

何度か電話で話をしようとしたものの、

声だけで気持ちをうまく伝えることができそうもなく、

やはり顔を見ようとそう思った。


玄関のインターフォンを鳴らすと、出てきたのは聖の父、哲夫だった。

海人はすぐに頭を下げ、聖がいないかと問いかける。


「聖は今日、航君を誘って『マネジメントクラブ』に出かけたんだが……」


『マネジメントクラブ』がどういう会であるかは、海人もよく知っていた。

知らない人達と語り合うことが好きではない海人は、

一度も出席したことはなかったが、

聖が航を誘い、航がそれに応えて出かけているという事実だけが、耳に残った。





36 ブランコの思い出
<photo:tricot>

いつも読んでくれてありがとう!
パワーの源、1クリックよろしくお願いします (^O^)/

コメント

非公開コメント

うまくいかない時って

社会的な立場にある人は個人の感情は聞き入れられないのかなぁ。

>生まれたときから、ブランドを持っている人間
この言葉に象徴されるような父親気持ちは
ゆるぎない立場を築くことで不安を解消しようといっぱいなんでしょうね。

家族がばらばらになっていくようで悲しいです。

また海人もそんな家族からの離れたところで聖との関係は
大切だったんだろうなぁ。

でもすれ違う時って何もかも歯車が狂ってきますね。
海人と聖さんのかなも少しずつすれ違って・・・疑心暗鬼になっていくばっかり。

今回は淋しい海人の後姿が目に浮びます。

形はあるけれど

tyatyaさん、こんばんは

>家族がばらばらになっていくようで悲しいです。

大きな家だけれど、心の中が空洞で、
それを知ってしまった海人は、
寂しさそのものの状態にあります。

>また海人もそんな家族からの離れたところで
 聖との関係は大切だったんだろうなぁ。

そうなんですよね。

寂しさいっぱいの海人、このあとどうするのか、
もうしばらくおつきあいください。