TRUTH 【瞳に映る過去】

TRUTH 【瞳に映る過去】

TRUTH 【瞳に映る過去】



出来ることなら、食事に出かけることを止めたかった。

菜穂子に近付くことが、流れを言い方へ向けるようには思えず、

ただ、どうしようもない不安だけが募っていく。





余計なことを、関係のない人間から吹き込まれるようなことがあるのなら、

自ら千波さんとのことを、告げるべきではないだろうか……

そんな想いが、私の心の中を行ったり来たりした。





食事が終わったら、どんな話をしたのか報告して欲しいと言った時、

柚希はもちろんと答え、何も変わらないように思えた。

菜穂子が『緑山南店』に顔を出したと聞いた時は驚いたが、

ご主人と会社の最大のピンチを迎え、

何かしなければならないという気持ちになったのかもしれないと、

また、気持ちを揺り返す。



この年齢になった私に、過去がないと思うほど、柚希は子どもではない。

やはり、千波さんとのことを、

やたらに語るべきではないだろうと、想いを封じ込めた。


「美味しいお店と、美味しいお酒と、楽しいお話でした」

「そう……」


柚希から電話が入ったのは、日付の変わる少し前だった。

イベントの手伝いに向かった3名と、現場スタッフ達を含めた10人ほどの会は、

気楽に食べることが出来る居酒屋のような店だったと言う。


「最初の30分くらいだけ、社長と奥様がいらしたんですけど、
話しにくいだろうからって、席を立たれました」

「30分……それだけ?」

「はい」

「何か……話したの?」

「……いえ……特には」


薄い氷の上を歩きながら、いつ壊れるのかわからない恐怖と、

それでも歩かなければ心が凍えてしまいそうな、そんな複雑な状態だった。

変わらず明るい柚希の声に、最大の危機は乗り越えられた……



そんな想いがした。





次の日、翠から急に連絡が入り、『トワレ』へ向かうと、

信じられない情報がもたらされる。

大阪で新商品のPRイベントをした山内社長が、極秘に『トワレ』に対し、

会社を吸収してもらえないかと、交渉に来たと言うのだ。


「吸収? それじゃ、老舗の看板を渡すつもりなのか」

「でしょ、私も信じられないとそう思ったの。でも、間違いない。
今日の午後、会議があるのよ、社長を含めて」

「で、『トワレ』としては?」

「条件さえあえば、引き受けるつもりみたい。
老舗の重みは、売り上げだけでは計れない物だもの」


会社は問題ないと取引先にアピールするため、大芝居を打ったのではないかと、

翠はそう分析した。菜穂子は会社の状態を、そこまで把握しているのだろうか。


「菜穂子のことだもの、きっと必死なのよ。
私がいる『トワレ』に救われるなんて、プライドが許さないに決まってるでしょ」

「……そう裏目に取るな」


しかし、翠に言ったものの、私の想いも同じようなもので、

菜穂子がただ、合併を承諾したとは、到底思えなかった。





その日は、急ぎの仕事もなく、少し早めに部屋へ戻った。

鍵を入れ、ドアノブを回すと、すでに部屋の中は明るかった。


「柚希、店には顔を出したのか?」

「うん……。みなさんにお土産だけ渡して、今日は早めに切り上げちゃった」


柚希は私に背を向けたまま、紙袋から大阪の土産だと、あれこれ取り出し始めた。

楽しそうな仕草に、色々考えたことは余計なことだったのかと、

上着を脱ぎ、ハンガーにかける。


「ねぇ……」

「ん?」

「森住さん、チーちゃんのこと、昔から知ってたの?」


それは土産物を取り出す音の中に紛れ、あまりにも簡単に耳に届いた。

どうでもいい情報を、話のつなぎに披露したようにさえ聞こえたが、

進むべきなのか、立ち止まるべきなのか、判断がつかなくなる。


「どういうこと?」

「チーちゃんを知っているかどうか、それを聞きたかったの」

「なぜ、そんなことを聞くんだ」

「だって……」


柚希はこちらを向き、私を見た。

そのまっすぐな瞳に、全てを映そうとしているのか、ぶれることがない。


「山内社長の奥様が言ったの。
森住さんは、7年前に出会った人を忘れられないんだって」

「それは……」

「その人にそっくりな新人が入ってきて、驚いたことを楽しそうに語ったって。
それがあなたなのね……って」







逃げ道が……

なくなった。







そうだった。

柚希を新人紹介で見つけた日、あまりにもあの女性に似ていて驚き、

その後、飲みに出かけた店で、菜穂子に語った覚えがある。




まさか……

その柚希を愛するとは、思ってもいなかったから……。




「違うとは言わないのね」

「柚希……」

「そうか……思い出の人って、チーちゃんだったんだ」


菜穂子の勝ち誇ったような顔が、柚希の後ろに張り付いている気がした。

やはり、店に来たのも、柚希を誘ったのも、誰のためでもない自分のため。

会社の存続など、菜穂子にとってはどうでもいいことだった。


「柚希……聞いて欲しいんだ」

「山内社長の奥様が、言った通りだったんだ。そうなんだ……」

「柚希、ちょっと待って」


止めなければならない。

柚希の心を支配した、悪魔のようなささやきを、消し去らなければ、

もう、取り返しの付かないところにまで、走り出しそうな気がする。


「ごめん、確かに千波さんを、結果的には知っていたことになる。
でも、あまりにも色々なことを知らなかった。
だから私にとっても、彼女の話しは突然で……」

「山内社長の奥様と、森住さんは同じ店で働いていたことがあるのでしょ。
スタイリストとして、森住さんはとても有望視されていたけれど、
お店がうまく行かなくなったって。
そんな中、奥様は山内社長と出会って結婚したけれど、
森住さんが再就職したものの、ずっと独身でいるのが気になっていたって。
7年前、ううん……もう8年になる、その偶然の出会いが、
男として忘れられないからって」


間違ってはいない。

でも、菜穂子が柚希に伝えたのはきっと、思い出話を語るためではないだろう。

あの時、柚希と訪れた店で見せた冷たい視線は、この日のためだったのかと、

つかむもののない手を握りしめ、なんとか前に出ようとするが、

柚希はその先へ逃げようとする。


「思い出って何? どこで知り合ったの? ねぇ……どういうこと
男としてって、チーちゃんと付き合っていたの? ねぇ、でも、森住さん、
結婚相手の人じゃない。私、写真だって見たことがあるけれど……違う、違うもの」

「柚希、落ち着いて話をしよう」


私の誘いにも柚希は首を振り、伸ばした手を振り払う。


「そう言われて思い出したの。森住さん、『緑山南店』の駐車場で言ったわよね。
越野さんにはお姉さんがいないのかって。その人と思い出があるって」


柚希はあの日、輝くような笑顔を見せ、

その思い出はいいものなのかと私に問いかけた。

その笑顔に向かって、頷いたのは、つい昨日のような気がしてくる。

記憶と言うのは、どこかをつつかれた時に、

一気に吹き出てくるものなのかもしれない。

疑問と不安が重なったおかげで、あの日のことが鮮明に蘇る。


「あれって……チーちゃんのことだったんだ。そうよね、そうなんだ。
だから、私のこと……」


柚希の心の中で、記憶と想像が混ざり合って、あらたな想いを作り上げていく。

私が何度も待ってほしいと告げたが、高ぶった気持ちを抑えるには、

あまりにも刺激がありすぎた。


「説明して! どこで会ったの? ねぇ……思い出って何? 隠さずに言って!
どうして今まで黙っていたの? 言える時間なんて、たくさんあったじゃない!」

「柚希」


思い出は、たった一つしかない。

それを語ることは避けたかったが、ここで繕ってみても、柚希は納得出来ないだろう。

私は、あの夜のことを、正直に言葉に乗せた。


打ち込んでいた仕事と店が、うまくいかなくなり、

先が見えない状態のまま、どう歩んでいいのか、迷い苦しんだこと。

偶然、お酒を飲んだ店で、カクテルを前に置いたまま、どこか浮かない顔で、

時を流している千波さんと出会ったこと。

店を出た後、寂しさを埋めようと、互いに手を取り合ったこと。




再会を約束したが、結局、叶わなかったこと。




「何度も同じ店に足を運んだ。あの時、電話をくれたのが今の社長で、
仕事がうまくいったこと、また、希望が見えてきたこと、それを彼女に報告したかった。
まさか、病気だったなんて知らなかったし……亡くなっていたことも、何も知らなかった」

「……で、私に出会った」

「始めは驚いた。7年の時を越えて、彼女が姿を見せてくれたのかと
そう思ったくらいだった。でも、そんなことはなくて……」

「……何もかも、山内社長の奥様が言ったことが当たってる」

「……柚希」


まだ、何かあるのか。

正直に話をしたつもりだったが、柚希は涙を流し、声を振るわせていく。





「私は……チーちゃんの身代わりだって」





心が違うと叫んだが、言葉にはならなかった。

私の腕が動き、柚希の腕をつかむ。


「違う、身代わりなんかじゃない」

「おかしいと思ったの……。何も出来ない私なんかを、あなたが愛してくれるなんて、
奇跡よりも少ないことだとそう思った。チーちゃんが忘れられなくて、
偶然、似ている私が目の前に現れたから、だから……だから……」

「違う! 身代わりなんかじゃない……私は……」

「いや! 触らないで。森住さんにとって、女性なんてそんなものなのよ。
今、話してくれたじゃない。男として気持ちが動けば、
その場だけでも、身代わりでも何でも……」

「柚希!」


柚希は私の腕を振り払い、小さなカバンをつかむと、そのまま玄関へ走った。

私はすぐにそれを追いかけようと振り返ったが、そのままその場に崩れ落ちる。





柚希……

こんなときは、どんなことをしても腕の中に君を閉じ込め、

わかってもらうまで、話し続けなければならないのに……。



声を出すことも出来ない痛みと、息が出来なくなるほどの状況に、

私は脂汗だけをかき、体を小さく丸め、その波が過ぎていくのを待つことしか出来ない。





千波さん……

あなたがあの日、私に見せてくれた天使のような微笑は、

この日を予感した、裏返しなのか。





もし、このまま、幸せな時が戻らないのなら、

いっそ、この傷みにまかせて、連れて行って欲しい……







現実に押しつぶされそうになるのなら、

もう……目覚めたくない。







柚希の足音は聞こえなくなり、

部屋に残されたのは抜け殻に近い、一人の男だけだった。






【幸せの意味】


森住の心は、どこへ向かうのか……
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コメント

非公開コメント

ああ~

森住さんもお帰りなさい。
お待ちしてました。

ああ~、心配していた以上の事態だわ。
柚希を追いかけたくても動かない体。。

森住さんを助けて~
柚希の誤解も解いてあげて~

>部屋に残されたのは抜け殻に近い、一人の男だけだった。
上手い一文です!が、あまりにも悲しい。。

心と言葉

れいもんさん、こんばんは

>森住さんを助けて~
 柚希の誤解も解いてあげて~

どうだったんですかね、
森住の対し方がまずかったのか、なんなのか、
知られたくないことは、知られるように出来ているようで。

人の心は見えません。
口で伝えようとしても、その言葉を受け取る相手次第。

さて、苦悩する森住の行く先は……
ということで、次回へ続きます。

うーん・・・

うーん(--;)こうなる結果は見えていたけど・・・

でも柚希、少しは話聞こうよ。
森住がどんな思いで近づいたにしても、
愛されたのが嘘でも(この場合は嘘では無いと思うけど)
柚希が愛したことは嘘ではないでしょ。

追え!掴んで離すな。本当に必要な人なら!

掴めなかった手

yonyonさん、こんばんは

>でも柚希、少しは話聞こうよ。

柚希にとっては、
あまりにも当てはまってしまう出来事に
ショックを隠せなかったようです。

腹痛で追いかけられない森住。

まぁ、ここからがこの話の中心ともいえるので、
もうしばらく、おつきあいくださいませ。