30 ふわりの場所(3)

30 ふわりの場所(3)


日向さんの楽屋に、オーディションに落ちてしまった保坂さんを連れて行ったところ、

そこに飛び込んできたのは、若村さんだった。


「おぉ、史香。やっぱりここだったんだ。あのさ、『ベルルッチ』展なんだけど、
お前の予定にあわせるから行かないか。服部先生が、東京へ出てくることになって。
見に行きませんかって誘ったら、ぜひにって言うから」

「エ……服部先生が?」


服部先生は、私の高校時代一番お世話になった先生だ。

結婚し北海道で暮らしていることは知っていて、年賀状は出していたけれど、

東京に来るのなら、確かに会って見たくなる。


「あれ? 若村君じゃないの。どうしたのよ」

「あ……米原さん、先日はどうもありがとうございました。
急遽お願いしたのに、さすがだって、上司が喜んでました」


若村さんは、米原さんに気づき、姿勢を直すと頭を下げた。

さすが米原さん、私よりも早く、『パーツワン』の若村さんを知っていた。


「何、史香と知り合い?」

「あ……俺、史香の高校時代の先輩なんですよ。
恩師が東京へ出てくるので、一緒に会わないかって、今誘っているところで」


米原さんが若村さんを知っていた。

そうなると、簡単には仕事だとウソが言えなくなってくる。


「なぁ、史香。一緒に行こうよ!」

「あ……はい」


服部先生が来るのだから、ちゃんと用事があるのだから……。

結局、私は少し強引な若村さんの誘いを断れず、

『ベルルッチ展』のチケットを、受け取っていた。

青春時代、恋焦がれた人は、相変わらず颯爽としていて、全く隙がない。

いや、一瞬の隙をついて決めてくるあたりは、さすが『剣道部』。





……そんな冗談はさておいて。





「どこに行くんですか? 前島さん」





あぁ……そうだった。この人がそばにいたんだ。

また、面倒になりそうな人が、話に入ってくる。





「あ……そのチケット、『ベルルッチ』じゃないですか。
あれ? もしかして、デートに誘われてます?」

「君、誰?」

「あ……彼女は」

「はい、私は保坂優、事務所期待の新人です!」


誰に期待をされているのか、聞いてみたいが、誰も答えてくれないだろう。

もう、保坂さんも若村さんも、外へ出ましょうと、私は必死に抵抗する。


「デートでしょ? デートに誘われているんですよね」

「あのね、保坂さん」

「高校時代、振られたからね、俺は……」

「エ……」



ウソ……。

そんなの初耳です。

私がいつ、若村さんを振りました?



「そうなんですか? じゃぁ、再会じゃないですか。
どうします、前島さん、今度こそお付き合いしちゃいます?」

「あのね……」


あぁ、もう。最悪だ。

なぜ日向さんの楽屋の前で、こんなことになるのだろう。


「ごめん、スタジオに行くから、そこ開けてくれる? 保坂さん、頑張ってね」

「あ……はい! 保坂優です! 優雅の優ですから!」


私と若村さんと保坂さんの、

どうでもいいトライアングルを抜けた日向さんの表情は、あまり明るく見えなかった。

何か気になることでもあるのか、深く考えているような、重いものが見えた。

もしかして、このくだらないやり取りを、本気にしてしまったのだろうか。


「じゃぁ史香。あらためて連絡するからな」

「……はい」


結局、私は若村さんと『ベルルッチ展』に行くことになってしまった。

こういうところが私のダメなところ。

強く押されると、それを跳ね返すだけのパワーが出てこなくなる。





「じゃぁ、前島さん、お先」

「あ、はい。お疲れ様でした」


オレンジスタジオでの出来事を終え、そこで仕事が終了になり、

歌を歌いながら帰った保坂さんとは違い、私はまた事務所へ戻った。

溜めてしまった雑用は、佐藤さんが帰っても続き、一人になる。

ここ何日かは、本当に慌ただしく、本来やらなければならなかった仕事が、

まだ残っていた。

スケジュールの打ち込み、取材申し込み書の記入の途中で時計を見ると、

いつの間にか時間は9時を過ぎている。


日向さんのところへ行くつもりで準備していたのに、

仕事を途中で放り出す訳にもいかず、なんとか最後までやり抜き、

事務所を出たのは夜10時を回っていた。





事務所から少し歩き、走ってきたタクシーを停めると、目的地を告げる。

でも、日向さんのマンション近くで降りたことはない。

目的地を10分ほど過ぎてからタクシーを停め、会計を済ませ坂道を登っていく。

地下の駐車場入り口から上へ向かい、日向さんの部屋に到着したのは、

夜の11時近かった。





「今まで仕事していたの?」

「はい、保坂さんのオーディションが入ったので、色々と仕事ためちゃいました。
佐藤さんみたいにテキパキこなせたらいいんですけど、なかなか……」

「あんまり無理するなよ……って、無理させてるのはこっちか……」


日向さんのテーブルの上には、『赤鼻探偵』の台本が置いてあり、

その横には、何かチケットのようなものと1枚の紙があった。


「なぁ、史香。今日、『メビウス』の山崎さんが撮影現場に来てくれてさ、
このチケットくれたんだ。『ビージーランド』の招待券なんだって。
帽子深くかぶってさ、サングラスでもかけて、行ってみるか」

「……日向さん」

「もともと人だらけで、ゴチャゴチャしている場所なんだ。
誰が隣を歩いているかなんて、みんな見ることもないだろうし」


突然の会話だった。

日向さんの仕事は、一見順調そうに見えたけれど、

何かトラブルでもあったのだろうか。

今まで仕事をしていた私より、どこか疲れているように見えてしまう。


「『ビージーランド』なんて無理ですよ。人が多いし、もし、気づかれでもしたら、
それこそ大変なことに……」


日向さんと出かけることが出来たらと、

思ったことがないのかと言えばウソになるけれど、

落ち着かない状況でどこへ行っても、楽しいと思うことはないだろう。


「大変なことってなんだよ。気付かれたら、
堂々と付き合っていますって言えばいいことだろ。
それとも、史香はそれを明らかにするのは嫌なのか?」

「日向さん……」

「そうか……。そうだよな。史香は別に、無理に出かけることなんてないもんな。
行きたいところがあれば、自由にいけるし」


どうしたんだろう、これはいつもの日向さんではない。

私はふと、昼間スタジオを出るときに見せてくれた顔を思い出した。

きっと、若村さんとのやりとりを、気にしているのだろう。


「偶然会ったんですよ。若村さんは高校時代の先輩で。
で、『ベルルッチ展』に、服部先生って恩師が北海道から出てきてくれるって言うから、
だから、同窓会みたいなものだって」


なんだか言い訳じみているけれど、それでも必死に状況を伝えた。

会いたいと思っているのは、若村さんではなくて、むしろ、服部先生なのだから。


「いいよ、そんなふうに言わなくても。先輩に再会したんだ。
懐かしいのも当たり前だし、行きたいところがあれば行けばいい。
連れて行ってやりたいところも、見せてあげたいものも、たくさんあるけど、
僕じゃ、何もかなえてやれない」


私は座り込んでしまった日向さんを見つめたまま、

持ってきたバッグを下ろすことさえ、忘れていた。

ようやく部屋の奥へ入り、上着を脱ぎバッグを下に置く。


「何か……あったんですか?」

「別に……」


日向さんのテーブルの上にあった、『チケット』ではない紙を手に取ってみる。

それは、どこかの部屋の見取り図。

引越しでもするのだろうかと、手にとって見た。


「僕は君に要求するだけで、何もしてやれない。
仕事で疲れているのなら、部屋へ帰って早く眠るように言えばいいのだろうけれど、
それでも会いたくて、結局、史香に無理をさせている」


日向さんは私の手から見取り図をとりあげると、

クシャクシャに丸め、ゴミ箱へ放り投げた。

ゴミ箱のふちに当たった紙は、そのまま床へ落ちる。


何があったのだろう。

こんなふうにイラついている日向さんは、初めて見た気がする。


「田沢さんから、引越しをするように言われた。
米原さんが住んでいるマンションの、最上階が空いたんだって。
今週は『赤鼻探偵』の撮影が詰まっているから、
来週にでも荷物を運べるようにするって」

「引っ越し……ですか」


私は放り投げられた見取り図を拾い上げ、クシャクシャになった部分を

一生懸命手で伸ばしてみた。今の間取りよりは少し狭い気もするが、

立地は便利な場所だ。

この忙しい時期にわざわざ引っ越す意味は、聞かなくてもわかる気がした。

日向さんもそれをわかっているからこそ、田沢さんに強く出られないのだろう。


「米原さんが住んでいる場所なら、もし、史香にカメラを向けられても、
誤魔化すことが出来る。『スタッフですから……』って言って、
取り繕うタレントは何人もいるし」


タクシーの降りる場所を変えてみても、地下の駐車場入り口や、

裏の非常階段などを使っても、写真週刊誌が狙いを定めたら、

逃れることなど無理だ。

田沢さんはそれをわかっていて、少しでも日向さんを守ろうと、次の手を打った。

樫倉英吾の事務所も、何を仕掛けてくるのかわからない今、

問題になりそうなところは、先手を取って対処する。

日向さんのマネージャーとしては、当然の仕事だ。


「囲いの中で自由にしていいんだよと言われても、自由だと言われているだけで、
何も自由なんてない。そうだろ、僕は史香を連れて、遊びに行くこともままならない。
監視されていて、どこからでも人の目を気にしていて……。
なぁ、どうしてダメなんだろう、史香を大事な人だと言うことは……」

「日向さん……」


日向さんの気持ちは、今、冷静ではないように思えた。

悔しそうに唇を噛む姿を見ながら、どう言葉を返せばいいのか、わからなくなる。


「今日、若村さんが、ものすごく羨ましく見えたよ。
当たり前のように、一緒に行こう……って言葉が、新鮮だった。
それと同時に、史香の願いを何一つ聞きもしないで、
逃げるように引っ越そうとする自分が、情けなく思えてきてさ……」


普段、自分の中だけで行動していると、

その状況を特別だと感じることはないのかもしれない。

けれど、若村さんが尋ねてきて、普通に人を誘う姿を目の当たりにし、

日向さんはあらためて、自分の不自由さに気づいたのだろう。


「樫倉英吾の事務所が、色々と仕掛けてきていることはわかってるんだ。
田沢さんも米原さんも、史香とのことをナーバスになっている。
牧原さんの記事は過去だし、大きな問題にはならずに済んだけれど、
ここで、週刊誌にでもまたかぎつけられたら、それこそ大騒ぎだからって」


牧原さんに言い寄ったライターの存在、そして、強引な樫倉の事務所。

確かに、日向さんが今、一番困ることといえば、私とのことだろう。



ほんの少し前なら、こんなとき、どうしたらいいのか悩むだけで、

私はおろおろしたかもしれない。

でも、今は違う。

日向さんを守ろうと誓ったのだ。

私に出来る、私なりの方法で……。



「……いつか、きっと……」

「ん?」

「いつかきっと、きちんと話せるときがきますよ。
今は少し不自由かもしれないけれど、私にはふわりの場所があれば、それでいいです」

「ふわりの場所?」


とげとげしかった空気が、やっと少しだけ動き始めた気がして、

私は日向さんの隣に腰掛けた。

ぴったりそばにくっついて、心のままを話していけば、わかってもらえること……。

それは色々なことを経験しながら、学んだこと。

誤解は、屈折した言葉から生まれる。

私はちゃんと伝えたくて、日向さんの左手をそっとつつんだ。






31 ふわりの場所(4)


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コメント

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すてき~

ふわりの場所っていう意味がやっと分かりました。
史香の気持ちは、きっと淳平に伝わります。
史香、大人になったねえ。。
今度は、史香が淳平を支えるんですね。

ももんたさん、楽しんでますか?!
ちゃんと予約更新できてます。

私にとっても、ここがふわりの場所かも~

すとん

なんか いい話ですね

ふわりの場所はそうだったのかぁ・・・。
心にそうかと、しっくりなじみます。

史香ちゃん、成長したね。
この二人は支えあっているのが感じられますよ。

私事ですが、明日は息子の卒業式が行われます。
震災のため簡素化され、賞状の授与や別れの言葉などカットです。
体育館ではできなくて、ホールのようなスペースで行います。
それでも、式ができることに感謝してよき日を送ろうと思います。
今日、海外からパパも一時帰国の許可がやっともらえて帰ってきました。
我が家にもやっと春が来ました。


安らげる場所

今でこそアイドルだって『お付き合いしてる人が居ます』
『大切な人です』何て言いえますが、
言えない人だって多くいるはず。

コソコソしたくないのは誰だって同じ。
でも心が安心できる場所があればそれでいい、と思えるなら
それはそれで幸せなのでは?
史香のそんな場所が淳平の傍ということ・・・・

若村さんを羨ましいと思う淳平、素直で可愛い。

↑milky-tink さん、息子さん卒業おめでとうございます。
少し寂しい卒業式のようですが、きっと胸には大きな希望があると。
春はちゃんときますね^^

温かい言葉

淳平、樫倉英吾対策で引っ越しするように言われたんだね・・・
いつも誰かの監視が付き、
大切な人の存在も誤魔化さなくちゃいけない自分と比べて
当たり前のように史香を誘う若村の姿は
かなりショックだったんだろうなぁ

でも、いろんな事を乗り越えてきた史香は本当に逞しくなったわ^^v

ふわりの場所
・・・なんて優しくて素敵な言葉なんでしょう♪
心のままに話をすれば淳平にもきっと伝わるはず!

何かと不安なことが多い毎日・・・
私も心もふわりと温かくなりました^^

ももちゃん、春休みゆっくり楽しんで下さいね~♪

タイトルって難しいです

れいもんさん、こんばんは

>ふわりの場所っていう意味がやっと分かりました。

よかった(笑)
タイトルって難しいです。
わかってしまうと、内容までわかってしまいそうで。
あまりかけ離れると、伝わらないし。

京都旅行、楽しんで帰ってきました。
また、色々とネタにしてみます。

>私にとっても、ここがふわりの場所かも~

れいもんさん! 今日はこの言葉だけで、
にやついたまま眠れそうです(笑)

春、来ましたね

milky-tinkさん、こんばんは

>なんか いい話ですね

ありがとう。
史香と淳平は、思いを伝えあった二人ですが、
ちょっとしたことで不安になったり、
気持ちを乱してみたり……

小さな積み重ねが、必要なようです。


わが家と同じく、僕ちゃんの卒業式、おめでとう!
色々と大変な時期なので、『思いっきり!』の
卒業式ではないかもしれないけれど、
心には、しっかりと残る式になったことでしょう。

これからの日本を支えていく! はずの息子達ですもんね。
これをパワーに変えて、頑張ってもらいましょう。

パパさん、帰国できてよかったです。
milky-tinkさんも、ほっとされたことでしょう。
少しずつ、暖かくなってます。
やっときた春、心も体も、あっためてくださいね。

素直な言葉

yonyonさん、こんばんは

>若村さんを羨ましいと思う淳平、素直で可愛い。

あはは……かわいい?
淳平は、思ったことを、結構ハッキリ口にするタイプです。
色々な女性から、騒がれてうらやましがられる俳優が、
実は普通のことが出来ずにジレンマを持っている
こんなこともあるのかな……と。

まぁ、昔より今の方が、色々とオープンだけれど、
やはり、全てさらけ出すわけにはいかなでしょうね。
特に俳優って、イメージもあるでしょうから。

我々の彼には、『ふわりの場所』あるのかなぁ

久しぶりの時間

パウワウちゃん、こんばんは

>でも、いろんな事を乗り越えてきた史香は
 本当に逞しくなったわ^^v

はい、オロオロしてばかりだった史香も、
淳平の気持ちをしっかりとつかみ、
少しずつ大人になってます。

>ふわりの場所
 ・・・なんて優しくて素敵な言葉なんでしょう♪

ありがとう!
次回は、しっかりと史香が語ります。

春休み、京都旅行へ行ってきました。
いつもの時間とは違った、
子供達との時間を久しぶりに持てたのが、
私も嬉しかったです。

これから、ますます少なくなるんだろうな……

ぽかぽか

yokanさん、こんばんは

>「ふわりの場所」素敵な言葉ですね^^

ありがとう!
心がほっとして、あったかくなれる場所、
それって大切ですよね。

史香の言葉に、淳平はどう応えるのか、
次回もおつきあいください。

暖かい場所になるといいね

自由を制限されているなかで、それでも安らいでいられるのは
史香の存在だから、大切に思うだけではなく
ちゃんと行動で示したいんでしょうね。

樫倉英語の事務所が何か仕掛けてくる前に・・・
田沢さんの先読身の深さになるほど~~。
こういうことを考える用意周到さ、身震いしちゃいます。

田沢の腕

tyatyaさん、こんばんは!

>大切に思うだけではなく
 ちゃんと行動で示したいんでしょうね。

淳平にしてみたら、我慢させているという思いが
強いのでしょうね。
自分の都合で、振り回しているという気持ちが、
焦りになっているのでしょう。

>田沢さんの先読身の深さになるほど~~。

マネージャーって、いいことも悪いことも、
そのタレントに対して、やってあげないと
ならない気がします。
煙たがられるくらいが、いいのかも……