31 ふわりの場所(4)

31 ふわりの場所(4)


日付はまもなく次の日に変わりそうだった。

その時計の中で動く針の音を聞きながら、私は幼い頃のことを、話しだす。


「私、小さい頃、おばあちゃん子だったんです。
父も母も店が忙しくて、食事もなかなか一緒には出来なくて。
でも、その代わり、いつもおばあちゃんがいてくれました。
テレビを見る時も、私を膝の上に乗せてくれたし、
折り紙も、簡単なお裁縫も、みんなおばあちゃんが教えてくれたんです」


なんだろう、いきなり頭の中に浮かんだ話だった。

この話が日向さんの心を癒せるのか、それはわからないけれど、

私にとっては、この感覚が一番近い、そう思えた。


「おばあちゃん、足があまり丈夫じゃなくて、どこかに出かけた記憶なんてないんです。
でも、一緒にいるだけで、心があったかくて、安心できて、
折り紙で動物をたくさん折れば、そこに動物園があるように空想できたし、
テレビを見ながら、知らないことを教えてもらって……」


中学生の時に亡くなってしまったが、

あのぬくもりと、優しい声は忘れたことがない。



『史香ちゃん……』



そう、何度も呼んでもらった記憶は、あせることなく心にとどまっている。


「どこにも行けなくたって、何も珍しいものなんて見なくたって、
そこに日向さんがいてくれるだけで、私にはどこよりも、ふわりの場所なんですよ。
一緒に『世界遺産』のDVDを見て解説してくれるだけで、
ちゃんと頭の中で旅行が出来ますから」

「史香……」

「日向さんは違うんですか? どこかに行かないと、つまらないと思ってるんですか?
こうして一緒にいるだけで、仕事で疲れた気持ち、回復しませんか?」


どこに行くか、何を見るか……ではなくて、

誰といるか……それが大切なのだから。


「いつかきっと、自由に『ベルルッチ』だって見に行けるし、
『ビージーランド』だって行けますよ。
今は、みなさんに恩をお返しする時間だと思って……」

「恩返し?」


そう、私たちが今、ここにこうしていられるのは、

渋々ながら納得してくれた田沢さんや、色々な応援をしてくれる米原さんのおかげ。

決して、自分たちだけで築けたものではない。


「はい! 保坂さんのオーディションに付き合いながら、
きっと、田沢さんも、駆け出しの日向さんの日々に、
付き合っていたんだろうなと……そう思いました。あ、それに……」

「それに?」

「日向さんの仕事が見られるのも、この職業だからこそです。
なかなか仕事場に出向ける彼女も、いないでしょ?
水沼隼人になりきる、日向さんの演技を見ながら、ひとりで心臓ドキドキさせてました」


それはウソではなかった。

男性が真剣に仕事をしている姿を見るのは、

女性にとって、きっと素敵なことに違いない。

何よりも男性が輝くのは、全力で立ち向かっている時だと、私は思っている。


「……恩返しか」

「そうですよ、鶴じゃないですけど」


日向さんが、田沢さんに恩を感じていることくらいわかっている。

私とは違った感覚で、強い結びつきがあることだって知っている。

でも、今は、あえてそう言うことしか出来なかった。


「そうだな、しないといけないよな、確かに。
保坂さんに自分のことを語っているとき、色々と思い出す事もあった」

「はい……」

「田沢さんには、仕事が波に乗るまで苦労かけてるし」


何かを吹っ切ったのか、日向さんの表情が少しだけ明るく変わった。

出かけることなんて、いつだって出来るのだから。

今は、こうしていられることに、ただ、感謝しないと。


「史香……」

「はい」


日向さんは両足を伸ばすと、その上に乗れというのか右手で脚をポンポンと叩く。

私はいいですよと断り、話をそらそうとしたが、日向さんはそれにはのってこない。


「ふわりの場所だろ、これが」

「ん?」

「おばあちゃんの膝の上に乗ると、ふわりと優しい気持ちになれるんだろ、
ほら、ここ!」


日向さんは、『膝の上に乗った』というところだけ、強調したいらしい。

ここで断り続けて、せっかくの空気を台無しにするのもなんなので、

楽しそうだからいいやと、私は日向さんの脚の上にちょこんと乗ってみる。


「ごめん……」

「どうして謝るんですか?」

「『ベルルッチ展』行っておいで」

「日向さん」


日向さんの腕が、そっと背中から私を包み込む。


「嫌味でも何でもないよ。せっかく恩師が出てきてくれるんだ。
それは参加しないと。その代わり、どんなものだったのか、ちゃんと報告して欲しい」

「……はい」

「若村さんが、史香の先輩だって聞いて、ちょっと気持ちが焦ったのかもしれないな」


普通に語ってくれる日向さんの言葉が、特別なものに聞こえるくらい嬉しかった。

私にとってはもう、過去の憧れに過ぎない若村先輩。

でも、焼き餅を焼かれて、嫌な気持ちはしない……それは少しだけ本音。


「笑えるだろ。そんなことくらいでって……」

「いえ……」

「史香を好きだから……誰よりも自分が近い存在でいたいんだ」


私は何度も首を振った。

笑うことなんて出来ない。

この思いになんとか応えたい、ただ、それだけを思ってしまう。


「なぁ史香」

「はい……」

「こっち……向いて」


あぁ、もう。

日向さんって、私がまた泣きそうになっているのに気付いて、

そういうことを言うんだろうか。


「こうして乗ってましたから、おばあちゃんの時も顔はそっちに向いてません。
だから、向きません」

「改良、改良……」

「……もう!」


ここまできたら、言い合いなんてしても仕方がない。

私は日向さんと向かいあうようになり、あらためてその表情を見た。

いつも見慣れているはずなのに、こんな格好で向き合うと、本当に照れてしまう。


「いつか必ず、史香の行きたいところへ連れて行くから」

「はい……」

「地球の裏でも、果てでも……連れて行くから」

「……はい」


日向さんの気持ちは嬉しいけど、地球の果ては……

まぁ、いいや。地球の果てでも、日向さんが一緒なら、きっと楽しいはず。


「もう少しだけ、頑張るか」

「はい」


いつか必ず……。

それって、この先もずっと、こうした時間が続けばいいなと、

日向さんが思ってくれている証拠ですよね。



いつか必ず……

どこでも手をつなげる日が、やってくる。



いつ来るのかわからないその日。

それを、一緒に待つことが出来る、そんな幸せ。



日向さんの手が私の体を引き寄せたので、さらに顔が近くになった。

小鳥がくちばしをつつくように、小さな軽いキスをすると、

なんだかおかしくなってくる。


「どうして笑うんだよ」

「だって……」

「笑うなって……」

「どうしてですか」


日向さんのおでこが、私のおでこに触れて、今まで笑っていた顔が、

いきなり真顔になった。こんな時、日向さんって本当に俳優なんだと思ってしまう。

私は変化についていけずに、さぞかし滑稽な顔だろう。


「もっともっと、史香を好きになる」


そう言った日向さんの唇は、私の返事を待ってくれなかった。

人を好きになるのに、理由なんてないというのは本当だろう。

私もなぜなのかと聞かれても、きっとうまくは答えられない。


でも、日向さんが好きで、

『ふわりの場所』がここにあることくらいはちゃんとわかる。



日向さんだから、好きなんだ……



ただ、それでいい。

場所なんて、どこだって……構わない。

眠たくたって、睡眠不足だって、全然平気!






……にならないと。





次の日、いつものように仕事をしていると、田沢さんが一人で事務所に現れた。

日向さんは『赤鼻探偵』の撮影でスタジオに残っているという。

屋上についてこいと言われ、また何か問題が起きたのかと思ったが、

言われた言葉は、予想外のものだった。


「ありがとな、史香」

「何ですか?」

「淳平が引越しをわかってくれたからさ」


田沢さんは、日向さんの引越しが来月早々に決まったことを話してくれた。

場所は、見取り図をもらった米原さんのマンションの最上階だ。


「あいつの気持ちは痛いほどわかるんだ。
責任感のある男だし、史香との付き合いも真剣なんだろう。
悪いことをしているわけではないのだから、堂々としていたい。
そうじゃないと、史香に申し訳ないって。
引越しなんてするのは、逃げるようで嫌だって言っていたんだけど、
昨日急にOKくれたんだ。話を聞いたら、史香が、
今は恩を返す時期だとそう言ったって」

「あ……はい。すみません、生意気なことを言って」

「お前に、恩なんて返してもらいたくないわって言ったけれど、
でも、気持ちは嬉しかった。一緒に頑張ってきたことを、
ちゃんとわかってくれているんだと思うと、なんだかな。
史香と付き合って、淳平も成長しているんだとそう思ったよ」

「田沢さん……」


初めてだった。

田沢さんの口から、お付き合いしていることがプラスだと言ってもらえたのは。

なんだか、私の方が泣きそうになる。


「もう少しだけ、もう少しだけ夢を見させてくれ、史香」

「夢……ですか?」

「あぁ、あいつが俳優としての位置を、しっかりと掴み取るところまで、
そこまで行けば、俺の役目は終わりだ」

「だめです!」

「ん?」

「日向さんには、田沢さんがいないとダメなんです。
終わりだなんて、言わないでください。
ずっと、ずっと、日向さんが輝けるように、そばにいないと」


ちょっと厳しくても、大きな声で威嚇されても、

それでも、日向さんの横に田沢さんがいないなんて、それは信じられない。

田沢さんの代わりなんていないのだから。


「そんなことを言ったら、ずっとこのままかもしれないぞ」


ずっとこのままとは、交際を発表できずに、外を一緒に歩くことも出来ずに、

そんなことを意味しているんだろうか。


「……それでも……いいです」


日向さんが、俳優として大きく羽ばたけるのなら、

私の存在なんて、どうだっていいことだ。

それは本当に、そう思う。


「バカ! そんな健気な女になるなって」

「田沢さん……」


日向さんを通して、私も田沢さんの本当の大きさや優しさを知ることが出来た。

ただ、仕事だと思っていたら、人を動かすことなんて無理なのだろう。


日向淳平という俳優に、そして、その名前を持つ人を好きになった仲間として、

私達はこれからも一緒に、乗り越えていく絆を、少しずつ深めていく。

空に浮かぶ雲は、ゆっくりと流れ、田沢さんは大きく背伸びをすると、

私の頭を、一度だけポンと叩いた。






32 大事なこと(1)


恋する二人と、空想に励む私に(笑)
励ましの1ポチ、よろしくお願いします。(人・∀・)オネガイ・*:..。o○☆*゚

コメント

非公開コメント

よかったT_T

なんだか感動~
史香大きくなったね~
日向淳平をまるごと包み込むくらい大きくなってます。
淳平だけじゃなくて、田沢さんまで。。

相手を本気で思いやればそれがちゃんと返ってくるんだな~
まさしく「はーとふる」です。
今日のお話は、疲れた心にしみました。
明日からまたがんばろう

良い話だ~

いつの間にか成長している史香。
淳平も内心ビックリだろうね。
糟糠の妻になりそうな、そんな雰囲気・・・

いつか大手を振って並んで歩ける日が来るさ。
羨ましいくらい仲が良い二人が。

私も沁みました・・

いろんな困難を乗り越えながら絆を深め
互いに成長していける関係って本当に素敵だね!

イラついて冷静さを失う淳平を温かく包み込む
史香ちゃんの大きな愛に・・・思わずウルウル…

>どこに行くか、何を見るか……ではなくて、
誰といるか……それが大切なのだから

史香ちゃんの言葉が私の心にも温かく沁みて
元気を貰いました^^v
ありがとう♪

今少しは・・・。

ふわりの場所。心が暖かくなる場所だね。

お互いに心が許せるなら、何かをして確かめなくても
いっしょにるだけで癒されるんだよね。

大きく羽ばたくために今少しは離れていなければならないけど
いつかその寂しさや苦労もきっと二人にとってはいい方に向かうんだろうね。

この二人ならきっと大丈夫。そんな気がします。

史香の成長

れいもんさん、こんばんは。
お返事、遅くなりました。

>なんだか感動~
 史香大きくなったね~

あはは……本当?
まぁ、史香も経験をつんで、
色々と考えるようになったのでしょう。

まだ、オロオロするかもしれないけど(笑)

私もまた頑張ります。
そちらにも、なかなか行けずに、ごめんなさい。

史香の頑張り

yonyonさん、こんばんは
お返事、遅くなりました。

>いつの間にか成長している史香。
 淳平も内心ビックリだろうね。

淳平の方が落ち込んでいるとき、
史香も頑張ろう! と思えたようです。
まだ、成長しきっているかどうか、
なぞなんですけど。

さて、並んで歩ける日は近いのか、
それとも遠いのか……

じんわりと

パウワウちゃん、こんばんは
お返事、遅くなりました。

>いろんな困難を乗り越えながら絆を深め
 互いに成長していける関係って本当に素敵だね!

いつもは、淳平のリードで進んでいる二人ですけど、
今回ばかりは、史香が頑張りました。
このまま、どんどんいい女! になるのでしょうか。

春ですからね、
温かさが、じんわりと伝わってくれたら、
それで嬉しいです。

大事な場所

tyatyaさん、こんばんは
お返事、遅くなりました。

>ふわりの場所。心が暖かくなる場所だね。

はい、心がふんわりとする場所。
高い旅館じゃなくても、素敵なレストランじゃなくても、
二人にとっての大事な場所です。

>この二人ならきっと大丈夫。そんな気がします。

ありがとう。
もう少し、応援してやってくださいな。