37 残されたもの

37 残されたもの




暖かい布団の中で目覚めた友海は、時計を確認すると何度か体を揺らし、

そして一気に起きあがった。

そばに置いてあったカーディガンを羽織り、空模様を見ようとカーテンを開ける。

息を吐くとそれが窓に残ったが、すぐに消えた。


友海がいつもの朝を迎える頃、登志子からの電話を受け取った航は、

新谷家へ向かっていた。『海人が家を出ていった』と聞かされたものの、

にわかに信じがたく、とりあえず事実を確かめようと、必死に走った。


インターフォンを鳴らすと、出てきたのはすっかり力を無くした登志子で、

航はすぐに海人の部屋へ向かう。多くの荷物を持ち出したような形跡はなく、

ただ、テーブルの上に、『心配するな』と1枚のメモが残っていた。


「昨日の夜、あの子、見合いを断って欲しいってそう言ったの。
何も知らない私と、海人のためだと言い切った主人との間に立って、
ただ、黙っていた。でも、まさか……、出て行ってしまうなんて、
考えてもみなかったし……」

「警察へは?」

「知らせる必要がないって、主人が……」


航は、海人が出て行ったことを知りながら、警察に届けることも否定し、

平然と仕事に向かった和彦の態度が、信じられなかった。

和彦は、海人が自らこの家をでていったのだから、

探す必要などないとそう言ったらしく、

登志子はただ自分が追い込んだのかもしれないと、泣き続ける。


「何か、向かった先の手がかりとか、そういうものは残してないの?」


登志子は何度も首を振るだけで、これ以上、何かを聞き出すのは無理だと、

航は残されたメモを手に取った。

静けさの中に、階段を駆け上がる音がし始め、部屋へ入ってきたのは聖だった。

その少し後に妹の真湖が姿を見せ、すでに部屋へ入っている航をにらみ付ける。


「どうして航がいるのよ!」

「真湖……」

「どうして航がここにいるの? お兄ちゃんの部屋に勝手に入らないでよ」


真湖はそういうと、部屋の奥にいた航の腕を引っ張った。

航は感情的になっている真湖の気持ちを考え、素直に部屋から出ると、

そのまま下のリビングへ向かう。


整った部屋の中に流れる空気は、冬の寒さ以上に冷たく感じ、

誰もいないソファーへ腰掛けると、目の前には1枚の絵が見えた。

その絵が誰のものなのかはわからないが、父の絵とは筆の使い方も違い、

ここが、本来自分のいるべき場所ではないことを、航は自然に感じ取る。


「航さん……」


小さな声で呼びかけたのは、聖だった。自分よりも辛いのは聖ではないかと、

航はとりあえず、精一杯の表情を作ってみせる。


「昨日、海人、うちに来たって。
夜も遅かったし、今日にでもランチに誘おうと思っていたのに……
まさか、出て行ってしまうなんて、思いもしなかった」

「そうか、住野家へ行ったのか。きっと、見合いを断るって、
聖さんに言おうとしたんじゃないのかな、あいつ」

「断る?」

「あぁ……。今、登志子叔母さんがそう言っていた。
昨日、叔父さんの前で、見合いは断るってそう宣言したらしいから」


気持ちを明らかにしない海人が、やはり最後に頼ったのは聖だったのだと、

航はあらためてこの数ヶ月間のことを思い返した。

最初は認めてもらえなくても、会社のために動いていさえすれば、

自然に気持ちも寄り添っていくような気になっていたが、

海人は、結局航に心を開くことなく、姿を消してしまった。


「バカよ……あいつ。他の場所でなんて、生きたこともないくせに。
自分の場所がなくなるのが怖くて、精一杯、意地を張って、
航さんのことを、避けてきたくせに……」


航が見る、聖の横顔は、今まで一度も見たことのない寂しげなものだった。

しかし、ここで同じようにため息をついているわけにはいかないと、

一度大きく深呼吸をする。


「さすが聖さんだ。海人のことは誰よりもわかってる」


航の言葉に、聖は携帯を握り締め、下を向く。

強気なことを言ってみても、不安だけはぬぐいきれない。


「大丈夫、帰ってくるよ、あいつはきっと」

「……どういうこと?」

「今、聖さんが言っただろ。海人はここでしか生きたことがないって。
あいつは、決して流されていたわけじゃなくて、色々と考えていたはずなんだ。
だから、他の場所に行ってみて、自分の場所はここだってことに気づいて。
きっと、戻ってくる……だから……」

「だから?」

「だから、今は信じて待っていて欲しい」

「航さん……」

「海人が待っていて欲しいのは、きっと聖さんだから」



『海人が戻ってくる』



そう言い切れる根拠など、どこにもなかったが、

それでも、そう思わないと、残された者はどこを向いたらいいのかすら、

わからなくなりそうだった。


航は、母である華代子が出て行った時も、すぐに音をあげて戻ってくると、

祖父は考えたのではないかと、誰もいないソファーを見ながら考える。

航は、自分が救えなかったと下を向く聖の顔を、なんとか上げてやりたくて、

うなだれる登志子にも、同じように海人を信じるように告げると新谷家を出た。


真冬に向かう風は、航の耳を冷たく吹き抜け、

これから起こるかもしれない出来事を想像させた。

航は、いなくなった海人の部屋を一度だけ見ると、そのまま新谷家に背を向けた。





店長の溝口が、急に本社へ呼ばれてしまい、

チーフの馬場は整理しなければならない書類の山に追われていた。

美鈴と友海はその横で休憩を取る。


「どうだろう友海。ねぇ、ゆっくりして欲しいって言ったら温泉だよね」

「うん……」


来年の春に、親が『銀婚式』を迎えるため、

美鈴は奮発して、旅行をプレゼントしようと決めていた。

パンフレットをあれこれ並べ、どこがいいかと品定めをする。

目の前にあった『伊豆』の文字に、

友海は航が、あの土地のことを調べているのだと言った事を思い出した。

確かに、あの土地が誰の持ち物になり、これから先、どうなっていくのか、

興味がないわけではないのだが、何かまた、あの土地に関わることで、

航の身に大変なことが降りかからなければいいのにと、心配になる。


「『伊豆』かぁ……。魚が美味しいんだよね」

「うん……」


美鈴が見るパンフレットには、『工場見学、実体験』などの文字が揺れ、

協力企業として、『袴田食品』の名前が連なっていた。





航が会社に着くと、朝戸や関山は、社長である和彦に呼ばれ、会議室の中にいた。

海人がいなくなったことを相談し、これからのことを考えるのだろうと、

とりあえずカバンをデスクに置く。

新谷家に近い人間とは言え、自分がその会議に混じることがあるはずもなく、

抱えている仕事をこなそうと、目の前の箱に手を伸ばした。


航がいつもの仕事をこなし、ふと顔を上げると、時計は11時を回っていた。

すると、携帯電話が揺れ、相手が朝戸だとわかり、すぐに受話器を上げる。


「はい……」

『もしもし、朝戸です。今、お時間を取れますか』

「僕はいいけれど。もう、会議は終ったのですか?」

『今、会議室です。社長は出られました。
そのままこちらへ来ていただきたいのですが』


朝戸の電話は、それだけを告げると、すぐに切れてしまった。

とりあえず箱を元に戻し、言われたとおりに会議室へ向かう。

重たい扉をノックし、部屋へ入ると、待っていたのは朝戸と関山、

そして、経理部長だった。朝戸は航の椅子をひき、座るようにと指示を出す。


「何か」

「すでに専務のことはご存知ですよね」

「はい……」


航は細かい理由はわからないが、朝、新谷家へ行ったことを朝戸に告げた。

『心配するな』とメモが残っていたこと、

和彦は警察に言うことなく仕事へ向かったことを付け加える。


「社長からは、とりあえず専務はしばらく海外出張だとそう言われました。
今、慌てて捜索願などを出すのは、今後のことを考えるとよくないことではないかと。
社長は、専務はすぐにでも戻ると、そう思っていられるようで」

「少し、疲れたんだと思うんだ。僕も……」

「しかし、専務は自ら『SI石油』を出られたのです。
色々と事情がおありでも、突然戻られて、元通りというわけにはいきません」


朝戸は横にいる経理部長と視線を合わせた。

経理部長はプリントされた経費の一覧表を取り出し、航の前におく。

見たからといって、すぐに何もかもがわかるわけではないが、

黒い三角印が多く書いてあり、それがマイナスを意味することくらいは理解できた。


「もう、猶予などない状況です。
私たちも、専務が家を出られることは予想外でしたが、
これがいい機会だと思い、準備を進めようと話し合いました」

「準備?」

「昨日、お話したことです。航さんの立場を上げ、社長とのバランスを……」

「いや、その話は朝戸さん。僕は海人のいない会社で、地位をあげるなんてこと、
しようとは思わない。言いましたよね、妙な期待はしないで欲しいと」

「妙な期待ではありません。
私たちは、社員として『SI石油』を守ろうとしているだけです」

「それはわかります。でも、僕が地位を上げることと、それは……」

「違いません」


航は自信ありげにそう言い切る朝戸の顔を見た。

仕事を教えてくれたのは朝戸だが、ここまで強く出られたことはないからだ。


「航さん、私たちが勝手に、あなたを立てようと思っていると、お考えですか?」

「……あの……」

「これが、先代社長の遺言であったとしても、妙な期待だとおっしゃるのですか?」

「……遺言?」


初めて聞く祖父の話、そして、今まで語られたことのなかった遺言の存在に、

航は部屋のどこにある空気を吸えばいいのかさえ、わからなくなりそうだった。





38 渦の中で
<photo:tricot>

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コメント

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怒濤の展開?

こんにちは!!

遺言状の存在で
航の状況は更に混迷を増す?

友海の実家だった伊豆の土地問題も
友海が心配してるように
航のこれからに影響して来そうだし
(友海にも…?)

海人の家出で
波乱が怒濤のように
押し寄せて来そうですね!

次話以降も見逃せません!!!

  では、また・・・(^.^)/~~~


うーん(--;)

遺言か・・・・
航も抜き差しなら無い状況におかれそうだね。

少しでも登志子の役に立ちたいと思った。それが裏目に?
しかし登志子の存在って、何だか哀しい。

一波乱も二波乱もありそうな。
そうだ伊豆の土地のことも・・・

さらに……

ネギちゃんさん、こんばんは

>海人の家出で
 波乱が怒濤のように
 押し寄せて来そうですね!

まさか、家を出るとは、航も思っていなかったわけですが、
そこは、ただ、驚いているわけにはいきません。

これから色々なことがさらに起こり、
そして、もちろん謎や疑問も、
解決! となればいいのですが。

この先も、ぜひぜひ、おつきあいください。

姉妹

yonyonさん、こんばんは

>少しでも登志子の役に立ちたいと思った。
 それが裏目に?
 しかし登志子の存在って、何だか哀しい。

航の母、華代子が持っていた、登志子への思い。
それを間近に聞いていたはずの航。

そばにいる人よりも、離れていた人の方が、
心に気付く……そんなこともあるような。

>そうだ伊豆の土地のことも・・・

はい、その通りです。
もうしばらく、おつきあいください。

そうなんです

yokanさん、こんばんは

>「・・・・遺言?」オモモ、先代は遺言を残してたの?
 海人は何処へ~・・・

はい、祖父は一度も会うことがなかったけれど、
ちゃんと航のことをわかっていました。
登志子や朝戸達も知っていた事実ですが、
突然聞かされた航は、驚きでしょう。

海人の行く先については、
もう少し先で……

そうなんだ

先代社長の遺言
そんなものがあったんだ。だから航がよばれたんだね。
と言うことは航のお母さんのことも本当は許していたんだね。

こんどの海人が家を出たのも似ているし。
家族が二度と会えなくなるようなことにならなければいいのだけど。

海人はいったいどこへ行ったんだろう。
航の立場が会社内で上がると言うことは
海人の居場所がなくなる?

自分の居る場所をどうしたら見つけられるんだろう。

お悩み中

tyatyaさん、こんばんは

>先代社長の遺言
 そんなものがあったんだ。だから航がよばれたんだね。

そうなんですよ。
航には航の、会社側には会社側の、思いがありました。

>海人はいったいどこへ行ったんだろう。

それは、もう少しお待ち下さい。
海人は海人で、悩み中……かもしれません。