33 大事なこと(2)

33 大事なこと(2)


日向さんは次の日、上海へ向かった。

『相良家の人々』の撮影は、このロケで全て終了する。

和歌山で落馬し、そこから誤解を生みケンカをしたこともあったけれど、

ゴールデンウィークの公開日まではこれから、編集作業や、イベント準備が続く。

初めての映画でもあり、前評判の高い話題作でもある。

演じる日向さんのプレッシャーも相当なものだろうが、

大きなイベントを仕切ることになる、私たちスタッフのプレッシャーも、

いつもの雑用と比べたら、比較にならないほど、大きいものだった。


日本に残る私の足は、あるイベントホールへ向かった。

『相良家の人々』の映画会社が仕切る『試写会』とは別に、

今回、吉野さんの事務所と、うちが合同で、

ファンミーティングを兼ねた会を開くことになったからだ。


「だとすると、うちの吉野と日向君のトークがメインということですね」

「はい、私達はそう考えています。
ファンの方は、作品を見ることはもちろんでしょうが、
二人がどんな思いで撮影し、どんな苦労話があるのかなど、
興味があると思うんですよね」

「そうでしょうね」


このイベントを仕切ることになったのは、『ワンポイント』という会社で、

実は若村さんが勤める『パーツワン』の子会社だった。

大きな打ち合わせは、すでに上海へ飛ぶ前に田沢さんが済ませていて、

今日は確認だけということだったので、私がここへ来たのだけれど。





……どうして向こうの担当、鍋山さんなんだろう。





「お久しぶりね、前島さん。あら、ちょっと太った?」

「こんにちは、いえ、体重は変わってませんけど」





……いきなり体重の話だなんて、相変わらず失礼な人だなぁ……鍋島さん。

私なんて、あなたの顔、忘れてましたよ。

いえ、記憶の中から消し去ろうと、努力してましたけど。





『ひよどり姉妹』さんと地方巡業に行った時、

聞いてもいない情報を、あれこれ語ってくれた人が、この鍋山さんだった。

会いたくない人に会ってしまうなんて、今日は色々と気をつけた方がいいかもしれない。


「ねぇ私、ひかりの担当になったのよ。もう、忙しいのは嫌だって言ったんだけど、
しょうがないわよね、どうしてもって言うんだもの」

「そうですか」


他の事務所の人材が、どれくらいいるのかわからないけれど、

吉野ひかりさんの仕事に、鍋山さんがプラスになるとは、到底思えない。

ひかりさんって、意外に期待されてないんだろうか。


「ひかりがね、『上海』ロケを楽しみにしてたのよ。
女ってすぐにわかるのよね、心の本音が」

「本音……ですか」


またどうせ、吉野ひかりさんが、

日向さんとのロケを『女』として楽しみにしているとでも言いたいのだろう。

今はそんな話を聞いても、心は少しもぶれたりしない。

日向さんの気持ちが、どこにあるのか、私はちゃんと知っている。





あの時の私とは、違うんですから!

体重は変わってませんけどね、念のため!





「鍋山さん。噂話もいいですけど、書類、1枚抜けてますよ」

「エ? あれ? そうかしら」


イベント担当者と決められた話をすると、鍋山さんを置き去りにして、

私は会場をあとにした。





その日の夜、ロケを終了した日向さんから電話があった。

撮影を全て終了し、スタッフ達と飲みに出かけた後らしく、

ちょっと酔っているのか、時々楽しそうに笑い、ひとりで語っている。


「いやぁ……大変だったけど、すごいいい経験だった! やったぞ、史香!」

「はい……」


大きな仕事から解放されて、きっと心も軽くなっているのだろう。

日向さんが酔っている状態で電話してくるなんて、今までにないことだ。

色々なことがあったけれど、それも全て流せるくらい、充実した作品になったはず。


「史香!」

「はい……」

「史香……」

「はい、どうしたんですか?」


楽しそうに語っていた受話器越しの日向さんの声が、だんだんと小さくなっていく。

何度も呼ぶのは私の名前で、私もそれにあわせて、何度も返事をした。


「史香……」

「どうしたんですか?」

「……愛してるから、もう寝てもいい?」


とても小さな声だったけれど、私の耳にはしっかりと届いた。

私、一度も切らないで! なんて、言ってないのに。

それでも、いつも頼りがいのある日向さんの、どうでもいいような言葉が、

何倍にも膨らんで、何倍にも愛しい言葉になって、こちらに飛んできた。


「もちろんです」


戻って来たら、もう少しきちんとお話聞かせてくださいね。

今日はゆっくり……おやすみなさい。





ところが次の日、天候不良で飛行機が飛ばずに、日向さんは上海へ残ることになった。

午後から『赤鼻探偵』の取材が入っていたが、

それを別の時間に移す打ち合わせをするため、田沢さんから連絡が入る。


「はい、わかりました。『テレビプル』にはこちらから連絡します」


同じ事務職として机を向かい合わせているが、

佐藤さんの対応は本当にいつもテキパキしている。

うちの会社は、吉野さんの事務所や、畑山さんの事務所に比べ人も少ないけれど、

みなさん優秀でそつがない。





……あ、私がいた。





「はぁ……自然には逆らえないわね、
日向君は、明日『オレンジスタジオ』へそのまま入ることになったから、
そこで米原さんに入ってもらって、準備する手はずを整えたわ」

「空港から直接ですか」

「うん、ちょっとハードだけど、今日がオフになったから、
向こうでしっかり寝てもらうって田沢さんが言ってた。あ、ほら前島さん。
会場との打ち合わせ、頼むね」

「はい!」


佐藤さんに向かってしっかりと返事をし、私は事務所を出ると、

ファンミーティングの行われる会場へ向かった。

今日は、来年の成人式に向けて着物展が行われているが、

二階席から会場を見下ろすと、あらためてその大きさに圧倒される。

私が知っている日向さんは、ここにたくさんのファンを呼ぶことが出来る人だ。

そのたくさんの人が、日向さんの演技に期待し、拍手を送ってくれる。





必ず成功させてあげたい。





私は、日向さんが多くの人から拍手される姿を想像しながら、

鼓動が速まるのを感じ続けた。





オーディションを一度受けた保坂さんは、また、レッスンの日々を送っている。

最初の頃は、ただ、ふわふわしていた感覚も、近頃は注意すべきところがないくらい、

真面目に取り組むようになったらしい。

その代わり、とにかくオーディションが受けたい! というのが口ぐせになり、

私は、『オレンジスタジオ』へその選考書類を取りに向かった。



全く! と怒りたいところだけれど、

今日は、日向さんが上海から直接スタジオに入っているはずで、

顔を見られるかもしれないと、自然に足の動きも速くなる。


5階まで向かうと、別の事務所の方が封筒を抱えて出てくるところだった。

軽く会釈をし、私も中に入る。

担当のスタッフから書類をもらい、それを抱え楽屋の確認をすると、

日向さんが3階の楽屋に入っているのがわかった。

米原さんが向かうと、佐藤さんから聞いていたので、

それならこっそり中へ入れるかもしれないと、期待だけが膨らんでいく。


急いでいるけれど、以前、閉じ込められたエレベーターはキッチリ避け、

階段を駆け下りる。ベテラン女優とすれ違い、より深いお辞儀をした。

楽屋の扉を軽くノックすると、返事をくれたのは米原さんだった。


「史香です」

「あ……何、史香、どうしたの?」


扉を開け中に入ると、すでに取材用の衣装に着替えた日向さんが、

いつもの場所に座っていた。


「ほぉ……そうかぁ。淳平にわざわざ会いに来たのね」

「いえ……あ、えっと、保坂さんの書類を受け取りに、5階へ。
ちょっと楽屋の名前を確認したら、日向さんの名前があったので……で……」

「またぁ……そんなこと言っちゃって! 会いに来たのって言えばいいじゃない。
誰も、文句なんて言わないわよ、ね、淳平」


ほとんど、いや、バッチリ当たっているので、強く否定も出来ず、

私は照れくさくなる顔を適当にごまかしながら、楽屋の中へ進もうとした。


「すみません! 日向さん、準備OKですか?」





聞こえてきたのは、若村さんの声だった。

あぁ、もう、顔を戻さないと。

こんなにやけた顔で、振り返るわけにはいかないんだから。





「お! 史香、この間はありがとうな」

「いえ……」


米原さんは、若村さんが持ってきたシーン割を確認し、

日向さんは座っていた場所から立ち上がると、いつものように軽く口を動かしている。

二人とも、切り替えが速いなぁ……。

日向さんなんて、まるで私がここにいないかのような顔をしている。


「史香。服部先生が、慌しくて悪かったって、そう電話をくれたよ。
今度、東京へ来るときには、一緒に回りたいって……」


若村さんを責めることではなのだろうけれど、

話の内容と場所を、使い分けて欲しい。

準備を済ませ、出て行こうとした日向さんの耳に、

聞かせるようなことじゃないはずなのに。


せっかく、ここまで来たのに。

話をしたいのは、若村さんじゃないんです。


何も言わず通り過ぎた日向さんと一緒に、米原さんも楽屋を出て行った。

私は保坂さんの封筒を強く握りしめたまま振り返る。


「若村さん。どうしてそう、いつもここで個人的な話をするんですか。
あれこれ細かいことを、言わなくてもいいじゃないですか!」

「……史香」

「ここは日向さんの楽屋なんですよ」


思わず口にしてしまった。

若村さんには、日向さんがいたことや、米原さんがいたことも、

目に入ってなかったのだろうか。


「ここでって、どういうことだよ。米原さんや日向淳平に聞かれたらまずいことなの?
この間だって、ここで誘っただろ」





そうだった……。

今、ここで強く責めるのは、おかしいことだ。





「この間もバタバタしながら、周りを気にしていたよなぁ。
何? まさかと思うけど、お前の相手って、日向なの?」





若村さんの口調は軽かった。

そう、なんとなくカマをかけているだけだ。

私は、向けられた視線をしっかり受け止めようと、大きく息を吸い込んだ。






34 大事なこと(3)


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コメント

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やっぱり。。不穏。。

順調順調と思っていたらやっぱり不穏。。

史香!若村さんをちゃんとかわすんだよお~
鍋山さんの登場も心配だしオーディション娘もね。。

ファンミーティングが無事に成功しますように~
今からドキドキするわ。
まるで私もスタッフになったみたい(笑)

はてさて

れいもんさん、こんばんは

>ファンミーティングが無事に成功しますように~
 今からドキドキするわ。

ドキドキしながら、
そこにまるでいるような気分で、
これからもお楽しみください。

史香と淳平に何が起こるのか、
それは……秘密です(笑)

TPOを!

いいぞ史香、鍋山さんにやんわりと、でもしっかり言い返してる。

>……あ、私がいた
大丈夫史香も事務所に大切な一人だよ。

若村君、時と場合を考えよう。
どこに耳があって口があるかわからない。
そんな世界にいることを!

つい……

yokanさん、こんばんは

>オイオイ、自らボロを出すようなこと言っちゃって・・・^^;

そうそう、史香のちょっとした隙……かもしれません。
さて、この先どうなるのか、何かが起こるのか……もう少しおつきあいください。

思わず・・

うまく進んでる時ほど
いろいろ気をつけないといけない!って事かな

若村さんに向かって
思わず「日向さんの・・」なんて言っちゃった史香
でも、ここが淳平の楽屋じゃなくても
仕事場で個人的なことを細々と話すのは、やっぱりどうかと思うなぁ

鍋山さんの登場が、不穏な展開の前触れでない事を祈りながら・・・
ファンミーティング楽しみにしてるね~^^

史香、やりました

yonyonさん、こんばんは

>いいぞ史香、鍋山さんにやんわりと、
 でもしっかり言い返してる。

そうそう、そうなの。
史香も、同じ罠にはひっかかりません。

>若村君、時と場合を考えよう。

おっしゃる通りです。
まぁ、いろいろあるから、創作なんだけどさ(笑)

若村さんが

史香もだいぶ堂々として来て

>「……愛してるから、もう寝てもいい?」
コノヤロなこともいってますが(*- -)σ


順調順調・・・と思っていたら
やっぱり出てきましたね。^^

トラブルメーカーじゃないけど
やっぱり仕事場でプライベートなことは行けないよね。
特に淳平のまえでの、ひと言多いのは問題だよね。

しかし男の勘も鋭いなあ

つい……なんだよね

パウワウちゃん、こんばんは

>うまく進んでる時ほど
 いろいろ気をつけないといけない!って事かな

そうかもしれません。
史香はつい……口にしてしまったことですが、
若村にとっては不思議な言葉に聞こえ……

まぁ、でも、仕事場ですからね、
あまり個人的な話を、堂々とされるのも嫌でしょう。

さて、どんなイベントになるのやら、
それは次へ進みます。

先輩とは言え

tyatyaさん、こんばんは

>>「……愛してるから、もう寝てもいい?」
 コノヤロなこともいってますが(*- -)σ

あはは……これは淳平が言ったんだよ。
酔ってますので、お許し下さい。

>トラブルメーカーじゃないけど
 やっぱり仕事場でプライベートなことは

そうそう、個人的な話は、
避けたい所なんだけど。

まぁ、これがさらなる話を生みまして……
ということで、続きます。