38 渦の中で

38 渦の中で




それは白い封筒に入っていた。

航は朝戸から受け取ると、破かないようにしながら丁寧に開く。

一度も会うことがなかった祖父、平馬の残した遺言は、

本人の字がしっかりと残っていた。


「この遺言の存在は、奥様と我々しか知りません。
『SI石油』にとって、必要な時が来たら出すようにと、私と関山が預かりました。
実は、現在の社長と私たちは、入社が同期です。社長は奥様と結婚し、
今では私たちと全く違う地位にいます。しかし、亡くなった社長は、
いずれこういうときがくるのではないかと、そう予感されていました」


航の母、華代子が家を出た後、祖父平馬の薦めで、登志子は和彦と結婚した。

思い通りの男を婿にしておいて、遺言を残す意味が、わからなくなる。


「社長……、いや、船村は同期の中でも仕事が出来、信頼も厚い男でした。
彼が社長に気に入られ、奥様と結婚する話を聞いたときも、
それは当然だろうと言う意見の方が多かったのです」


朝戸は和彦のことを、あえて旧姓で呼び、当時の状況を説明した。

航は、全く知らない話を、黙って聞き続ける。


「しかし、仕事が出来る反面、欲の強い男でもありました。
強引な手法に、意見を言う社員には、厳しい目を向け、仕事を奪いました。
確かに、トップが色々な意見に惑わされていてはまとまらないことも事実です。
しかし、それとワンマンになることとは、意味が違う。跡取りになる専務が生まれ、
社長としての地位を確立させてからは、さらにその傾向が強くなり、
同期で残ったのは、私と関山だけになりました」


平馬は、和彦の才能に期待をしつつ、しかし、状況が悪化することも懸念し、

遺言を残したのだった。和彦に意見を言えるのは、同期である朝戸と関山だが、

二人にはそれだけの地位はなく、もし、その役を担えるのだとすると、

自分の血を引くもう一人の孫、航ではないかと考えたのだ。


「自分がいなくなった時、社長にストップをかけられる人間がいないのは、
会社のためによくないと……そう言い残されて」


朝戸と関山は、和彦と同期で頑張ってきた古株の社員であることを、

航は今、初めて知った。だからこそ、登志子も二人を頼りにし、

何かと相談してきたことも、全て納得がいく。


航は平馬の残した遺言の文字を、ゆっくりとたどった。

会社は和彦を中心に経営していくことと記してあるが、

もし、経営面に不安がある場合には、海人を含め、

新しい体制を築くことが記してあった。

その中の一人に、長女、華代子の残した息子、『成島航』の名前も、

書いてあり、平馬は、自分の孫である航のことを、しっかりと認めていた。

『成島航』と書いてある文字が、父と母の結婚を認めている証拠にも取れるが、

それならば、なぜ会うことをしなかったのかと、空しくもなる。


「僕は、何も知りませんでした。叔母に話を聞いたときも、
海人を助けて欲しいのだとそう言われただけで……。
僕はただ、新谷家の人たちに、父と母のことをわかって欲しかったから。
申し訳ないと思いながら、小さく暮らしてきたことを、
わかってほしいと思っていただけです。
会社の地位が欲しいわけでも、財産が欲しいわけでもない。
今更、それが遺言なのだと言われても……」

「申し訳ありません。遺言の存在を隠してくださいとお願いしたのは私たちです。
奥様は黙って指示に従ってくださっただけなので、
恨んだりなさらないで欲しいのです。正直、お会いしたこともない航さんに、
どれくらいの実力があるかもわかりませんでした。
能力がない人間を、ただ、新谷家の縁があるからと上にあげても、
社員はついてきません。この遺言を明らかにし、社員たちを納得させるには、
あなた自体が、どれくらいの人物なのかを見極める時間が必要だったのです。
私たちはこの1年、航さんを見続けてきました。
あらためてあなたの魅力を知り、ぜひ、会社を動かす立場になって欲しいとそう願い、
今回、この遺言のことを告げたのです」


朝戸と関山は真剣な顔で、状況の変化を理解して欲しいと頭を下げた。

それでも航は視線を合わせることなく、席を立ち上がる。


「ご両親の存在を認めてもらうためにも、ぜひ、ご決断をお願いします」


航は、その重たい言葉を背に受けながら、それでも何かを答える気にはなれず、

会議室をあとにした。





その日の航は、本社にいる気持ちにはなれずに、

ほとんどの社員が帰るまで外で時間をつぶした。

それから会社へ戻り、専務室を開け、誰もいない部屋へ入っていく。

所有者が姿を消してしまったデスクに、月だけが明るい光を照らしていた。


友海が晴弘への謝罪を拒んだ時、海人は謝るべきだと言い、

企業の体裁を保つためならば、個人の感情など、いちいち考えるべきではないと、

そう言い切った。


上の決定に従えないのなら、他の場所で生きていけばいいと強い口調で主張し、

航の両親のように、逃げていくことを選べと、そう最後に告げた。


父であり、社長である和彦の思いに答えようと、必死に生きてきた海人。

その思いに答えることが出来ないと判断したとき、

海人は別の場所で生きていくことを選んだと、そういうことなのだろうか。



何もかも捨てた母、華代子。そしてその影になり、残された登志子。



今、その間逆の思いを、海人と航は感じているのかもしれない。



幼い頃、一緒のブランコを揺らし、笑いあった二人。

航は、一人の力では、どうにもならない思いを抱え、

ただ、空に光る月を、眺めることしか出来なかった。





「本当に海人君、家を出てしまったの?」

「うん、気の進まない見合いがあって、自分の思いと、父親への思いと、
どうしようもないところまで気持ちが追い込まれていたのだろうけれど、
せめて、聖さんにだけは、本音を言って欲しかった。
正直、今はどこに行ったのかさえ、誰にも予想がつかなくて」

「そう……。同じ孫でも、向こうは跡取りだものね。
結婚相手も、誰でもいいと言うわけには行かないのでしょうし、
航はよかったわね、自由があって」

「ん?」

「叔母さんは、ジーンズの似合うガソリンスタンドに勤めるお嬢さんだって、
全く異論はないけれど……」


澄香はそう言うと、食事の支度をしながら、クスクスと笑い始めた。

航は先に風呂へ入ると立ち上がる。


「エ……、航。先に食事じゃないの? あたためちゃったわ」

「お先にどうぞ」


澄香は、航に友海と付き合い始めたことを指摘したのが

照れくさかったのだろうと、茶碗をテーブルに並べながら、

少しだけ肩を上げ、笑顔になった。





仕事を終えた聖は、新谷家の前に立ち止まり、真っ暗な海人の部屋をじっと見た。

海人が自分のことを思ってくれていたのかどうかはわからないが、

見合いを断ったこと、自分に会いに来てくれたことが思い出され、

自然と目に涙が浮かぶ。

幼い頃から一緒で、海人のことは全てわかっていると思っていた。

いや、本当はわかっていた。強がったことを言っても、いつも押し切れず、

聖が腕を引き、何でも乗り越えてきたこと。



『気の進まないお見合いなんて、断りなさい』



そう一言言ってやれば、海人がこんな行動を取ることもなかったかもしれない。

聖は、自分の責任だと、強く手を握り締め、新谷家に背を向けた。





家に戻ると、両親はいつもと同じ態度を見せた。

あれだけ親しくしてきた新谷家の一大事にも関わらず、

父、哲夫は聖にいきさつを聞こうともしない。


「パパ……」

「あぁ、お帰り聖」


聖は哲夫の読んでいた経済紙を取り上げ、ソファーの横へ置いた。

そして、向かい合わせに座ると、海人のことが気にならないのかと声を出す。

哲夫は冷静な表情のまま、またその新聞を取ると、

気になる記事を切り抜こうと、ハサミを持った。


「パパ、海人を探すにはどうしたらいい? 叔父様は警察に言わないって言うし、
叔母様はどうしたらいいのかわからなくて泣いているし、私……」


なんとか連れ戻したいのだとアピールするが、哲夫は何も返事をすることなく、

切り抜いた記事を小さな箱に入れる。


「パパ……ねぇ、人の話を聞いているの?」

「聖」

「はい」

「海人は逃げ出したんだ。負け犬を探すようなことは辞めなさい。
お前は私に向かって、ハッキリ航君を選ぶのだと、そう宣言したはずだ。
何を今さら、慌てている」

「それは……」


聖にとって、あの時の宣言は、海人に対しての対抗心からだった。

航と友海に対してのうらやましさも重なり、つい、そう決めてしまった。

しかし、今、目の前から海人がいなくなり、その存在の大きさに、

あらためて気づかされる。


「パパ……私……」

「海人が逃げ出したことで、『SI石油』と古川一族の絆は、
どう変わるかわからない。航君の立場も、どう変わるか……」

「立場?」

「パパに任せなさい」


そう言い切ると、聖の問いかけに答えることなく、哲夫はリビングを出てしまった。

聖は、自分や航の運命が、これからどう動くのかわからず、

飲み残されたワイングラスをじっと見た。





39 正義か悪か
<photo:tricot>

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コメント

非公開コメント

飲み込まれて

まさしく渦が巻いている。

航を取り巻く状況、
聖も父哲夫の思惑に飲み込まれていってる?
海人も、和彦も。
遺書の存在が明らかになると又一波乱?二波乱?

始まったばかりの航と友海の愛が、その渦に飲み込まれ
なければいいが・・・

大人の事情

yonyonさん
いつも、ダブルでレス、ありがとうね。
(大変だから、片方でもいいんだよ……)

>航を取り巻く状況、
 聖も父哲夫の思惑に飲み込まれていってる?

大人には大人の、
色々考えがあるようなんです。

>始まったばかりの航と友海の愛が、
 その渦に飲み込まれなければいいが・・・

うーん……
ここはノーコメントで(笑)