35 大事なこと(4)

35 大事なこと(4)


若村さんが、樫倉英吾の事務所と親しいことなど、何も知らなかった。

けれど、それを教えてくれた畑山さんも、それこそ日向さんのライバルで、

この情報がどれだけ意味のあることなのか、私には判断が出来ない。


「若村君?」

「はい……樫倉英吾の事務所と、親しいとか何かあるんでしょうか」

「さぁ……個人的な付き合いまで、私もわからないな。史香の先輩でしょ」

「そうなんですけど、私も、わからないので」


こういう時、頼りになりそうな米原さんに、とりあえず質問してみるが、

結局、それはよくわからなかった。

それからも時々、若村さんとスタジオで会ったが、

樫倉英吾のスタッフと話す姿など見ることはなく、また月日を重ねた。





『相良家の人々』の撮影が終了し、編集作業が進み、

日向さんへの取材もまた、増え始めた。

4月も半ばを過ぎ、私は、イベント会場へ急ぐ。

看板をつけるスタッフ、そして音響の準備をしながら何度も音出しをするスタッフ、

舞台の上には、日向さんとひかりさんが立ち、どこから出てくるのか、

どのタイミングで話し始めるのかなど、リハーサルを繰り返す。

扉の外では、日向さんと吉野ひかりさん、それぞれのグッズ販売も、予定されている。

その物販の運び入れも、最終段階に入った。


「いよいよ、明日ですね」

「あぁ……」


会場の2階、全て見渡せる場所に立ち、田沢さんは満足そうに頷いた。

『相良家の人々』の公開、そして夏からの主役ドラマ。

日向さんの周りは、今まで以上に騒がしくなるだろう。

どんどん遠くなる一面には、寂しさもあったが、そんな忙しい人を支えられる自分が、

どこか誇らしくもあった。





そして『相良家の人々』は、晴れて初イベントの日を迎える。





天気は快晴で、春の暖かい日差しが、お客様の期待を後押しした。

日向さんがファンの前に顔を出すのは久しぶりのことで、

今回は、その場で記入してもらった質問に、直接答えるコーナーがあるからか、

用紙を持ったファン達は、あらかじめ用意された箱に、どんどん入れていく。

私は、みなさんの笑顔を見ながら会場内に入り、

舞台の上でスポットライトを浴びる、日向さんを見つめた。


イベントは予定通りに始まった。

あらかじめ作られた『相良家の人々』の予告フィルムが流される。

父親である北原さんが、息子役の日向さんの襟首を掴み上げるところで、

フィルムが途切れ、ライトが光る。


大きな拍手の中、日向さんと吉野ひかりさんが、揃って会場に現れた。

用意された椅子に座り、振られる手に気付くと、軽く手を振り返す。

歓声と拍手は、登場音楽が終わるまでなかなか落ち着かなかった。


司会者から、撮影の苦労話を聞かせて欲しいという問いが、二人に投げかけられる。

そんなとき、何気なく顔を見合う二人に、ファンの小さなため息が重なった。

どちらが先に答えるかと、二人でマイクの譲り合いをしている姿が見える。


「そうですね、苦労というより、自分のいたらなさを教えてもらったり、
逆に、励まされながら成長した自分を感じたりの日々でした」


ベテラン俳優の北原さんに、一緒に演技が出来ないと言われ、落ち込んだこと、

しかし、それをバネに立ち向かった日向さんを認め、握手をしてくれたこと、

そんな色々な出来事が、私の頭の中でも、鮮明に蘇ってくる。

日向さんが全てをぶつけて撮った作品、きっとみなさんから大きな拍手をもらえるはず。



俳優として、また一つ、階段を登れるはず。



「つまんないよぉ!」


私の耳に届いたのは、小学校低学年くらいの男の子が出した、嘆きの声だった。

同じくらいの小学生が2人、階段式になっている観客席の隅で、

なにやら足をぶらつかせている。

どうも、母親同士が仲がよく、子供を連れてこのイベントに参加したようだが、

少しでも会場の方に近付きたかったのか、子供の席を、柵の近くに取ってしまい、

視線をこちらにむけようともしない。


つまらないと言った子供の友達が、それに応えるようになり、

柵にぶら下がり、体重をかけ始めた。


「あの……すみません、あの子たち、注意してくれませんか?」

「あ、はい」


警備に立っていた男性にそう告げると、少しめんどくさそうに返事をし、

のんびりと子供たちのところへ向かった。

私としては、親に注意をし、子供を列の奥へ入れて欲しかったのだけれど、

声をかけられた親は、いかにも迷惑そうにわかりましたと返事をしただけで、

何も状況が変わらない。


そんな私のいらだちとは別に、舞台では、メイキングビデオのようなものが流れ、

撮影の合間に、日向さんが馬に乗り、

その馬にエサをやっているシーンなどが映し出された。

見たことのなかった映像に、私もつい、見入ってしまう。


「何秒出来るか、競争」

「うん……」


子供たちは、夢中になる大人の目からはずれ、また、好き勝手なことをし始めた。

転倒防止につけられた柵は、鉄のパイプになっているとはいえ、

子供の体重をあまりかけると、崩れるかもしれない。

また背中で寄りかかり、もう一人の子は、ぶさらがるようなポーズを取った。

これ以上見ていられなかった私は、その子達の下に回り、直接注意する。


「こら、そんなことをしたらダメだよ。階段より向こうに立っていて。
崩れたらケガをするから」

「うるさいなぁ……」

「そうだよ、うるさいな、ババァ!」





……なっ! ババァとは、失礼な!

いくら日向さんのファンの息子かもしれないけれど、

たくさんDVDとか買ってくれているかもしれないけれど、その発言は許せない!


「ババァって……」


そう言った途端、どこかで確実にパイプの外れる音がした。

何度かパイプがぶつかる音が聞こえ、

私は必死に、落ちそうになった子供の体をつかんだまま、足を取られ……







それから1秒か2秒後、ものすごく大きな音が……





そして、その中で確かに





『史香』って、叫んだ声がした……気がする。







日向さん





どうしよう








耳元に人が歩く音が聞こえ、ゆっくり目を開けると、そこはどこかの病室だった。

足音の持ち主は、米原さんで、私の顔を覗き込んでいる。


「史香……気がついた?」

「米原さん」


体の向きを変えようとすると、あちこちに激痛が走った。

知らないうちに、右足は大げさなくらい包帯で巻かれている。

私はどうも、怪我をしたらしい。


「動かない方がいいわよ。右足、骨折しているから」

「骨折?」

「そう……驚いたわよ、救急車で運ばれたんだもの」

「救急車……って、あの、子どもは」

「うん、史香が抱えていた子どもは、ちょっとの擦り傷と打撲で済んだ。
一緒に救急車で来たけれど、もう母親が連れて帰ったから」

「そうですか」


子供に大きな怪我をさせたわけではなく、まずは安心した。

でも、イベントはそこで中止になり、パイプが一部崩れた会場はパニック寸前だった。


「中止……」

「仕方ないわよ、救急車騒ぎだもの。そんな状況の中、
平然と続けることは出来ないだろうし、お客様もしらけちゃうでしょ」


まだ、半分も終了していなかったはず。

あの後、ファンの質問に、直接答えられることを、日向さんも楽しみにしていたのに。


「私……あの子たちをもっと早く注意していたら。
いえ、下から声なんてかけずに、直接親のところに行って……」

「何言ってるのよ、史香。史香が受け止めてくれたから、
たいした怪我にならなかったのよ。もし、そのままパイプが崩れて、
下敷きにでもなったら、それこそもっと大騒ぎになったんだから」

「でも……」


日向さんにとって、とても大切なイベントだということは、私が一番わかっていた。

田沢さんが忙しい中で準備を進め、嫌いな鍋山さんとも何度も顔をあわせたけれど、

それでも、この日を迎え、舞台の上で輝く日向さんを見ることが出来たら、

それだけで全て吹っ飛んでしまう、そんな日だったのに。


「日向さんは……」

「史香の怪我に後ろ髪引かれながら、ひかりさんとスポンサー回りしてるわ。
今日のイベントにお金を出してくれている企業があるから。田沢君や社長も一緒……」

「そうですか」

「全てが終ったら、ここへ来ると思うけれど」


私はその言葉に、何度も首を振った。

私の怪我なんて、見舞ってくれなくていい。

私の判断の悪さで、こんな結果を招いてしまったのだ。

どんな顔をして、日向さんに会えばいいのだろう。


「史香の責任じゃないからね。警備はちゃんとお金を出して頼んでいたんだし、
むしろ、イベントを仕切る『ワンポイント』の方に責任があるんだよ」

「はい……」


それでも、私の心は晴れなかった。

もう一度、このイベントを仕切りなおせるのなら、

お給料が一生もらえなくてもいいから、日向さんの笑顔を見たかった。





悪くもない日向さんが謝りに行くなんて、

私のせいで、スポンサーから責められるなんて……





どうしたら……

どうしたらいいんだろう。





別タレントの仕事がある米原さんが病室から出て行くと、

耐えていた涙がポロポロとこぼれ始めた。

日向さんが優しくしてくれるから、そんな日向さんのそばにいられることを、

自分が誇りに思ったりするから……





だから、神様に怒られたんだろうか、私。





扉を叩く音がして、返事をすると、姿を見せてくれたのは、若村さんだった。

こんな時、どうして若村さんがここへ来るのかわからない。


「大丈夫か? 怪我」

「どうして、ここへ」

「『パーツワン』は、うちの子会社だからさ」


そうだった。そんな基本的なことさえ、頭の中から飛んでいってしまった。


「骨折したのか、史香」

「そうみたいです」


若村さんもお見舞いに来てくれたのだから、ちゃんとお礼を言わないとならないのに、

心ではそう思っているのに、私の大人じゃないとならないところが、

眠ってしまっていて、涙しか出てこなくなる。


「ひとりにしてください……」


言えたのは、この一言だけだった。





誰もいなくなった病室に、メールが入る。

差出人は日向さんで、私は泣きながら携帯を開いた。



『史香、そばにいてやれなくてごめんな。
なんとか、病院にいけるようにするから、待っていて』



ごめんなさい……

イベント、壊してしまって、ごめんなさい。





数え切れないくらいの謝罪の言葉が、涙と一緒に携帯画面に落ちた。






36 大事なこと(5)


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コメント

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骨折の痛みより、心の痛み・・・?


   こんにちは!!

今時の親はもう!!(←これを言うあたしもか?)

ガキんちょも生意気だし!

ちゃんと史香ちゃんに助けてもらった
お礼を言いにくるのかしら?

それと、若村さん怪しすぎる・・・

史香ちゃんにラブじゃなくて
知り合いだというつてで
淳平のこと探ろうとしてた?

だったら、嫌な感じですね。

自責の念を感じてる史香ちゃんに追い討ちか?


たぶん、自分のせいで史香が怪我したと
思ってるであろう淳平くん・・・
事故になってしまったと
自責の念に駆られる史香ちゃん・・・

この事故が2人と淳平くんのこれからに
どう影響するのかしらね。

まだまだ心配は尽きない?

  では、また・・・(^.^)/~~~

嫌な予感

記念すべき大切な日だったのに・・・
だから余計史香はいたたまれないな。

誰も史香の責任だなんて思ってもいないけど、
自分で自分を責めてしまう。

誰より早く駆けつける若村、
うーんやっぱり怪しい(--;)

『史香!』と叫んだ淳平。誰かがそれを聞いていたら?
あー何だか嫌な予感。。

事件がさらに

ネギちゃん、こんばんは

>若村さん怪しすぎる・・・

うーん……怪しいのかそうじゃないのか、
ただの先輩という存在から、
確かに変わってきてますよね。

>この事故が2人と淳平くんのこれからに
 どう影響するのかしらね。

はい……
タイトルは『大事なこと』です。
二人にとって、大事なことはなんなのか。
この事件から、話はさらに膨らんで……

ということで、次回へ!

影の努力をしたからね

yonyonさん、こんばんは

>記念すべき大切な日だったのに・・・
 だから余計史香はいたたまれないな。

スタッフとして、準備段階から関わっただけに、
余計悔しい思いが涙になるのでしょう。

誰からも責められないからこそ、
自分を責めたくなるだろうし。

さて、史香に聞こえた声は?

ということで、次回へ!

うそだらけの世界

漸く迎えた大切なイベントだったのに
大変な事になってしまったね・・;;

騒ぐ子供をほったらかしの無責任な親も親だけど
何だかやる気のなさそうな警備員もどうなんだろう?

それにしても若村先輩、
昔からの知り合いの史香を利用したとは思いたくないけど
「ベルルッチ展」に行った時、仕事が楽しいと言った史香に
>ウソだらけの中で、それに染まらずにいるには、鈍いくらいじゃないと……
って言った先輩の言葉が凄く気になってるんだよね

一人自分を責める史香と
史香の怪我を心配しながら直ぐには傍にいけない淳平の辛い胸の内を思いながら
続き待ってるね!

これは辛いT_T

絶対に成功させたいと思っているイベントが途中で中止になるなんて~T_T
自分のせいだと思ってる分余計辛いですよね。。
なんだか我がことのように辛いです。

淳平~~!早く駆けつけてあげて~~~

若村、正体は?

パウワウちゃん、こんばんは

>先輩の言葉が凄く気になってるんだよね

今回の『?』ポイントは、みんな若村先輩のようで……
さて、この人は、なんなんだと思ったまま、
さらに読み進めてくれたら嬉しいな。

史香の責任ではないけれど、
のんびり休んでいる気分でも、ないよね、こうなると。

心も足も痛い、史香です。

史香のさみしさ

れいもんさん、こんばんは

>自分のせいだと思ってる分余計辛いですよね。。
 なんだか我がことのように辛いです。

ありがとう。
史香の傷みを、感じたまま読んでもらえると、
嬉しいです。

淳平、気持ちはすぐにでもそばに……でしょうが、
どうなるのかは、次回へ続きます。