40 希望の波

40 希望の波




社長室を出た航は、そのまま席に戻ることもせず、

一日、街を歩き、意味もなく喫茶店で時間をつぶした。

朝戸のところに戻れば、あの新しい席に座り、

経営の話をされることくらいわかっていて、あえて避けて過ごした。

それでも、これからずっと避けているわけにはいかず、

どう会社の中で生きていけばいいのかと、下を向き歩き続ける。


「そんな道の真ん中を歩くと、自転車で轢きますよ」


ベルを鳴らし、航に近付いたのは友海だった。

航は振り返ったものの、繕ったような笑顔だけ見せ、また歩き続ける。

友海は、いつもと違う航の姿に、何か起きたのではないかと、そう感じた。

海人が海外へ出張したことと、関係があるのかと思いながら、

元気がないですねと声をかける。


「たまには悩むんだよ、僕も」

「それだけですか?」

「……あぁ……」


航はそれだけを告げると、自転車の前カゴにカバンを入れることなく歩き続ける。

友海にはその姿が、どこか自分を避けているようにさえ思えた。

商店街を抜け、曲がり角を過ぎると、目の前に天野家が見える。


「言いたくないのなら聞きませんけど、なら、ウソでもいいですから、
気にならないようにしてください。
いかにも聞いて欲しいという雰囲気だけ漂わせて、ほっといてくれっていうのは、
周りも迷惑です」


航はその言葉に足を止め、あらためて友海の方を振り返った。

友海は、いつものように強い口調で責めたものの、向ける表情は辛そうで、

精一杯の強がりなのだろうと、少しだけ笑顔を見せる。


「お茶……上で飲んでもいいかな」

「……高いですよ」

「うん」


航は天野家には入らずに、友海と一緒に階段を上った。

部屋に入ると、カバンを置くこともせずに、

壁にかかった『碧い海の絵』をじっと見る。

友海はインスタントでもいいですかと聞きながら、カップを二つ取り出した。


「海人がさ……家を出てしまったんだ、昨日」


航は、他の人間には言わないでくれと念を押し、

海人が気の進まない見合いを断り、家を出て行ったことを話し始めた。

突然の出来事で会社は二つに割れそうになっていることも素直に語る。

友海は、店長から海外出張だと聞いていることはあえて言わずに、

航の言葉を聞き続けた。


「君が野々宮園の息子と揉めたとき、海人は、こっちが正しくても、
組織の一員であるのなら、謝るべきだとそう言った。
僕はそれは必要ないと言い返して、結局、あんなことになった。
確かに、謝るのはおかしいことだけれど、謝っておきさえすれば、
部屋に入り込まれるようなことはなかっただろう。
目の前の正義にこだわって、結局、君を追い込んだのは僕だったのかもしれないと、
今、そう思ったりして……」

「成島さん……」

「僕は自分の両親が、しっかりと生きてきたことを認めて欲しかった。
本当にただ、一人の社員として、新谷家の役に立てたなら、
どんな形でもいいから、会社を支えることが出来たら、
母が家を出て行ったことも、許してもらえるだろうと、
海人や真湖とも兄弟のように、過ごせるときがくるんじゃないかって、そう……。
でも、世の中はそんなに甘くないね」


友海の前でそう語る航の姿は、今までで一番小さく見えた。

航は絵の前から振り返り、ベッドを背もたれにするような形で力なく腰を下ろす。

友海はカップを目の前に置き、話を聞こうと隣に座った。


「僕が来たことで、叔父は焦って海人に見合いを勧めた。
小さい頃から、聖さんと思いあう気持ちがあったのに、
僕が来たことで、それぞれの気持ちに変化が起きた。
叔父はもっと強い権力を持つ人と、海人を組ませたいと思ってしまったし、
住野家も……」


友海の脳裏に、スタンドから悔しそうに帰ってしまった聖の顔が浮かんだ。

住野家の変化とは、どういうことなのかわからず、

ただ不安な気持ちがよぎっていく。


「朝戸と関山もそうだ。僕が来たことで、叔父と海人だけではない、
別の道があると、そう考えるようになってしまった。
まとまらなければならないときに、それぞれが別方向を見ているなんて、
これじゃ、うまくいくものもいかなくなる」


航の存在があまりにも近くなり、友海は最初に出あった時の気持ちを、

すっかり忘れていた。

しかし、成島航は、新谷海人と同じ、『SI石油』創設者新谷平馬の孫であり、

社長になっても、おかしくない立場だった。


「来なければよかったのかもしれないな……」


航は、自分がここへ来ることがなければ、何もかもうまく行ったのではないかと、

ため息をついた。友海は目の前にかかっている『碧い海の絵』を見ながら、

その嘆きをじっと聞き続ける。


「僕が、ここへ来て、みんな壊したのかもしれない。
両親が亡くなった今になって、こうして入り込む必要などなかったんだ。
立場もなく、守るものもないから、好きなように仕事をして、
それで役に立っている気分だけ、味わっていたのかもしれない。
ここにいなければ……」


航の嘆きを聞きながら友海は立ち上がると、『碧い海の絵』を壁から外し、

座り込んでいる航に差し出した。

航は、友海の行動の意味が理解できず、ただ、黙っている。


「今の言葉を、この絵を見ながらもう一度言ってもらえませんか?
ここへ来たのは間違いだった。来なければよかった……と、
ご両親の想いの入ったこの絵を見ながら、もう一度」


航は少し震えた友海の声に、顔を上げた。

そこには悔しそうな表情を浮かべ、絵を差し出している人がいる。


「ここへ来たから、この絵に会えたのではなかったんですか?」


押し出される『碧い海の絵』を、航が両手でつかむと、

友海はその手を外し、視線を合わせずに下を向いた。

絵を通して想いを語っているけれど、その本音がどこにあるのか、

航の心に、自然と伝わっていく。


「ごめん……」


悔しそうに横を向く友海の顔を見ながら、航は一言そう告げた。

ここへ来たことを後悔することは、この絵を見つけてくれた友海との出会いも、

否定することになる。


「私はあなたと出会って救われたけれど、
その時間も、あなたにとって後悔があるのなら、この絵は……もう、いりません」


膝を抱えたままの友海の横で、航は立ち上がり、

『碧い海の絵』を元の位置に戻した。友海はその様子をしっかりと見つめる。


「ごめん……。また、弱気なことを言ってる。人には強いことを言うくせに、
全く情けない男だな、僕は……」


航はそう言うと照れくさそうに笑い、座ったままの友海の隣に並んだ。

二人の目の前に、『碧い海の絵』があり、あの日、伊豆の海で誓ったことを思い出す。


「君の言葉に、いつも励まされる自分がいる。
こうして、弱気なことを言うのも、そんな甘えだと思って、笑ってやってよ。
あ……でも、情けない男は、嫌われるかな」


友海はその言葉を聞きながら、何度も首を横に振った。

航の辛い気持ちも、今を後悔する気持ちも、本当は全て理解できた。

何か優しい言葉をかけようとしても、出てくるのはきついセリフだけで、

どうしたらいいのかが、わからなくなる。


「今日も月……きれいだったね」


その言葉を聞き、友海は初めて自ら航の胸に飛び込んだ。

海人がいなくなったことで、大きく変わりだすかもしれない自分たちの運命に、

不安な気持ちだけが湧き上がる。

航は言葉に出来ない友海の気持ちがわかり、そっと顔を上げると、優しく口付けた。

後悔しているなどと、二度というまいと、愛しい人に思いを重ねていく。


離れた互いの唇は、吐息に形を変え、もう一度互いのぬくもりを探し出す。

航に腕を引かれた友海は、そのままベッドへ腰を下ろし、しっかりと見つめ合った。

航の手が、友海の服のすそへ伸び、上がりかけたところで止まる。

どこか戸惑いを見せ、不安そうな表情を浮かべる航の頬に触れ、

友海の指は、ゆっくりと唇をなぞっていく。


愛されることに怖さなどどこにもなく、

自分が女であることを、少しも嫌だと思うことはなかった。

友海はただ、精一杯、語りたいのだと、航を見つめ続ける。


航は、しばらくその動きを受け入れていたが、

触れた指をはがし、友海の手を導いた。


「友海……」


友海はもう一つの腕で航を支え、その不安な気持ちごと受け入れようと

さらに身を寄せた。航の手が友海の素肌に届き、そのひやりとした感覚に、

軽く身を固くする。


「ごめん……」

「ううん……」


これから、二人の身に何が起こるのか、友海にも航にもわからなかった。

それでも、自分たちだけは離れまいと、互いを懸命に受け入れる。

航が男であり、友海が女であることを確かめながら、

自分たちはこうして出会う運命だったのだと、

その鼓動とあふれる吐息に、さらに素肌を深く重ねていく。


友海は航の息遣いに、受け入れている悦びを感じ、

背中に当てた指にぐっと力を込め、

少しずつ気持ちを寄せ合いながら、

誰が何を言おうとも、航を信じ続けるのだとその肩を抱いた。




二人は、言葉にならない思いを重ねながら、

静かな波が寄せては返すように、繰り返していく。

穏やかな波の中で、一人ではないのだと強く思い、

一つでいることを感じあった。





月は優しく二人を照らし、闇は初めての表情を隠すようにそっと影を作る。

友海と航は、しばらく抱き合ったまま、

体から聞こえる波音が、静かになっていくのを待っていた。





41 航の決意
<photo:tricot>

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コメント

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はじめまして。

じっくり、読ませていただきます。

深まる絆

  おはよう!!

希望とやさしい月の光に包まれた二人に

どんな困難が待ち受けてる?

・・・期待しすぎ?(^.^;)ゞ

負けるな!航&友海(海人&聖もね)!!

   では、また・・・(^.^)/~~~

今は・・

女になんか生まれなければ良かったと、かつてそう思った友海。
でも今は航の思いを受け入れられる、女で良かったと思っているのでしょう。

ネガティブ航は珍しいが、とりあえず愛を確かめ合おう!って(#^^#)

様々なことが一気に押し寄せる。
変わらなければならない事、変わってはいけない事。
航の進むべき道。

佐原&袴田の謎を解いていかないとならないし・・・

どうもです

WTDさん、こんばんは
はじめまして……『ももんたの発芽室』へようこそ。

お時間のあるときに、
読んでいただけたら嬉しいです。

二人の絆

ネギちゃん、こんばんは

>希望とやさしい月の光に包まれた二人に
 どんな困難が待ち受けてる?

航の弱い気持ちを、しっかりと受け取った友海。
ここから話の芯へと向かいます。
どんな困難があるのかは……

読んで(笑)

航の本音

yonyonさん、こんばんは

>女で良かったと思っているのでしょう。

はい。受け入れる気持ちをもった友海。
いつもまっすぐに強気な航も、
友海にだからこそ、弱いところを見せるんです。

佐原と袴田

この謎がわかるとき、話の筋道も見えてくる……
はずなんですけど(笑)

うふふ

yokanさん、こんばんは

>最後、三行の文章に惚れた〃▽〃

うわぁ……ありがとうございます。
そう言ってもらえると、すごく嬉しい!
二人の心が、表現出来ていると、いいんだけど。