TRUTH 【愛の証】

TRUTH 【愛の証】

TRUTH 【愛の証】



柴本は、渡した『退職届』を、何も言わずにその場で破ろうとした。

確かに、具体的なことを言わずに、会社を去るのは申し訳ないので、

今までのことを、隠さずに語ることにする。

今の地位があるのも、生活があるのも、この人がいなければありえない。


「腫瘍?」

「はい、幸い、悪性ではないと言われていますが、
今の生活に戻るまで、検査や入院やリハビリなどで、2ヶ月くらいはかかると。
めまぐるしく動くこの世界で、2ヶ月も現場を離れて、
また何もなかったかのように戻ることが難しいことくらい、自分が一番わかっています。
なかなか決心がつかなかったのですが、自分の体の限界も、そろそろ感じてきまして」

「相当、痛むのか」

「……感覚が……色々と鈍くなっている気がします」


正直、痛むのは体より心の方だった。

柚希との溝も埋まらず、泣かせたままになったことも、どうにも出来ず、

ただ、救いなのは、彼女がこのことをわかっていなかったことで、

会社で倒れたりするよりも、自然に目の前から消えてしまうことが、

今、唯一してやれることかもしれないと、そう思った。


「京都から、川澄を呼んでいただけませんか。
前から、私の次を頼みたいとそう思っていましたし、
彼なら、現場とのつながりも深い。でも、個性が強いほうではないので、
沢木君たちとも、うまくやっていくでしょう」

「……川澄か」

「はい」


柴本の口から、その次の言葉がなかなか出てこなかった。

黙っていても何も解決しないのだが、言葉を出し方向を決めてしまうことが、

すぐに出来なくなる。


「森住。気持ちはわかった。でも、これは預かりとさせてくれないか。
君が手術をして、どうしてもというのなら、その後でもう一度話しをしよう。
今は、体のことで弱気になっている。急いで結論を出す必要はないはずだ」

「社長……気持ちは、変わらないと思います。どうかこれ以上……」


柴本には、本当に感謝をしている。

だからこそ、迷惑をかけるような、何か足を引っ掛けたままのような

状態は避けたかった。

完全な状態で表に立てないのなら、不完全で弱い自分をさらけ出したくはない。


「社長に頼みごとをするのは、最初で最後です」

「……森住」


瀬口や有野には、強い自分だけを残しておきたかった。

私は柴本に頭を下げると、そのまま社長室を出る。

全てを忘れるためには、ここからも出て行く必要があった。

右に人影を感じ視線を向けると、そこに立っていたのは沢木だった。


「この間は、悪かったな」

「いえ……」


あの後、北条芳香や、定岡部長と何があったのかなど、どうでもよかった。

沢木も何も言おうとせずに、視線を落とす。

社長なら中にいると伝え、私は沢木に背を向けた。



最後まで、彼とはこんな関係でいたほうがいい。

無理にわかり合う必要など、ないはずだ。



エレベーターを使わずに、階段を一歩ずつ確実に下りていく。

1階へ向かうと明らかに温度が下がり、震えそうになる体に、ぐっと力を込めた。





京都から来てくれた川澄には、細かい事情は告げずに、仕事だけを引き継いだ。

柴本は、私が出張へ出るのだと説明したらしかったが、

ただ、それだけでは違和感が残る。


「関西に……ですか」

「あぁ、会社の規模も大きくなって、
私が一人で、あちこちのイベントへ顔を出すには限界がある。
管理部門の沢木も引き受けてくれてはいるが、関西には関東とは違う流れもあるし、
川澄にその任務を引き受けて欲しい」

「はい……」


川澄は技術者としての実力もあるが、瀬口や有野ほど、現場意識が強くはない。

どちらかというと輪を大事にする男で、現場の人間ではない沢木達とも、

うまく話をしていくだろう。


「森住さんと同じポジションっていうのは、ちょっと抵抗があります」

「どうしてだ」

「作り上げたものが、ありますし……」


私はその意見に、軽く首を振った。確かに、今の会社がここまでくるのに、

あれこれ悩み、道を探し、切り開いてきた自負はある。

しかし、時は動くのだ。

同じ場所に、留まり続けることはない。





仕事を終え部屋に戻り、医者からもらったパンフレットを開いた。

仕事の都合をつけ、手術を決めたことを話すと、主治医は軽く息を吐く。

言うことも聞かずに、避け続けてきた手のかかる患者をやっと説得できた安堵の表情。



『南安曇野記念病院』



東京を離れたい……



私のその願いを聞き入れてくれた主治医が、

大学のつながりで紹介してくれた病院だった。

今まで縛られてきたもの全て切り捨て、追われることのない時の中で運命をゆだねる。

そのパンフレットを見ながら、白い袋に入れられた痛み止めを飲み、

コップの中に残る水を流しに捨てた。





冷たく刺すような空気とは反比例するように、街はイベントへ色をつけ始める。

私は地下鉄を降り、駅の階段を昇った。

地上に出るとまず聞こえてきたのは、大通りのクラクションで、

角を曲がった植え込みの下に、タバコの吸い殻を見つける。



『……タバコの吸い殻が、こっちまで来てって、そう呼ぶんです』



店の前だけではなく、大通りを沿うように掃き掃除をしていた柚希に、

なぜなのかと質問したことがあった。

その時、少し先の吸い殻が自分を呼ぶのだと笑っていた顔を思い出す。

『少し先に……』そう思う前向きな性格が、柚希をこれからも支えていくのだろう。



もっと上手くなりたい。



店の前を通ったとき、一人残り、シザーの練習をする姿を見たこともあった。

あの真剣な表情を、今日もまた、見ることが出来るだろうか……



営業を終えた『緑山南店』では、すでにスタッフ達が集まりだし、

その時が準備され始めている。

鏡の前に招待された美容学校の生徒が座り、瀬口と有野が髪に触れながら話をする。

3ヶ月に1度、それぞれの店舗でスタッフが髪を切る勉強会が行われている。

柴本が講演会を開いた学校との縁で、希望者を募り、

アシスタントに実践をかねて切らせるのだ。

もちろん最終的な仕上げは、ベテランがするため、

プロの技を間近に見られると、希望する学生が多い。

『緑山南店』の担当日が、今日であることはすでに調べていて、

私はあえて、その場に飛び込んだ。


「森住さん……」

「説明中に悪かった。前を通ったらちょうど目に入って」


それはウソだ。

でも、こうするしか方法がなかった。鏡越しに捕らえた柚希の表情は少し固く、

一瞬だけあった視線は、すぐにそらされた。


「なぁ……瀬口。懐かしくて飛び込んだ私に、今日は握らせてもらえないか?」

「エ……」

「森住さん、カットされるんですか!」

「……まずいかな」


瀬口は驚き動きが止まり、それとは逆に、有野は私の気持ちが変わらないうちにと、

すぐに準備を整えた。椅子に座った学生に、私が最高の技術を持ったスタイリストだと、

余計な情報まで吹き込んでいる。


「有野、ハードルを上げないでくれ。基本的な部分だけだ……仕上げは任せる」

「……はい」







『だったら、教えてください』

『何を?』

『シザーです。瀬口さんが言うんです。森住さんより上手かった人を、
今まで見たことがないって。手とシザーがぶれることなく動くし、
あ、そう、有野さんも1度だけ見せてもらったことがあるって……。
ねぇ、私にも……』







柚希に見せて欲しいとせがまれた時、それは出来ないとすぐに断った。

毎日シザーを握っていた頃ならば、迷わず教えただろうが、

今の私に、その技術はない。





『私、チーちゃんに人生をもらったから……』





柚希を妹のようにかわいがった千波さんは、自分が歩むはずの時間を手渡した。

だからこそ、諦めずにスタイリストになろうと、柚希は頑張っている。

それが彼女の、柚希への愛だったはず。







……だとしたら







私が柚希に残してやれるもの







そう考えた時、出て来た答えは、やはりスタイリストとしての技術しかなかった。

流行の動きではないかも知れない。

瀬口や有野。コンテストで賞を獲った『stone』の技術者ほどの腕など、ないだろう。





それでも……





左手に髪を軽く乗せ、全体のクセとボリュームを見る。

少し右巻きになるクセがある髪。


「それじゃ、カットします」

「はい……」


この日のために、しまい込んでいたシザーを取り出し、指の感覚を呼び戻した。

細かい動きを重ね、お客様の髪の状態と仕上がりを想像する。

鏡の向こうにはメモを持つ新人が立っていて、その隙間から、柚希の目が見えた。





柚希……



君の言うとおり、千波さんとのことがなければ、

君を愛することはなかったかもしれない。

彼女の面影を探し、叶わなかった想いを、重ねたことも否定できない。





でも、これだけは言わせて欲しい。

私が愛したのは千波さんではなく、柚希……君自身だ。

身代わりなどではなく、明るく夢を語り、前を向き歩く姿に、

私はどこかに置き忘れていた何かを、もう一度呼び起こすことが出来た。

君に会えることを心待ちにし、君と抱き合える時間を、何よりも幸せだとそう思った。




『愛している』




こうして、私を見せていることで、その意味を感じ取って欲しい。

もう会いたくない、触れて欲しくないと思う存在かも知れないが、

それでも、二度と握ることはないと思っていたこの手で動くシザーの音だけは、

どうか忘れないでくれ。





君が、本物のスタイリストになること……





それが、千波さんと私の、心からの願いなのだから。



両方の髪を少し引き、私はシザーを台の上に置く。

隣にいた有野の肩を叩くと、どこかに遊びに行っていた魂が戻ったのかと思うくらい、

驚きの顔を見せる。


「あとは……頼む」

「森住さん……あとだなんて、僕は……」

「瀬口、今の私は、もうこんなものだ」


瀬口は首を横に振り、唇を噛みしめた。

重なった両手から小さな拍手が起こり、その輪はスタッフへと広がっていく。


「ありがとう……」


鏡越しではない柚希の顔を、見ようとは思わなかった。

私の言いたいことは全て、今、出し切ったのだから。


「森住さん」

「今日はこの辺で失礼するよ。楽しませてもらってありがとう」


扉のガラスに映った女性のシルエットが、ふっと横に動いた。

私は視線を下に向け、あえて見ないようにする。





『さよなら……私の小さな花』





私の足は前へ向かい、別の場所で最後の別れをするために、一歩を踏み出した。






【別れの色】


森住の心は、どこへ向かうのか……
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コメント

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息を詰めて読んじゃった・・・

ももちゃん こんばんは^^

『TRUTH』を読むときいつも感じることですが、読み始めると私の周りの空気が変わってしまう、
そんな感覚に襲われます。
完全に物語の中の一人になっているというか、森住のそばにいるか、または俯瞰で彼を見ているような・・・

誰かに感情移入するのではなく、冷静に人物をみている私がいて、今回は森住の「覚悟」を肌で感じました。
きっと彼女にも伝わったはず。
女は感情の生き物、彼女なら、彼が何を伝えたかったのか、受け取って欲しかったのか、ちゃんとわかったでしょう。
【愛の証】・・・形になるといいな・・・

どうなるんだ~

森住さん、いろいろ決心しましたね。
かっこよく去りすぎです~

森住さんの気持ちは柚希にも伝わったと信じたい。

最後の一行がすご~く気になります。
最後の別れって。。?!
どうなるんだ~
またまたももんたさんの思うツボなれいもんだと思います。

嬉しいです

なでしこちゃん、こんばんは

>冷静に人物をみている私がいて、
 今回は森住の「覚悟」を肌で感じました。

ありがとう。
森住だけが語っていく1人称なので、角度が少ないでしょ? 
入り込める分、広さがないので……
でも、森住の中にある『覚悟』、わかってもらって嬉しいです。
なでしこちゃんに伝わるんだから、柚希にも伝わればいいんだけどね(笑)

さて、残り3話、最後までよろしくお願いします。

気になる1行

れいもんさん、こんばんは

>かっこよく去りすぎです~

あはは……かっこよく去らせてやって!
年上の男だからね、いじいじ出来ないのよ、きっと。

>最後の一行がすご~く気になります。
 最後の別れって。。?!

はい、気にしてください。
森住は、あることを決意しています。
しかし、そのためには乗り越えないとならないことがありまして……

残り3話も、よろしくお願いします。

伝えたい想い

yokanさん、こんばんは

>・・・涙だわ(TT)
 柚希ちゃん、森住さんを追いかけるかな~・・・

森住の思いが伝わるのかどうか、
それは残り3話でわかります。
柚希の中で、森住の存在が、どんな位置にあるのか、
二人を結びつけるものが、あるのか……

最後までよろしくお願いします。

運命

『退職願』も東京を離れる事も
全てを忘れる為、そして体の治療のために決めた事だとは思うけど

彼の心の中にはやっぱり
もし亡くなったお父さんと同じ運命を辿る事になったら・・・
って想いがあるような気がして、とても切なくなってしまう私。

森住さんが
今の自分の全てをかけて届けようとした『愛の証』
柚希にもきっと伝わってるよね!

最後の別れをするために向かった場所・・?
を色々思い浮かべながら
気になる続き、待ってますね!

心の奥にあること

パウワウちゃん、こんばんは

何もかもを切り離さないと、治療に迎えない森住です。
もちろん、そこに柚希も入っているわけで。

>もし亡くなったお父さんと同じ運命を辿る事になったら・・・

まぁそうですよね。
見えない部分だし、過去の記憶もあるし……

>最後の別れをするために向かった場所・・?
 を色々思い浮かべながら

はい、どこなのか、誰となのか……
それは次回にわかります。
残り3話、最後までよろしくお願いします。