37 大事なこと(6)

37 大事なこと(6)


私が怪我をしたイベントから、10日が過ぎた。

観客の中から大きな怪我人が出なかったこと、子供の親たちも自分たちの非を認め、

特に問題にすることもなかったからか、最初の3日くらいは色々と報道されたが、

その後出てきた政治家のスキャンダルによって、いつの間にか風化した。


私は、地元の整形外科に通いながら、とにかく足が治るのを、待つしか出来ない。

日向さんが撮影した『赤鼻探偵』も、部屋の小さなテレビで見る。


「あのシーンがあんなふうになるんだって思いながら、見てましたよ」

『そうか、頑張ったのにカットされたところがあって、ちょっと不満も残るけどね』

「そうでしたか?」


日向さんからは、毎日のように電話が入った。

夏のドラマ撮影が始まる前に、来年用のカレンダー撮影が始まっていて、

季節感を無視した衣装に何度も袖を通し、ポーズをとったと笑ってくれる。

そういえば、私は撮影のために用意された、真冬のようなスタジオに

Tシャツで入ってしまい、あわや風邪をひきかけたこともあった。

日向さんがこれだけ特別な人になるなんて、まだよくわかっていなかった頃のこと。


『史香、何、笑ってるの?』

「笑ったってわかりました?」

『わかるよ』


受話器越しに笑ったことが、日向さんに伝わった。

思い出話などしていると、時間なんてあっという間に過ぎていく。

日向さんはスタジオについたようで、楽しい時間はそこで終わりを告げた。





早く足を治して、また、いつもの生活に戻りたい。

一緒にテレビを見ながら、私の手料理を食べて欲しいのに。





「史香……ちょっといい?」

「何?」


お店の休み時間なのか、母がエプロンを外しながら部屋に入ってきた。

どこか真剣な表情に、何かよくないことを言われそうで身構える。


「ねぇ、史香。仕事、この際だから辞めたらどう?」

「辞める?」

「うん、時間も不規則だし、こんなことになってしまって、お父さんも心配してるのよ。
今回は、それほど大きな怪我にはならなかったけれど、
また、同じようなことが起きるかもしれないし……」

「これは特別なことだもの。また同じようなことが起こるなんて……」


これは特別な事故だった。それを何度も繰り返す。


「お母さんも、まさかここまで忙しい仕事だとは思わなかったの。
就職難だし、まぁ、次が見つかればいいくらいの気持ちで、頼んでしまって」


私は、自分がどれだけ事務所によくしてもらっているかを、必死に訴えた。

確かに、時間は不規則だし、色々と制限されることも多い。

でも、出来ないお荷物なりに、一生懸命やりがいも見つけ始めた。

田沢さんや佐藤さんまでにはなれないけれど、私なりに事務所に貢献できる、

そんな小さな自信もつき始めてきたのに、今、辞めることなど考えられない。


「それとね、日向さんのことなんだけど」

「日向さん?」

「以前、うちに来てくれたことがあったわよね、一人で。
あの時は史香、仕事を辞めるつもりだったでしょ。でも、結局戻って。
忙しい中で病院に顔を出してくれたけれど、本当に、お付き合いでもしているの?」

「……お母さん、それは」


母にとっては、聞きにくいことだったのかもしれない。

芸能人との付き合いなんて、想像もしていなかっただろう。


「お母さん、史香のことが心配で、若村君に、ちょっと聞いてみたのよ。
そんなこと、ありえますかって……」

「……聞いた? ねぇ、何を聞いたの?」

「だから……」


考えても見なかった。

日向さんと私の付き合いについて、まさか母が若村さんに相談してしまうなんて。


「だって、若村君も同じ業界にいるって言うから。
何でも相談に乗ってくれるって言うし、史香を迎えに行くとき、ちょっとだけ……」

「どう質問したの?」

「芸能人の恋愛事情って、派手なものなのか、以外に地味なのかって……」

「そうしたら?」

「そうしたら、全てを知っているわけではないけれど、
ドラマの共演とか、どうしても一緒にいる時間が長いから、
芸能人同士のカップルが多いって。スタッフと付き合ったりする人もいるけれど、
人気が出てくると別れたって話しもよく聞くんだって。
ねぇ……史香。日向さんって、今すごく人気がある俳優さんでしょ。あなた……」





若村さんが、何を知っていると言うのだろう。

どうでもいいような、女なんて、そこら辺でどうにでもなると思っている、

たちの悪い芸能人しか、知らないのではないだろうか。





少なくとも……





少なくとも、日向さんは、そんな人じゃない!





「若村さんに相談なんてしちゃダメだよ。芸能界には色々とつながりがあるの。
全ての人が、同じ方角を向いているわけじゃないから、そんな話」

「史香の頼りにしていた先輩でしょ。何か悩みとかあったら、俺に相談してくれって、
そう気軽に言ってくれたから」


父も母も、何も知らない。

知らないからこそ、つい、そんな話に乗ってしまったのだろう。



『あいつ、樫倉の事務所と、親しいぞ』



畑山さんに言われたときには、どちらを信用したらいいのかさえわからなかったけれど、

少しずつ、何か、嫌な雲行きになりそうで、若村さんと会うことが怖くなる。


「お母さん……この際だからきちんと話しておくね。
私、確かに日向さんとお付き合いしているの」

「史香、あなた」

「うん、マネージャーの田沢さんもちゃんと知っているし、
二人でみなさんに迷惑をかけないようにって、頑張っているつもり。
若村さんの言うとおり、芸能人にも恋愛にだらしがない人はいるし、
誠意のない人も確かにいる。でも、芸能人じゃなくても、そういう人はいるでしょ。
芸能人だからとかそういうことじゃないの。普通の人と一緒だよ。
日向さんはそんな人じゃない。普通の感覚をきちんと持っている人。
それは私が証明する」


薄々気づいていたことであっても、母の反応は、決していいとはいえなかった。

それでも、若村さんには二度と言わないで欲しいと念を押し、

こっちへ戻ってこいという要求だけはつき返す。


「勘違いしないで。日向さんがいるから戻りたいんじゃないの。
彼を通して、この世界の仕事にやりがいを感じているし、
みなさんと作り上げる喜びもわかってきたの。
今、途中でやめるなんて、そんなこと出来ない。
それでなくても怪我をして、迷惑かけているんだもの」


それはおおげさではなく、私の心の全てだった。

マネージャーでなくても、スタイリストでなくても、

書類の1枚を管理する事務職だって、立派に組織の一つになっている。

他の事務所はわからないけれど、うちはそんなところで、差をつけたりしない。

みんなの力が、大きな力になる……

そう感じられるのは、小さな事務所の特権。


「普通の人だって言われてもねぇ。
お母さん、日向さんと話したこともないし、
今の状態じゃ、史香のそばにいってやることも出来ないでしょ」

「今、日向さん、すごく仕事が忙しいの。ほら、『相良家の人々』が公開されるでしょ。
その後もスケジュールが詰まっていて……」


私は、少しだけ様子を見ていて欲しいと必死に訴えた。

すぐに、色々と理解してもらうのは無理かも知れない。

それでも、私の強い決意を感じたのか、母はそれ以上言うことなく、

またお店へ戻っていった。





足の具合も順調に回復し、少しずつ仕事復帰も見え始めた日、

家に顔を出してくれたのは、若村さんだった。


「これ、『ワンポイント』の社長から。
それと、病院の領収書があれば、支払いはうちの方でするから」


私の怪我は仕事中のもので、しかも、原因が現場の設計を担当した会社にあると、

若村さんは書類を目の前に置いた。私はそれを受け取り、失礼だとは思いつつ、

はっきりと気持ちを告げることにする。


「若村さん。色々と気を使っていただくのはありがたいんですけど、
あとは自分で考えます。少し放っておいてください」

「どういうこと?」


若村さんは、わかっていてあえて問いかけてきたように感じた。

私は、言葉を選びながらも、伝えたいことがぶれないように、発言する。


「なんだか、監視されているようで、辛いんです」


これ以上、色々と関わらないでほしい。

関わりが増えるたび、信頼よりも疑いのほうが大きくなる、そんな気がした。

少し離れてくれないと、本当の若村さんの気持ちが、見えなくなる。


「日向との付き合いを、聞き出したこと?」

「母からどう聞いたのかわからないですけど、それは違います。
日向さんは、私が最初に仕事を始めたときから、面倒を見てくれていたので、
妹のように思っているはずです。だから、病院にも顔を出してくれました。
個人的な付き合いなんて、ありません。失礼なことを、言わないでください」

「……ごまかすなよ、そんな真剣な顔して」


たとえ若村さんが全てわかっていても、私はそれを認めることはできない。

ウソを何度上乗せしても、そうすることしか出来ない。


「妹のようにって……何か聞かれたら、そう言うようにされているんだ。
だったら、そんな誤魔化されるような関係、早く手を引くことだな。
日向には『メビウス』がついてる。『メビウス』の社長は心底日向びいきだ。
娘と一緒にしたいなんて、言い出すかもしれないし、
あれだけ売れた俳優が、事務所のスタッフで満足するなんて思えない。
タレントなんて、自分が売れるためなら、なんでもする……」

「全てを知っているような言い方、しないでください」

「……何?」

「若村さんの方が私より頭もいいと思います。
芸能界での仕事も、私よりあなたの方が、色々と経験しているでしょうけど、
でも、私よりあなたの方が知っていることもあるし、
私よりあなたのほうが知らないこともあるはずです」


もう二度と、若村さんと思い出話など出来なくなるかもしれない。

それでも、日向さんに誠意がないような言い方、絶対に許せない。

少なくとも、若村さんは、本当の日向さんを知らない。

芸能人だって、人気者になったって、それに甘んじることなく、

日々努力し、自分を磨く人だってたくさんいるはずだ。



他の人から見たら、どうでもいいような私にも、

心の底から、見せてくれるあの笑顔に、偽者があるわけない。





言葉では認めないけれど、心はウソをつけないから……

日向さんの悪口だけは、絶対に許せない。





「史香は、変わったんだな」

「そうですか? 私には、若村さんが変わった気がします」


そう、それはずっと思っていたことだった。

私が憧れた、高校時代の先輩は、剣道に打ち込み、常に前を向く人だった。

でも、スタジオで会ってからの若村さんの行動には、どこか納得がいかない部分がある。


何か、必死に、生きているような……

ただ、それだけのような……


「変わったつもりはないけどね」


若村さんはそう言い残すと、書類だけを机に残し、部屋を出て行った。





怪我をしてから3週間後の午後8時、突然日向さんからメールが入った。



『これからそっちに向かうから。
遅くて悪いけど、お店が開いていると、逆に迷惑かなと思って』



私は慌てて時計を確認した。

これからここへ来たら、日向さんが部屋へ戻る時には確実に日付が変わってしまう。

『無理しないでいいんです』と返信しようとしたのに、指が思ったように動かない。





来てくれる……

それだけで、私はあなたに会いたくて仕方がない。

たとえ5分でも、そばにいられるのなら、

ごめんなさいと謝りながら、車の音だけを、ただひたすら待った。






38 大事なこと(7)


恋する二人と、空想に励む私に(笑)
励ましの1ポチ、よろしくお願いします。(人・∀・)オネガイ・*:..。o○☆*゚

コメント

非公開コメント

こんにちは
若村さん、いよいよ怪しい。
淳平、史香に会いに来て、また、若村さんが何か言わないかな
心配だけど、楽しみです

やっぱり・・

アーァやっぱり、若村さん学校の先輩という立場を利用したんだよね。

お母さんには中々理解できないかもしれないね。
華やかな世界、としか分らないから。普通の感覚が鈍っていく人も大勢いるだろうし。

キッパリ言い切った史香はえらい!
しかしそれで若村が淳平に何か言ったか?
突然訊ねてくる淳平。
超気になる。

大丈夫かな?

若村め~~
昔からの信頼をいいことに
お母さんから日向さんの事を聞き出すとは!!!

史香がいくら言葉を尽くして説明しても
母親としては、良くわからない世界でのこと
やっぱり心配だよね・・・

そんな中、家まで来てくれる淳平
大丈夫かな?
誰かに隠し撮りとかされなきゃ良いけど。。

若村の本音は?

verwearさん、こんばんは

>淳平、史香に会いに来て、また、若村さんが何か言わないかな

若村、史香の先輩だというところから、
ずいぶん、入り込んできました。
さて、淳平が来ることになり、
それがどう動くのか……

今は、書けません(笑)

心配しながら、楽しみに待っていて下さいね。

母の不安

yonyonさん、こんばんは

>お母さんには中々理解できないかもしれないね。

わからないと思います。
芸能人、ちょっと別世界の人。
それが普通の感覚だと……。

史香はね、淳平の素の部分を知っているから、
芸能人として、見てないのでしょうけれど。

さて、訪ねてくる淳平
何があるのか、それとも……

で、続きます。

先輩だと思ってつい……

パウワウちゃん、こんばんは

>お母さんから日向さんの事を聞き出すとは!!!

あはは……パウワウちゃんの怒りが……
まぁ、文香の母も、心配で聞いちゃったんだよね、きっと。
テレビでよく見ても、それとこれとは違うしね。

>誰かに隠し撮りとかされなきゃ良いけど。。

お! パウワウちゃんはそう読むんだね。
さて、どうなるでしょう

会うのが一番

yokanさん、こんばんは

>来てくれる・・・それだけで幸せ一杯の史香ちゃんだよね~^^

そうそう、電話じゃなくて、メールじゃなくて、
本人なんだよね、そりゃもちろん。

さて、評判の悪い若村先輩
何をするのか、それともしないのか……
それは次回へ続きます。