38 大事なこと(7)

38 大事なこと(7)


店の片づけと次の日の準備の音が聞こえる中、私は階段を踏み外さないように下り、

どうしたのかと問いかける母に、日向さんが来てくれることを話した。


「今から? ここへ?」

「うん。営業中だと迷惑になるからって、夜遅くなるけれど、すみませんって、
メールをくれたの」

「誰が来るんだって?」


父は厨房の中からそう声を出した。

元々、芸能界の仕事自体、あまり理解していない父にしたら、

今からこちらへ来ようとしている日向さんの行動も、

あまり好意的に受けとめてもらえないかもしれない。


「お父さん、史香の事務所のタレントさん。
ほら、『メビウス』とかのコマーシャルに出ているでしょ。今から来てくれるんだって」

「何をしに……」

「史香の見舞いにですよ、何をって当たり前じゃないですか」

「見舞い? そんなもの、昼間だろうが、普通。これからって、何時だと思っているんだ」


母が、相手は忙しい人だから仕方がないのだとフォローに回ってくれた時、

外に車が止まる音がした。私が店の扉を開けると、運転席から出てきたのは、

確かに日向さんだった。


「日向さん……」

「こんな時間で申し訳ないんだけど、大丈夫?」

「はい」


父も母も、きっと日向さんを見てくれたら、変な意識もなくなるに違いない。

芸能人だからと、全てをひっくるめられたら、たまらない。


「遅くに申し訳ありません。日向淳平と申します」

「あ……はい……あらまぁ……お忙しいところをすみません。
わざわざここまで来ていただいて」

「いえ」


母は店では申し訳ないので、私の部屋へ行くようにと言ってくれた。

日向さんは頭を下げて、厨房の前を通り過ぎようとする。


「あんた……事務所の代表で来たのかい」

「お父さん」


どうしてそんなことを聞くのかと、私が口にしようとしたとき、

日向さんの右手が、背中にそっと触れたのがわかる。


「いえ……僕は事務所の責任者ではないので、代表で来たわけではありません」

「なら、何で来たんですか」

「お父さん、だから史香の見舞いだって……」

「お前に聞いていないだろう」


父の言いたいことはわかっていた。

日向さんとの付き合いを、話していなかった私が悪い。

でも、芸能人との付き合いなど、反対されることもわかっていたし、

誰かに話をして、広がることは避けたかった。


「僕、個人として、史香さんのお見舞いに来たつもりです。
ですので、マネージャーも連れてきませんでした」


田沢さんは、おそらくここへ来ていることを知らないだろう。

もし知っていたら、ドラマ撮影を控えた日向さんに、車の運転を許可するはずがない。


「あなたにとっては、忙しい仕事の合間に顔を見て済むことなのかもしれないが、
史香はうちの一人娘です。中途半端に扱ってもらっては困る」

「お父さん!」


中途半端になんて、扱われていない。

どうしてそんなことを、今、ここで言う必要があるのだろう。

何も知らないくせに……


「わかっています。お見舞いというには、あまりにも時間が経っていて、
申し訳ないとは思いますが、僕も仕事を放り出すわけにはいかなかったので。
史香さんにも、その部分は理解してもらっていると、そう思っています」


今まで厨房の中から、一度も顔を上げることのなかった父が、

その時初めて顔を上げ、日向さんの方を見た。





お父さんの心配もわかるけれど、

彼はそんな人じゃない。





どうにかして、この気持ちが伝わらないかと、私は意味もなく手に力が入ってしまう。


「立ち話もなんですから、どうぞ、史香の部屋へ。まだ、店は仕込があるので」

「あ……すみません。営業時間中だと迷惑だと思ったのですが、
この時間も、まだ、お忙しいのですね」

「いえいえ……二人だけでやってきたもので、いつも慌しいんです」


日向さんはもう一度父に向かって頭を下げ、私と一緒に階段を上がった。

時間は半分を越え、11時に向かってさらに動き出す。


「ごめんなさい、あんな対応しか出来なくて」

「いや、お父さんの言うことは間違っていない。この時間の方がいいかななんて、
気を遣ったように言ったけれど、ようは、都合良くそう思っただけだ。
お見舞いに来たというには、確かに時間も過ぎているし、
中途半端に扱われたら困ると思うのは、当たり前だ」


私は何度も首を振った。

中途半端になんて、扱われたことはないし、今までだって、忙しい中で、

色々と苦労してもらった。


「そんなふうに言わないで。私、『大丈夫です』って言ったのに、
ここへ来ることを、止めなかった」


ドラマ撮影を控えているのに、詰め込んだ映画の撮影やポスター撮影で、

相当疲れているのに。

思いやってあげなければならないのに、私はわがままだ。


「そう言えば、『ひよどり姉妹』さんと地方へ行った時、
史香のところへ、タクシーで向かったよね」

「はい……」


日付が変わることも、田沢さんに怒られることもわかっていて、

日向さんは、少し弱気になった私の所に、駆けつけてくれた。


「睡眠時間が減っても、あの日は何も嫌じゃなかった。
史香に会って、話をした充実感の方が、よっぽど大きかったし……」

「日向さん……」

「今日も同じだって。いつも、いつも、史香に励まされて、仕事しているんだ。
こんな時くらい、それらしいことをさせてくれないと、意味ないだろ。
大丈夫だよ、ドラマ撮影に入る前なんだ。今日は運転禁止じゃない」


いつも、いつも、励まされているのは、私の方だ。

どれだけ助けてもらっただろう。

見せてくれる日向さんの笑顔が嬉しくて、私は何度も頷いた。


「史香……」


日向さんの両手に、私はしっかりと包まれた。

そのぬくもりが、何があっても大丈夫だと、心を落ち着かせてくれる。

父も母も今は驚いているだけで、きっとわかってくれるはず。





私は、これだけ大切に、してもらえているんだもの……





「日向さん、実は……」


私は、母がつい、若村さんに、

日向さんとの付き合いを、ほのめかすようなことを話してしまったと告げた。

同時に、畑山さんから若村さんが、樫倉英吾の事務所と親しいのではと、

言われたことも話す。


「樫倉の事務所?」

「はい。言われたときには、何が根拠なのかもわからなかったし、
畑山さんの情報自体が正しいのかもわからなくて。でも……」

「何か、若村さんのことで、思い当たることでもあるの?」

「……これっていうところは……」


日向さんは、あまり疑心暗鬼になるなと、私の頭を軽く叩いた。

貴重な1分が、加速度を増して過ぎていくような気がしてしまう。

もう帰さなければと思いながらも、つないだ右手が、離せない。


「史香の先輩だろ。何年経っても、当時のイメージが抜けないんじゃないのかな。
なんとなく放っておけない、そう思っているはず」

「イメージ……ですか」

「あぁ。宗也の言うとおり樫倉の事務所と親しいからといって、
彼がうちの事務所や僕に、何か危害を加えたわけじゃないんだし、
史香は、普通に接した方がいいよ」


日向さんの意見を聞いて、私もその通りだと頷いた。

近ごろ、色々なことが起こって、つい、余計なことまで考えたのかも知れない。


「あ、そうそう。来週『相良家の人々』の試写会なんだ。
昨日、久しぶりに北原さんから連絡をもらった。『赤鼻探偵』見てくれたんだって」

「……本当ですか?」

「うん、『赤鼻探偵』の最初のゲストが北原さんだってこと、知っていたからさ。
好葉さんの話で、結構盛り上がったんだ」


日向さんが、この1ヶ月近くの間、どんな仕事をしていたのか、

それを知ることがとても嬉しかった。

いつもなら事務所にいて、それなりの動きは把握できたけれど、

ここにいては何もわからない。

私が壊してしまったイベントから、ちゃんと時間が動いているのだと、

あらためてそう思った。


「結果的に、史香が一番大きな怪我をしたのにな、それなのに、
お見舞いが最後になってしまって」

「何言ってるんですか。心配してくれただけで、それで満足です」

「うん……」

「米原さんに、足でよかったんだよって言われました。顔の上に落ちていたら、
それこそ大変だったって……。私、運があるんですよ、きっと」


崩れていく瞬間の記憶が、今思い出そうとしても、どこかあやふやだった。

気持ちは抱きしめた子供のほうに集中していたからだろうか、

とにかくかばうことしか、考えられなかった。


「そうだな確かに。あれだけの鉄パイプが崩れたんだ。よく、足だけで済んだよ」

「あ……そうだ。日向さん、舞台の上から、史香! って言いませんでしたか?」


私の空耳だろうが、確かにあの時、『史香』と呼ぶ声が聞こえた。

日向さんからの距離を考えたら、ありえないほど遠いのだけれど。


「史香があの場所に立っていることは知っていたからね。
大きな音がして、ファンの人たちの悲鳴が聞こえて、その時、心の中で確かに叫んだ」

「心の中?」

「うん、思わず立ち上がって、動き出そうとしたのを、隣にいたひかりに止められた。
何が起こったのか、自分の目で確かめようとしたけれど、そんなこと出来るわけないし、
救急車で運ばれたのが史香だとわかったのは、控え室に入ってからで、
そのまま飛び出して病院に行こうとしたのを、今度は田沢さんに止められた」


日向さんの動揺が、そんなところからもよくわかった。

それでも、必死に仕事に取り組まなければならずに、

あらためて申し訳ないと思ってしまう。


「ごめんなさい……」

「どうして謝るの?」

「もう少し、私が気をつけることが出来たんじゃないかって。あのイベントを、
最後までやり遂げることが出来たんじゃないかって……そう思うと……」

「そう思うと?」

「申し訳なくて……」


今さら謝っても、どうにもならないのはわかっている。

でも、『たら、れば』って、つい、言いたくなってしまう。


「そう思うのなら、頑張ってケガを治して、早く戻っておいで。
史香のためには、ここでゆっくりするのがいいんだろうけれど、
仕事が早く終わっても、会えないんだな……って思うと、無性に寂しくなるから」


日向さんの言葉に、私の心臓がキューッと締め付けられる気がした。

会えないと寂しくて、溜息をついてしまうのは、私も一緒。

ふわりの場所へ、なんとか早く戻らなくちゃ。


「いや……そう思うなら、もっと早く会いに来いって、言われちゃうかな。
だから、中途半端だって……」

「そんなことないですから」


そんなことは絶対にない。

父も母も、日向さんをもっと知ってくれたら、それでわかってくれるはず。


「わかってもらうからさ、僕なりの方法で」


日向さんの腕が私の肩に触れ、私の頭が日向さんの肩に触れた。





早くまた、誰にも気兼ねなく、こんな時間が来ればいいのに……





日向さんが店を出たのは、11時少し前だった。

私は車に乗り込む姿を見届け、軽く手を振る。

今度会うときには、もっと笑顔になれるように……





そう思いながら……






39 大事なこと(8)


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コメント

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ヘヘヘ(^^;)

お父さんはお母さんより大変だ・・・
娘だもんね。気を揉むよ。

淳平は史香だけでなく、周りの人の良いところを見つけて
肯定している。凄いな。
若村さんはまだ信じられないけど、穿った見方ばかりしてはいけないかもね。

実家では何も出来ないよな~残念 by淳平

年頃の娘を持った父親としては、淳平がいくら有名人でも、
人気俳優でも、全てOKにはいかないですね。
ちょっとすねてしまった気持ちもわかります。

あぁ、それにしても……
史香になりたいなと思いながら、読んでます(*´σー`)エヘヘ

by 淳平

yonyonさん、こんばんは

>淳平は史香だけでなく、周りの人の良いところを見つけて
 肯定している。凄いな。

あはは……。芸能界という、いろんな人間がうようよする
場所だからね、人を見る目が出来ている……ということで。

>実家では何も出来ないよな~残念 by淳平

心の声を代弁していただき、ありがとうございました by淳平

父の寂しさ

あんころもちさん、こんばんは

>ちょっとすねてしまった気持ちもわかります。

そうですね。
父親は、娘の相手には厳しいんじゃないかなと。
娘が『好き……』を出せば出すほど、バチバチくるでしょう。

>史香になりたいなと思いながら、読んでます(*´σー`)エヘヘ

いえいえ、それは大事です。
そう思いながら読んでいる方は、結構いる……と思っています。