39 大事なこと(8)

39 大事なこと(8)


日向さんが姿を見せてくれてから2日後、『相良家の人々』の試写会が行われた。

私は、その様子が流れるワイドショーを、

整形外科のテレビの前に、座って見ることが出来た。

米原さんが、この日のために用意した衣装を身につけて、

日向さんは、舞台のほぼ真ん中に立っている。

隣にいる北原さんが、何度か耳元で話しかけたのか、時々相槌を打ったり、

笑顔になったり、共演者の方々との久しぶりの再会を、心から喜んでいるように見えた。


あのイベントは、事故でストップがかかったけれど、

それを吹き飛ばすくらいの会場の熱気が、ファンの声援とともに響いている。

患者さんの中にも、見に行ってみたいと話す人がいて、

私は関係のないスタッフの一人なのに、なぜかその場で頭を下げた。


「前島さん、もう大丈夫でしょう。あとは3ヵ月後くらいに、レントゲンかな」

「はい、ありがとうございます」


私の足は、日常生活には、ほとんど問題ないくらいまで回復した。

バスに乗り、店の少し前で下りると、いつも読んでいる雑誌を買い、

少しハミングしながら家に戻る。

店の裏にある玄関へ向かおうとした時、電信柱に寄りかかっていた男性が、

私を避けて、動いたように思えた。

以前、日向さんのファンからいやがらせをされたことがあり、その時のことを思い出す。

私は店の前を通り、男性が消えた道の方を確認したが、

考えすぎだったのだろうか、男性は駅の方に向かって歩いていて、

左手で携帯電話を持ち、誰かと会話しているようだった。


「ただいま」

「お帰り! 史香!」

「あ……尚美」


地元の信用金庫に勤める尚美が、久しぶりに姿を見せてくれた。

私が怪我をして実家に戻ってきた時、すぐに一度顔を見せてくれたが、

それから新年度がスタートし、新人研究の担当となり、支店を飛び回っていたため、

電話だけは何度もくれたものの、姿を見るのは久しぶりになる。


「どう? 足、病院行ってきたんだって?」

「うん、もう大丈夫だって」

「そう、よかったね」


私は休暇を取って会いにきてくれた尚美を連れ、部屋へ向かった。

『相良家の人々』が公開されたら見にいくからと会話をし、お見舞いと言ってくれた、

高校時代から食べているロールケーキを切り分けていく。


「ねぇ、史香。あのさ……」

「何?」

「さっきね、私、お店の前で男の人に質問されたの、
ここは何時まで営業しているんですか? って」

「男の人?」


尚美の言葉に、少し前電信柱の影に立ち、私を避けるように駅へ向かった

男の姿が浮かんだ。尚美が営業時間なら、中で聞いてみたらと提案すると

その人は苦笑いを浮かべそれならばいいですと、中へ入ることを拒んだと言う。


「苦笑い」

「うん、それとね、ここには娘さんがいるよねって……」

「……娘?」


あまりそういったことがなかったので、ちょっと気になったと尚美は笑い、

ロールケーキを美味しそうに食べ始めた。私も少し心に引っかかったものはあったが、

それから窓の外をのぞいても、男が姿を見せることはなく、そのまま日が暮れた。


その日の営業が終了し、父と母が厨房で明日の仕込を始めたとき、

私は話があると声をかけた。怪我はすっかり治ったので、

明日にでもアパートへ戻ろうと思ったからだ。


「ずっと迷惑をかけているから、少しでも早く仕事に復帰したいの」


厨房にいる父は、黙ったまま作業を続け、その反応を見た母が、

椅子に座るようにと、私に声をかけてくれる。

私が椅子を引きしっかりと座ったことを確認した父は、厨房から出ると目の前に立った。


「何?」

「お父さんとお母さんは、今の仕事に戻ることは反対だ」

「お父さん……」

「最後まで聞きなさい」


父はお客様が忘れていった週刊誌を手に取ると、パラパラとめくり始める。

指が止まり見せられた記事は、日向さんが行った新ドラマの報告会見だった。


「こんな派手な世界に生きる男だ。今はいいことを言っていても、
最終的にはお前を裏切るかもしれないぞ。それでも、後悔しないのか」


私はすぐにその記事を読んでみた。若手の俳優の中でも日向さんは有望株で、

ここのところの人気ぶりに収入も増え、

より大きな部屋に引越しをしたことが書いてあった。


金銭的に楽になったからと書かれているが、本当の理由は記者もわかっていない。


父も母も、一部分の記事からしか、日向さんを知ることが出来ないのだから、

誤解があっても、仕方ないのかもしれないが、私はその記事を閉じると、

それは違うのだと首を振る。


「この記事は違う。確かに忙しくもなったし、収入も増えているかもしれない。
でも、日向さんが越した理由は、別にお金持ちになったからではないの。
セキュリティーとか、あと……私のこととか……」

「お前のこと?」


私は、そのマンションにスタッフが住んでいることを話した。

勝手な噂を流したり、日向さんのプライバシーを侵害するような記者もいて、

そういった人の攻撃から、事務所が彼を守ろうとした結果だと説明する。


「ここは、有名企業の部長クラスも住んでいるの。
しっかりしたセキュリティーがあるのと、不動産屋も口が固いから。
中には、お客さんの気を引くために、タレントの住む部屋を教えたりする
業者もいるけど」

「やだ……そんなことする業者がいるの?」

「うん」


母の反応はもっともだった。知らなければ公にされた記事を信じるしかない。

たとえそれが、真実ではないにしても。


「田沢さんっていう、日向さんのマネージャーも、私との付き合いを認めてくれている。
だから、あれこれ言われないように、考えてくれたことなの」


父も母も黙って話を聞いていた。

芸能界の事情を知らない二人に、どれだけ気持ちが伝わるだろうか。


「父さんは、お前には普通の人とお付き合いをしてもらいたい」

「普通? 普通だよ、日向さんは」


私はすぐに反論した。確かに芸能界という特別な世界にいる人だけれど、

日向さんの考えは、特別なものなど何もない。


「史香。今はまだお前で満足だと、彼も思っているかもしれない。
でも、人にはいい意味でも、悪い意味でも欲がある。自分の地位が上がれば、
もっと上の人たちと付き合いたいと思うかもしれないし、ステップアップのためには、
切り捨てることだって考えるかもしれない。それでもお前は……後悔しないんだな」

「お父さん、そんな言い方、それじゃ史香が……」

「いいんだ、史香にはそれだけの覚悟を持てと、そう言いたいのだから。
この日向君が、どんな状況になっても、お前を守ってくれるかどうか……
いや、事務所がお前をどう思うか……その覚悟はあるんだな、史香」


父の言いたいことも、その心配する気持ちも理解できた。

それでも私は、日向さんを信じるしかない。

今までだってずっと、そうしてきたのだから。


「それでも……私は、仕事に戻りたい」


ゆっくりと、感情を高ぶらせることなく、私は本当の気持ちを言葉にした。

いつか、日向さんが私よりも好きな人を作って、去っていくことになっても、

もし、そんな日が来ても……





私は、今を後悔したりなんてしない……





父も母も、それ以上何も言うことはなかった。

事務所に連絡を取り、佐藤さんが怪我の完治を喜んでくれ、

私は来週にでも復帰すると、帰り支度を進めていた日。





突然、米原さんからの電話が鳴った。





『もしもし、史香?』

「あ、はい。米原さん? あさってアパートへ戻ります。私……」

『あ……うん。ちょっと聞きたいことがあるの』

「何ですか?」


米原さんは明らかに慌てていた。

私が仕事に復帰することよりも、目の前に起きていることの方が重要だとばかりに、

言葉をさえぎられる。


『ねぇ、淳平、史香のところに行った?』


米原さんの携帯は移動中なのか、少し雑音が入り、すぐには状況が理解できなかった。

しかし、次の一言が、私に現実を突きつける。



『史香の家に、淳平が顔を出したかって聞いているの』



私は、試写会の前日、日向さんがここに来てくれたことを正直に話した。

携帯電話を握る手が少し振るえ、米原さんから出る次の言葉が怖くなる。


『そう……』

「どうしたんですか? あの……」

『撮られたみたい……明日の『WEEK』に掲載されるって、
少し前に田沢君から連絡があったの。試写会の前じゃ、少し時間も経っているよね。
明日、『相良家の人々』が公開日だから、そこに当ててきたのかもしれない。
淳平に聞いたら、間違いなく史香のところへ行ったって言うし、
だから史香にも確認しようと思って』







一番恐れていたことが、一番嫌な形で、

取り立たされることになってしまった。







私が甘かった。





あの日、絶対に来てはいけない……と、日向さんに言うべきだった。

『会いたい』気持ちに負けてしまって、スタッフの立場を無視してしまった。

映画の公開、新ドラマの主役……

今、話題の中心にするには、タイミングがよすぎるくらいの人だ。





明日は、『相良家の人々』が公開初日を迎える。

『東京国際シネマ』で、主な出演者の舞台挨拶が行われる予定だ。

もちろん日向さんも出席する。




日向さんはそこで、どんな質問を受けることになるのだろうか。





「米原さん……私」

『大丈夫だよ、史香。対応はこっちで考えるから。
ただね、本当にそんなことがあったのか、それを確認したかったの』


写真はどんなものなのだろう。

どうしても日向さんだと、わかってしまうものなのだろうか。


「あの……写真は……」

『うん……田沢君の言うには、史香の家の前で車から降りたところと、
帰りに立ち話しているところみたい。出版社の方で管理しているから、
明日発売になってみないと、確認できないんだけど……あ、ごめん、また……』


米原さんの電話は、そこで切れた。

田沢さんが頭を抱えている姿が、見てもいないのに目に浮かぶ。

あの日、日向さんは黙ってこっちへ来ていたのだろうから、

今頃二人でケンカしているかもしれない。





『わかってもらうからさ、僕なりの方法で』





日向さんの潔さが、まっすぐな気持ちが、さらにことを複雑にしそうで、

私は切れた携帯電話を握り締めたまま、とにかく呼吸をするだけで精一杯だった。





その日の夕方、情報番組の中で、いち早くこの記事が紹介された。

写真は、雑誌社のものなので、画面に写すことは出来ないようだが、

米原さんの言うとおり、ここへ来たときと帰るときの、

2枚の写真が掲載されていると言う。


きっと、あらかじめ、日向さんがここへ来ることも、

ある程度予測されていて、撮られたものなのだろう。




『人気俳優 日向淳平 公私共に支える女性スタッフの存在』




こうなってしまった以上、私にはどうすることも出来なかった。

看板タレントのスキャンダルに、頭を抱える社長が浮かぶ。





しかも、相手が私だなんて……





うちの会社は『社内恋愛禁止』になっている。

もしかしたら、仕事に戻ることが出来ないかもしれない。

いや、それよりも、明日の『舞台挨拶』で、関係のない質問をされることは、

先輩俳優達のことを考えれば、どうしても避けなければならないだろう。





だとすると、どこかで何かしら、言うことになるんだろうか。





結局、また、表に立たされるのは日向さんで、私は……





迷惑だけをかける結果になってしまった。






40 大事なこと(9)


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コメント

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恐れていたことがT_T

ももんたさん、お久しぶりです。

このピンチを淳平はどうするのかなあ。。
これを機会に公表するなんて言いかねないよね。
史香のところに来た時点で覚悟の上だっただろうし。。

次回がすご~く待たれます。

う~~ん、やっぱり・・・

やっぱり撮られちゃったかぁ~

ちょっと前から淳平の周りに不穏な動きがあったから
気にはなっていたんだけど・・・

でも、別に悪い事してるわけじゃないんだし
この際はっきりと公表しちゃえば!とも思うけど
そんな簡単なもんじゃないんだよね。。。。

あぁ~どうなる『舞台挨拶』!?
ドキドキしながら次回待ってるね~~~

心配だわ・・

芸能人なんですね、淳平は。
売り出し中の若手俳優、狙われるよね。
若村さんが関係してる?

お父さんの危惧が当たってしまった。
後悔しないと史香は思っても、淳平を苦境に立たせるのは忍びないよね。

逆に宣伝に使っちゃう?

ピンチです

れいもんさん、こんばんは

>このピンチを淳平はどうするのかなあ。。

『はーとふる』の中で、必ず出てくると、
おそらくみなさんが思っていたことが、
ついに起こりました。

さて淳平は?
史香の思いもあるし、スタッフの思いもあるし……

次回をぜひぜひ、お待ちください。

その時が来ました

パウワウちゃん、こんばんは

>ちょっと前から淳平の周りに不穏な動きがあったから
気にはなっていたんだけど・・・

そうそう、この話の中で、
絶対に出てくるだろうなと思うシーンが、
ついに出てきました。

正直に語るのか、それとも隠すのか、
史香の思いと、スタッフの思いと……

淳平の決断は、いかに!

ドキドキしながら、お待ちください。

怪しい……かな?

yonyonさん、こんばんは

>芸能人なんですね、淳平は。
 売り出し中の若手俳優、狙われるよね。
 若村さんが関係してる?

そう、あらためて、淳平は芸能人なのです。
期待のかかる、若手の役者。
そりゃもちろん、狙われるよね。

若村さん……yonyonさんは怪しいと睨んでいるんだよね(笑)
さて、そこら辺はいかに!

淳平がどう出るのか、史香はどうなるのか、
それは次回へ続きます。

やはり、疑う?

yokanさん、こんばんは

>この写真にも若村先輩が絡んでるんでしょうかね(;一_一)

yokanさんも、若村先輩を疑ってますね。
さて、どうなのでしょうか。

>日向君、どうする?僕の大切な人です!って言いそうだわね^^;

どうだろうか。本人は行きそうだけれど、周りは止めるだろうし、
史香の複雑な思いもからめて、次回へ続きます。