42 大事なこと(11)

42 大事なこと(11)


事務所を辞めた私は、しばらく家を手伝うことにした。

怪我も治ったのだから、アパートに戻ってもよかったが、

社長と話した後だけに、すぐにでも日向さんと会うことの出来る場所へ、

向かう気持ちにはなれなかった。


それからしばらくして、日向さんは夏のドラマ撮影がスタートし、

ロケに出かけることも増えた。

写真騒動の前と変わらない忙しいスケジュールの中にいる。





会いたい……と思わない日はないけれど、

今のこの心境で、とても会うことなんて出来ない。

心と頭が、押したり引いたりを繰り返した。





「いらっしゃいま……」

「はぁ……やっと着きましたよ、わかりにくいですね、ここ」


昼時の混雑がひと段落した時、店へ姿を見せたのは、保坂さんだった。

日焼けしては困ると、ひさしの大きな帽子をかぶり笑う姿は、

すっかりトップ女優きどりでおかしくなる。


「どうしたの? 何かあったの?」

「何もないですよ。お昼を食べに来たんです。話題の店に!」


保坂さんはそう言うと嬉しそうに笑い、冗談ですよと中華丼を注文する。

私は、突然会社を辞めて悪かったと、頭を下げた。


「本当ですよ、驚きました。まさかの展開で……」

「うん……」


お客様がいるところでは話が出来ないからと、私は保坂さんを家の居間に通した。

彼女は携帯を開き、この店がすっかり有名だと教えてくれる。


「関西の日向さんファンが、夏休みにツアーを組んでここへ来るらしいですよ。
売り上げUPですね」

「……そんな上がり方、しなくていいんだけど」


保坂さんは携帯を閉じると、水を一口飲んだ。

困った私の顔を見ながら、楽しそうに笑顔を見せる。


「まさかなぁ……憧れの日向さんが、前島さんを選んだとは予想外でした。
日向さんって楽しい人なんですね」

「楽しい?」

「はい、だって普段、あれだけ綺麗な女優さんを見ているんですよ。
それに、スポンサーとの付き合いで、色っぽいホステスとかだって、
ガンガン言い寄ってくるでしょうに、その中で前島さんを選ぶとは……」





思い切りけなされているような、ほんの少し褒めてもらえたような、

なんだか微妙な想いがするんですけど。





私は厨房へ向かい、中華丼を受け取ると、保坂さんの前に置いた。

母から渡されたシュウマイも、一緒に置いてみる。


「あ、勘違いしないでくださいね。悪口を言っているわけじゃないですよ。
日向さんって、心の中がしっかり見える人なんだって、そう思ったからそう言ったんです」

「心の中?」

「見た目の綺麗さと、心の綺麗さは違う! そう思うので。
だってね、この間、MMBのほら、看板アナウンサーの藤村さん、廊下で会ったんです。
こんにちは……って頭を下げたのに、完全無視ですよ、無視!
番組ではいつもニコニコしているくせにって……」


保坂さんは箸よりスプーンが欲しいと言い出し、

私は家にあったものを手渡し、また前に座る。


「私ね、ネットのつぶやきにコメント出したんです。
日向さんが大事にしているスタッフさんは、とってもいい人ですよ! って。
関わってみればわかりますよって……あ、ここに来れば会えますよって書きましょうか」

「そんなことしなくていいです」

「……あらあら」


相変わらずだけれど、そんな規格はずれな会話が、今の私には救いだった。

どうでもいいような笑いが、心に小さな空間を広げてくれる。


「前島さん、再就職、決めちゃいました?」

「ううん、まだ。しばらく店を手伝って、それから探す予定」

「そうですか……間に合うかな」

「何?」


保坂さんはバッグから『CMオーディション』の紙を取りだし、私に見せてくれた。

それは清涼飲料メーカー『エスパ』の看板商品、『spark』のCMらしく、

保坂さんはしっかりと書き込み、自己PRの部分はどうなのかと感想を聞いてくる。


「保坂さん、これ受けるの?」

「受けますよ。言ったじゃないですか。
私は、きっと、大きな仕事を獲るために、小さな仕事を落とされているんだって。
こうなったら、頂点からいかないと!」


いつもなら、何を言ってるんだとお小言になりそうな展開だったが、

こんなどうでもいいような会話が、なんだか嬉しかった。

私は書類を見るだけで、否定なんて出来なくなる。


「受かったら、私マネージャーをつけてもらえるんです。社長と約束したんですよ」

「へぇ……でも、そうだよね。このCMに出られたら、きっと忙しくなるもの」


今をときめく女優さんも、この『spark』から道を開いた人が多かった。

そう、日向さんの相手役を何度も務めた吉野ひかりさんも、

何年か前に『spark』のキャンペーンガールだったっけ。


「私、決めてるんです」

「何を?」

「前島さんにマネージャーしてもらおうって」


顔を上げて見えた保坂さんの表情は、明るい笑顔だった。

冗談で言っているわけではないような気がして、そんなことは出来ないと首を振る。


「ダメですよ、逃げようとしたって。私はそう決めているんですから」





保坂さんが合格する可能性など、おそらく宝くじが当たるより低いだろう。

このCMタレントは、あらかじめ大手のプロダクションが、

予備のオーディションを行い、ある程度絞られた人しか、受けることが出来ない。

でも、あえてここで言い返して、保坂さんの気持ちをつぶしてしまう必要もないし、

私にはそんな資格もない。


「わかった、ありがとう」

「本当ですよ、だからちょっとだけ店番して待っていてください」

「うん」


保坂さんは満足そうに中華丼とシュウマイを完食し、

またひさしの大きな帽子をかぶり、女優気取りで店を出ていった。





その日は、夕方から雨になった。

あまり客足も伸びないので、早めに店を閉めようかと、父が言い始める。


「ねぇ史香。このサインは飾るの?」

「あ……ううん。それは私が持っておく。
保坂さんはまだ研究生だし、何もテレビに出てないから」


保坂さんは自ら色紙を持ってきて、それに頼みもしないサインをして帰った。

母は楽しいお嬢さんねと笑い、父は鍋を洗いながら何度も外を見る。


「なんだかとんでもない規格外の子なんだけど、人なつっこくて憎めないんだよね。
初めて事務所に来た日から、面倒見てきたし……。
でも、ここまで来てくれるなんて、思わなかった」

「そうだよね、わざわざ史香のために、来てくれたんだもんね」


私は、保坂さんのサイン色紙を手に持ち、階段を上がる。

色紙は部屋の机に隅にちょこんと腰かけ、いつか役に立つ日を、待つことになった。





5月も末になると、日向さんはロケからスタジオでの撮影を主に行うようになった。

そんな様子を、私はテレビの前に座り、レポーターの言葉で知ることになる。

あの写真誌騒動で心配した『相良家の人々』だったが、客入りは順調で、

早くも年末の賞レース候補に、あげられるようになった。



『ベテランの北原さんが、若手二人の演技を、引っ張っていましたよね』


『そうですね、もう一人の主役と言っていい日向君も、
次は主演ドラマが決まっているので、いろいろとスケジュールが詰まっているようです』


『公私ともに、順調でしょうかね』



無責任なレポーターの一言が、また私の心を重くする。

映画は前評判も高く、日向さんのファンだけが見に行くものでもない。

しかし、これから放送されるドラマは、『日向さん』を看板にして撮る作品だ。

視聴率が悪ければ、そのままその評価が跳ね返ってくる。





よくても、悪くても……





「もしもし、史香?」

「はい」


日向さんの電話は、毎日に近い状態で入った。

撮影が順調に進んでいること、台本のあがりがいつもより早くて楽なこと、

そんな毎日を、隠さずに語ってくれる。





そして……最後に必ず





「まだ、こっちには戻れない?」





日向さんは、私に必ずそう問いかけた。

私は母の腰がもう少し治って、落ち着くまで……と誤魔化しのコメントをする。





『日向は、これからこの世界を背負って立てる役者になる。
今、他の事務所から、余計なことをされて、つぶされるような素材じゃないんだ』





日向さんを見つけ、育てることに全力を注いだ社長や、

仕事のない時何度も頭を下げ、小さなモデルの仕事を見つけてきた田沢さん。

日向さんのために、頑張ってくれる人たちの顔が、浮かんでは消えていく。





私だって、あなたに会いたくて仕方がない。

でも、今は……





せめて『ドラマ』が順調にスタートしてくれるまで……





もう少しだけ、小さくなっていたいんです。





「ごめんな、長話しして」

「いえ……おやすみなさい」

「うん、おやすみ」


毎日見上げる空が、とてもきれいな青空なのに、

私の心の空は、どこかどんより曇っていた。






43 大事なこと(12)


恋する二人と、空想に励む私に(笑)
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コメント

非公開コメント

T_T

>もう少しだけ、小さくなっていたいんです。
史香のこの気持ちは、淳平にちゃんと伝わってるのかしら?!
二人の心がすれ違わなければいいのだけれど。。
心配T_T

保坂さ~ん、大きなCM取って史香をマネージャーにしておくれ~~
まさか保坂さんが頼みの綱になろうとは、思ってもみない展開です@@

はーとふる、いつも、楽しみに待ってます。

↑まさか保坂さんが、、、のコメントに笑って出てきました。 本当ですね。ももさんのお話は周りの人がみな、いい仕事するんですよね。
続きが楽しみです。

 

研究生保坂!

れいもんさん、こんばんは

>まさか保坂さんが頼みの綱になろうとは、思ってもみない展開です@@

あはは……そうだよね。
まぁ、保坂の言うことだから、本当に役に立つかどうかは微妙。
でも、気持ちだけでも、史香には嬉しかったはず。

淳平の気持ち、史香の気持ち……
『大事なこと』は、さらに続きます。

研究生保坂!

haruさん、こんばんは

>はーとふる、いつも、楽しみに待ってます。

ありがとうございます。
この一言! が、何倍ものパワーになります。

>ももさんのお話は周りの人がみな、いい仕事するんですよね。

話の中心は、もちろん主人公なのですが、
周りの人の協力なしでは、やはり進まないと思うので。

しかし……
研究生保坂が、救いの神となるかは、わかりませんけど(笑)
続き、ぜひぜひお待ちください。

大事なこと

案外大物になるかもね保坂さん。
サインを置いていく辺りが中々どうして。
いつかはプレミアムがつくかも・・(笑)

大事なことは二人の気持ちが離れないってこと。
自分を許してもいいと思うよ史香・・・