51 碧い海へ

51 碧い海へ




友海が決意を固めていた頃、航は和彦の信頼をいいことに、

社内で発言力を強める、佐原の演説を聴いていた。


「『芽咲海岸店』の代わりにと候補に上げた場所は、以下の通りです。
社長とはすでにいくつか話を聞きましたが、みなさんはどう思われますか」


佐原はそう言うと、和彦からの提案だと社員の前で強調した。

朝戸は、今、銀行の手前、派手に動くことは避けたいと提案するが、

佐原は仕事には時期があると譲らない。


「佐原さん」

「なんですか」

「土地を売却した資金を、すぐにどこかへ回さなければならない理由が、
あなた方にはあるのですか?」

「あなた方? なんなんだろうな、成島さんはまるで私が、敵のような言い方をする」

「いえ……敵だと思っているのは、そちらだと思います」


航はそう言うと、佐原の前に地図を広げた。

佐原はその地図を見ながら、苦笑する。


「『芽咲海岸店』の土地は、『TTK』が手に入れたのでしょう。
この通り、これだけの山が全て、一つの会社におさまった」

「資金があるのでしょうね……きっと。何か大きなことでも将来……」

「あなたは……」


航がそう言いかけた時、関山がその言葉を止めた。

今、ムキになってみても、ためにはならないと助言する。

結局、『芽咲海岸店』の売却資金をどう使うか、結論は出なかった。

航は埋まっていく地図を見ながら、最後の砦が壊せないことにいらだち、

気付くと溜息ばかりついていた。





その日の仕事を終え、友海が部屋へ向かうと、玄関前を掃いている澄香がいた。

時々腰を叩く仕草がおかしく、つい笑顔になる。


「こんばんは」

「あ……おかえり友海ちゃん。ねぇ、ご飯まだでしょ?
よかったらうちで食べていかない?」


友海は、航が早く戻っているのかと玄関を見るが、航の靴は見あたらない。

澄香は、友海の視線に気付き、航がまた遅くなるらしいと愚痴をこぼした。


「海人君がいなくなってしまって、航が経営の方へ入っているでしょ。
和彦さんが選挙に出るとかなんとかで、慌ただしいみたいなのよ、『SI石油』。
全くね、ここのところは、夕食を作ってやっても、ほとんど家で食べてないし、
帰ってくるのも遅くて……」

「そうなんですか」


航の帰りが遅いことは、友海も気付いていた。

部屋に入られた一件以来、隣に航の明かりがあることを支えにしていた友海は、

自分がベッドに入ってから明かりが漏れる窓を、何度も確認したことがある。


「せっかく作っても、一人じゃ寂しいし、ねぇ、どう? 食べていかない?」

「はい」


澄香の好意をうけ、友海は自転車を置くと、そのまま天野家へ入った。

食卓にはすでに料理が並び、友海を出迎える。


「どうぞ、どうぞ! あぁ、嬉しい。友海ちゃんと食事、うちにいた時以来だものね」

「そうですね、お世話になりました」

「何を言っているのよ、あんなことがあって、よく住み続けてくれているって、
こっちが感謝したいくらいなのに」

「いえ……」


友海は、晴弘達の事件後、しばらく天野家に世話になった。

その時には、まだ航も今ほど忙しくなく、スタンドから家まで、

話をしながら歩いたことも多かったが、

今は、そんな時間を楽しむ余裕もなくなっている。


「大家さん、成島さんのご両親って、どんな方だったんですか?」

「エ……航の親? あぁ、兄さん達のこと?」

「はい」


澄香は、友海のご飯を茶碗によそりながら、短い夫婦生活だったけれど、

とても仲が良く、航をかわいがったことを話し始めた。

友海は、その話を聞きながら、部屋に飾ってある『碧い海の絵』を思い出す。


「ただね、兄さんは、義姉さんが亡くなった時、
新谷家からきちんとしてもらえなくて、それがショックだったみたい。
自分は私達夫婦とも付き合って、自分の親戚とも付き合えたけれど、
義姉さんは、正式には全く、出入り出来なかったから」


友海は澄香と自分の箸を置き、急須に注がれたお茶を、それぞれの湯飲みに入れた。

澄香は茶碗を友海の前に置く。


「だから航は必死なのかも。自分が認めてもらえたら、家を飛び出して、
戻ることが出来なかった義姉さんを、新谷家が受け入れてくれるんじゃないかって。
航は兄弟がいないでしょ? 私達夫婦にも子供はいないし、
だからこそ、海人君や妹の真湖ちゃんとも、親しく出来たら、
本当は、それが一番いいことなんでしょうけどね……」


友海は澄香の言葉を、その通りだと頷きながら聞き、両手を合わせ箸を握る。

澄香が得意にしている煮物に入っていた椎茸を、口にした。


「美味しい……大家さん、料理上手ですね。
成島さんもったいない、食べられないなんて」

「でしょ? いいの、いいの。友海ちゃんが食べてくれたら。
航なんてね、美味しい? って聞いても、ん? ……くらいしか言わないのよ」


澄香は友海の複雑な感情になど気付かないまま、

久しぶりに会話のある食事が出来たと、ご機嫌に話し続けた。





友海は部屋へ戻り、もう一度『碧い海の絵』をじっと見た。

航の父、一樹が、愛した華代子へ送った絵。

自分が幼い頃過ごした、懐かしい海に似ている絵。



そして……



友海と航を、結びつけてくれた、1枚の絵。



友海は額縁に触れながら、そっと目を閉じる。

無言のまま流れていく涙は、そのまま落ちることなく、首筋へとつたった。





次の日、友海は大きな風呂敷を自転車に乗せ、啓太郎の店へ向かった。

自転車の揺れで、時々落ちそうになるのを押さえながら、

なるべく段差のある場所を避け、ゆっくりと進む。


「いらっしゃい……あ、飯田さん、久しぶりだね」


啓太郎は友海を迎え、すぐに大きな風呂敷を指差した。

友海はカウンターに乗せると、それを少しだけ開く。


「これ、あの絵じゃないか、どうした?」

「これから、季節が夏へ向かうじゃないですか。
こちらに飾ってもらえないかなと思って」

「飾る? この店に?」

「はい、他に飾られている成島一樹さんの絵も、素晴らしいものばかりなんですけど、
この絵に勝る物はない気がして。それならば、啓太郎さんのお店を訪れる方に、
この絵を知ってもらいたいなと」


啓太郎はゆっくりと風呂敷を開け、久しぶりの絵の具の色を見た。

一樹の思いが全て詰まった作品を、角度を変えながらじっくりと確認する。


「うーん……確かに。先生の思い入れは、これが一番強いだろうな。
うちとしては嬉しい話なんだけど、飯田さんにとって、大切な絵じゃないの?
航もそう思っているみたいだし」

「……大切ですよ。だからここへ持ってきたんです」

「ん?」

「見守って欲しくて……」


友海の言葉に、啓太郎はすぐ顔を上げた。友海はゆっくりと額縁に触れ、

愛しそうな目で、碧く光る海をしばらく見続けた。





航は、西都銀行との打ち合わせを終え、デスクに戻った。

1日中、佐原が出してきた新店舗候補地を探り、営業を打ち消す材料を探し出す。

すでに時刻は夜の7時を回っていて、また、今日も終電ギリギリかと溜息をつく。

するとポケットに入れてある携帯が鳴り始めた。


「もしもし……」

『もしもし、友海です。忙しいところごめんなさい、ちょっといい?』

「あぁ……どうしたの?」

『ねぇ、次の休みっていつ? 付き合って欲しいところがあるの』


受話器越しの友海の声が、どこか無理に明るくしているように聞こえ、

航は心の隅から少しずつ広がる不安の雲を、振り払おうと大きく息を吐いた。





二人が揃って休みを取ったのは、それから1週間後のことだった。

天野家の車に乗り込み、エンジンをかける。

友海は、以前、二人で訪れた場所へ、もう一度行って欲しいと言い、

お気に入りの曲だとCDをセットした。

航がサイドミラーで確認する友海は、ハミングする楽しそうな口元とは違い、

目はどこか寂しく見える。


道路は少し渋滞したものの、昼前には目的地に到着した。

そこは袴田が経営する『袴田食品』の前で、友海は車から降りることなく、

行き交う人をしばらく見つめ続ける。

そして車は少しだけ山を登り、以前来た場所に到着し、

二人は車をそこで降りると、海の見える場所へ移動した。


「あ……また、家が増えた。あの海岸の上は、どんどん変わるんだな」


友海が見た場所は、以前、白い屋根の家があったところだった。

航は何も言わないまま、友海の後を着いていく。

岩のくぼみがある場所に腰かけた時、

航は初めて、友海になぜここへ来たのかと、あらためて問いかけた。


「私……父と母のところに行こうと思うんだ」


その告白は、なんの前触れもなく急に訪れた。

航は友海の部屋にあった、山荘の写真を思い出す。

友海の髪に、少し強めに吹いた海の風が触れた。


「父と母の手伝いを、もう一度しようと思う。だから……」


碧い海が広がり、白い波が同じリズムで何度も打ち寄せる。

友海の心の中に、ずっとしまってあった大事な景色。


「ここに……さよならを言いに来たの」


航には、波の音に紛れた、友海のその言葉が、自分への決別に聞こえてくる。

まっすぐに前を向く友海の表情を見ながら、

航は声にならない『なぜ』のセリフを繰り返した。





52 過去との再会 
<photo:tricot>

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コメント

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友海の想い

yokanさん、こんばんは

>友海ちゃん、航さんの前から消えることを選んだんだ。航さんのために・・・。

友海は、航がなぜ新谷家に来たのか、その理由を知っているだけに、
自分の過去が、彼の目的を邪魔するような気持ちになったのかと。
前回、ボンボンたちと揉めた時も、迷惑をかけたと思っているので。

しかし、そう……これでOKというわけにはいかないでしょうね。
航はどうするのか……
さらに続きます。

航のことを思うとね。

会社のことも、母のことも、航には新谷家には何らかの
親しみを持っていたはずだから。

一生懸命やる航のことを知るにつけ、
友海ちゃんにはつらい選択になるね。

そしてあの絵は・・・
2人の思い出の絵になるのだろうか。

そして……

tyatyaさん、こんばんは

>一生懸命やる航のことを知るにつけ、
 友海ちゃんにはつらい選択になるね。

航の事情を知っているからこそ、
友海は身を引こうと考えました。

しかし、それを航が素直に受け入れるとは思えないですしね。
あの『碧い海の絵』の行方とともに、
もう少し、お付き合いください。