56 親離れ

56 親離れ




和彦を乗せた車は、その日のスケジュールを終え家へ向かうところだった。

街頭演説の途中で、集まってきてくれたお年寄り達は、

和彦が『SI石油』の経営者だと知り、口々にスタンドのことを褒めてくれた。

スタッフの動きが機敏で、いつも明るく迎えてくれること、

『天神通り店』の隣に出来た駐車場が便利で、買い物に行くことが楽になったこと。

地域の活性化と訴える公約からすると、あまりに小さな話だったが、

お年寄り達は上機嫌に、投票を約束してくれた。

曲がり角を過ぎ車が家の前に着くと、荷物を届けた男が、門を出ていくのが見え、

和彦は車を降り玄関へ向かう。ドアノブを引き中に入ると、

大きなダンボールが開けられていて、その中から新鮮な野菜が顔を見せていた。


「ただいま」

「あ、おかえりなさい」

「どうした、これは」

「これ……海人がお世話になっていた町の方からなんです。
昨日、海人の方に連絡をくれていたようで、ねぇ、あなた、美味しそうでしょ」


登志子の嬉しそうな言葉に、和彦は反応することなく中へ入った。

そのまま部屋へ行き、ネクタイを外す。

椅子に腰かけ大きく息を吐くと、窓から見える庭へ目を向けた。





平日、特に動きのないスタンドには、あまり客は入らず、

友海は片付けをしながら、店を閉める時間を待っていた。

店長に退職することは告げたものの、まだ美鈴には何も言えないままでいる。

美鈴も、ここに勤め続けることはないだろうし、

いつか別れが来ることもわかっていたが、それが突然形になってしまい、

どう伝えていいのか気持ちが固まらない。

車のエンジン音が聞こえ、友海は一度息を吸い込むと、

大きく『いらっしゃいませ』と声を出した。

止まった車の運転席から出てきたのは、スーツ姿に変わった海人で、

友海に声をかけることもなく、自ら給油をし始める。


「自分で給油するなんて、珍しいですね」

「珍しくはないさ、いつもは従業員が寄ってくるから出来ないだけだ。
今日は優しい従業員は一人もいないようだから、自分でやらないと……」


あの土地で、新たな気持ちを築いた海人の嫌味は、友海の心を十分刺激した。

何がおかしいのかわからないけれど、自然と笑顔になる。


「お前……東京を離れるのか」


海人は給油を続けながら、そうつぶやいた。

友海は手に持っていた雑巾を動かし、車の窓を拭いていく。


「住野会長に、交換条件を叩きつけられても、飲まなかったんだってな。
それなのに、ここを去るつもりになっているのは、航のためだろう」


嫌いだから付き合わない……というような、単純な話ではないことくらい、

友海にもわかっていた。強引なやり方をすれば、

航自身が追い込まれることもわかっている。


「成島さんは、『SI石油』の経営陣になりましたから。
以前のように、個人プレーは出来ません。それに……」


亡くなった父、一樹の思い。

あの『碧い海の絵』を贈った、華代子への思いを知っている友海は、

それ以上の言葉を出せなくなる。


「悪かった」


突然の謝罪に、友海は海人の表情を確かめた。

海人は給油の終えた機械を元に戻し、キャップをつける。


「俺が消えたりしなければ、あいつがこんな立場になることはなかっただろうな。
それでも今、航の力が必要なんだ。すぐには手放せない」


機械がカチカチと音を立て、カードが取り忘れられていることを教えている。

海人はすぐに抜き取り、財布へしまった。


「だと思うのなら、しっかりと仕事をしてください。
あの土地に思いを持ってくれるのなら、少しでもよくなるように努力して下さい。
恨みとか、嫌がらせではなくて、フミさんたちのように、
あの土地を愛して、住み続けている人達に、明るい明日が見えるように……」



『碧い海の絵』



波が複雑な碧の色を作り出し、

その色はまた、太陽の光によって微妙な変化を見せる。

一樹の華代子へ向けた思いから生まれた空想の絵は、友海と航の思いを乗せ、

さらに海人の気持ちを抱え込んでいく。


「お前は、一緒に努力しないのか?」

「私は、私の立場で……」

「あいつには、心を広げられる海が、必要だと思うけど……」


航が心を許せる人は友海なのだと、海人は遠回しに語っていく。

友海は、そばにあったバケツに雑巾を入れ、

軽くゆすぐとそれをそばにあった竿に干していく。



「海は……私だけじゃないですから」




海人……




航のパートナーになって欲しいと言う友海の気持ちは、

誰もいないガソリンスタンドで、海人の耳にだけ、届けられた。





海人が会社に戻ってきたことで、朝戸や関山との関係も安定し、

佐原によって邪魔されていた仕事も、うまく動くようになってきた。

航は、何もかも抱え込むことがなくなり、部屋へ早く戻れる日も増えてくる。


「航、支度できたわよ」

「はい……」


航は窓を開け、真っ暗なままの隣の部屋を見た。

友海はまだスタンドにいるのだろうかと考える。

航がここへ来た時、叔母である澄香から聞いたのは、

友海が親のために必死で働いているという話だった。

全ての事情を知り、思い返してみれば、

意味もわからずに取り上げられた土地を奪い返そうと、頑張っていたことになる。

元の場所に戻ることは出来なくなったが、両親があらたな気持ちを向けた場所で、

また、家族が揃うのだから、決して後ろ向きの話ではないのかもしれないが、

隣に友海がいなくなるという事実が、航の気持ちを重くする。


過去のことを知りたくて、なんとかしてあげたいと思っていた日々の中で、

友海の気持ちは、自分から離れてしまっていたのではないかと、

雲に隠れそうになる月を見ながら、大きく一度息を吐き出した。


「ほら、早く席に着いて」

「うん……」


澄香は嬉しそうに食器を並べ、今日の出来はいいと、ご自慢の煮物を置いた。

航は大きくて目立った椎茸を箸で挟むと、一つ口に入れる。


「友海ちゃんにも、ほめてもらったのよ、この間」

「飯田さん? ここで食べたの?」

「そうよ、航がほとんどここで食事をしないでしょ。
ちょうど仕事から帰ってきた友海ちゃんを捕まえて、一緒に食べようって誘ったの。
その時も煮物を作ったんだわ」

「へぇ……」

「兄さんと義姉さんの話をしてほしいって言われて、
航のことをとってもかわいがったんだって話もしたし、
海人君たちと、うまく行って欲しいと思っていた話もしたのよね」


航は澄香の話を聞きながら、

友海が自分のためにここを去るつもりになっているのだと、あらためて確信する。


「航……ちゃんと話しをしたの?」

「ん? いや……」

「友海ちゃん、ここを出てご両親のところへ行くって。
話を聞けば当然のような気もするけど、叔母さん、あんなことがあったのに、
友海ちゃんがここへ残ったのは、航がいるからだとそう思っていたのに……」


澄香の言葉に、航は小さく頷くだけで、

それ以上の言葉を付け足すことが出来なかった。





聖は哲夫の部屋に入り、会社の資料を読んでいた。

確かに法律違反を起こしているわけではなさそうだが、

海人や航が目指そうとしていることを、邪魔していることは間違いない。


「何をしているんだ、聖」

「パパ……今日は、取引先の方と打ち合わせじゃ……」

「先方の急用で延期になったんだ。で、どういうことだ。
パパがいないから、ここへ入っていたと言うのか」


聖は手に持っていたファイルを棚に戻すと、哲夫の横を通り外へ出ようとした。

哲夫は聖の腕をつかみ、それを止める。


「聖!」

「パパ! 私はパパの思い通りにはならないから。わかったの、私は海人が好き。
誰に反対されても、海人のそばにいたい。それをパパが許さないというのなら、
ここを出て行く」

「何を急に……」

「飯田さんは航さんのために、自分で身を引こうとしている。
パパのお金の話を受け入れずに……。ただ、航さんの立場を思って、
引こうとしているの。パパにとっては、海人より航さんの方が得なのかもしれない。
親が後ろにいる海人よりも、誰も頼る人のいない航さんの方がって……。
でも、私もウソはつきたくない。ウソをついて生きていきたくない」


哲夫が航にこだわる理由は、聖にはよくわからなかった。

海人と航を単純に比べて、航の方が頼る親がいないだけに、

扱いやすいと思っているくらいだと考えていた。

哲夫は聖の言葉につかんでいた腕を外し、大きくため息をつく。


「海人がお前を選ぶ保障などない。海人には……」

「パパが考えている海人と、今の海人は違う」


聖はそういうと哲夫の部屋を出て、そのまま階段をかけ下りた。

迷うことなく、海人への思いを告げた娘の足音を、

哲夫はただ聞くことしか出来なかった。





57 芽吹く思い 
<photo:tricot>

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コメント

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海人のこと

yokanさん、こんばんは

>海人に何かあるの?最期のセリフが気になる~(;一_一)

あぁ、そうか。
哲夫には、まだ海人の変化が見えていないようです。
以前のイメージが抜けていないのでしょう。

そう、それでも全てが動き出しました。
ラストへ向かって、頑張っておりますので、
最後までどうか、お付き合いくださいね。