58 思い出の飴

58 思い出の飴




海人と航の前に、加納多恵が姿を見せた。

突然の再会に驚いた海人だったが、航と別れ多恵と近くの店へ入ることになる。

多恵は、久しぶりに顔を合わせ、元気でよかったと笑顔を見せたが、

海人はただ頭を下げた。


「突然、あんな形で消えてしまい、本当にすみませんでした」

「いえ……イヤだというものを、無理に押しつけられませんから」


多恵はそういうと、すでに割り切っているという表情を見せた。

海人は、なぜ多恵が急に自分に会いにきたのか、意味がわからず、

この先、どう会話を続けていいのかもわからなくなる。


「今、ここにいる海人さんが、本来の海人さんなんでしょうね。
『村株制度』の話は、私の耳にも入っているんですよ」

「あ……そうなんですか」


多恵の父は、古川の抱える一番古い秘書だ。

海人は、『村株制度』の話が、どんなふうに伝わっているのかと、つい身構える。


「ご自分の道を、見つけられたのですね」

「さぁ……それはどうでしょう。また面倒くさくなって、
どこかに消えるかもしれません」

「そうなのですか? 私にはそうは見えませんが。
でも、もし今の言葉が本音なら、もう少し様子を見た方がいいのかもしれませんね」


多恵はそういうと、グラスの中で、ストローを動かした。

氷がカランと音を立てる。


「様子?」

「いえ……こちらの話です」


海人は、多恵の言葉の意味がわからないまま、

目の前に置かれた、カップのコーヒーに口をつけた。





海人と別れた航は、そのまま一人、啓太郎の店へ向かった。

友海から聞いた通り、あの『碧い海の絵』は店の奥、一番目立つ場所に飾ってある。

壁の茶色に映える海の色が、光と影の具合に、少し変化したようにも思えた。


「そうか……何かあったんじゃないかとは思っていたんだ。
飯田さんが急にこの絵を持ってきたからさ」

「うん……。彼女にしても、精一杯の意地と、精一杯の優しさなんだと思う。
あの過去のことを、清算してもいいと言われたらしいけれど、
それを受け入れてしまったら、相手の行為を認めることになるし、
でも、また顔をあわせたら、憎い気持ちがどんどん膨らむだろうし……
それに……僕に迷惑がかかるって」

「彼女らしいな」

「あぁ……」


航は立ちあがると、絵の前に立ち、じっくりと見た。

もう姿のない父の筆の動きを、こうして感じ取れることが、どこか不思議になる。


「まさか、諦めたわけじゃないよな」

「ん?」

「この絵がここにある意味……」

「あぁ……諦めたりはしていない」


この絵をもう一度、友海に返してみせる。

航はそう心に決めながら、複雑にからみあう碧の色を目で追いかけた。





「それでは、『SI石油』を巣立つ、飯田さんの出発に、乾杯!」


馬場の音頭で、友海の送別会が開かれることになった。

柿下や店長は、カラオケを入れて歌ったりと上機嫌だが、

部屋の隅で一人、美鈴だけがうかない顔をし続ける。


「美鈴、いい加減にその顔やめてよね、
なんだかこっちが悪いことをしているみたいじゃないの」

「わかってるけれど、今はこの顔しか出来ないの!」


必死にお金を貯めようと出てきた東京で、仲良くなった美鈴の存在は、

友海にとって、大きなものだった。

ここを去ることは自分で決めたことなのに、

本当に正しかったのかと迷いも出てしまう。


「連絡するからさ、ぜひ泊まりにおいで。お父さんやお母さんと一緒に」

「……うん」

「古いけれど、素敵な場所なんだよ、静かだし」

「うん、目いっぱい安くしてね」

「……はいはい」


美鈴はそう約束すると、それならば私もカラオケを歌うのだと、

柿下が持っていた本を奪い、番号を入れ始める。

友海は、右に視線を動かし、以前ここで起こった出来事を思い返した。

地元商店街の会長を務める男の息子と、美鈴のことで大喧嘩になり、

それを止めてくれたのは航だった。

おせっかいだけれど、いつも気持ちはまっすぐで、

友海が気づかないものにも、気づかせてくれた。

つい、この間のような気がする出来事が、友海の目を少しずつ潤ませる。

すると、視線の先に、スーツ姿の航が入ってきた。

友海はその姿だけを追い続け、馬場は気づくとすぐに立ち上がり慌てて挨拶をする。


「あ! 成島さん! こっち、こっちです!」


友海の送別会をやることになり、馬場も美鈴も、

航に声をかけるべきではないかと意見をまとめた。

連絡を取ったのは美鈴だったため、すぐに立ち上がり、席を用意する。


「忙しいのにすみません。こちらへどうぞ」

「ありがとう……」


航が姿を見せるとは思っていなかった友海は、美鈴が隣を空けたことに、

少し戸惑ったが、あの言い合いをした頃に戻ったようで、どこか嬉しくなる。


「人の送別会に遅れて登場だなんて、まるでそちらが主役みたいですね」

「ん? あ……ごめん」

「友海! また、そんな言い方して!」


『天神通り店』の送別会は、それから大いに盛り上がり、

友海が花束をもらう頃には、空き瓶やグラスが、

テーブルからはみ出しそうなくらいだった。





「さっさと乗って帰るか」

「ダメですよ、飲酒運転になります」


友海と航は、1台の自転車をひきながら、天野家への道を歩いた。

海人がいなくなるまでは、これが当たり前の時間だったが、

久しぶりに歩くからなのか、互いのペースがよくわからなくなっていて、

距離が開いてはそれを修正する。

航は手に持っていたバッグを前カゴに入れ、友海からハンドルを受け取った。

友海は、航の背中を見ながら、少し下がった場所を進む。


「親孝行は、生きているうちにした方がいいって言ったこと、覚えてる?」



『親孝行は、出来る間にした方がいいですよ。

僕のように、いなくなってしまったら、何かをしてあげたくても何も出来ない。

でもそうなると探すんですよ、何か出来ることはないかって……』



ガソリンスタンドの近くにある土手で、航はタバコを吸っていた友海に、

禁煙を勧めてきた。それは自分の亡くなった母への思いからだった。

互いの生きてきた道も知らずに、色々と語った日を思い出す。


「覚えてますよ、ちゃんと……」

「ならよかった」


航はそこから何も語らずに、ただまっすぐ天野家へ向かい、

友海もその背中を見続けながら、後を追った。

自転車を止めた時、航がポケットからあの時と同じ、棒つきのソーダ飴を取り出し、

友海に差し出してくる。


「明日、僕はさよならなんていう気持ちはない。
君は親孝行をするために行くだけだって……そう思っている」


友海は航の差し出した飴を手に取った。

白い棒の上に、フィルムで包まれた丸い飴があり、

右手を動かすと、包み紙が取れそうになる。


「待っていて……」


友海は飴の棒を握りながら、航と過ごしてきた日々を思い返した。

誰にも語れなかった過去を、しっかりと受け止めてくれたのは、

間違いなくここにいる航だった。

あの土地を戻すことは出来ないが、それでも、その悔しさを振りきり、

再出発する気持ちにさせてくれたのも、航以外にはありえない。


「必ず……」


航はそういうと、友海を引き寄せた。

友海は顔を上げ、二人の唇は自然に重なっていく。

この別れは、次に会うための準備なのだと、

心だけはつながっている気持ちを、互いの唇に乗せ続けた。





「友海ちゃん、気をつけて」

「はい……お世話になりました」


荷物を乗せたトラックが岐阜へ出発し、友海を送るために、

航と澄香は駅の改札前に立った。快晴の日曜日、家族で出かける人や、

デートに出かける人たちが、慌しく横を通り過ぎる。


「それじゃ……」


航は、約束どおり『さよなら』の言葉を口にすることはなく、

友海は小さなバッグを肩にかけると、そのまま改札を通りホームへ消えていった。





『袴田食品』が『村株制度』に不参加を表明し、

海人と航は資金不足をどう乗り切るのかと話し合いを繰り返した。

計画が整わないと、動き出すことが出来ず、あまり長い時間がかかってしまうと、

地元の人たちの熱も冷めてしまう。


「うちの別荘を処分しよう」

「別荘? あの箱根の?」

「あぁ……」


海人がそう言い立ち上がった時、扉を開けて飛び込んできたのは聖だった。

人の部屋にはいるときくらいはノックしろと、海人に言われた聖は、

息を切らしながらそれどころではないと、言い返す。


「それどころじゃないって、どうしたの?」

「明日、大きく新聞に出るらしいけど……古川議員の応援会長が、
警察に事情聴取を受けているみたい」

「事情聴取?」

「選挙の票集めに、色々と動いたらしくて、問題になってるの」

「票集め?」


海人と航は顔を見合わせ、なぜ急にそんなことが起こったのかと聖に問いかけた。

聖は頷きながら、さらに言葉を重ねていく。


「どうも……加納さんが、不正の情報を流したらしい」

「加納さん?」


多恵の父、古川の第一秘書、加納が身内を売ったと聞き、

航と海人は言葉が出ないまま、互いに目を合わせた。





59 行き交う人 
<photo:tricot>

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