KNIGHT 第8話

第8話




運動部も文化部も、3年の秋になれば活動が終了する。

私の吹奏楽部も、最後の大会を終え引退した。

ここからは嫌でも受験モード一色になる。

『私立文系』を受験しようと決め、それなりの塾にも3年になってから通い続けているが、

成績は一進一退で、安定することもなく時間だけが過ぎていく。


「あぁもう……ダメだ」


夜の方が集中出来るので、家族が寝静まってから参考書を開き、

瞼が閉じないようにちょっと濃いめのコーヒーをそばに置く。

ミルクの量はどれくらいが一番美味しいのかと、

少しずつ入れながら試し飲みしていたら、時計は軽く10分を過ぎた。


「まずいよぉ、なにしてるんだろう私……こんなことじゃダメじゃないの」


リビングから階段を上がり、廊下の小窓から隣の様子をうかがってみる。

理久の部屋の明かりも、まだついていた。

このまま先になんて、眠れるはずがない。


理久が進路を迷っている話は、

同じハンドボール部に所属していた男子生徒から耳に入ってきた。

東京の大学からも、いくつか誘いはあったが、条件が一番いい大学は、

『横浜北大学』、そう、理久が2年の頃からすでに声をかけてくれて、

寮生活の費用や学費まで、全て面倒を見てくれる『広報特待生』での受け入れだった。


「横浜北大ってさ、オリンピックにも何人も送り出している名門なんだぞ。
うちからそこに入れるなんて、奇跡に近いだろ」


顧問の薬師寺先生も、強く理久に勧めたらしいのだが、

本人の首が縦に降りることはなく、推薦期限が目の前に迫ってくる。

関西の大学や九州の大学にひっぱられようとしているのではない。

同じ関東にあり、ハンドボールに力を入れている大学からの、

好条件の誘いに首を振れない理由があるとすれば、それはたった一つだと、

私にはすぐわかった。

もちろん、私より近くにいる人には、さらに理久の気持ちは痛いほどわかるようで。


「普通に学生生活を送るのも悪くないんじゃないかって、近頃言いだしているのよ」

「あらら……それはもったいない気がするわよね。
確かにスポーツで行くのも怖いけれど、『横浜北大』だったら、
教員免許を取ることも出来るし、理久君にはふさわしいと思うんだけど」

「そうなのよ。2年生で話をもらった時には、
もし、ハンドが出来なくなったらって思いがあったけれど、
調べてみたらいい大学だったし。就職にも力を入れてくれるみたいなの。
もうハンドを思い切りやりきったって本人は言うけれど、違うと思うのよね」


おばさんは、時々うちに来ては、理久が何を考えているのかわかるだけに、

辛くなると溜息をついた。アイツは『全寮制』であることが、気に入らないのだろう。

体の弱い母親の近くにいて、役に立ってやれないことへの不安と申し訳なさが、

理久の判断を鈍らせた。


「ねぇ……いずみ、知っていたの? あなた」

「エ……うん。ハンドボール部の子からは聞いたよ。
理久が『横浜北大学』の条件を渋っているってことは」


母の目の前に置いてあるカステラを一切れ皿に乗せ、

ティーパックで入れた紅茶をお盆の上に置く。


「おばさんがそのまんまの気持ちを、理久に語ってあげたらいいんじゃないかな。
理久、背中を押して欲しいと思うから」


母とおばさんの会話から、私に理久を説得して欲しいという思いが見え隠れしていた。

出来ないことはないし、私だって思い切り頑張ってみればと言うことだって出来る。

でも、理久が今欲しいのは……私の言葉じゃない……

そんな気がした。





秋も深くなり、落ちる葉の色が黄色からもっと茶色に近くなった日、

駅から歩いていると郵便局のマークをつけたバイクが、坂を上がっていくのが見えた。

私はそれに気づくと、少しでも早くポストに手が届くようにと、必死に走る。

先日受けた模擬テストの結果が、今日、送られてくるはずだった。

私より先に母が封書を見つけてしまうと、テーブルの上に待ち構えられてしまって、

成績が悪かった時の言い訳を考えている時間もなくなってしまう。


「待ってってば、配達員さん!」


バイクと、運動不足気味の女子高生では勝負にならず、

私はなんとか家までたどり着くと、すぐにポストを開けた。

薄い黄色の封書が入っていてほっとする。

点線部分を何度か折り曲げ、中身を取り出そうと指でちぎってみる。


「いずみ……」

「キャー!」


後ろから話しかけてきたのは理久だった。私は慌てて封書をカバンにしまう。

成績優秀者にあれこれ言われたら、ここまで走ってきた意味がない。


「お前、お袋に何か言ったのか」

「は? 何かって……」

「一昨日、じっくりと話をしようって、そう言われたからさ」


私は慌てていた心臓を落ち着かせ、

これからのことを理久と話し合った方がいいのではと、提案したことを正直に告げた。

また余計なことだと言われそうな気がしたが、

それならそれでいいと次の言葉を待ってみる。


「そうか、やっぱりお前だったんだ」

「何? 文句でもある?」


私はおばさんに話し合いを提案しただけだ。どこへ行けばいいなんてことは、

一度も口にしてはいない。


「俺、『横浜北大学』に行くことにしたんだ」

「……本当に?」

「あぁ……。やりきったって言えるほど、やりきってなかったことに気づかされた。
自分のために無理してもらっても、嬉しくないって、お袋も親父も言うし。
俺も、押し売りするのはやめようと思って」


昔、まだ私が高校1年生だった頃、島本家でお世話になった時、

理久があまり語らなくなったと、おばさんが嘆いていたことを思い出した。

きっと、理久の進路話は、久しぶりに島本家の中で、会話の風を呼び起こしたはずだ。


「そう……私、理久が『横浜北大学』の推薦を辞退しようとしているって聞いた時、
あぁ、そうか。アイツはライバルが多そうで、怖いんだなって思ったの。
へぇ……行くんだ。怖くないんだ」

「バカ言え。絶対に俺が一番だ」

「さぁね、それはどうでしょうか」


理久とこんなふうに冗談を言い合えるのも、あと少しなのだろう。

次の春が来た時には、もう互いに別の道を進み始める。


「いずみ、成績表の紙、下に落ちてるぞ」

「エ……どこ? どこに?」


さっき慌てて開いた時、理久が声をかけてきて、バタバタしてしまったから、

きっと落ちたのだろうと、私は庭の植え込みの中をのぞいてみる。

門の中に落ちているのならまだいいけれど、風に吹かれて坂の方へ行ってしまったら、

恥ずかしくて外なんて、歩いていられない。


「バカ! 落ちてないよ」

「は?」

「お前、そんなに慌てないとならない成績しか取ってないんじゃ、浪人だぞ」

「……理久!」


ちょっと隙を見せたら、ちょっと優しい気持ちになったら、

そういつもこんなことになる。

私は目の前にあった、27.5センチの足を踏みつけ、そのまま玄関へ向かった。





理久が『横浜北大学』の推薦を決めた話は、ハンドボール部で頑張ろうとする後輩達に、

大きな勇気を与えた。それだけではなく、公立の学校でありながら、

私立で必死に運動してきた人達と互角に争えるだけになった理久に対し、

学校全体が喜びの雰囲気を出す。

次は私も、その波に乗らなければと、どこか抜け気味だった受験ムードを、

そこから一気に引き締め、散らばっていた参考書をある程度絞り込み、

解いた問題を何度も解き直した。

わからない箇所を聞いたとき、書き残してくれた理久の字。



『ここで主文が変わる』



英単語を覚えながら、風邪引き防止に置いてある『花梨』ののど飴を、

一つ口に放り込んだ。





年が変わり、雪がちらつく頃、私は大学受験のためお守りを握りしめ、

通勤前の電車に乗った。『滑らないこと』を頭で何度も繰り返し、

全力を出し切った結果、第2希望の大学に無事、合格した。


「よかったね、いずみ」

「ありがとうございました。なんとか大学生になれそうです」

「うわぁ……次は俺の就職か」

「そうよ、お兄ちゃん。しっかりね」


何も変わらないように見えていた家族だったけれど、

それは私に気づかせなかっただけで、父も母も兄も、どこかで緊張した日々を送っていた。

私の卒業は、それぞれの卒業でもあるようで、

この日の外食は、いつにもまして、父のお酒の量が多かった。





2月の寒い日曜日、島本家の前に大きなトラックが停まる。

青い作業服を着た男性が2名、元気に車から降りると、手際よく荷物を乗せ始めた。

リビングの中で、紅茶を飲みながらその様子を見守っていると、

いくつかの衣装ケースと、理久が気に入っている小さなタンスが

トラックの中に吸い込まれる。

あのタンスの裏に隠れるのが、理久のかくれんぼだった。

私は鬼になるとまずそこを探し、そこにいない時は和室の押し入れを探す。

今は、私よりも身長が伸び、体つきもガッチリとしたアイツが、

あの裏に隠れることが出来たということがおかしく、

あやうく口に含んだ紅茶を吐き出しそうになった。


「なんだか、さらに殺風景になったね」

「そうか? ベッドも持って行かないし、机も置いてあるし」

「うーん……なんだろうな。臭いがしなくなるって感じ?」

「臭いって、またそれか」


喜ぶべきなのだろうが、どこか喜べない自分がいた。

ガンバレというセリフも出てこないまま、時間だけが過ぎていく。

下にいた理久のお母さんに呼ばれ、私達はそのまま階段を下りた。





カレンダーが3月になったその日が、私達の『卒業式』の日だった。

解け残った雪が、グラウンドの隅を濡らしている。

春に向かう日差しが教室に入り込み、これから泣き顔になる前の笑顔たちを、

輝かせてくれた。



式は無事に終了し、写真を撮り終えた人達はみんな校舎を後にした。

私は静かになった色々な場所を一人で歩く。

入学して何もわからないまま吹奏楽部に入部し、武本部長と雨宿りをした音楽室。

花子たちと笑いあい、先生の悪口を言い合った教室。

理久に汗をかけられ、急いで洗った渡り廊下の水道。



もう……ここで思い出を作ることはない。

『ありがとう』と一度頭を下げ、小さな花束を手に、私は高校を後にした。





それから3日後、理久が家を離れる日がやってきた。

殺風景になった部屋に残されたアイツの制服は、ハンガーにかけられ、

ここで持ち主と別れることになる。


「それじゃ、行ってきます」

「頑張ってね、理久君」

「はい……」


家の前で見送る親たちに別れを告げ、駅前の本屋に向かう私は、

小さなバッグを肩にかけた理久と、自転車を押しながら並んで歩く。

何か、声をかけようと思いながら歩いていると、駅はあっという間に姿を見せた。


「じゃぁな、いずみ」

「うん……」


理久は背を向けると、ポケットから財布を取り出した。

切符を買い終え、視線をこちらに向ける。


「いずみ……」

「何?」


何を言われるのか、正直全くわからなかった。

いや、呼び止めた理久も、どうして呼び止めてしまったのかと、

戸惑いの表情を見せる。それでも、出てくる言葉がどういうものなのか、

どうしても聞き出したくて、何人かが理久を抜き、改札を通っていくのを黙って見送る。


「……親父とお袋のこと、たまには声かけてやってくれ」

「うん、わかってる」


理久は何度も頷き笑顔を見せ、これでいいのだという顔をした。

私は、呼び止めたわりには、これだけなのかと拍子抜けしたが、

満足そうな理久を見ると、言い返せなくなる。

理久は背を向けたまま改札を通り、一度振り返ると軽く手を振り、

そのまま階段を上がって消えていった。







第9話


みなさんのおかげで 『ももんたの発芽室』 も3年を迎えます
これからも、ご贔屓に……(笑)
ポチリ……していただけたら、嬉しいです (@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪


コメント

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距離

新たな1歩を踏み出した二人。
大学生活は何を変え、何を変えずに過ぎていくのだろう?

少し距離の出来た理久といずみ。
離れてみて初めて分る気持ち。

素敵な学生生活が送れます様に・・・

ここから中盤

yonyonさん、こんばんは

>大学生活は何を変え、何を変えずに過ぎていくのだろう?

色々なことを含めた4年間が始まります。
距離が二人をどう変えるのか、
それとも……

これから中盤です。
最後まで、ぜひお付き合いください。

空想から現実へ?

あんころもちさん、こんばんは

>何か言いたげな理久。
 結局、言えないまま? それとも何かが起こる?

駅での別れ。理久の態度の意味……
これから二人の大学生活が始まります。

>これから、いよいよ恋愛モードかな?

あはは……空想の恋から、現実へ!
向かう……かな?