KNIGHT 第11話

第11話




カレンダーが6月に変わり、私と神部さんとのお付き合いは始まった。

遊園地に遊びに行ったり、水族館でイルカのショーを見たりもする。

私より物知りの彼は、何かある度に、色々と教えてくれることが多く、

聞き手に回りながらも、幸せな気持ちはどんどん膨らんだ。


「ごめん、今日はちょっと遅くなった」

「ううん……」


門限が決められているわけではないが、時計はすでに10時を過ぎていた。

神部さんは申し訳ないと何度も時計を睨み、

私はそのたびに気にしないで欲しいと笑顔を見せた。


「楽しくてさ、いずみといると……」


いずみ……

そう呼んでくれたのは初めてだった。心配そうにこっちを見る目に、

私は答えようと、隣にいる彼の手を握る。


「嬉しい……」


その瞬間だった。神部さんの顔が近付き、私は慌てて目を閉じた。

誰もいないホームのベンチで、唇がしっかりと触れる。


「いずみの顔が、あまりにもかわいいから……」


人のぬくもりって、こういうものなのだと、私は現実だけを受け止める。

漫画やドラマのように、音楽など流れていないけれど、

その分、私の鼓動が、ドキドキと存在感をアピールする。

私が握ったその手を、神部さんがしっかりと握りなおし、電車がホームに入るまで、

じっと動くことはなかった。





「はぁ……」


私は、ホームでかわしたキスを、お風呂の中で思い出し、

その感覚の中で、自分の体をじっと見てしまう。

高校生の頃、漠然と憧れた恋とは違い、愛するという感覚が目の前に迫ってくる。



その日は……どんなふうにおとずれるのだろう。

私は一度顔をお湯につけ、すぐに上げた。





理久のお母さんは、入院生活からまた自宅に戻ったが、

それでもすぐにあれこれこなすことは出来ないため、私や母が買い物を引き受ける。


「本当にありがとうね、いずみちゃん」

「いえいえ、どうせ我が家も買い物に行くんだもの」


元気になったと笑顔を見せてくれるおばさんの横で、私は必死に繕って見せた。

子供ならそれでごまかされるところだけれど、

明らかに少しずつ体力も気力も奪われている。

以前よりも痩せてしまった細い手が、この先へ向かう嫌な時間を想像させた。

私以上に、離れている理久はその事実を、重く受け止めているだろう。


自宅にいると、嫌なことばかり考えてしまうからか、

私は積極的にバイトを入れ、なるべく家にいる時間を減らした。





「いずみ」


神部さんとは順調に交際が進み、季節はしっかりと真夏になっていた。

今日も映画を見終えた後食事に向かおうと、日差しの眩しくなる大通りへ出て行く。


「何か、食べるもの買い込んで、部屋に行かないか?」


それは、普段の会話の中で、当たり前のように告げられた。

私はすぐに返事が出来ず、愛想笑いだけ浮かべてしまう。


「あ……ごめん。そんなふうに身構えないでよ。
たださ、いつも食事をして話をしていても、他の客が待っているのを見ると、
落ち着かなくて。僕の部屋なら順番を気にすることもないしと思ったんだ。
いずみが嫌なら無理にとは言わない」


嫌だという理由が、どこにも見つからない。

私自身、きっとこういう日が来るということは、すでにわかっていたことだ。

それならばサンドイッチでも買いましょうと、ビルの地下へ向かう。


「いずみ」

「何ですか?」

「無理にとは言わないけど……でも……気持ちはわかってくれるよね」


男性の部屋へ行くこと。

それがどんな意味を持つものなのか、神部さんは私にそう問いかけた。

私にもそれはわかっている。

私たちの関係が、さらに一歩先へ進むのだということは。

私がしっかりと頷くと、神部さんは無言のまま、私の手を強く握ってくれた。





神部さんの部屋は、駅から5分ほど歩いた場所にあるマンションだった。

最上階にあるため、他の建物の影も気にならず日差しが届く。

ワンルームだけれど広さは十分にあり、

それでも隅に置かれたベッドに、自然と目が行った。


「座って、僕がコーヒーでも入れるから」

「あ……私が」

「いいから、いいから。ここに関してだけは僕の方が詳しいし、いずみはいいよ」


ドリップされたコーヒーの香りが部屋に漂い始め、

私は、買ってきたサンドイッチをお皿に並べてテーブルに置いた。

神部さんはコーヒーカップを並べて横に置き、リモコンを手に取ると私の隣に腰かけた。

駅のホームを並びながら歩くのとは違う、微妙な距離感がそこにある。

いつものように食事をして、互いに会えない日のことを語ったり、

確かに、時間も周りも気にせず話せることは、心に余裕が出来た。


「いずみは真面目な子なんだろうなって、すぐにそう思った」

「バイトの時?」

「あぁ……。最初に店長に代わって、僕が教えたことがあるだろ。
あの時の目は、本当に真剣だった」


神部さんはそう言いながら、何かおかしいのか笑い出す。

私は笑われる理由がどこにあったのかと、むきになって問いかけた。


「ごめん、おかしいわけじゃないんだ。でも、あの時、僕はすぐ、
あ……この子と付き合えたらいいのにって、そう思ったからさ。
きっと、人に対して優しくて、心が広い子なんだろうなって……そう……」

「急に褒めたりしないでください。なんだかくすぐったいです」

「そう?」

「そうです。私、そんなに……」

「いや……いずみはそういう子だった。間違いなく……」


先輩の顔がスーッと私に近付き、耳元に軽く息を吹きかけた。

身をすくめた私を、強い腕がつかまえる。

重なった唇は、私の中に眠っている気持ちを、呼び起こそうとする。





そう……これは触れるだけのキスじゃないのだと……





少しずつ触れる場所が増えていくキスの中で、私はどうしたらいいのか、

自分の手をどこに置けばいいのかわからずに、

頼れるたった一人の人に向かって、おそるおそる伸ばしてみた。

目の前のぬくもりに触れた私の手は、

そのまま大きな背中に向かい、離されない様にしっかりとつかむ。



『あなたが好きです……』



唇の代わりに、そう心が伝えられるように……


「おいで……」


私がまわした腕を彼がつかみ、そのまま導かれるようにベッドの横に座る。

もう止めることも、戻ることも出来ない。

私が出来ることは、この人の想いに応えることだけ……。


「いずみ……そんなふうに緊張しないで……」


無言のまま頷き、私は全てを彼に預けた。

一つずつ私を縛るものがなくなっていき、何もかもがあらわになった時、

初めて恥ずかしさの中で、震えだす。


「恥ずかしくなんてないから、僕に従って……」


神部さんは私の唇にそっと口付け、体温を確かめ合うように肌を寄せた。

合わされた胸の鼓動が、互いの心を確認するように少しずつ速くなる。

そして、彼の手は、体の線をなぞるように動き出し、

私はそのたびに何度も、声とはいえないような息を漏らし、

体を斜めにし逃げようとしてしまう。

唇は耳に届き、そして首筋を這うように進むと、先輩は私の視界から消えた。

私は自分自身を見ることも、神部さんの方を向くことも出来なかった。

聴こえてくる小さな音だけで、彼も私と一つになる準備をしていることがわかる。

ベルトの金具の音、そしてジーンズが床に落ちる音が耳に届くだけで、

私の体はまた、別の表情を見せようとする。


こんなにも素直に応えてしまう自分を、私自身、抑えることが出来ない。

唇が胸に触れた時、伸ばしていた脚は、瞬間的に何かを守ろうとしてしまう。

誰でも通り過ぎること、これが愛されることなんだ……

私はただ必死に、彼の行為を受け続ける。

そして、艶やかに濡れた唇は、もう一度私にキスを返しにきた。





私が無言になってから、いったいどれくらいの時が経ったのだろう。





その時が早くきて欲しいような、このまま忘れてしまいたいような、

複雑な思いが交差する。


「いずみ……」


その瞬間……

私はあまりの驚きに、体をそらそうと必死になった。

神部さんは私の頭を押さえ、逃げたらダメだと首を振る。

私は、ただ神部さんにしがみつき、一つの事実を受け入れた。

愛されているのだとそう信じ、自分も彼を愛しているのだと、

一つになれることを全身で感じ取る。



神部さんは、少し笑っているように見えて……

私はその表情を、悦びなのだと理解し……



緊張の中に放り出された自分を必死に励まし、

そして私を包むように支える彼の腕を、唯一の支えだと信じその動きに従った。

神部さんの息づかいが耳に触れ、

私に届く刺激に思いを揺らされながら、声にならない言葉を、その吐息に重ねた。





『愛している』の言葉の意味を、自分なりに感じ、行動に移した後は、

流れる時間のことなど考えず、ただじっとぬくもりに身を寄せる。

彼の肌から感じる思いだけを、自分に刻み込むために……。





いつもと同じではないその日も、いつもの日と同じように、

神部さんは私を乗り換え駅まで送ってくれた。

軽く手を振り、笑顔を見せてくれる。

私もそれに応えるように手を振ると、階段を下りた。


空いていた椅子に座り前を向くと、出入り口近くで立っているカップルに目がいった。

嬉しそうに手をつなぎ、笑いあう二人。

あの二人もきっと、二人だけの時間を重ね合いながら、

本当の絆になっていくのだろう。

私はそれから電車の窓から見える街並みに目を向け続け、

駅へ到着し階段を下り、自動改札に定期を通した。

少しノドが乾いた気がして、コンビ二に立ち寄ろうとすると、

店の中から出てきたのは理久だった。


「お……いずみ」

「理久……どうしてここにいるの?」


理久は合宿前に少しだけ休みが取れたと、ビニール袋をぶら下げ、

ビーチサンダル姿でそう言った。今、バイトの帰りなのかと問いかけられ、

私は軽く頷き返す。


「そうか、頑張っているんだな、バイト」


バイトは頑張っている。でも、今日はバイトでこの時間になったのではない。





私は理久にウソをついた。





このまま話しかけられ、一緒に並んで歩く気持ちにはなれなくなる。


今日の出来事を見られているわけでもないし、知られているわけもないけれど、

いつもと違う私を、ウソをついてしまった自分を、今、理久に見せたくはない。





……いつもと違う私に、気づいて欲しくない。





「じゃ、私、本を買いに行くから」

「ん? あぁ……」


コンビ二に背を向け、私は慌てて駅の反対側へ向かった。

書店に行かないとならない理由なんて何もない。

ただ、理久から離れたい。それだけだった。





家に戻り、両親ともあまり口を聞かないまま、疲れたからと言ってお風呂に飛び込んだ。

少し湯気がかかり、曇ってしまうガラスを右手で拭き、自分の体を見る。

何も変わらない私。

だけど、変わった私……

神部さんが触れてくれた胸の膨らみを、自分の手で確認するように触れ、

その感覚を思い出すように、そっと目を閉じる。

次はきっと、もっと深く寄り添うことが出来るだろう。

顔に当たる湯気を感じながら、私は心でつぶやいた。





理久は2日ほど家にいたようだったが、それからすぐに寮へ戻った。

そして、『横浜北大学』ハンドボール部は、その年の関東大学選手権を制覇し、

理久は新人賞を受賞した。







第12話


みなさんのおかげで 『ももんたの発芽室』 も3年を迎えます
これからも、ご贔屓に……(笑)
ポチリ……していただけたら、嬉しいです (@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪


コメント

非公開コメント