KNIGHT 第15話

第15話




私が造った庭は、春の色彩を島本家に運んできた。

退院してきたおばさんは、とても喜んでくれて、

その笑顔を見ただけで、私の心は十分満たされた。

理久から、おばさんが毎日、花に水をやるのだと庭に出て、

少しの草むしりをハミングしながらしていると聞き、さらに胸が熱くなる。


「なんだかんだ言っても、いずみは女ってことだな」

「どういう意味よ」

「俺と親父じゃ、庭のことなんて思いもしなかったからさ。
お袋、昔から花が好きだったんだ。本当に毎日、嬉しそうに水をやっている」

「よかった、よかった……」


理久のリハビリ生活も、2週間を越えた。

走る道にもすっかり慣れ、季節も4月に突入する。


「なぁ……」

「何よ」

「俺、悪いなと思いながら、すっかり世話になっているんだけどさ、
お前、バイトどうしたんだよ。このために休んでるのか?」




私がバイトをしたことまでは知っている理久。

そこで何があってどうなったのかは、何も知らない。




「バイト、実は辞めました。ちょっと色々とありまして……」


私はそう誤魔化しながら、バックミラー越しに理久の顔を見る。

今の一言を、どんなふうに取るだろう。

無言のまま外を見ている理久の表情に、私はまた言葉を付け足した。


「どうせ、いずみは根性がないなぁ……って思っているんでしょ。
そうそう、私は根性がないし、忍耐もないの、理久と違ってさ」


最初からこうしておけば、それでいいのだとそう思った。

細かいことなんて語りたくもないし、語る必要もない。

いつものように言い返してくれたらいいのに、エンジン音しか聞こえないことが、

逆に不安を増していく。





「……お前は、簡単に投げ出すようなやつじゃないから、
そんなふうには、思わないよ」





何か秀でているものなど、一つもなかった。

勉強だってトップなど、一度もとったことはない。

ただ、唯一言えることは、私はやり始めたことを、諦めたことはない……

そんなことは当たり前なのかもしれないけれど、

やり遂げることは、『私の小さな満足』だった。


理久は、『小さな満足』をちゃんと知っていた。

バイトを辞めたのには、何か理由があるのだろうと思いながら、

アイツはそれを聞こうとはしない。

バイトを始めると浮かれて電話をしていた、あの頃とは違う今の私に、

理久は何を思うのだろう。





「そういえば、年上のマネージャーさんはどうしたの? お見舞いには来ないの?」


静かになった車内の空気に耐えかねて、私は余計なことを口にした。

受身の状態になっていることが、耐えられなかったのだ。

バックミラー越しの理久が、スッと私の方を見る。


「……お袋か……それ」

「あ、うん。前にね、理久の家の前で会ったのよ、車に乗ってきたマネージャーさんに。
おばさん、嬉しそうだったからさ……」

「……ったく」


曲がり角を過ぎて、信号が赤になった。

助手席に置いた私のバッグが、パタンと前に倒れる。



「別れた……」



こんな時に限って、目の前の信号はなかなか青に変わらない。

聞いた言葉の返事をしなければと思いつつ、何を言ったらいいのかも、

全くわからなかった。

ただ、私の心が、少しだけほっと息をつく。


「あ……そうだったんだ、ごめん余計なことを聞いて」


本当に余計なことだと、後からそう思った。

私、距離感をつかむのが、こんなに下手だったっけ?





「いずみ……」





なぜだろう。名前を呼ばれたことでドキッとした。

名前を呼ばれることなんて、何度もあったのに……


「何よ……」

「ガソリン切れそうだぞ。ほら、点滅している」

「エ……あ、やだ、本当だ。どうしよう……」

「どうしようじゃないよ、ガソリンスタンドだろうが、普通」


話は、そこから元に戻ることはなかった。

理久も私も触れてほしくないところがあったわけで、

自分のことを考えたら、この話はこれ以上しない方が無難だ。

セルフのガソリンスタンドで、初めて給油をし、私は無事家に戻った。





その日、わかったこと……

車の給油は、なんとか自分ひとりでも出来るのだということと、

そして、理久の恋も、終わりを告げた……ということだった。





理久のリハビリは2ヶ月かかると言われていたが、

脅威の回復力で、予定より2週間も早くチームへ戻ることになった。

運転手をした私の任務も、予定より早く終了する。

何度も通った病院の中庭で、理久と二人、最後の缶コーヒーを開けた。


「悪かったな、何度も通わせて」

「大丈夫よ、お礼はいつでもいいから。年中お待ちしてます」


冗談を言ったつもりだった。

いつもの理久なら、この缶コーヒーがお礼だとか

悪態をつくのが普通だと思っていたのに、何も言い返さないどころか、

ため息をつかれてしまう。


「なんなのよ、理久。チームに戻るのが嫌になったの? 全く……」

「いや、そうじゃない。高橋先生に言われたよ。君は本当に丈夫な骨をしているねって。
レントゲンを見て、靭帯の治りを見て、それでそう言われた。
これだけ丈夫に産んでくれた親に、感謝しろって……」


その通りだと私も思った。

あれだけグルグル巻きだった包帯も、もう理久の脚にはない。


「俺が取ったんだと思ってさ……お袋の健康」


理久は悲しそうな、小さい声で、そうつぶやいた。

自分を丈夫に産んでくれた母親は、少しずつ少しずつ弱っている。

何もしてやれないもどかしさと、どうにもならない苛立ちが、

理久の表情から見え隠れした。

私はこのまま下を向いてはいけないと、右手で完治に近付いた理久の脚を叩いてやる。


「何するんだよ」

「何するんだじゃないわよ。なによ、それ。おばさんから健康を取った?
そんなことはありえないし、ううん……そうだったらなんなの? 
それだっていいじゃない。理久に譲れたのならおばさんは何も文句なんて言わないから」


私は子供を産んだわけではない。

でも、神部さんとのお付き合いの中で、学んだことがあるのだとしたら、

それは、愛する人の思いを受け止める時、女には覚悟が出来るのだということ。

おばさんは、理久をお腹に宿し、10ヶ月間大切に守ってきた。

いや……生まれてからも、理久の幸せだけを考えて、生きてきたに違いない。

自分の何かを子供に奪われたとしても、それを悲しむ親などいるだろうか。

むしろ、これだけ丈夫になった理久を、誇らしく思うはずだ。


「そうやって、何かある度に、おばさんのせいにするのはやめなさいよ」


自分でも憎たらしいことを言うなと、わかっている。

理久は、とんでもなく苦しいのだろう。

自分の丈夫さを少しだけでも、母親に渡せたらと、

叶うはずもない願いの中でもがいている。

私の悪態に対して、理久からは返事もため息も何も聞こえなかった。


目の前の駐車場にある車が、数台入れ替わる。

そんなどうでもいいことが、時間の経過を教えてくれた。





大学2年の夏、順調に怪我から復帰した理久は、

レギュラークラスとなり、試合にも出るようになった。

その報告を受け、おばさんは試合を見てみたいと、人生で初めて電子カードを持つ。


「じゃぁ何? これを改札にピタッとすれば、入れるの?」

「そう。それで、『横浜北大学』のある北大前の改札で同じようにつけると、
勝手に料金を精算してくれるから、これだけあれば、お金を気にすることがないのよ」

「あら……そうなの? それは便利ね」


おばさんは駅員に勧められカードを買った。私がその使い方を説明すると、

私の母が一緒に行くと言い始め、結局、乗り換えに自信がない二人のお供として、

私も『横浜北大学』へ理久の応援に向かうことになった。





緑が多い少し高台にある『横浜北大学』は、強豪の運動部が多く、

オリンピックにも出場するようなアスリートを送り出している。

グラウンドの整備もしっかりとしているし、体育館も大きさの違う物が3つあり、

それぞれが場所を仕切って、練習に励んでいた。

理久の所属するハンド部は『第2体育館』で、私は歩いていた学生に場所を聞き出し、

どこをどう見たらいいのかわからない二人を連れ、少し早足で歩いた。


「ありがとうね、いずみちゃん。これでおばさんもここまで来る方法がわかったわ。
次からは一人でも来られると思う」

「やだ、島本さん、私も誘ってよ。たまには外でランチもいいじゃない」

「そう? そう言ってもらえると嬉しい」


母とおばさんは、久しぶりに感じる、外の空気を満喫しながら、

ハンド部が試合をする体育館へ到着した。

『横浜北大学』はハンドボールの強豪で、全国的にも名が知れている。

しかし、野球やラグビーなどに比べると、競技自体が地味なのか、

見てくれる観客は少ない。それでも『キャンパスファイター』のおかげなのか、

選手の名前を呼びかけ挨拶されることに、一喜一憂する女子高校生の姿も見受けられた。

それぞれのチームが練習をするため、コート内に現れると、

『島本君』と理久への声がかかる。


「あら……理久君に声がかかったわよ」

「そうみたいね、やだ、びっくりだわ」


二人の保護者が並ぶ列に、私も一緒に腰を下ろした。

理久が前を通り過ぎる時、おばさんは私の左手をつかみ、

自分の右手と一緒に振ってみせる。理久はそれにすぐ気づき、一瞬驚いた顔をした。


「理久、理久……こっち、こっち!」

「おばさん、目立ちますよ」

「いいの、いいの……いずみちゃんも来てくれたんだからね」


理久に声をかけた女子高生もこちらを向いたため、私は恥ずかしさのあまり、

そのまま下を向くことしか出来なる。

しかし、試合が始まると、どこか和やかだった雰囲気は一転し、

そこには懸命に戦うアスリート達の、真剣な姿があった。

バスケットならばだいたいルールがわかるけれど、

ハンドボールのルールはよくわからない。

いい流れかと思っていたら、急に笛が吹きプレーが止まる。

なぜ止まるのかがわからないと、見ている方もイライラが募っていく。


「今、どうして笛なんだろう。何か悪かったのかな」

「オーバータイムじゃないかしら、3秒以上ボールを持っていたらダメなのよ」

「あ……そうなんだ」


相手方のボールかと思えば、一瞬でまた攻撃体制に変わる。

見始めると、こちらの緊張感も、どんどん高まった。


「中学でバスケをやっていたでしょ? あの子、最初は簡単に考えていたみたいなのよ。
同じようなものだろうって」

「ハンドボールですか?」

「そう……でもね、足を動かしていい歩数が1歩違うし、ステップも違うのよ。
そのバスケの癖を抜くのに、相当苦労したみたい」

「バスケの癖」


バスケットボールもハンドボールも、ボールを手に持ったまま動くことが出来るが、

その範囲は『1歩』だけずれている。

バスケでは許されたことが、ハンドでは認められない動作もあった。

その癖を直すのに、理久は踏み切りの足を動かす練習を、何度も繰り返したという。


「それでもこうして強豪の大学に入れて、試合にも出られるようになったんだもの、
よく頑張ったと思うわ」


おばさんの話を聞きながら、私も本当にそう思った。

私は、理久がバスケをしていた時代から、よく知っている。

けれども、理久がそれだけ真面目に取り組み、苦労している姿を見たことがなかった。

流すように見ることはあっても、通り過ぎるように見たことはあっても、

悔しさに唇をかみ締めるような姿を、まともに捉えたことがない。





理久の、真剣にボールを追い、勝利に向かって進む姿は、

私の心に、大きな何かを残してくれた。







第16話


みなさんのおかげで 『ももんたの発芽室』 も3年を迎えます
これからも、ご贔屓に……(笑)
ポチリ……していただけたら、嬉しいです (@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪


コメント

非公開コメント

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

名前、一応書きました(笑)

yokanさん、こんばんは

>離れている間にそれぞれの恋が一つ終わっていたんですね。

はい、そうだったようです。
一つの経験が、二人の心に、どんな変化をもたらすのか、
それには、次の出来事がさらに大きな意味を持つのですが。

>いずみちゃんのバイト先の先輩には腹立つな~(ーー;)
 もう、名前も出てこんけど(笑)

あはは……神部さんです、まぁ、どうだっていいことかしら(笑)

はじめまして

履歴書の書き方の見本さん、こんばんは

>とても魅力的な記事でした!!

ありがとうございます。
ここまで、読んでくださったと言うことかしら。
よかったら、どうぞ最後まで