5 走る理由

5 走る理由


沙織と別れて欲しいと言われてからも、普段の生活は変わりなく、

多少、色々なことに気を遣ってはいたが、それほど窮屈な思いはしなかった。

何よりも、沙織の母が僕達の味方であって、

仕事帰りに二人で食事をしたことも、黙っていてくれた。

はじめは、父の決断に怒りを発し、怖がっていた沙織も、

時がたてば、自然と何もなかったかのようになるのではないかと、

言い出すくらいだった。


しかし、沙織の父が、なぜ僕に別れるように話をしたのか、

その本当の理由が、別の方向から明らかになる。


「『Takamiya』ですか?」

「あぁ、『Takamiya』には、跡取りと言われている息子が2人いて、
長男は、本社のある広島で活動をしているが、次男は今、東京にいて、
バイヤーとの交渉や、関東での基盤作りをしているそうだ」

「それと、沙織が何か」

「……安達議員の後援会長は、『秋吉酒造』で、
どうもその取引関係から、沙織さんに目をつけたらしい」

「目?」

「何度か仕事がらみで食事でもしたのだろう。
次男坊が気に入ってしまって、ぜひ嫁にと……」


沙織の父親は、関西に巨大な百貨店チェーンを展開する『Takamiya』の次男坊が、

何度か会わせた娘を気に入ったという情報を聞き、

急に気持ちを移したのではないかと父から聞かされた。


確かに、『Takamiya』との結びつきは、とんでもない力になるだろう。

本家ともいえる企業は、造船関係の会社として世界的にも名をはせている。




本当は犯罪者の血を引く僕と、巨大な富を持つ跡取り息子との縁。




「それじゃ、沙織は……」

「あぁ、そんなことで娘を嫁にだそうだなんて、安達さんもどうかしている。
行き先のあてもなくて、本人もその気があるのならともかく、沙織さんには大貴、
お前がいるんだ。父さんは、お前が『Takamiya』の次男に負けているとは思っていない」

「父さん……」

「とにかく、早めに話をしてくるよ。誰よりもかわいそうなのは沙織さんだ」


そうだった。

父の言葉を聞き、僕は自分のことばかり考えていたが、誰よりも苦しく切ないのは、

間に挟まれる沙織だろう。

学生時代から僕を支え、事情を全て受け止め、長い間じっと待ち続けてくれた彼女に、

そんな人生の選択をさせてはならないと、自然に気合が入る。

階段を下りリビングへ向かうと、母が葵に見合い写真を見せていた。

前回も思い切り破られたのに、懲りずに頑張るものだと思いながら、

何も言わずに通り過ぎる。


「お母さんいい加減にして。私は今、結婚するつもりなんてないの。
見合いなんてとんでもないし」

「でもね、葵。あなたは……」

「私は『Tosp』に入るの。就職して仕事を覚えて、それから結婚のことは考えるから」

「葵……」


反対側の扉を開け、冷蔵庫の前に立った。

ミネラルウォーターでもとろうかと扉を開くと、

カシャカシャとガラスの入れ物が揺れる音が聞こえる。


「ねぇ、お兄ちゃん。沙織さんと上手くいってる?」


葵は、僕にそう言いながら、余裕のある顔を見せた。

何か知っているのだと言いたげな表情に、僕は『あぁ』と軽く言い返し、

そのまま扉を閉める。


「沙織さんのこと、気に入っている人がいるんだってね」


父が葵に話したとは到底考えにくかった。

だとしたら、葵は誰からこの話を聞いたのだろう。


「大学院に通っている先輩が、杉町翔さんの従兄弟なの。
この間、一緒に飲んだ中に入っていて、沙織さんとお兄ちゃんのことを聞いたから、
ちゃんと答えておいた」

「答えた? 何を」

「うちの兄は、杉町さんにも負けない魅力があるけれど、選ぶのは……」


葵はそこで言葉を止め、母が渡した見合い写真を横にあったはさみで切り始めた。

母は何をするのだと取り上げ、慌てて写真を直そうとする。


「いらないって言っているでしょ、お母さんがしつこいからよ」

「葵……」

「私が誰と結婚するかは、私の自由。それに……」


右手にはさみを持ったままの葵が、その瞬間笑ったように見えた。

見えただけなのかもしれないが、明らかに表情が変わる。


「沙織さんがお兄ちゃんを選ぶのか、それとも……杉町さんを選ぶのか、
それも沙織さんの自由……」




また……




僕はそう思った。

この間見た、あの挑戦的な目が、しっかりこちらを向いている。




僕は葵から視線を外し、ペットボトルの蓋を開けると、

落ち着くように水を飲んでいく。




「お兄ちゃんだって、沙織さんになるかどうか……まだわからないでしょ?
人生はどう動くのか、わからないから楽しいんだもの」




葵がそういいながら、僕の方にゆっくりと近付いてきた。

これから何を言い出すのか、何をしようとしているのかがわからず、

僕は逃げることさえ出来なくなる。


「お兄ちゃん……ほら、慌てて飲むから、シャツに水滴が飛んでる」


葵の指が僕のシャツに触れ、

そしてその指が僕の頬へ向かおうとしたのを、寸前で止める。


「もういい、風呂に入るから」


その指の動きを止め、僕は葵に背を向けると、

その異様な風が吹く場所から逃げ出した。





陸上部員の練習の様子を、仕事の合間に見るのが、僕の日課になった。

めぐみは素人でもわかるくらい実力を伸ばし、

もしかしたら本当に、有名選手になるのではないかと期待させる。


「おはようございます、スポンサー!」

「何言ってるんだよ、今までどおり大貴さんでいい。
スポンサーなんて言われるとおかしいだろ」

「そうですか? ならそうします」


めぐみは、疲れを吹き飛ばすように、楽しそうに笑い、

タオルで汗を拭きながら僕の横に座った。5月の風が心地よく、頬をかすめていく。


「めぐみは、どうして長距離を走るようになったんだ?」

「は? なんですか、急に」

「いや、僕も運動は好きだけれど、長距離だけはやる気にならないからさ。
だって、つまらないだろう、走るだけなんて」

「あぁ……バカにしていますね、私たちランナーのことを」


バカになどしていないと、僕は首を振った。本当にバカになどしていない。

自分に出来ないことを頑張る人たちに対しては、やきもちなんて通り過ぎて、

尊敬以上の何者でもないからだ。

めぐみは着ていたランニングウェアの左の袖をめくり、肩を出す。


「ねぇ、ここです、ここ見てください」

「ここ?」


めぐみの左肩には、何かやけどの跡が残っていた。

やけどの跡なのかとたずねると、そうだとうなずき、どうして出来たのかわかるかと、

逆に質問を返してきた。『やけどの理由』など熱いものに触れたからとしか言えなくて、

つまらない問題だと嫌味をつけてやる。


「そりゃそうですけど、熱いものはタバコなんですよ、これ」

「タバコ?」

「はい、父親に火のついたタバコをギューッと押し付けられたんです」


めぐみの告白は、あまりにも自然体だった。

父親が酒に酔い、家で遊んでいためぐみを突然捕まえると、

何も言わずに肩にタバコを押し付けたのだという。

熱くて涙が出たけれど、泣くとまた叩かれると思い、黙って耐えたと笑う。


「笑うなよ、そこで……」

「そうですか? もう、過去のことですから」

「いや……でも……」

「私ね、大貴さん。父が嫌いでした。すぐに怒るし、母を叩くし、
だから家に帰りたくなくて、それで小学校が終わると、いつも川沿いを歩いていたんです。
電車が通り過ぎるのを見たり、石を川に投げて遊んだり……
でも歩いていると行ける場所って限られるから、少しずつ走り出したら、
だんだん遠くまで行けるようになって」


めぐみが長距離を始めたきっかけを聞き、僕は何も言えなくなった。

もっと、小学校の運動会で速かったからとか、部活の先生に勧められたとか、

前向きな理由だと思っていたからだ。


「地域の運動会で、私、子供の1位をとったんです。
そうしたら、お酒ばっかり飲んで、いつも私を叩いていた父が、
それを自慢したって聞いて、それで嬉しくなって……。
変ですよね、嫌いだと思っていたのに、父が喜んでいると知ったら嬉しかったんですよ」


それからめぐみは、両親を喜ばせるために、長距離の練習を重ねるようになった。

しかし、めぐみが中学1年の夏、父親は家で大暴れをし、借りていた家は火事になる。


「火事?」

「はい、燃えちゃいました。それから私、しばらくずっと、声が出せなくて……」

「それは恐怖でってこと?」

「医者には過度のストレスだろうって言われました。
結局、原因はよくわからないままでしたけど。それをきっかけに母は結局父と別れて、
古くからの友達がいる町に移り住んだんです。
あ、今でも、友達3人で、小さな釣り宿をやってますよ。一度行きますか? 
とっても静かで波の音が素敵な場所です」


軽く聞いたつもりだった。

陸上を始めたきっかけ、その中で長距離を選んだきっかけ、

めぐみの人生の中にあった、暗い闇の部分を聞きだすつもりなどなかったのに、

結果的に探り出すようになってしまい、僕はそれを謝罪する。


「いやだなぁ、大貴さん。そんなこと謝らないでくださいよ。
私、このことを隠しているわけじゃないんです。友達はみんな知っていますし、
こうして歴史を積み重ねてきているから、私なんですし……」

「私……か」


佐久間の家にもらわれてきた事実、

確かにそれを僕もやましいなどと思ったことはない。

色々な出来事があって、僕がここにいることも事実なのだ。


「めぐみは強いんだな、ハートが」

「ハート? あはは……いやだぁ、そんな言い方、親父くさい!」

「親父? 全くスポンサーにたいして、失礼なやつだなぁ」

「あはは……」


『恋』とも『愛』とも違う感情が、

僕らの中には確かに存在していて、互いに語り合うことの意味が、

生活の一部になっている、そんな思いだった。





僕の予想していた通り、父は沙織の父親と話をし、

僕との結婚を許して欲しいと頭を下げてくれたが、

それに対しての返事は、『別れてもらう』の1点張りだった。

頼みにしていた父の思いも、跳ね返されたとなると、有効な手立てが見つからなくなる。

そして、この頃から、沙織に対しての防御も固くなり、

父親の秘書が、身の回りにうろつきはじめるようになった。


「信じられない。いったい、娘をなんだと思っているのかわからない」

「どうやってここへ来たんだ」

「なんとか振り切ったの。向こうは私の会社周りに、あまり土地勘もないし、
このホテルに入ったところも、わかっていないはず」

「そう……」


悪いことをしているわけではないのに、沙織がこのまま遠くへ行ってしまいそうで、

僕はベッドサイドに腰をかけ、ただ、必死に彼女を抱きしめる。


「大貴……どこかに逃げない?」


その提案は、沙織からだった。

出来たら正々堂々と向かい合って、結婚を認めてもらいたかったが、

相手の強情ぶりに、そうもいかない気がしてくる。


「いいのか?」

「どうして?」

「ご両親に会えなくなるんだぞ。もしかしたら、一生許してもらえないかもしれない」


沙織が一人娘として、どれくらいかわいがられてきたのか、僕は知っているため、

二度と会えなくなることも覚悟できるのかと、そう問いかけた。

沙織は、僕の頬を両手で挟み、ゆっくりと唇を重ねてくる。

ワンマンな父よりも、優しいけれど父には逆らえない母よりも、

目の前にいる僕を選ぶのだと、その唇は、何度も誓いを立てる。


「大貴を失うくらいなら、私、このまま消えてしまいたい」


彼女の濡れた目に光る涙が、頬を滑り落ちる。

僕は、その暖かいぬくもりを無くすまいと、そのまま体を押し倒した。


「バカなことを言うな……」


誰にも渡さない、何があっても君は僕のものだと、

必死に探り、その全てを得ようとする。

世界が敵になったとしても、そのまま闇に落とされるのだとしても、

決してこの手は離すまいと、互いに肌を寄せていく。




真っ暗な中に放り出されても、互いのぬくもりに思いが蘇るよう……




僕は沙織を抱きしめ、沙織は僕を包み込んだ。





「明日、昼の2時」

「2時?」

「あぁ、荷物など準備するな。普段の仕事に出る姿で。何かしようとすると怪しまれる。
お金は僕が用意するから。君は……」


不安そうな沙織を腕で引き寄せ、離れていた脚を、もう一度絡めあう。

互いの体温で暖かくなった布団を引き寄せ、震えないように頬に触れる。


「君は、ただ、ついてくればいい」

「大貴……」


沙織となら、どこまでもいける。

今ある全てをなくしたとしても、生きていける。





僕はそう思いながら、何よりも大切な人を、もう一度強く抱き寄せた。







6 獲物を狙う目

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コメント

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逃避行

えーーーーっ!!!か、駆け落ち??
そりゃ又大胆と言うかなんと言うか・・・

そりゃコレが昼ドラ、いえももドラの王道でしょうが・・・
好きですよこんな展開は、でもな~~~いいのか?
子供じゃないんだから、もう少し慎重に事を運ぶべきではないですか?

でも何故かワクワクドキドキ❤❤❤
愛の逃避行を応援したくなっちゃうね^^

二人の決意

拍手コメントさん、こんばんは

>逃げる決意をしたんですね。
 これから追われる日々なのでしょうか。

秘書に周りを囲まれるようになってきた沙織は、
やはり気持ちが焦るのでしょう。
それに応え、逃げようと決意する大貴。

二人の決断が、どういう展開を生むのかは……
次回へ続きます!

王道かなぁ……

yonyonさん、こんばんは

>そりゃコレが昼ドラ、いえももドラの王道でしょうが・・・

あはは……王道も何も、まだ始めたばっかりだしね。

>子供じゃないんだから、
 もう少し慎重に事を運ぶべきではないですか?

ふむふむ……
yonyonさんは、そう考えるんだね。
大貴と沙織が決めた『逃げる』という選択。
これがどういう展開を生むのかは……
次回へ続きます!