9 女の香り

9 女の香り


この町の人口はどれくらいだろうか。

初めて来る場所だったが、隣にめぐみがいたおかげで、

ほとんどの人が、僕に暖かい目を向けてくれる。


「君は有名人なんだな」

「いえいえ、ここじゃ、誰のこともみんな知っていますよ。
郵便物だって、『名前』だけだって届くくらいですから」

「大げさな……」

「大げさじゃありません!」


沙織のことは気になっていたが、それを見抜かれたのか、めぐみに声をかけられ、

誘われるままここにやってきた。

確かにこのまま、ただ、イライラしていても、解決の糸口が見つかる気もしない。

相手があれだけ必死になるのは、ことがうまく運ばないからだろうと考え、

一度気持ちを落ち着かせ、次の方法を考えようと休暇を取った。

そして、過去の辛い傷を明るく笑い飛ばせる、どこまでも大らかなめぐみが、

どんな場所で育ったのか、この目で見てみたい気もしたからだ。


「いつも娘がお世話になっております」

「いえ、こちらこそ、めぐみさんには期待しております」

「予想外の儲けものなのよ、私」

「コラ、めぐみ!」


めぐみの母親は、小さな民宿を友人と共同経営していた。

釣りや泳ぎに来る客たちを相手にしながら、自然の中で暮らしている。

めぐみを育てた人らしく、明るくよく笑い、そして何もかもが豪快だった。

ここら辺は魚がよく釣れるからと竿を渡された僕は、

めぐみと一緒に魚釣りに出かける。海に糸をたらすのは、何年ぶりだろうか。

幼い頃、父に連れて行ってもらった記憶があるが、

確か、船に乗らされて気分が悪くなった思い出しかない。


「ふぁ~、やっぱりここはいい空気!」

「あぁ、確かに」


めぐみは幼い頃からよく釣りをしたらしく、微妙に竿を動かしながら魚を誘い込んだ。

僕はそれを真似してみるものの、うまくはいかない。


「大貴さん下手ですね、釣り」

「うるさいなぁ」


横で茶々を入れるめぐみを怒りながら、時々、わざと竿を揺らしてやる。

呼び寄せた魚が遠ざかったと文句を言う口は、小さくとがってみえた。


「あはは……言い訳だけは一流だな」

「そうですよ、私は負けず嫌いなんです」


魚が釣れようが、釣れなかろうがどうでもよかった。

自然に笑い、自然にお腹が空くことが、久しぶりで気持ちいい。


「少しは癒えましたか? 気持ち」

「ん?」


めぐみはそう言うと、また竿を軽く動かした。

僕はその言葉に、軽く何度か頷き返す。


「何かがあるんじゃないかなと、思っていたんです。だからここへお誘いしました。
あ、変な意味じゃないですよ。私達はそういう関係じゃありませんから」

「わかっているよ、余計なことをあれこれ言うな。魚が逃げる」


めぐみなら、話をしてもいいとそう思った。

幼い頃、自分を虐待した父の話を、過ぎたことだと笑えた彼女なら、

今のこの苦しさを、理解してくれるだろう。

僕は、沙織がいなくなったこと、自分にとって沙織がどれほど大事なのか、

それを淡々と語っていく。

魚も寄り付かない竿を2つ海にたらし、僕とめぐみは話しの中に入り込んだ。


「それじゃぁ、今、相手の家にいるんですか?」

「あぁ……おそらくそうだと思う。そうとう気に入られたんだろうな、
向こうも必死なんだ」

「でも、それはずるいじゃないですか。沙織さんは大貴さんを好きなんでしょ?」

「……うん」


波音を聞きながら、もし、ここへ沙織を連れてきたとしたら、

どんな反応をするだろうかと、あれこれ考えた。

一緒に釣りをするかもしれないし、海が一望できる山にのぼり、

大きな声で、こだまを呼ぶかもしれない。

きっと、楽しそうに笑い、嬉しそうな声を出すだろうと、それだけはわかる。


「何をしていても、彼女のことを考えるんだ。
今どうしているだろうか、ちゃんと食べているだろうかって……」

「大貴さん」

「情けないな、助ける方法が見つからないなんて。
こうしている間にも、また……」


めぐみは急に立ち上がると、そこで屈伸運動を始めた。

何をするのかとじっと見ていると、彼女なりのおまじないをかけると言い始める。


「おまじない?」

「はい、私にはジンクスがあるんです。
今まで、これ! と決めたレースで優勝すると、必ず夢が叶ってきたから」


めぐみは、小学校の頃は、自分を嫌いだと思っていた父が1位になり喜んだことを話し、

中学の部活で走った時には、母のぎっくり腰が治ったと笑う。


「高校の時には、この町にみんなで作ったあの『陽香里』が出来ました。
母もみんなも喜んで……私が1位になると、何かが叶うんです。
だから、来月行われる『ニュースターラン』で、私、絶対に優勝しますから」


『ニュースターラン』というのは、各企業に入り、陸上部に所属するランナーが、

20歳まで出場できるレースだった。

国際マッチレースに出場したことがないことが条件で、めぐみもその一人になる。

基礎体力を記録した結果に、沢口監督が驚き、どうしてもめぐみを出場させたいと、

僕達に頼んできたレースだった。


「優勝したらきっと、沙織さんが戻ってきます」

「めぐみ……」

「やりますよ、私! なんたって、スポンサーの危機ですからね」


そんな確信のない約束が、今の僕には何よりも嬉しかった。

沙織が戻るのなら、どこにある神を信じても構わないくらい、

何かにすがりたかったからだ。


僕の竿がピクピクと動き、なんとか引き上げると、

鮮度のいい魚が、大きく抵抗する。


「あ、大貴さん、それ美味しいですから、絶対に獲って!」


めぐみの応援のかいもあって、その日の夕食には、僕の釣り上げた魚が加えられた。





釣りを楽しみ、朝の美味しい空気を吸い込んで、僕はまた東京へ戻る。

沙織の母親には、沙織が戻ったら連絡をくれるように頼んであったが、

携帯には何も連絡が入らなかった。



沙織がいなくなって1週間が過ぎる。

せっかく、『陽香里』で潤した心も、またどんよりした中でもがき始めた。





今週末には、各店舗の店長会議が行われる。

全国から店長が揃うのは、忙しい時期を避けた年2回だけだ。

その前にあれこれデータが送り届けられ、商品の入れ替えや、

店舗をどう運営するのかなど、上層部には色々と決めることがあった。


仕事を家に持ち込むのは嫌だったが、少し忙しく時間内に処理できないこともあり、

その日は日付が変わっても終わらない。

コーヒーでも入れようと部屋を出ると、父と母がそこに座っているのが見えた。

一瞬だけ見えた母の顔は真剣で、父は黙ったままそれを聞いている。

話を聞くつもりはなかったが、階段で立ち止まると、自然に耳に飛び込んできた。


「あなたから言ってください。葵は本気だって聞かないんです」

「あぁ……」

「あの子が、大貴を思っているだなんて……」


母の言葉を聞いて、心臓が一気に速く動き出す。

どこからか寒々しい空気が移動し、僕は鳥肌が立つ思いがした。

葵の気持ちが僕に向かっていることを聞いた時、

『まさか』よりも『やはり』の思いが強く、その予想を打ち消そうと首を振る。


兄妹ではないとわかってから、明らかに葵の態度は変化し、

見せてくる目も、妹の目ではなくなっていた。

前で起きている事件だけで手一杯なのに、

後ろからじわじわと不吉な出来事が起こっては、体が持たなくなる。


「血がつながらないとはいえ、大貴と葵は兄妹だ。そんなわけにはいかない」

「それが一番だと私も思います。でも……」

「でも?」

「もし、どうしても葵がそうしたいというのなら、大貴を……」

「バカなことを言うな」


僕は自分の腕をつかみ、必死に息を殺した。

母は、葵がかわいくて、何もかもが見えなくなっているとしか思えない。


「バカじゃありませんよ。今まで、育ててきてやったじゃないですか。
血のつながりもない、縁もゆかりもないあの子を。
あなたが大貴に会社を継がせるのは反対でした。葵がいるのにとんでもないって。
でも……葵と大貴が夫婦になれば、あなたの思いも、私の思いも、
引き継がれるわけでしょ」

「久恵!」

「恩を返してもらえばいいんですよ、あの子に。そして、葵と一緒になって、
それで……」





僕の足は、危機を感じたのか、自然と階段を上へ向かった。

とても耳に残したくはない。

葵と僕が夫婦になるなんてこと、どう考えても異常なことだ。

階段を上がり角を曲がったとき、そこに立っていたのは葵だった。

ラフな格好のまま、ゆっくりと僕の方へ向かってくる。


「どうしたの?」

「いや……」


上目遣いになる目から、気持ちをそらしたくて、葵とは逆の方へ体を動かす。


「お母さんはおかしいわね、あんなことを言うなんて……」


葵も聞いていた。

母が自分と僕に対して、異常なことを考えているのだと、気づいていた。

しかし……





「私は、お兄ちゃんが好きなわけじゃないのに……」





速まった鼓動は、なかなか落ち着きを取り戻さない。

葵が束ねていた髪のパレットを外すと、長い髪の毛が香りを放ちながら自由になる。





「私には……始めからお兄ちゃんなんて、いないのに……」





葵はそう言うと、僕の方を向き、そしてかすかに口元を緩めた。

ドアノブをつかんだ僕の手は、その息苦しい場所から逃れるように、

自分の体を必死に部屋へ押し込み、そのまましばらく扉に背を向けたまま立ち続ける。

大きく呼吸を繰り返すと、葵が階段を降りる音がし始め、

僕はそのまま天井を見上げた。







10 行き場のない声

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コメント

非公開コメント

ムム・・

いずみに話せた事で少しは気持ちが軽くなった、と思ったのに!

お母さん・・・アナタ・・

葵の>「私には……始めからお兄ちゃんなんて、いないのに……」の言葉にゾゾッとしました。

ヒャ~~まさに昼ドラ、いいえももドラだわ(--;)

沙織は……

yokanさん、おはようございます。

>葵ちゃん、不気味だ~(@@;)
 これから何をしでかすのか、不安だわ(ーー;)

そうそう、不気味でしょ?
そこら辺が、今までの創作とはちと違うところかも。
兄弟で『怪しさ』を漂わせるなんて、なかったから。

沙織の行方については、この後わかります。

大貴の心が、変わるのか変わらないのか……も、
読んでいただかないと、ここでは言えないよぉ(笑)

ももドラになってます?

yonyonさん、おはようございます。

>お母さん・・・アナタ・・

あはは……自分に対する感情が、あらためてわかった大貴。
葵の言葉も悩みどころでしょうし……

>ヒャ~~まさに昼ドラ、いいえももドラだわ(--;)

ありがとう。
頑張るね。