19 光を見た日

19 光を見た日


父から話を聞いた1週間後、正式に『菅野ゴム』が倒産したことを知った。

持っていた家と工場は取られることになり、職人だった祖父は仕事を辞める。

まだ、働き盛りの父は、再就職を目指すことに決めたが、

多感な時期を迎えていた孫は、しばらく旅に出たいと、家を出たという。

まだ人生はこれからだ。

そう思って戻ってきてくれたらいいのにと、僕はただそう思った。





沙織が『陽香里』に向かってから、1週間が過ぎた。

めぐみの母から、毎日電話が入ってくるが、沙織は特に何をするわけでもなく、

部屋でじっとしていると言う。

同じようについていった母親は、地元の主婦たちと交流を深めようと、

漬物の講習会に出たりしながら、笑顔を増やしていた。


「そうですか」

「そうそう、まずはお母さんが楽しまないとと思ってね。
そうすると沙織さんも少しずつ関わってくれるような気がしてさ」

「はい……」


焦ってはいけない。

そうは思っているのだけれど、杉町がこの状況を認めているのにはおそらく限度があり、

それがどこで爆発するのかわからない怖さがあった。

そして、もう一人……

沙織の父親も、僕が関わっていることは知らないはずだ。





僕はその日、久しぶりにあかりの店へ向かった。

あかりは久しぶりに来た客を迎えるように僕を迎え、

隣に座ると、お酒を作り始める。


「忙しかったの?」

「……あぁ、ちょっと色々とあって」

「そう」


あかりは勘の鋭い女性だ。僕が何を言いたいのか、わかっているのかもしれない。

その日はやけによそよそしく時間が過ぎ、そしていつものように彼女の部屋へ向かった。

しかし……本能のまま、抱き合うことはなく……


「あらためて話しって何?」


今まで、何度も店に通い、お酒を飲み、そして互いの肌で心を癒してきた。

しかし、なぜそんな思いを抱いたのかという、僕の理由を正直に語ったことはない。

誤魔化したまま去るのは、あまりにもずるいと思い、僕は心の中を初めて見せた。


「大貴の大切な人……なんだ、その人」

「あぁ……」


あかりは、ある意味僕よりも広い世界を知っている。

飲みに来る客も、色々な業界の人がいるだろう。

沙織の名前を出すことはしないまま、

それでも、自分にとって何物にも代えがたい人が、今、目の前にいることを説明する。


「その人が、昔のように笑ってくれるのなら、僕は何でもする……
そう、毎日考えているんだ。世の中がそれをどこまで許すのかもわからないし、
もしかしたら許されないのかもしれない。
それでも今、傷ついた人を黙って放っておくことが出来なかった。
彼女が苦しんでいるのに、自分だけ……君に安らぎを求めるのは、
間違っている気がして……」


言い訳だった。

どんなにきれい事を並べても、都合がいいように思いを利用したとしか言えない。

たとえ、あかりも自分がトップとして君臨するため、

ある程度の売り上げを見込める僕を取り込んだのだとしても、

そこにはただ、それだけだったとは思えない。



抱き合っている時間に、今までウソがあったとは思いたくない。



「ねぇ……」

「何?」

「私、ホステスとして立派だってことよね」


あかりはそう言うと、僕に向かって空のグラスを振って見せた。

何度も口をつけたグラスは、部屋のライトに光り、輝いて見える。


「あなたが初めてお店に来た時、何も語ってくれないし、
ただ、お酒を飲むだけだったでしょ? 楽しいお酒ならいいけれどって、
止めた覚えがある」

「うん……」

「でも、今はこうやって、ちゃんと気持ちを話してくれて、
私はそれを聞きながら、『明日も頑張って』って送りだそうとしている。
これって、ホステスの仕事として、基本的なものじゃない」


子供が学校を卒業するように、僕があかりを卒業する日だと、

彼女は笑顔を見せながらそう言った。

その時は悲しくても、また次の日が始まり、新しい人達が周りを囲んでいく。




「陵子……」




影山陵子。

それが『あかり』の本当の名前だ。

あかりはその響きに首を振り、『あかり』のままで終わりたいと口元をゆるめる。



……しかし、その唇は少し震え、そして……



「陵子がいなかったら、僕はこんなふうに前向きにはなれなかった。
本当に感謝している」

「ダメだって、大貴……」

「……ごめん」


何度目の口づけだっただろう。

甘く互いの舌を絡めた日もあるし、刺激を求めながら触れた日もあった。




……僕は、初めて陵子と唇を重ねた気がする。




「お願い、最後まで『あかり』ってそう呼んで」

「どうして?」

「私にも……意地があるから」


口づけは唇から頬に動き、そして、回した腕はやがて離される。

それでも見えない糸のようなものが二人の周りに存在し、

それを一本ずつ切っていくのには、しばらくの時を必要とした。


「あなたが幸せになることを、信じている」

「うん……」


一瞬だけ見えた陵子は、また、少し勝ち気な『あかり』に変わった。

僕は、ホステスと客として、別れたいという気持ちを受け入れる。


「私、あなたにウソをついていたの」

「ウソ?」

「私の親は、サラリーマンじゃないわ。父は、植木職人で真面目な人だったけれど、
母はパート先の上司と、駆け落ちしてしまった」


どんな親がいたって、どんな生き方をしてきたって、

人生は自分で動かすものだ。僕はあかりの告白を聞きながら、そう強く思う。


「そんな家、どこにだってあるよ」


誰にだって、色々な過去がある。

僕の言葉に、あかりは笑顔のまま、大きく頷いた。





父からは単独行動をしないように言われていたが、

部屋に閉じこもっているわけにはいかず、

そして、休みの日が見つかると、僕は『陽香里』へ様子を見に出かける。


「散歩?」

「えぇ……。今日で3日目なんですけど、朝もきちんと起きてきて、食事をして、
それで散歩をする。少しずつ生活にリズムが出てきました」

「そうですか」


沙織はまだ、言葉を発することはないが、聞かれたことには小さく頷いたり、

首を振ったり、自分の意志を明らかにするようになったと、

沙織の母は嬉しそうに語ってくれた。

ほんの小さなことだけれど、変わっている実感が出てくることで、

彼女を支える周りにも、いい影響が出始める。

ただ、気がかりはぬぐいきれず、僕は沙織の母に、父親のことを問いかけた。

いくら議員として仕事が忙しいとはいえ、

『陽香里』に来てから、すでに1ヶ月近くが経過している。


「私ね、覚悟を決めてきたんです。大貴さんにここへ行こうと言われた日」


沙織の母親は、あの日返事をためらった後、

それでも自分を奮いだたせて父親へ手紙を残した。

沙織が心の病になっていること、それを治すために旅をすること、

それを認められないのであれば、自分にも覚悟があると『離婚』の文字を書き記した。


「離婚?」

「それでもいいと……。沙織を、こんなふうにしてしまったのは、私達親の責任だから」

「お母さん」

「大貴君のお嫁さんになることを、望んでいた娘を……こんな目に……」


沙織は、部屋の外に並べたプランターに水をやっていた。

大きな笑顔ではないが、少しずつ、固まった筋肉もほぐれている気がしてくる。


「僕は……諦めていませんから」

「大貴君」

「二人が生きている限り、寄り添える日が来ると、今でも信じています」


そう、僕は信じている。

沙織がまた、僕の名前を呼び、そして笑ってくれることを……

そのために、生きている……



それは間違いない。





『陽香里』での時間を終え、また僕は仕事に戻った。

レースが近付いた陸上部は、都内のジムでそれぞれが汗を流していると聞き、

店舗確認のついでに、激励のため立ち寄った。

めぐみは、人が重たいものを持ちながら、

変な顔をしているのを見に来たのかと文句を言い、

それでも差入れだけはしっかりと受け取った。


「大貴さんの機嫌がいいのは、わかりますよ、なぜなんだか」

「あれ? おかしいな、どうしてわかるんだろ」

「……わざとらしいです」


めぐみとは不思議な関係だった。近付いても近付いても、何一つ変わらない。

年が離れていることもあるが、彼女の底知れない明るさが、

そこにあるだけで、心地よいものだった。

他の陸上部員とも、それぞれ会話を交わし、ジムを出た僕は、

重たい非常階段の扉を開けて、階段を駆け下りる人の足音を聞いた。





葵とのことがあり、僕はまた一人暮らしの日々だった。

食事を作ることは出来ないため、それなりの店へ通い、買い物を済ませる。

あかりと別れてから、あの店には顔を出していない。

しかし、お酒を飲もうと、女性のいる店に行く気にはなれなかった。

誰かに何かを語るわけではなく、ただ、疲れを癒すために行く店は、

夜景が綺麗に見える、ビルの中にある。


「美味しいな、これ」

「そうですか? ありがとうございます。今、流行っているらしいですよ」

「へぇ……」


カウンターで1杯だけ飲んだ後、その日はタクシーを捕まえようと店の外に出た。

その瞬間、店に携帯を置き忘れたと気づき、すぐに振り返る。

すぐ後ろにいた男性が、さらりと僕をかわし、足早に消えていき、

その男はスーツ姿をしていたが、あまり着慣れていないような気がした。

どこか人を避けたような態度が気になったが、携帯電話が無くなると困るので、

すぐに店へ戻る。

僕の顔を見たバーテンダーは少しだけ笑みを浮かべ、

『お気をつけ下さい』と言いながら、携帯を手渡してくれる。


「すみません……まずいなぁ、たった1杯で酔うなんて」

「いえいえ……」


無くさないように携帯をポケットに押し込もうとすると、メールの印が見えた。

相手はめぐみの母親で、それを開くと、そこには沙織が近所の犬を抱き、

照れくさそうに笑っている写真が入っている。

笑っている……ように見えただけかもしれないが、

少なくとも、その表情には丸みがあり、生活の中に流れる普通の空気が存在した。





確かに、少しずつ動いている……





僕は画面に映る沙織の顔を、何度も何度も、指で優しくなぞりながら、

また、会いにいくと、心でつぶやいた。







20 愛の深さ

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コメント

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特別な人

何も無い家庭なんて無い。
人に言えない何かを抱え、必死に頑張ってる。

辛い日も過ぎれば昨日、忘れてはいけない事も・・・

沙織の心の傷もいつか小さく小さくなって
『フッ』と消えてしまうかも。
それまで大貴が支えてあげれば。

かおりはNo.1ホステス!
良い女だ。沙織が居なかったら?
でも居なかったら出会わなかったな。
人の出会いって不思議。

不思議だね

yonyonさん、こんばんは

>何も無い家庭なんて無い。
 人に言えない何かを抱え、必死に頑張ってる。

そうそう、周りから見たら何もなさそうでも、
心に抱えているものは、みんなあるんだよね。

>良い女だ。沙織が居なかったら?
でも居なかったら出会わなかったな。

そうだね、出会わなかったかも。
沙織とは違った意味で、
あかりともつながっていたと実感した大貴です。
人の出会いって、確かに不思議だね。

まだまだ

yokanさん、こんばんは

>このまま何事もなく・・・って、祈ってしまった^^;
 でも、そういうわけにはいかないわよね~、

ねぇ……(笑)
なんせ、昼ドラを意識したももドラですから。
このまんま『お幸せに……』とは、いけません。

何かがある……と怖がってもらわないとならないので、
『うーん』と悩みながら、次へお進みくださいね。