20 愛の深さ

20 愛の深さ


秋が優しく包んだ心の傷は、冬の寒さを迎える頃、

乗り越えるための力を、少しずつ蓄え始めた。

沙織は、ただ時をやり過ごす生活から、毎日を自分から組み立てるようになり、

『陽香里』の手伝いも少しずつこなすようになる。


僕は時間が許す限り、彼女の元へ向かおうと思っていたが、

来年度発表される新商品の会議が、何度か予定外に増え、

この2週間、どこにも動けなくなっていた。


「いやぁ、『Tosp』さんは素晴らしい。
この新商品もまた、若い人達の気持ちをつかむのでしょうね」

「いえいえ、まだまだ研究しないとならないことは多いですし」


こういった場所では、とにかく挨拶をして、名刺をもらい、

相手をいい気分にして送り出すことが、僕の仕事だった。

父は、あまり浮いた言葉を使ったりすることが好きではないため、

付き合いのある業者は、僕の方へ話を振ってくる。

初日は業者だけだった訪問客も、今回は、一般公開があったため、

スニーカーを集める趣味がある人から、新しい商品だと聞くと、

手にしてみないと気が済まない人達まで、

会場の盛況ぶりは、ニュースで紹介されるほどだった。


僕は声をかけてくれる人と話をした後、前を見る。

ブースの正面から、僕を見ている男と、自然に目があった。

その目は商品よりも僕に焦点があっていて、そらすわけでもない状況に、

こちらもしっかりと目を合わせる。


「佐久間さん」


不思議な空間から、ご贔屓の店主に声をかけられ、一瞬、僕の目は声の主へ向かった。

頭を下げてまた元に戻ると、その男はいなくなっている。

あの男の顔を、どこかで見たような気だけが残り、なぜかスッキリしない1日だった。





暦が12月になろうとしている頃、仕事が忙しく移動をしていた僕の車に、

めぐみの母親から連絡が入った。

何かまた、沙織が出来るようになったのかと、急いで車を道の隅に停め、

受話器を取る。


「もしもし」

『あ、大貴さん、石垣です』

「お世話になっています。何か……」

『先ほど、『陽香里』の方に、沙織さんのお父さんの秘書という方から連絡が入って、
それで、明日こちらに来ると……』

「明日?」


めぐみの母親は、沙織の父親が明日、

『陽香里』へ来ることになった事実を報告してくれた。

沙織が少し表情を戻し、自分から生活に前向きな姿を見せるようになったことを、

母親が父親に報告したことがきっかけになったらしい。

両親なのだから、子供の明るい兆しに喜びを分かち合いたいのは痛いほどわかるが、

今の沙織の姿を見せ、僕がこの出来事に関わっていることを知ると、

あの父親がまた、沙織を杉町に戻すと言うのではないかと、不安は一気に膨らんだ。

そんなことをされたら、少しずつ重ねてきた兆しは、一気に折られてしまうだろう。

何がどうあったって、沙織が元の場所に戻ることがいいことだなんて思えない。

井ノ口雅美に、また、異様な扱いを受けることは目に見えている。


「わかりました。なんとかそちらへ迎えるようにします」

『そうしてあげてください。私達も、連れて帰るなんてことを言ったら、
警察でも何でも呼んで、阻止しますから』


『陽香里』のみなさんの気持ちは嬉しかったが、

関係のない人達を巻き込むわけにはいかない。

それでなくても、ずっと協力してもらっているのだ。


僕はスケジュールを確認し、明日の朝1番に向こうへ行こうと、覚悟を決め、

また車を走らせた。





次の日、僕が『陽香里』に着いてみると、顔を忘れることの出来ない男が、

玄関前に立っていた。めぐみの母親は長いほうきを手に持ったままその場を動かない。


「あ、大貴さん、こっちに来てください」


男は僕の方へ振り返り、一度頭を下げた。

沙織の父親の事務所前で、押し問答をした時、最後まで僕を中へ入れなかった男だ。


「お久しぶりです」

「あなたに、挨拶などされる間柄ではありませんから……」

「もうすぐ、先生がお見えになります。それまでにお支度をされるように、
奥様とお嬢様にお伝えください」

「……ったく、あんたもしつこいね、
二人ともここから帰らないって、そう言っているじゃないか」


めぐみの母親は、ほうきをさらに高く上げ、今にも振り回しそうな勢いを見せた。

僕はそれを止め、出来る限り冷静な口調で話しかける。


「このまま、強引に東京へ戻したら、沙織は一生、傷を癒せなくなります。
あなたたちは、彼女にこれ以上、何を犠牲にしろと言うのですか」


僕の言葉に、男は黙ったまま、父親の到着を待った。

『陽香里』の中で、ただじっと耐えている沙織の元に向かうと、

沙織の母は、僕に向かって申し訳ないと頭を下げた。


「沙織が少しずつよくなっていることを、主人に話した私が悪いんです。
今は戻らないと何度も電話してみても……」

「お母さん、そんなことはしないでください。
いずれ、こういう日が来ると思っていましたから」


それはウソではなく、本音だった。

沙織の父親だけではなく、いずれ杉町もここへ来ることがあるかも知れない。

杉町沙織として生きている以上、何も知らない人から見たら、

僕の方が異常な行動をしているのだろう。

それでも構わない。

沙織が少しでも元に戻れるのなら、どんな犠牲も惜しむ気はなかった。





もう二度と、彼女を戻さない……





口には出さないだけで、僕にはその強い思いもある。





沙織の父親が『陽香里』に姿を見せたのは、それから2時間後のことだった。

議員として生活しているだけあって、まずはめぐみの母親をはじめとした、

スタッフ達にしっかりと礼をし、そして感謝の気持ちを述べる。

さすがの振る舞いに、ほうきを抱えていた人達も、それを下に降ろした。


「佐久間家のみなさんは、君がこんなことをしていると、気づいているのか」

「いえ……僕の意志でしていることです」

「沙織は杉町の人間だということもわかって、やっていると言うんだな」

「あなた……」

「お前は黙っていなさい。これは私と大貴君の話だ」





僕はめぐみの母の好意に甘え、『陽香里』とは別の場所に移動した。

父親と僕が言い争う姿を、沙織が見たくないだろうとそう言われたからだ。

波の音と、風が窓の外から存在感を告げてくる。


「君が、この話しにからんでいるとは知らなかった」

「お母さんも悩み抜いて、僕に連絡をくれました。
沙織が弱っていく姿を見ているのが、辛かったのだと思います」


色々なものの犠牲になり、感情を押し殺したまま嫁いだ娘の現実に、

名誉や地位にこだわるこの父親は、何を思うのだろう。


「君も知っているのだろう……。杉町に子供が生まれることは」

「はい……噂で聞いています」


窓に打ち付ける風の音が、僕らに微妙な間を作る。


「正直、こんなことになるとは思わなかった。色々な事情もあり、
沙織には辛い決断をさせたが、後から考えたら間違ってなかったと
思ってもらえる自信もあった」


娘が大きな家に嫁に行くこと。

それだけを考えたのなら、杉町との結婚は、確かに正しかっただろう。

しかし、杉町は沙織を愛することをせずに、自らを愛しているだけだった。

そんな環境の中、沙織は誰にも辛い心を吐露できず、結果的に自分を壊してしまった。


「沙織は今も『杉町沙織』だ。心の傷は、君が治すものじゃない。
今は、新しいプロジェクトと、子供が産まれることの騒がしさで、
こちらに気が向かないのかも知れない。しかし、君が沙織に関わっていると知ったら、
翔君の気持ちはさらに複雑化するだろう。きっかけを作ってくれたことはありがたいが、
あとは、私達が夫婦で娘を……」

「それが出来ないから、お母さんは僕に連絡をくれたのではないですか?」


話の途中であることはわかっていた。

こんな状況を作り出しておいて、

それでも自分たちの方が沙織をわかっていると言う父親に対して、

強い言葉を吐かざるを得なかった。


「彼女が嫌がっているのに、自分たちの都合を押し付けて、
無理矢理、杉町の家へ嫁がせたあなた達に、どうやって心の傷を治すすべがあるのですか。
杉町との結婚は間違っていた。もう向こうに戻ることなどないと言って、
これを機会に、別れる方法を見つけてやるのが、本当の親ではないのですか」


言い返されるだろうと、そう思った。

それでも、何を言われても、引くつもりはなかった。

もし、この父親が沙織を強引に連れて戻ると言うのなら、

その時には、僕なりの行動を起こそう、そんな覚悟もあった。





『たとえ相手が誰であっても、沙織は渡さない』





「……どうしてだ」

「何がですか」

「どうして、君はそこまで沙織に関わろうとする。
大貴君、君なら他にも色々な縁を持つ人がいるだろう」


確かに、僕が前向きにさえなれば、話はどこからでも浮かんでくるだろう。

実際、僕との縁談を作ろうと、あれこれ父に対して話があったことは間違いない。



でもそれは、沙織ではない。



「沙織への思いは……今も、色あせたことがないからです」

「思い?」

「沙織と一緒に生きていくこと……それだけをずっと願って生きてきた僕にとって、
今の彼女の状況は、とても幸せだとは思えない」


僕のことを思い、支えてくれた沙織。

たとえこのまま一生、触れることが許されなくても、

それでも、僕は彼女への思いを、消し去ることは出来ないだろう。

一度離れ、別々の時を過ごしたからこそ、その思いはさらに強くなった。

沙織の父親は、それから何も言わずに、ただじっと窓の外を見続ける。


「沙織と君が、一緒に生きていくことなど……無理だとは思わないのか」


時より強く吹く風は、容赦なく窓にぶつかり、怒りの声をあげた。

東京に比べて、自然がストレートに届いて来る。


「ここに世話になることは、君が好意でしてくれていることだと、
待絵は何度もそう言った。だからこそ、沙織を君に任せているわけには行かない。
君は……」





君は……犯罪者の息子なのだから……





そんな言葉で、片付けられるものか……





「今の沙織は……僕にしか治せません」

「何?」

「どんな高価な薬を調合しても、彼女の心は癒せない。
ここにいて、人の優しさに触れることが、今、一番沙織に必要なことなんです。
それを与えてやれるのは、僕しかいない……」


その場限りの強がりでもなんでもなかった。めぐみや彼女の母と出会い、

こうしてここで沙織が少しずつ日常を取り戻している現実を見て、確信したことだ。

沙織の父親はしばらく窓の外を見ていたが、やがて冷たい視線を僕に向ける。


「それだけ、覚悟があるということだな」





覚悟……





僕は沙織の父親から視線をそらすことなく、次にぶつけられる言葉を、ただ待ち続けた。







21 心の刃

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コメント

非公開コメント

選べない

生まれてくる子供に親を選ぶ事は出来ない。
大貴が犯罪者の子であっても、大貴自身に何も
責任は無い。そんな簡単な事がどうして分らない!

その理論で言えば、雅美も産む子も何もいわれる事は無いのだよな・・・

娘の幸せを第一に考えられない父親。
佐織も親を選べなかった子?

親子

yonyonさん、こんばんは

>生まれてくる子供に親を選ぶ事は出来ない。

そうなのですよ。
沙織父としては、『こんなことになるとは……』の思いなのでしょう。
悔しさと、いらだちと、色々なものが混ざっているはず。

二人の未来は……何色なのか。
まだまだお話は続きます。

父の思い

拍手コメントさん、こんばんは

>覚悟とは、何でしょうか…?

沙織の父親と向かい合った大貴。
二人の真剣なぶつかり合いは、次回へ続きます。
覚悟……の意味も、わかりますよ。