22 君の声

22 君の声


だんだんと薄れていく意識の中で、僕はあの男のことを思い出した。

展示会のあった日、少し離れた場所から、じっとこちらを見ていた目、

あれは確かにあの男の目だった。



『お前たちのせいで、うちがどうなったと思っている! お気楽に暮らしやがって!』



もみ合いに必死だったため、誰なのかすら考えなかったが、

あのセリフは、人物をそのまま物語っている。

『菅野ゴム』の孫は、旅に出たのではなくて、

僕に復讐する機会をずっと狙っていたのだろう。

めぐみ達に差入れをしたあの日、逃げるように非常階段を駆け下りたのも、

携帯を店に忘れ振り返った時、横をすり抜けていったのも、

あいつだったような……そんな気さえし始める。



単独の行動をするなと、僕は確かに父から言われていた。

逆恨みとはいえ、『菅野ゴム』が倒産するきっかけを作ったのは『Tosp』であって、

追い込まれる向こうの立場からすれば、

毎日、何事もなかったかのように仕事をする僕に、腹も立ったのだろう。



沙織のことで頭が目一杯になっていて、

父の言葉さえも、どこかに置き忘れていた僕のミスだ。





沙織……





うっすらと目を開けると、そこは病院の中だった。

左手にはあれこれチューブがついていて、どこかボーッとした意識の中、

僕は、背中を浮かせた状態で寝かされていた。

体の芯から痛みが吹き出すような感覚は、自分がまだ、生きているのだということを、

しっかり感じ取ることが出来る。右手に重なるぬくもりに目を向けると、

そこには僕の手を握ったまま眠っている沙織の姿があった。



沙織には、何も起こらなかった。

それだけでもほっとする。



「さ……」


呼びかけるのはやめよう。

きっと、この時間を迎えるまで、沙織も必死だったに違いない。

それから10分ほどして、めぐみのお母さんが病室に入ってきた。

沙織はまだ眠ったままで、僕はありがとうございましたと礼を言う。


「礼なんてとんでもないよ、まぁ、びっくりしてさぁ……」


めぐみの母は、僕の知らない時間を語ってくれた。

沙織が受話器をあげ、どこかに電話をしようとしたところまでは記憶にあるのだが、

それ以降は、何も覚えていない。


「沙織さんが、靴も履かないで走ってきたんだよ集会場に」


沙織はあの後、スタッフがいる集会場へ必死に走り、僕の助けを求めたのだと言う。

沙織に泣きながら腕を引っ張られためぐみの母親は、彼女が話せないことも忘れて、

何があったのかと、何度も問いかけた。


「私もさ、気が動転していたんだね、何なの、何なのって何度も話しかけてさ。
そしたらね、確かに言ったんだよ、沙織さん」

「言った?」

「『だいき』って」


沙織は必死に僕の名前を連呼した。『だいき』と繰り返す沙織に、

スタッフは何かがあったのだとすぐ『陽香里』へ戻って来て、そして僕を見つけた。


「受話器が外れたままだったの。沙織さん、救急車を呼ぼうとしたんだろうね、
でも声が出せなくて、説明が出来なくて……それで」


めぐみのお母さんは、ハンカチで目を押さえながら、その様子を語ってくれた。

僕は自分の手の平を回転させ、沙織の手をしっかりと握りしめる。

助けてくれて、ありがとう……の気持ちを込めて。


「それでね、大貴さん。勝手なことかもしれないけど、めぐみに連絡をしたんだよ」


東京にいるめぐみに、この話を伝えたと申し訳なさそうに告げられた。

この町では、この病院が一番大きいが、刺された部分の処置は終わったものの、

今後のことを考え、しっかりと検査をした方がいいと医師に言われたからだった。


「めぐみから、ご家族に話が伝わるように、だってさ、入院して仕事に戻れなかったら、
向こうだって心配するだろう」


それは当然のことだった。

しかし、このままここを離れると、しばらく沙織の側には来ることが出来なくなる。

無防備な状態の彼女をここに残し、もし、杉町が来たとしたら……



それを誰も阻止することなど、出来ないだろう。



「すみませんでした」


それでも僕は、めぐみの母親に礼を言うしかなく、沙織が目を覚ますまで、

じっと彼女の顔を見続けた。





次の日、東京からやってきたのは父と葵だった。

そして、僕を刺した『菅野ゴム』の孫が、警察に自首したことを聞かされる。


「自首……ですか」

「あぁ、家族から言われたらしい。彼もお前が目の前で倒れるのを見て、
恐ろしくなったのだろう。反省はしているようだが……」

「反省したって、取り返せるものじゃないわ。
二度と刑務所から出ないようにしてもらいたい」

「葵……」

「だって……」


父と葵は、この場所に直接やってきた。

僕は車いすが使えるようになったら、

東京の病院へ入院する手続きがすでに取られていて、

父はこの際だからゆっくり休めと声をかけてくれる。


「私がついているから、大丈夫よ」

「いいよ、お前にも仕事があるだろう」


葵の言葉を、僕はすぐに否定した。

病院に入って検査をするだけだ。傷は思ったよりも深くはなかったため、

資料さえ持ち込めれば、仕事もある程度は可能だろう。


「大貴。私は『陽香里』へ挨拶に行ってくるよ」

「私は行かない」


葵はそう言うと、ベッドのそばに自分の椅子を近づけた。

父はそれならばここにいろと、立ち上がる。


「誰がここに来るかわからないから。私がちゃんと見張っています」


葵の言葉は、明らかに沙織を意識しているものだろう。

父が病室を出て、階段を下りていく音が聞こえると、

葵は何か食べないかと、かいがいしく動こうとする。


「いいよ、葵。何も食べたくないから」


動きもしない状態で、そんなに食欲はわいてこない。

葵はそれならばとまた椅子に座る。


「お兄ちゃん……」

「ん?」

「自分が何をしているのか、考えた方がいいわよ」

「……どういう意味だ」

「沙織さんを、まさかかくまっているとは思わなかった」

「かくまう?」


葵は、沙織が摘んできてくれた花瓶の花を見ていたが、

その真ん中に咲いていた黄色の花びらを、1枚ずつむしり始めた。

そして何もなくなった部分を、手で引きちぎる。


「葵、何を……」

「あの人は、人の奥さんなのよ。いつまで未練残しているの、みっともない」


葵は、まるで花に罪があるかのように、また別の花の花びらをむしっていく。

沙織へ向かう、葵の屈折した思いは、僕にとってどこか恐ろしい気持ちさえした。





父は、仕事があるため次の日の朝早く東京へ戻ったが、葵は僕のそばを離れず、

そのまま『陽香里』に世話になった。昔から要領の良さはあるため、

適当に話を合わせたりすることは出来たのか、

めぐみのお母さんも明るくていい妹さんだと褒めてくれる。


「沙織は、どうしてますか」

「うん、今日も散歩をした後は、裏の花壇を手入れしてくれたりしているよ。
一緒に病院へ行かないかって誘ったんだけどねぇ……」


わかっている。

沙織は、葵がいることで、遠慮してここへ来ることが出来ないのだろう。

葵のことだ。沙織の前で、傷つけるようなことを、口にしていなければいいけれど。


めぐみのお母さんと話をしていると、そこに僕を担当してくれた医師が現れた。

調子はどうだと聞かれ、だいぶ姿勢を保つことが平気になったと返事をする。


「明日、東京から迎えがいらっしゃるそうですから」

「明日?」


少なくとも週末明けだろうと思っていた退院は、急に明日に決定した。

医師と一緒に戻って来た葵は、めぐみの母親に挨拶をする。


「お世話になりました。明日東京へ戻りますので」

「葵……」

「お兄ちゃん、動けない人がいつまでもいるのは、ご迷惑でしょ」


もっともらしいことを言いながら、葵はすぐに出発できるようにと、

ベッド周りを片付け始めた。自ら医師に話を聞きたいと言いだしたのは、

おそらく東京への移動を早めるためだったのだろう。

僕は葵の声を聞きながら、花を持ってきた後、顔を見せていない沙織のことを考え、

空のままになっている、花瓶を見続けた。





次の日は、冬の朝には珍しい、少し暖かみのある朝だった。

病院からそのまま東京へと言った葵に、一度『陽香里』へ戻るように告げる。

父から運転手をして送られた会社のスタッフは、僕の言葉に車を反対方向へ向けた。


「挨拶なら私がしてきたのに」

「それで済むはずないだろう。色々と頼みたいこともあるんだ」


何を頼むのか、葵はわかっているのだろう。

僕に何も言い返すことなく、膨れた顔のまま車の外を見続ける。

『陽香里』のスタッフは、僕が戻ってきたことに驚き、

それでも嬉しそうな顔を見せてくれた。

めぐみの母親は、奥にいる沙織を呼びに向かってくれる。

沙織は玄関で待つ僕の前に、戻って来てくれた。


「沙織、しばらく東京だけれど、困ったことがあったら、みなさんに相談して」

「……はい」


小さな声だったが、確かに沙織の声だった。

背中の傷は、あまりにも突然の事件だったけれど、そのおかげで沙織の声が戻って来た。

僕は車いすを動かし、出来る限り沙織の側に寄っていく。


「必ずまた……ここへ来るから」

「……うん」


沙織は作業用にかけていたエプロンのポケットから、小さなお守り袋を取り出した。

町の人達がお祭りをする神社が、『陽香里』から1時間くらい歩いた場所にあるのだが、

沙織はそこに向かい、僕の怪我が治るようにとお守りを買ってきた。

そして、自分の手で袋を作り、入れてくれる。


「これ、僕に?」


照れくさそうな顔をしながら、沙織は小さく何度か頷いた。


大学の頃、一つ年下の沙織を好きになり、積極的だったのは僕の方で、

初めてプレゼントしてくれた、手編みの帽子を思い出す。

あの時も、こんなふうに照れくさそうな顔をしながら、差し出してくれて、

その赤くなる頬に、僕は思いを乗せてキスをした。





沙織が少しずつ、僕の元に戻ってくるようなそんな気がする。





僕は差し出されたお守り袋を受け取り、そのまま沙織の手を握った。

そして、その手を少し上にすると、手の甲にキスをする。

見ている人もいるだろう。

でも、どうして僕がそんなことをするのか、きっと沙織にはわかるはずだ。





あの頃の純粋な気持ちを、君に持ち続けている僕の……

あの頃と同じ思いを乗せたキス。





「大貴……気を……つけてね」


沙織の声を聞きながら、僕は、何度も何度も頷き、

車が前に進むと『陽香里』は少しずつ小さくなり、やがて見えなくなった。







23 突然の襲来

『ももドラ』確立を目指し、奮闘中です。
励ましの1ポチ、よろしくお願いします *´∀`)ノ ヨロシクオネガイシマス♪

コメント

非公開コメント

先は長い。

あれ?話が繋がんないな~と思ったら、
『21』を飛ばしてた。ヽ(´o`; オイオイ

沙織の父が来て、菅野ゴムの孫が襲ってきて、
そして大貴の父と葵。
しかし次男は来ない。(沙織のしてきた生活が窺える 涙)

それなりに覚悟をしてきた積りだろうが、
まだまだこれから先が長い、と思われる。

只沙織に少しだけでも声が戻った事が救いだわ。

きっかけに

yokanさん、こんばんは

>沙織さんのお父さんもわかってくれたのかな・・・、

大貴の気持ちを聞き、心境の変化はあったのかどうなのか……
その辺は徐々に。

事件をきっかけに、沙織の声が戻りました。
しかし、沙織を守ろうとしている大貴の行動が、
葵の知るところになり、不気味でしょ?

……『ももドラ』なので(笑)
頑張ります。

波紋の先

yonyonさん、こんばんは

>沙織の父が来て、菅野ゴムの孫が襲ってきて、
 そして大貴の父と葵。
 しかし次男は来ない。

杉町家の跡取りが生まれる騒動で、
一家は沙織の心の傷など、どこかに置き忘れているのかもしれません。
まぁ、そんな家にいたからこそ、
こうなってしまったんですけどね。

しかし……

そのまま、このまま流れるままとはもちろん行かないわけで。
『波紋』はどこまで輪を作っていくのか、
この先も、お付き合いください。