リミットⅡ 11 【鎖の重さ】

11 【鎖の重さ】

季節は6月に突入した。夏休みを前に東京西支店営業部はますます忙しくなっている。

その分、咲の雑務も増え続けていた。



『深見亮介じゃないと……ダメなんですか……』



あれ以来、里塚とは挨拶だけを交わすような日々が続いている。そんな気まずい状況を、

咲はなんとかしようと思っていた。もとはといえば、弱気な自分を彼に見せ、

同情をひいてしまったのが悪いのだ。


「ソレイユに行ってきます……」

「いってらっしゃい……」


里塚はカバンを手に取り、営業部を出ていった。咲はまとめた書類をファイルに入れ、

里塚の机に目をやると、いつも愛用しているデジタルプレーヤーがポツンと残されていた。


「あ……」


それを手に取り、里塚を追いかける咲。エレベーターの横を通り、階段で下へかけていく。


「里塚君!」


咲の声に振り向いた里塚に、手に持ったものを振ってみせる咲。


「大事なものでしょ? 忘れるなんて珍しいね」

「あ……すみません……」


そう言いながら咲からプレーヤーを受け取る里塚。あまりこちらを見ることもしない。


「里塚君、私、気にしてないから……」

「……」

「そんなふうによそよそしくしないでよ! あなたらしくないじゃない。
結構、毎日冗談言って笑わせてくれるの、楽しみにしてたんだけど……」

「……」

「我が支店の星、しっかり営業頼むよ!」


咲はそう言いながら、里塚の肩をポンと軽く叩く。里塚は少し照れくさそうに笑顔を見せる。


「おかしいなぁ……。こんなふうにちょっと哀愁漂う表情を見せていると、
女はみんなコロッといくはずなんですけど……」

「……は?」

「早瀬さんはムードよりプリンってことか……」


里塚の顔に向かって、パンチを浴びせるマネをする咲だった。





「久しぶりだね、この店に来るの……」

「そうだね。改装に結構かかってたから……」


咲と利香は昼食を取るために、イタリアンレストランにいた。深見が最初に支店へ来た日、

いきなりカミナリを落とされた咲。その怒りを利香にぶつけながらここで食事をしたことを

思い出す。


今日も、同じようにサラリーマン達が街路樹の通りを歩いている。

あの時は、深見がこれほど大事な人になるとは思ってもみなかった。


「ねぇ、咲……」

「何?」

「我慢してない?」

「エ……」


利香は少しだけアイスコーヒーを口にすると、グラスを置いた。


「みんな、咲が雑務をしてくれるのをいいことに、どんどん甘えている気がするんだよね。
この間だって、報告書軽く書いて、後はお任せ……みたいに咲の机に置いてあったでしょ?
本来、担当の仕事は最後までやることになっているはずなのに……」

「……利香、仕方ないよ。私はツアーに行けないし、雑務くらいしか、
今、あそこで役に立つことないんだもん」


咲はストローの袋をいじりながらそうつぶやく。


「深見さんと中国行っちゃえば? 結婚しちゃいなよ、咲!」

「エ……」

「深見さんだって、そう言わない? 派遣社員にさせられて、雑務ばっかりで……」

「……言ってないんだ……まだ……」


利香は驚きの眼差しで咲を見る。


「黙ってるの? どうして?」

「前にね、本社で勤務していた頃、なかなか周りが動いてくれなくて。
そのことを文句ばかり言っていたら、『俺がなんとか……』って、動いてくれそうになったの。
だから……」

「……」

「いずれわかるけど、まだ言わなくてもいいかなって……」


利香は、咲の複雑な感情を少し理解できる気がしていた。実際、咲が社員として残っていた時、

深見の影がちらついていたのを、社員の中でよく思っていなかった人がいた。

そして、なにより、主任である浅岡が、そのことを一番嫌っていたからだ。


「ねぇ、利香……」

「ん?」

「事故の後遺症って……どんなふうになるのかな……私……」

「……咲……」


ふとつぶやいた言葉に、哀しそうな顔をする利香を見て、咲はすぐに話題を変えようとする。


「あ、秋山さん、主任試験狙うのかな……深見さんも気にして……」

「まだ、検査の途中でしょ? 結果も出てないのに、どうしてそんなこと言い出すの? 
ちゃんと向き合っていけば怖くないんだって、前は言ってたじゃない……」

「……ごめん、利香。私……」

「咲、疲れてるんだよ。ねぇ……」

「ごめん、利香。近頃、どうかしてる。ちょっと弱気になったり、
ふっと将来のことを考えてみたり……。気にしないで。ほら、時間だ……行こう」

「うん……」

「あ……」


その瞬間、咲は目眩に襲われた。一瞬ふらついた体をテーブルについた手で支え、

なんとかバランスを保っている。


「咲……大丈夫?」

「……ごめん、すぐによくなるはずだから……」

「まだ、目眩とか、あったの?」

「……すごく久しぶりなんだけど……ごめんね、利香」

「座りなよ。無理に立たなくていいから……」

「うん……」


少し青くなっている咲の横顔を、心配そうに見つめる利香。


「利香、ごめんね……遅れちゃう?」

「……」

「ごめんね……」


何度も謝る咲を見つめながら、利香は何度も首を横に振っていた。





それから普段通りに仕事を終え、咲は家に戻りそのまま横になった。

あれから目眩が起こることもなく、ここまで無事に帰ってこられた。

また、入院なんてことになったら……。そんなことを考えていると、携帯が鳴り、

咲は急いで受話器を上げる。


「もしもし……」

「咲……」


いつもと同じ深見の声。自分の表情など電話から見られるはずもないのに、

考えていることを全て悟られそうで怖くなる。


「ごめんな、近頃忙しくて電話出来なくて……」

「ううん……」


深見は、動き始めた仕事のことを丁寧に説明し始めた。コンビを組んでいる石原のこと、

女性なのに実力のある長谷部と坂上のこと。そして、いつもそばで遊んでいるタマのこと……。


「咲はどうなんだよ、近頃……」

「エ……うん。それなりかな」

「それなり……か。まぁ、元気ならいいけど」

「元気ですよ」


思わず、わざとらしいくらいに『元気だ』という部分に力が入ってしまう。


「そっか……。たまには深見さんに会いたい……って泣かないの?」

「エ……」

「俺は毎日、咲に会いたい……って泣いてるんだけどな……」


あなたに会いたい……。そのことを思わない日などない。


「……また、ウソつく。タマと楽しく過ごしてるんでしょ!」

「……あ、妬いてるな。相手はネコだぞ!」

「妬いてません! 私だって、隣にいてくれる相手くらい探せますよ」

「……ん? その発言、聞き流せないんだけどなぁ……」

「アヒルとか……くま……とか?」

「あぁ、なんだ……ぬいぐるみか。……俺とは勝負にならないよ!」

「勝負って……なんの勝負をするんですか?」


なんとか咲の気持ちを盛り上げようとする深見。口には出さないけれど、

咲の状況があまりよくないのだろうと、それなりに感じていた。

咲が仕事を順調にこなしているのなら、なにかしらエピソードなり、

失敗談なりをここで話しているはずなのだ。

ここであまり、責め立てるように状況を聞き出しても、咲を追い込むだけだ……。

深見はそう思いながら、わざと明るい声を出す。



『咲……そばにいられたら、すぐに抱きしめてやれるのに……』



互いの気持ちを隠した電話は、タマが焼きもちを妬くまで続いていた。





深見との電話を切った後、田舎の母から電話があった。弟の卓が、大学受験の模試を受けに

東京へ来るのだと言う。土曜日の夜に、一日だけ泊めて欲しいという母。


「うん……わかった。そうか、卓、受験なんだね今度」

「そうよ、あっという間でしょ? 咲が東京へ出ていった時には、まだ小学生だったのに……」

「うん……」


東京の国立大学を志望する弟。合格して東京へ出てくれば、

母は本当に一人になってしまうのだ……。咲はふとそう考える。


「狭いけど、一日だから我慢しなよ」

「うん……」


弟の卓が咲のところへやってきたのは、土曜日の午後だった。母に持たされたと、

ほうれん草を渡される。


「こっちだって売ってるのにね」

「知らないよ。姉ちゃんに持って行け! って、本当はもっと多かったんだ。
俺がいい加減にしろって言ったからこれだけになったんだぞ」

「そう……」


咲は野菜を冷蔵庫にしまい、麦茶を入れる。


「はぁ……人混みに疲れたよ」

「何言ってるのよ。東京の大学通って、就職したら、混雑した電車からなんて
一生逃れられないわよ」

「……そうか……」


卓はTVのチャンネルを持ち、スイッチを入れる。


「なぁ、姉ちゃん。その後体調どうなんだよ。母さん心配してたよ」

「……うん……」


母が心配していることはわかっていた。正月に戻った時にも、

田舎へ帰ってこないのかと言われたのだから。



『もし、一生事故の後遺症を咲が背負っても、結婚してくれるんだろうか……』



そうつぶやいた母のセリフは、忘れることが出来なかった。その時はつっぱねてみたが、

近頃、自分でもそう思えてしまう。


「卓が帰るとき、私も一緒に帰ろうかな……」


咲は、そう言いながら少しだけ笑っていた。





真夜中にふっと目が覚める。近頃こんなことがよくあった。

ベッドの下には弟の卓がうつぶせになって眠っている。年が離れているせいか、

あまりケンカをしたこともなかった弟。


いつのまにか……大学を目指す年令になったんだね……。


カーテンの隙間から入ってくる月明かりに誘われ、咲は窓の外を眺めていた。

街灯のついている電信柱に、深見が寄りかかり立っていたのは、もう1年半前のことになる。

あの時は、ただ、その瞬間だけを考え生きてきた。もしかしたら終わってしまうかもしれない

人生の中で、最後まで深見を見つめ続けたいとそう思っていた。

想いが伝わり、彼が側にいてくれるようになった時、初めて自分の未来を考えるようになった。

深見と、これからもずっと一緒にいたい……。

自分だけではなく……二人の未来……。



『事故の後遺症』



病院から渡された薬の袋。まさか、また、そんなことに悩まされるとは思ってもみなかった。

社員として勤務することも出来なくなり、肩身の狭い思いをする日々。

そして、深見との将来についてくる『後遺症』という名の鎖。



『あなたを追っていた頃が……懐かしい……』



ベッドに戻ってからも、なかなか眠りにつけない咲だった。





「深見! 日本へ一度戻るぞ!」

「エ……」


石原からそう告げられたのは月曜日の朝だった。手に持った書類を指さしながら、

石原はこう言った。


「上の方から許可が出たらしい。順番で戻れることになったんだ」


深見はその話を聞き、すぐに咲へ連絡を入れる。仕事の打ち合わせで戻るとはいえ、

何日かは自由になれる。その時にゆっくり話を聞こう。



『電源が入っていないか……電波が届かないところに……』



一瞬不思議に感じた深見だったが、仕事を終えた後にでももう一度かけようと、携帯を切った。

しかし、昼の休憩時間、そして仕事を終えた後、何度も咲の携帯へ連絡を入れたが、

電源が入り、彼女の声を聞くことは出来なかった。

こんなことは今までになく、いささかおかしと思った深見は、秋山の携帯へ連絡を入れる。


「もしもし……」

「あ、深見さん……」

「悪いな、急に。咲の携帯がつながらないんだ。あいつ、何かあったのか?」


秋山は答えに迷っているようだった。深見は知っているなら話して欲しいと言い返す。


「あいつ……今日から休暇を取ってます。突然なんで驚いたら、宮本が、先週の末にまた、
少し体調を崩していたって……」

「倒れたのか?」

「いえ、ただ、精神的に少し……派遣社員になったこともあるし……それに……」

「派遣? いつからそんなことになってるんだよ……」

「……エ……」

「いつから……」


深見がつなげたい咲の携帯電話は、電源を切られた状態で、

マンションのテーブルの上に残されたままだった。


                                    …………まで、あと829日





やっぱり深見だよね……

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