26 愛の意味

26 愛の意味


僕は……

君がいなくなったら、きっと、

生きていることをやめてしまうかも知れない。





僕の全てを愛し、僕が全てを愛した人は、

思い通りにならない人生を悲観し、海から身を投げた。

運命に逆らい、思いあうことが罪になるのなら、

神はきっと、僕らを浮かび上がらせることなく、海に沈めたのだろうが……





僕は……





山の急斜面を下りたところに、小さな岩場があり、そこに畳半畳ほどの砂浜があった。

沙織が飛び降りたところからは、隠れた場所になるが、少し窪んだ地形が幸いし、

波も穏やかだった。僕は沙織の体を必死につかみ、そして、今、ここにいる。

しかし、連絡を取ろうにも携帯はそばになく、上を見ても人の影はない。

冷え切った彼女の体を温めようと、僕は必死に抱きしめ続けた。

沙織の心臓に耳を当て、確かに動いていることを確認する。

それでも、このまま夜になれば余計な体力が奪われることは間違いなく、

なんとかしようとするものの、右足に激痛が走った。

助け出すときにはわからなかった痛みが、時間の経過と共に、

少しずつ僕の体を痛めつけていく。

それでもこれ以上、ここにとどまっているわけにはいかなかった。

早く冷たい彼女の体を温めなければ、かろうじて救った命が消えてしまうかもしれない。

僕は、意識の朦朧とする沙織を背負い、なんとか上へ向かえる細い道を見つけ、

その先へ向かって歩き出す。


それから20分後くらいに、サイレンの音が聞こえだした。

救急隊の声が僕に届き、その場に立ち止まって返事をする。



『確認しました、今、そちらへ向かいます! その場でお待ちください』



めぐみの母親だろうか、それとも、腰を抜かした杉町が連絡をしたのだろうか、

救急隊員が僕らを助けるために、急な山道を下ってくる。


「佐久間大貴さんでしょうか」

「はい……」

「救急隊員の西条です」

「ありがとうございます」


西条さんは自分の背中に沙織を乗せるようにと言ってくれたが、

僕はそれを拒否したまま、歩き続ける。

傷ついた彼女の体を、他の誰にも任せたくはなかった。

足の傷みはあるけれど、背中に感じる沙織のぬくもりが、僕の心を励まし続ける。

西条さんに背中を支えられたまま、僕達は救急車のある場所へ到着した。


「沙織!」


沙織に駆け寄ろうとした母親を、止めたのはめぐみの母だった。

取り乱している母親の涙は、周りの人たちにも思いの深さを伝えていく。



「沙織……沙織!」

「お母さん、大丈夫ですから……」


僕は、沙織の鼓動がしっかりとしていると返事をし、救急車に向かう。


「沙織……」


僕の背中にいる沙織に、手を伸ばしたのは杉町だった。

僕はその手を払い、そして沙織をかばいながら杉町と向かい合う。





「汚い手で、沙織に触れるな!」





「何……」


杉町の背中越しに、僕を追ってきた葵の顔が見えた。

沙織が身を投げたことを知り、自分が想像していた以上の出来事が起こったことに、

どういう顔をしたらいいのかがわからないようだった。

いつものような挑戦的な目ではなく、行き場の定まらないような目は、

すぐにそらされる。





「いいか……そのウソだらけの口で、『愛してる』などと言葉を吐くな。
お前に、沙織を幸せにすることなど絶対に出来ない、これでわかっただろ」

「佐久間……」


目の前に立つ杉町の、歯を食いしばる音が僕の耳に届くのではないかと思うくらい、

あいつの表情は、悔しさに満ちている。





「『愛している』の意味を、僕がお前に教えてやる」





僕は杉町に背を向け、沙織と救急車へ乗り込んだ。

後ろから何か言っている声だけは聞こえたが、言葉の意味など知ろうとも思わなかった。

また、汚い手を使い、僕の邪魔をすることくらい承知している。

それでも、ここまで傷ついた沙織を、渡すことなど出来なかった。





僕は、海に身を投げた時から、全てを覚悟したのだから……





沙織を病院に届け安心したのか、僕は待合室で意識を失った。

気づくと、以前入院した部屋と同じ部屋で、目を覚ます。

今が昼なのか、夜なのか、それすらもよくわからない。


「大貴さん、起きたんだね」

「あ……」


僕を見守ってくれていたのは、めぐみの母親だった。

すぐに沙織の様子を尋ねると、少し前に同じように目を覚まし、

母親と抱き合って泣いたのだという。


「そうですか」


めぐみの母親は、杉町がとりあえず東京へ戻ったことを教えてくれた。

そして、かけていたエプロンのポケットから、1通の手紙を差し出してくれる。


「これは……」

「ごめんよ。沙織さんが海に行くのは、毎日のことだったからさ。
まさかあんなことになるなんて、思いもしてなくて。
大貴さんになんて謝ったらいいのか……」

「いえ……」

「あの電話を切った後、沙織さんの部屋で2通の手紙を見つけて。
一つはお母さん宛で、もう一つが大貴さん宛だった」


めぐみの母親から受け取ったのは、沙織が僕宛に書いた手紙だった。

『陽香里』へ来てから、沙織とは何度も手紙を交わした。

その筆跡がしっかりとそこにある。



『大貴、あなたがこの手紙を読んでいるのだとしたら、
私はあなたに謝らないとなりません。助けてもらった命を、
このようにしか使えなかったことを、どうか許してください』



手紙は、僕への謝罪から始まっていた。

一緒に頑張ろうと誓ったものの、『三宝製薬』への嫌がらせの話を聞き、

これ以上、他の人たちに迷惑をかけることは出来ないと思ったこと、

何度も杉町と連絡を取って、離婚を切り出したことも綴られている。

そして、自分を連れに来る杉町と、『最後の勝負』をすることも。

それが聞き入れられなかった沙織は、この思いを胸に、海へ身を投げたのだろう。



『彼は、あなたが思うより、寂しい人です』



彼というのは、杉町のことだった。

あれだけのことをされながら、沙織は杉町に対し、恨みを書くのではなく、

一緒に暮らしてみてわかったことを、淡々と書いている。

幼い頃から母にたきつけられ、優秀な兄と比べられ続けたこと、

『欲』が強く、何かを見つけると、自分のものにしないと気がすまなくなること。

そして、その後、どうしたらいいのか、愛情の注ぎ方を知らないこと……

形のあるものだけを愛してきた杉町の、僕には見えていない部分を、

沙織は見せようとしていた。



『彼には、血を分けた子供が産まれたのだから、
私は、その子にしっかりと愛情を注いで欲しいと思っています。
子供にとって、父親は杉町だけで、それは誰にも変えられないからです。
でも、今、私が逃げていくことが嫌で、彼は私を戻そうと必死になっていて、
さらに冷静さを失っています。葵ちゃんも、大貴と血がつながらないことを知って、
複雑な思いの中にいるし、私さえいなければという思いが、日に日に強くなりました』



自分がいなくなることで、沙織は杉町に対して、何かを告げようとしたに違いなかった。

僕への愛情とは別の部分で、彼のことを思っていることがわかる。



『大貴、あなたと一緒に生きたいと願っていたのは本気です。
それでも、今の私には、これしか出来ませんでした。
もう一度、杉町の家に戻るつもりはありませんし、
それでも、私が存在すれば、杉町は自分のプライドを保とうと必死になってしまう。
だから、これしか出来ませんでした。本当にごめんなさい。
大貴、あなたを悲しませることが、私の気がかりです。
どうか、沙織は不幸だったと思わないで。あなたに愛されたことは私の誇りです。』



杉町を恨むことなく、その寂しさを受け入れ、

僕に複雑な感情を向ける葵に対しても、沙織は理解しようとしていた。

世話になった母親と、僕に残した手紙。

おそらく向こうにも感謝の気持ちが綴られていたのだろう。

声が出なくなるほど、追い込まれた生活を嘆くことなく、

胸に秘めた幸せの気持ちとともに、海に散ろうとした人。

文面から溢れる沙織の苦しさを強く感じながらも、僕は悔しくて仕方がなかった。





僕はそんなに……

強い人間ではない……





手紙を読み終えると、手にしっかりと握りしめたまま、

僕はベッドから立ち上がり病室を出た。

廊下を挟んだ建物の反対側に、沙織が眠っている部屋がある。

沙織の心がどれだけ疲れていて、どれだけ迷いの中にあったのか、

それは手紙を読まなくてもわかっていたが、それでも言わずにはいられなかった。

部屋の名前を確認し、ゆっくり中に入ると、夕日が沈む瞬間を見ているのだろうか、

穏やかな顔をした人がそこにいる。


「大貴……」


僕の気配に気づき、顔を見た沙織は、申し訳なさそうな目をしたままだった。

僕は返事をすることなく、ゆっくりと彼女の横に立つ。


「ここが病院でなければ、君を殴っているかもしれない」


沙織は何度も頷き、両手で顔を覆った。

おろかなことをしたということも、わかっているのだろう。


「もう二度とこんなことはするな。僕は君に言ったはずだ。
二人で生きていくために、力をあわせようと……」

「……ごめんなさい」


自ら海へ身を投げたはずの沙織を、この手につかめたのは、

無意識に彼女の心が、『生きたい』ともがいたからだろう。


「沙織……僕は君が思うほど、強い人間じゃない。
君を失いたくなくて、だから躊躇なく海に飛び込めた。
もし、僕と君が求め合うことが間違っているのなら、
きっとそのまま浮かび上がることもないとそう思ったからだ」


それは本音だった。杉町が腰を抜かしているのを見た瞬間、

沙織が海に身を投げたことがわかり、僕はそのまま飛び込んだ。





この命を失うことよりも、沙織を失う方が辛いことだと、

それを知っているから……





「もう一度言う、僕が必ず君を守る。だから、二度とこんなことはするな。
もし、同じようなことを繰り返した時には……」

「大貴……」

「僕も同じ方法で君の後を追う」





『君が命を絶つことは、僕を殺すこと……』





だんだんと口調が強くなるような気がして、僕は言葉を止めた。

それでも、目の前に沙織が座っていて、確かに生きていることを受け入れた心は、

自然と寄り添うつもりになっていく。

怒りに手紙を握りしめた手とは反対の手が、愛しい人のぬくもりへ自然に向かい、

沙織の頬に触れると、確かに温かく、流れる涙が指を濡らした。


「生きていて……よかった……」


僕は沙織に背を向けると病室を出た。静かな廊下を歩きながら、

自分の進むべき道を思い、一歩ずつ踏みしめていく。

一度失ったような命と、この手につかんだ沙織を思い、

何事にも、どこか臆病だった自分が少しだけ強くなれる、そんな気がした。







27 必勝宣言

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コメント

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こんばんは

拍手コメントさん、こんばんは

>毎回楽しみにしています。

ありがとうございます。
楽しみにしてくれている、みなさんあってこそ、
創作が続くのだなと、思っているんですよ。
『読んでもらえる』ことが、嬉しい私です。

>昨日と今日で、2回拍手してしまいました。

あはは……本当ですか?
拍手は1日に1回しかカウントされないですからね。
よかったら、また拍手してやってください。
すごく、励みになるので。

これからも、よろしくお願いします。

ホッ!

ハァ~~助かって良かったよ。(当然助かるとは思っていたけど・・)
まだ何も解決してないものね。
これからが本当の戦いになるのかな?

大貴も佐織も逃げずに前を向いて!

次男が寂しい子供時代を過したからって・・・フン

いよいよ

yonyonさん、こんばんは

>これからが本当の戦いになるのかな?

色々と出来事が重なり、
いよいよスタートというところでしょうか。

この出来事が、それぞれにどんな変化を
作り出すのか。その辺も応援しながら読んでやってください。

さらに……

yokanさん、こんばんは

>杉町が可愛そうな人だとは思うけど、
 だけど間違っているものは間違ってるのよ。

そうそう、自分のマイナス部分を、
人に背負わせちゃダメだよね。
杉町の回りは、それぞれが自分のことだけを考えていて、
まとまりがないようです。

大貴は、この事件であることを決めました。
さらなる続きにお付き合いください。