リミットⅡ 12 【ウソの言葉】

12 【ウソの言葉】

深見は秋山との電話を終え、ため息をついていた。咲の状況があまりよくないということは

分かっていたが、派遣社員待遇にされていたことまでは何も知らなかった。

近頃、あまり仕事のことを言わなくなったのは、きっとこのことが原因だったのだろう。


「深見君、石原さんが呼んでるけど……」


どこか上の空の深見の前で、書類を振ってみる祥子。


「あ……ごめん、何?」

「……何って聞きたいのはこっちです。どうしたの? ボーッとして……」


深見は秋山に聞いた通り、咲が倒れてからの状況を祥子に語り出した。

規則として、決まっていても、実績などで社員として働いている人は、仙台にもいるのだ。


「西支店の考えが間違っているとは思えないけど……。
悪いけど、あなたのいる仙台支店とは状況が違いすぎる」

「……」

「西支店は、規模の割にお客様の数が多いのよ。それはあなたも主任として
赴任していたんだからわかるでしょ? 少しでも効率よく仕事を回すためには、
条件が悪い人がいたら、周りに負担をかけるだけだもの……」


深見は祥子の言葉に、それ以上の反論をしなかった。

彼女はずっと本社で働いてきた人間なのだ。支店の一人ずつの状況など理解できるはずもない。


「浅岡さんに電話して、深見君がどう早瀬さんのことを言ってみても、きっと待遇は
変わらないし、むしろ、感情を逆撫でするだけで、プラスにはならないと思うけど……」

「逆撫で?」

「言ったでしょ。浅岡さんにはあなたに対するコンプレックスがあるの。
まさかそれを早瀬さんにぶつけているとは言わないけど。それより、早瀬さんと話をしたの?
そっちが先じゃない。彼女はこのことをどう考えているのか」

「つながらないんだ……。今日、一日、いつかけてもつながらない。会社に、
1週間の休みを申請したって」

「……エ……」

「また、少し体調を悪くしているらしいんだ。そんなことも、何も言わないから、
ただ普通に過ごしているんだとそう思っていた」

「……」

「あいつ、もう東京へ戻らない気じゃないだろうか……」


深見が咲を心配する横顔を、祥子はただじっと見つめていた。





その頃、咲は実家に戻り部屋の中から月を見ていた。東京の明るさの中にある月に比べると、

くっきりとよく見える。

突然、弟と戻ってきた娘を、母は何も言わず笑顔で出迎えてくれた。

久しぶりに3人で食事をし、くだらない話で笑いあった。

明日は何をしよう……。

咲は眠れない時間を、もてあましていた。





「あはは……おばちゃん、おもしろい」

「村上のおじいちゃん、昔からパワフルだったでしょ。
大会関係者が年令聞いてビックリしてたんだから」

「そりゃそうだよね……」


咲は次の日、義成の家を訪れていた。義成の両親は明るく咲を出迎えてくれたが、

義成だけはどこかそっけなく、挨拶を交わしただけで、さっさと出前へ出かけていく。


「なんだか、愛想ないね、あの子……」

「ううん……いいの。突然来ている私に合わせる必要なんてないんだから……」


咲はそう言いながら、店を出て行く義成の後ろ姿を見る。

バイクのエンジン音が響き、やがてその音は小さくなっていった。

義成の家を出て、あちこちブラブラと歩いた後、咲は小さい頃に遊んだ川へやってきた。

夏だけあって、裸になった子供達が川遊びを楽しんでいる。



『あんなふうに遊んだっけな……昔……』



与えられたおもちゃなんてなくても、石や木や水で何もかも作り出していた。自分たちには

無限の可能性があって、なれないものも、出来ないこともないと信じていたあの頃。

その中にいた一人の男の子が、なにやら捜し物をしているように下を向いて歩いている。

咲は思わず何を探しているのかと問いかけてみた。


「目印になるようなものを見つけてるんだ。あれ、俺たちの基地だから」

「基地?」


少年が指さす方向には、流れ着いた板や木などで囲まれた場所があった。


「あ、そうだ……」


咲はポケットからハンカチを取り出すと少年に手渡す。

これを木にくくりつけて旗を作るように指示をした。


「いいの? もらって……」

「いいよ……」

「ありがとう、おばちゃん!」



『おばちゃん……って……』



とんでもないお礼のセリフに、少しだけガッカリした咲だったが、

嬉しそうな少年の顔を見ながら、夕暮れになるまでそこに座っていた。

そんな生活を3日ほど続けていた夜。


「咲……。こっちへ戻ってきなさい……」

「……お母さん」


黙っていた母が、本題を切り出してきた。いつかそう言われるだろうと思ってはいたが、

一瞬言葉に詰まる咲。


「少しこっちで、ゆっくりすればいいんだよ……。東京にこだわる理由なんてないじゃない」


東京にこだわる理由。今の咲にはたったひとつだけ……その理由がある。


「お母さんも、そうしてくれると嬉しいんだけど……」


仕事が思い通りに出来なくなったこと、自分の健康に自信がなくなったこと。

そんな自分に、深見との未来を夢見ることが許されるのかどうか……。

つい、グチを言いそうになる。ここで一言、口から出してしまったら、

もう止める事なんて出来ないかも知れない……。


「今は辛いだろうけど、時間が解決させてくれるよ」



『時間が解決するよ……』



そのセリフは、以前、深見が咲に言ってくれたものだった。ゲームセンターで偶然会った篤志。

裏切られたという気持ちを深見に見透かされていた日。篤志以外の人を愛せると

思っていなかったのに、いつのまにか自分の心の中は深見でいっぱいになっていた。

そして、今、その心を……また、時間が解決してくれるのだろうか……。



『深見さん……』





「ん?」


ニャーというタマの声に、振り返る深見。結局、浅岡に電話をかけることは出来なかった。

秋山からもらった報告も、マンションにいる気配がなく、おそらく実家に戻っているのだろう

……ということだけ。

自分が日本に残ることが、彼女の負担になる……そう思いここへ来たのに。

一人で悩んでいる咲を、放っておくことしか出来ない。


「タマ……ミルクいらないのか?」


いつもなら喜んで飲んでいるのに、今日は一口も飲もうとはしない。

深見はタマを抱き上げて、耳の後ろや、のどのあたりをなでてやる。


「イテ……」


タマは深見の指を咬み、腕の中から抜け出していった。



『咲……逃げるなって言ったのに……』



不安な夜が、また一日過ぎていった。





咲が実家へ戻って5日目。川のいつもの場所で座って子供達を眺めている。

咲が渡したハンカチはちゃんと木にくくりつけられたまま、基地のシンボルになっていた。

会社にとりあえずもらってきた休みは1週間。このままここへ残るのか、

それとももう一度東京へ戻るのか……。あれからまた、母は何も言わずに黙っている。



『もし、一生事故の後遺症を咲が背負っても、結婚してくれるんだろうか……』



そう母に言われたことが、どうしても耳から離れない。

いつか、深見の側を離れなければならない時がくるのだとすれば……。


「咲!」


その声に振り向くと、そこには義成が立っていた。


「よっちゃん……どうしたの?」

「お前、いつまでここにいるんだよ。仕事は?」


幼なじみだからなのだろうか。他の人だと普通に受け取れるセリフも、

義成だとつい説教されているような気分になり、咲は思わずふくれっ面でそっぽを向く。



『何も事情を知らないくせに……』



「人のことなんていいでしょ。自分が働きなさいよ」


咲はそう言い返すと視線を川の方へ移す。


「おばちゃんが今朝言ってたけど、こっちに戻ってくるって……本当なのか?」

「……」

「おい、聞いてるだろ」


そう言いながら義成は咲の腕をつかんだ。咲はそのつかまれた腕を自分の方へ引き戻す。


「そう、もう、戻ってこようと思ってる。仕事なんて言ったって、
体調崩して責任ある場所にはつかせてもらってないし。どうだっていいような
雑用ばかりなんだもん。私がいなくたって全然問題ない」


勢いに任せたまま、そう言い切る咲。本当にそう思っているのかなんて……自信もないくせに。


義成は咲の首を確認した。家に来た時も、そして今日も、あの『お守り』だと

病院でも離さなかったペンダントをしていない。


「お守り……外したんだ……」


咲は一瞬、その言葉に表情を変えたが、すぐにそうだよ……と返事をする。


「ねぇ、よっちゃん。ここに二つの商品があります。片方はちゃんとした完成品。
もう一つは壊れている場所のある粗悪品。さあ、あなたはどっちを買いますか?」

「……」

「聞かなくたって……答えなんて出てるじゃない」


粗悪品と言ったのは、自分のことなのだろう……。義成はすぐにそう思った。


「深見さんのことも、忘れるんだな……お前……」


少し言葉が詰まる。それでも勢いで発する言葉は止められず……。


「そう出来ればそうしたい。事故の後遺症を背負いながら、彼に迷惑をかけながら
側にいるなんて……」


そう言った咲の言葉を、真剣な顔で聞いている義成。


咲は義成の次の言葉を待っていた。『何言ってるんだ!』、それとも

『そんなこと言わずに頑張れ!』どっちでも構わない……。そんなふうに言ってもらえれば、

言い返すことも出来るかも知れない。



『深見さんの側に、お前はいたっていいんだよ……』



そんなふうに言って欲しい……。自信をなくした自分の心を、誰か後押ししてほしい……。

咲はそんなふうに考えていた。

しばらく何も言わずに立っていた義成だったが、一つだけ石を拾い川へ向かって投げる。


「よし、それなら、ここで待ってろ。1時間したら戻ってくる」

「エ?」

「ムシャクシャしてるんだろ。おもしろいことをしてやるから。いいな、待ってろよ!」

「……よっちゃん……」


義成はそう咲に告げると、バイクにまたがって川をあとにした。咲は立ち上がり、

手に持った小さな石を、力任せに川へ放り投げていた。


「エ……咲の荷物?」

「あぁ、上にあるの?」

「あるけど……よっちゃん……」

「おばちゃん、こんなふうに咲を受け入れたらダメだ。あいつ、腐った人間になっちゃうぞ

「……」

「おばちゃんには悪いけど、咲はここにいたら幸せなんかに絶対になれない! 
あんな顔して、周りをうろつかれたら迷惑なのはこっちの方だ」


義成はそう咲の母に告げると、階段を上り、咲が持ってきたバッグをつかんだ。

鏡台の上に置かれていたポーチ、そして……。

呆気にとられている咲の母を置いたまま、義成は咲の元へ戻っていった。



『あいつ、腐った人間になっちゃうぞ……』



咲への想い、卓が離れることの不安、そんな自分の感情を、義成に読まれていた……。

咲の母は大きくため息をついていた。





だんだん日がかげりだし、遊んでいた子供達も少なくなってきた頃、バイクの音がして、

義成が戻ってきた。時計を見ると、1時間半くらい経っている。


「よっちゃん……遅いよ。待ちくたびれた……」


義成は無言のまま咲の横を通り過ぎ、川の方へ向かう。


「咲、来いよ……」

「何?」


義成の真剣な表情に、何か嫌な予感のする咲。川の方へ2、3歩近づいた時、

義成がポケットから何かを取り出した。指で挟んで見せたものは、

夕日に反射してキラリと光っている。


「……あ……それ……」

「田舎に戻るんだろ。深見さんに迷惑をかけるのがイヤだから、みんな捨ててくるんだろ。
だったらこんなもんも捨てちまえよ」

「……そんなこと、私……言ってないよ……」


そう言うと、義成は川の方をむき直し、右手を振り上げた。


「よっちゃん、ダメ! やめて!」


咲の叫ぶような声を無視し、義成の手からキラリと光りながら

ペンダントが川の中へ沈んでいく。


咲は、声を出せないまま川の中へ入り、今落ちたはずの場所へ向かっていった。

私のものになって、私を想ってください……。

リミットから解放された咲を、深見が包んでくれたあの日。

『咲を神には渡さない……』と誓ってくれた。



『深見さん……』



逃げずに待っている……。そう誓ったのに、大切なペンダントを外し、逃げてきた自分。

東京なんて、もう戻らない……。本当は寂しくて仕方がないのに、強がって言った言葉。

本音なんかじゃない。ただ、自分を包んで欲しかった……。



『咲も辛いよね……』



そう言って欲しかっただけなのに……。



『咲……』



そう呼んでくれた深見の声が、耳にハッキリ残っている……。

咲が動けば動くほど、川の水は、砂と混じり汚くなっていく。


「いやだ……深見さん、深見さんが、なくなっちゃう……」


底を探るように手を伸ばすが、流れと、汚れに逆らうことは出来ずに、

川底に生えたコケに何度も足をとられそうになる。



『深見さん……待って! 行かないで!』



義成はそんな咲の慌てる様子を、ただじっと見つめている。

やがて、全身ずぶ濡れになりながら、咲は力尽きたように、

その場にしゃがみ込んだまま泣き続けていた。

                                    …………まで、あと824日





やっぱり深見だよね……

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