リミットⅡ 15 【旅立ちの日】

15 【旅立ちの日】

「おはようございます!」

「お、早瀬……パンフレットもう出せるか?」

「あ……あと少しだけ店番押さないと。終わったらすぐに出します」


深見が1週間の滞在を終え、中国へ戻り、咲の毎日がまたスタートした。



『咲……戻ってきたら、結婚しよう……』



そう言ってくれた深見の言葉が、少し後ろ向きだった咲の気持ちに力を与え、

強くしてくれていた。





「それでは、乾杯!」

「乾杯!」


主任の浅岡の送別会、咲はビールのビンを持ち、浅岡の元へ向かう。


「お世話になりました。それと……横浜行きのお話、ありがとうございました」

「断ったんだってな」

「すみません……」

「いや、いいよ。君が好きなようにすればいい。僕がとやかく言うことじゃないし……」


どこかトゲがあるような浅岡の言い方にも、もう慣れていた。悪い人ではないのに、

人と接するのが上手くないのだ。


「頑張って下さい……」


咲は頭を下げ、浅岡の前を去ろうとした。


「早瀬」

「はい……」

「君も、頑張れよ……」

「……はい」


浅岡は最後までクールなまま、東京西支店を後にした。





季節は10月に入り、中国にいる深見達はいよいよ支社立ち上げ時に出される、

中国ツアーの会議に入っている。それぞれ役割分担をし、チームに別れて活動を行っていた。


「深見君、これ……」

「あ、ありがとう……」


祥子はそれだけ言うと、スッと前を通り過ぎる。夏に日本へ戻ってからの祥子は、

どこか辛そうな顔を見せることが多かった。


「深見、行くぞ!」

「……はい……」


気にはなっていた深見だったが、何も聞けない日々が続いていた。





「うーん……」


咲はアンケート用紙を目の前に置き、頭をひねっていた。以前から、考えていたことなのだが、

簡単にチェックできる場所には答えてくれても、文章を長々と書かなければならない項目は

空欄のものが多い。


「チェックシート?」

「はい、もっと簡単に答えられるように、ちょっと変えてみたいんですけど……。
以前、ツアーに参加した時、バスに揺られてアンケートを書くことが、結構苦痛だったんです。
それをどうにか出来ないかなって……」

「やってみればいいんじゃないの?」


秋山が横から、咲の提案に賛成する。直接接客をすることが出来ない咲だったが、

自分の出来ることを探して、仕事に取り組むようになっていた。





「どうしたの? 急に外で食事しようだなんて……デートじゃないでしょ」


祥子はどこか嬉しそうに、そう深見に問いかける。


「作戦会議ってところかな……」


そう言いながら、笑う深見。


「なんだ、期待して損したわ……」


二人は、社員達がよく通っていく日本料理店へ向かっていった。


「日本で何かあったのか?」


祥子は一度深見の方を向いたが、すぐに首を横に振る。小鉢に入った豆を、箸でつかみ、

口へ入れた。


「……彼女、元気?」

「エ……あぁ、それなりに張り切って仕事しているみたいだよ」

「そう……」


どこか寂しそうな表情をする祥子。昔から、人に弱みを見せることを嫌う人だったが、

さらにそんな鎧が固くなっている気がする。


「何か、あったんだろ」

「何かって?」

「タマを預けていったのに、君だけ2日早く帰ったって聞いたから……。
戻ってくるのも少し遅かったし。だから、このことを聞くのも今日になって……」

「何もないわよ。もう、変なかんぐりするのやめてよね!」

「かんぐるわけじゃないけど、何かあるんじゃないかって……」

「……深見君にプライベートの相談なんてしません。早瀬さんに失礼じゃない……」


祥子は深見に酒をつぎながら、軽く笑う。


「幸せなのね、深見君は……」

「エ……」

「私が不幸せそうにでも見えたのかな……。自分が幸せだと、人のことも気になるって
いうわよ。気にしてくれなくても、悩みくらい相談する人……いますから!」


深見はそれ以上、何も聞くことが出来なかった。





季節は冬を迎え、咲が新しく作り直したチェックシート式のアンケートは、

思ったよりも好評だった。体調も崩れることなく、毎日充実した日々を送る。

お使いを頼まれて会社へ戻る途中、書店へ立ちより、いつも買っている雑誌を手に取った。

ふと見ると、その横に、ブライダル雑誌が置かれている。



『咲……戻ってきたら、結婚しよう……』



咲は、その雑誌を手に取りパラパラとページをめくる。

どんなドレスなら自分に似合うのだろうか……そんなことを考えながら、つい笑顔になる。


「ご結婚の日取りはおきまりですか?」


後ろを振り返ると、そこには里塚が立っていた。咲は慌てて雑誌を下へ置き、

そのまま店を出ようとする。


「早瀬さん、そのまま出たら泥棒ですよ!」

「エ……あ、本当だ……」





「全く……おもしろい人ですね」

「里塚君が、急に声なんてかけるからでしょ。もう……」


咲は並んで歩く里塚より、少しだけ前に出ようとする。里塚は少し歩幅を開け、

すぐに咲と並んでしまう。


「結婚式が決まったなら、新婚旅行を僕の営業でと思ったんですよ。いいじゃないですか。
おめでたいことなんだし」

「決まってません! まだ、何も!」


里塚を見ずに、わざと視線をそらす咲。


「そうなんですか? 深見さんも案外のんびりした人なんですね。
どうですか……思いきって浮気でもしてやったら」

「バカなこと言わないの。どこに行ってきたの? 今月の営業成績も上がってるのかな?」

「本社へ行ってきました。今月いっぱいで福岡です」

「エ……」


あっさりと言われた里塚の転勤に、少しだけ鼓動の早くなる咲。


「残念だなぁ、早瀬さんとお別れになるのは」

「……そうだね……」


本当に咲はそう思っていた。本社への勤務になり、なれない毎日の中。

生意気な口を聞きながら一番咲を助けてくれた。支店へ戻ってからも、咲の想いを理解し、

出来ない業務をフォローしてくれたこと。


「本当に寂しいな……里塚君、いなくなるの」

「僕らはみんな、こうやって転勤しながら出世するんですよ。深見さんもそうでしょ?」

「……うん……」

「そんな顔しゃダメですよ、早瀬さん」

「エ……」

「俺に惚れてるのかなって勘違いするじゃないですか……」


そう言いながら笑う里塚。咲はそんな里塚の横を、同じような速度で歩き続けていた。





「長谷部、行くぞ……」


深見はリーダーの石原と祥子と、北京にある中華料理店へ向かっていた。


「深見、何食べる?」

「石原さん、食べに行くんじゃないです……」


二人の冗談にも、口を挟まずに黙っている祥子。深見はそんな祥子を気にしながら、

横に座っていた。

携帯電話が鳴り、急いで取る祥子。うん、うん、と真剣な表情で何度も頷いている。


「それは……無理……」

「……」

「切るよ……」


電話を急いで切り、外を見て黙っている。何か隠しているのではないか……そう思いながらも、

深見は結局何も聞くことが出来なかった。


部屋に戻ってから、タマにエサをやる。飼い始めた時には赤ちゃんだったタマも、

すっかり成長したネコになっていた。扉をノックする音がして、

ドアを開けるとそこには祥子が立っている。


「ねぇ、タマと遊んでもいい?」


そう言うと、部屋の中に入り、手に持っていた日本酒の瓶とコップをテーブルに置いた。

床に丸くなって寝ているタマを抱きかかえるが、自由を奪われた気がしたのか、

もぞもぞと動き、祥子の手からすり抜けていった。


「タマにも……嫌われたか……」

「一人で飲んでたのか? 何かあったんだろ。ここのところお前、ちょっと変だぞ」

「……やっぱり変かな。結構頑張ってるんだけど……」


少し赤い顔のまま、大きくため息をつき窓のそばに座り込む。


「石原さんも気にしてる……」

「飲もうよ、深見君!」

「もうやめておけ、顔赤いぞ」

「……ケチ……」


そう言うと冷たいガラスに自分の頬をあてる。


「深見君……私、非情な人間だ……」


祥子はそう言うと、立ち上がり、テーブルの日本酒をコップに注ぐ。


「何があったんだ……」


切なそうな表情をしている祥子を見ながら、深見はそう言った。


「……母が……危篤だって……」

「……」

「具合が悪いことはわかってたの。夏に帰った時も、相当悪くなっているって。
でも、そばにいることは出来なかった……」


初めて聞く現状だった。辛そうに下を向く祥子。


「どうして、日本へ残らなかったんだ。そんな理由があるなら……」

「残ったら……プロジェクトから外されちゃうでしょ!」

「何言ってるんだよ。そんなことより、お母さんの方が大事じゃないか」


祥子が手に取ったコップを取りあげる深見。


「深見君にはわからないわよ! 女が男の中で仕事をしていくのに、どれだけ努力して、
どれだけいろんなものを犠牲にしているのか……。あなたには、わからないでしょ!」


深見は祥子の手を取り、部屋を出て行こうとする。その手を振り払い、背を向ける祥子。


「石原さんのところに行って、今からでも日本へ帰るんだ。ほら、早く!」

「もう、遅い……。今からなんて間に合わない!」

「長谷部!」


窓のそばに立ち、空を見上げている祥子。


「私は、こういう生き方しか出来ないの!」

「……」

「辛いのに、辛いって言えなくて。ただ、前に進むことしか許してくれなかったのは、
深見君でしょ!」


6年前、キャリア志向だと思っていた祥子を残し、名古屋へ行ったことを、

間違っていたとは思ったこともなかった。それなのに……。


「ごめん……深見君。こんなこと言って。あなたのせいなんかじゃない、……ごめん……」


祥子は深見の方を向くと、頭を下げる。深見は祥子のところへ近づき、もういいよ……と

声をかけた。祥子は自分の頭を深見の肩に乗せ、そのまま目を閉じる。


「ごめんね……」


祥子の言葉に、深見は何も言わず、その場に立っていた。





そして、年末を迎え、支店は新年の準備をし始める。里塚の机から荷物が消え、

まだ先だと思っていた、旅立ちの日がやってきた。


里塚の送別会を終え、駅へ向かう社員達。

それぞれの電車の方向へだんだんバラバラになっていく。


「じゃぁ、ここで……」

「お世話になりました」

「こちらこそ……」


秋山や利香と挨拶を交わす里塚。咲はそんな里塚をじっと見つめている。

深見と似ていると新人研修で言われた……。そう聞いた時、全然違うと思っていたのに……。

でも、誰にでも臆せず自分をアピール出来るところ、そして人一倍気を使うところ。

そんなところが本当に似ている……いつのまにかそう思うようになっていた。


「早瀬さん……お世話になりました」

「こちらこそ、ありがとう」


里塚は少し笑顔を見せると、口の前に人差し指を立てた。

その行為を不思議そうに見ている咲の左頬に、そっと近づきキスをする。

咲は、思いがけないことに、声も出せずに立っていた。


「深見さんには内緒ですよ……」


咲をいつも助けてくれた生意気な新人は、こうして東京を離れていった。

                                    …………まで、あと632日





やっぱり深見だよね……

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