41 一つだけの願い

41 一つだけの願い


先日、沙織が井ノ口雅美のいるマンションへ出入りしているところを見た僕は、

打ち合わせの帰りに、車を『みつばち園』へ向けた。

細い路地に張り付くように車を止め、中で子供達の相手をする沙織を見る。

沙織は小さな女の子と手をつなぎ、外の花壇に水をやっていた。

長靴を履く女の子は、自分のつま先に水をかけてくれとせがみ、

沙織はじょうろの水を、少しだけ女の子のつま先にかけてやる。


杉町とのことがなければ、僕らの間に、

あのくらいの女の子がいてもおかしくはない。

沙織と女の子が体をこちらに向けたため、

僕は気づかれないようにアクセルを少しだけ踏み込み、静かに車を発進させた。


自分でも何をしているのだろうと、呆れてしまう。

沙織が僕を裏切っているわけはないと、何度も心でつぶやいてみるが、

どうしてもあのマンションに入ったことに対する、

自分を納得させられる理由が、浮かび上がってこない。



杉町に会っている……



この信じがたくもない言葉の方が、今の僕にはよっぽど説得力があった。





マンションに張り込んで3回目、初めて進藤満が歩く姿を見つけた。

車から降りて近付いていくと、一瞬驚いた顔を見せたが、

こちらが来ることを予想していたのか、満足そうに笑みを浮かべる。


「おぉ……」

「話があります。少しだけ時間をもらえませんか」

「俺もお前に話があるわ、ちょうどよかった」


進藤満と入ったのは、マンション近くにある喫茶店だった。

こじんまりとした店内は、観葉植物があちこちに置いてあり、

それが壁の役割を果たすのか、個室ではないのに、区切られた空間が出来る。

コーヒーを2つ注文し、挨拶など交わすつもりもなく、僕は本題へ入った。

夜の店へ出入りするのは勝手だが、父親面されることは迷惑なこと、

今日はこのことを伝えるために、仕方なくここへ来たが、

これからは一切関わりを持ちたくないことを、全て語る。

進藤満は表情を変えるわけでもなく、やたらにお冷やに口をつけながら、

少し不満そうに何度か頷いた。


「堅苦しいなぁ、そうああだのこうだのと」


くだらない話を聞かされたかのように、進藤満は生あくびをした。

どこまでも人をバカにするような態度で、抑えていた感情が、じわりとわき上がる。


「嬉しかったんだよ、俺みたいな男の血を引いた息子が、
『Tosp』なんていう大手を相続することになるなんてさ、夢みたいな話じゃないか。
なぁ、そうだろう。頭ではわかっているつもりだけど、お前と俺とは別だって。
でもなぁ……ついつい……」

「迷惑です」

「そう言うな。この間なんてな、なんだか出版社の人達が俺のところへ来て、
俺の人生ってやつを、語らないかってそう言うんだぞ。
いやいや、そんな人物じゃないからって断ったけどよ、
それがいい金額をくれるって言うし、なぁ、大貴、酒飲んで暴れる訳じゃないから、
それならいいだろうが……」


『ユリ』から聞いた話の内容が、目の前に現れた。

めぐみとのことをスキャンダル記事にした『GB出版』が、

進藤満に過去を語らせようとしている。僕個人は芸能人でもないのだから、

そんな話が雑誌に載ることなどありえないのだろうが、

また、めぐみのことと掛け合わせで、妙な記事にされかねない。


「とにかく、僕とあなたとのつながりは何もない。
あなたにはこうして会うのが初めてのはずだ。今更、あれこれ惑わさないでくれ。
『GB出版』の話も、受ける必要などないでしょう」


働くことしかせずに、若くして亡くなった母。

周囲の反対を押し切って、その人の思いを形にしてくれた佐久間の父。

目の前にいる男など、僕にとっては邪魔な存在でしかない。


「困る? どうしてだ、ウソを言うつもりはない、俺の話だ」


誰が何もないただの素人から、話を聞くだけで大金を渡すというのだろう。

あまりにも世の中に対する感覚が鈍すぎて、まともな会話になりそうもない。


「くだらない記事をあれこれ書かれて、仕事に差し障りがあると困るからです。
商売にはイメージも大切ですから」


この男に、こうして訴えること自体、腹立たしさを通り越して、

情けなく思えてくる。それでも、これ以上余計なことをされては困ると念を押した。


「困る……困るねぇ。それはようするに……妹のことなんだろ」

「は?」

「妹さんがいるんだろ、葵とか言う本当の佐久間の娘が。『GB出版』の人が、
色々とお前の状況を教えてくれたよ。父親はお前に会社を任せようと思っているのに、
親戚はそう思っていない、そりゃそうだよな、
俺みたいなろくでなしの血を引いているわけだし。
お育ちのいいお嬢さんを差し置いて、お前に相続させたくないとでも、
騒いでいるんだろ、ん? そうなんだろ」


確かに進藤満の言うとおりだった。

形的には、僕が跡を取る方向で動いているものの、母も大叔父も、

そして今は黙っている葵も、この先、どんな罠を仕掛けてくるのか、全く見えてこない。


「そんな話を聞いたらさぁ、俺は俺なりに思うわけだよ、
育ててなくてもなんていうのかな、親としての情みたいなものが動いてさ。
これから先の短い人生。こうして会えたんだ、お前のために少しでも、
役に立てたら……」


心の片隅にもないことを、よくも恥ずかしげもなく言ってくるものだと、

僕は呆れながらお冷に口をつけた。


「そんなことは結構です」


進藤満は、お冷やを飲み干し、そばにいたウエイトレスにおかわりを要求する。

グラスに水滴のついた冷たい水を受け取ると、さらに口をつけた。

喉の動く音だけが、僕の耳に遠慮無く届く。


「心にもないこととは、お前も言うなぁ」

「あなたに親としての情など、あるはずがないでしょう。
今まで何年経っていると思うんです。僕はこの年になるまで、ずっと……」


佐久間の父が、自分の本当の父ではないことに悩み、

葵と僕を比べ、どこかよそよそしい母に気を遣い、

大叔父たちの冷たい視線に耐え、今まで生きてきたのだ。

僕を理解し、受け止めてくれる沙織との幸せだけを信じ、

突き進もうとしたとき、まさしく目の前にいる男の過去が、全てをぶち壊した。



この男さえいなければ、あの時、沙織の父親は、

迷うことなく、僕に沙織を任せてくれたのではないか……



たった一つの落下物がもたらした、何重もの波紋が、

『小さな幸せ』だけを願った僕の人生を、狂わせたのだ。





何を今さら、役に立ちたいなど……






今……






「本当に役に立ちたいと……そう思うのですか?」





言葉が、自然に口からあふれた。

今、役に立ちたいという男の思いを、素直に受け取るとしたら……


「あぁ……俺にはたいした力なんてないけどな」


進藤満は、2杯目のお冷やも、目の前で飲み干した。

空になったグラスの中で、氷だけがカランと音を立てる。





「それなら、一つだけ」

「おぉ!」






「今すぐ……消えてくれ……」






僕の言葉に、引きつった笑みを浮かべた進藤満は、大きくノドを動かした。

『消える』という言葉には、あらゆる意味が込められている。

目の前の男と何も語りたくないし、顔も見たくはない。



『この世から消えて欲しい』



ぶつけた言葉が、そしてその奥にある思いが、

どれほど冷たくて非礼なことなのかもわかっている。

それでも、僕が言わざるをえない気持ちだけは、感じてほしかった。

無言になる男を残し、『二度と会うものか』と思いながら席を立つ。

2人分の料金を支払い、僕は店を出た。

窓ガラス越しに見た進藤満は、テーブルに視線を落としたままで、

まるで動きの止まった人形のように見える。

目をそらした後は、頭の中からその存在を消そうと、顔を逆に向けたまま歩いた。





『Tosp』へ戻り、仕事の続きをするため席につき、

『SS』の状況が書かれた書類に目を通し、

動き始めた新製品の、素材耐久検査結果に安堵する。




『今すぐ……消えてくれ……』




怒りの頂点に達したまま、思いをぶつけた言葉が、頭から離れなかった。

数字の並ぶ売上表に目を向けても、集中しきれないため、何度も同じことを繰り返す。

僕は大きく息を吐き、気分を入れ替えようと車を研究所へ向けた。





トレーニングルームでは、陸上部員が新製品を身に着け、

マシンでボディーチェックを受けている最中だった。

めぐみは僕を見つけると、にやけた顔をしたまま近づいてくる。

人差し指をクルクル回す姿は、何か言いたいことがあるようだ。


「なんだ、言いたいことがあるなら、すぐに言ってくれ」

「ダメですよ、大貴さん。油を売りに来たんでしょ」

「油? どういう意味だ」


めぐみは携帯を耳に当てる振りをしながら、

少し前に広報の尾崎さんから電話があったと言い出した。

尾崎さんの名前を聞き、僕はふと我に返る。


「あ!」

「そうですよ、アポをとってくれたお相手のこと、忘れちゃったんですか?」

「あ……そうだ」


『鹿島製薬』の社長秘書をする逸美さんが、

久しぶりに本社を訪ねてくれることになっていた。

『笠原運輸』の跡地を杉町に奪い取られ、それを救ってくれたのが『鹿島製薬』だった。

きちんとしたお礼もしてなかったため、少しゆっくりと話ができると思っていたのに、

進藤満との再会で、すっかり頭から飛んでいた。


「社長と尾崎さんが会うと、伝えてくださいって言われました。
大貴さんがここへ来ること、尾崎さんはしっかり見抜いていたようですね」


めぐみが自分の手柄でもないのに、やけにわかったような口をきくため、

僕はその頭を軽く叩いてやった。

めぐみは笑いながら、大げさに痛がって見せる。


「そんなに痛いわけがないだろうが」

「いや、痛いですって」


入社2年目の若手たちも周りを囲み、監督の沢口さんとも挨拶を交わす。

なぜかここへ来ると、いつも心のトゲが抜けるから不思議だ。

夢に向かう人たちの思いが、きっとあふれ出ているからだろう。


トレーニングルームの扉が開き、外からの風と一緒に、葵が姿を見せた。

僕とめぐみが話している横を通り過ぎていく。


「葵……」


葵は聞こえているはずなのに、立ち止まることなく奥へ歩いてしまう。

僕はその態度が気になり、葵の腕を取った。


「おい、なんだその態度は」

「別に……」


陸上部員たちのいる前で、あまりにも大人気ない。

僕は葵の手を引きながら、トレーニング室から外へ出る。


「何よ、仕事中なの。書類を届けないとならないんだから」

「どうしてそんな態度を取るんだ、何かあるのなら言えばいいだろう」


沙織が海に身を投げてから、明らかに葵の態度は変化した。

それまでは怪しいくらいの目で僕を見つめ、

どうしようもない思いをぶつけてきたのに、今では明らかに避けているとしか思えない。

葵が動く力を緩めたため、僕も自然と腕を離す。


「『Takamiya』のアウトレットショップに、『Tosp』は参加しないんだってね、
お父さんから聞いた」

「あぁ……あの土地は、元々うちが狙っていたものだ、それを杉町が横取りした。
そんな場所で、商売など出来るわけがない」

「お兄ちゃんのお父さんが世話になっているんでしょう」


葵は僕から視線を外したまま、『Takamiya』が関係改善のため、

進藤満の面倒を見始めたのではないかと言い出した。


「そんなことはありえない、杉町がこっちに擦り寄るはずがないだろう」

「……でも」

「そんな話を誰から聞いた。杉町がお前に言ったのか」


以前から気になっていることだった。

今こそ、葵に聞き出すチャンスだとそう思った。


「違うわ、杉町さんの従兄弟が……」

「ウソをつくな」

「……ウソ? どうして?」

「従兄弟なんてウソなんだろう。あいつには相談できる従兄弟なんていない」

「エ……」


葵は、驚きの声を上げ、書類を持つ手は、細かく震え始めた。

僕は、葵と体をしっかり向かい合わせる。


「杉町に、いや……あの次男には、従兄弟と呼べるような親しい人間はいない。
葵、お前は誰のことを従兄弟だと言っているんだ」

「お兄ちゃん」


葵の目は、どうしたらいいのかわからず、完全に泳ぎ始めた。

杉町の父親が亡くなり、長男がつれてきた従兄弟が、『Tosp』との商談についた。

その時、聞きだした真実……


「誰のことだ!」

「……聞いたの? 沙織さんから……」

「沙織?」

「沙織さんが、何もかも話したのでしょ! そうなんでしょ!」


予想外の名前に、僕は葵を追求することも忘れ、

ただその場に立っていることしか出来なくなる。





葵は、何を言っているのだろう。





沙織は……

一体、何を知っているのだろう……







42 許しの壁

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コメント

非公開コメント

イライラ・・

はたして進藤に大貴の思いは伝わるか?

沙織が何を?

うーん葵は・・・

カギは誰?

yokanさん、こんばんは

>沙織さんはいったい何を・・・の気持ちは続く~(笑)

だよね……きっともやもやしているはず。
沙織が何を知っているのか、
それはここでは書けないけれど、あとからわかるよ。

もう少し、お付き合いくださいね。

変わるか、変わらないか

yonyonさん、こんばんは

>はたして進藤に大貴の思いは伝わるか?

本当だよねぇ……
進藤は、何か変わることが出来るのか。
そして、沙織が知っているのはなんなのか。

で、続きます。