リミットⅡ 16 【私の場所】

16 【私の場所】

咲は初めて一人の正月を迎えていた。弟の卓が大学受験のため、邪魔をしたくないという

理由をつけてはいたが、夏に母の気持ちを無視するように東京へ戻ってきたことが、

気になり続けていたのだ。



『もし、一生事故の後遺症を咲が背負っても……』



深見との交際を心配している母。あれ以来、何度か電話があったものの、体調のことも、

深見とのことも、一切聞かれなくなっていた。

自分勝手に東京へ残っている娘に、腹を立てているのかもしれない……。

そう思うと、足が実家へ向かない咲だった。


そして、里塚が去った東京西支店では、年明けから新たな問題が巻き起こる。





「合併?」

「東京西支店と中央支店を合併するんだって。里塚君の転勤も急だったでしょ?
おかしいなとは思ってたんだ……」


中央支店は西支店より規模は小さかったが、法人を抱えている割合は、西支店より多かった。

ストームツアーズとの提携話から、営業部の統廃合なども進められていたのだ。


「そのまま中央支店へ配属になるのか、それとも、それ以外のところに配属になるのか、
まだわからないって秋山さんが言ってた。なんだか、今さら新しい環境へ行けっていうのも
なんとなくねぇ……」

「うん……」


社員だった頃ならともかく、派遣になった自分は、この先どうなるのだろう……。

そんなことを思っている矢先に咲の元へ以前一緒に仕事をした、本社企画部の池田が訪れた。


「久しぶりだな、早瀬」

「池田さん、なんか貫禄出ましたね」

「そうか?」


最初は咲を認めず、意地悪をされたこともあったが、咲の懸命さを認め、

最後にはいいアドバイスもしてくれるようになっていた池田。


「なぁ、早瀬。春から企画部へ来ないか?」

「エ……」

「お前のところ、合併になるだろ。おそらくあちこちに別れることになるんじゃないかと
思うんだ。で、お前を企画部に引き抜こうかな……と」

「本社ですか?」

「春から、女性向けのツアー企画を組むことになったんだ。俺もメンバーに入ってるんだけど、
推薦でメンバーを増やしていいことになって。なら、君を……と。どうだろう。
本社の社員として勤務できるのは1年だけど、その後、支店へ戻ることも可能だ。
悪い話ではないと思うんだけど……」

「社員に……ですか……」


突然降ってきた話に、咲は戸惑っていた。合併が決まっている西支店は、いずれにしろ

今のままではいられない。中央支店へ行って、今のように働けるのかもわからない。

考えてみます……そう池田に返事をする咲だった。





「本社へ?」

「うん……池田さんが推薦してくれるなんて驚いちゃった。
最初はすごく嫌な顔して迎えられたんですよ」

「咲が頑張ったから、認めてくれたんだよ……」

「そうなのかな……」


池田から言われた本社への話を、中国にいる深見に相談する咲。


「やりたいなら、やってみればいい……。本社勤務なら、ツアー担当しなくたって
社員として成り立つし、今の仕事に比べたら、きっとやりがいもあるだろ……」

「……うん……」

「何か不安でもあるの?」

「深見さん、それでいい?」

「……エ? あぁ、結婚のこと?」

「うん……」

「咲がやりたいことを我慢するよりは、その方がいいよ……」


咲はその深見の言葉を、頷きながら聞いていた。





「深見君!」


祥子は少し照れくさそうに近づいてきた。深見はどうしたんだ……と声をかける。


「色々と心配かけてごめんなさい。もっと、早く謝らないといけなかったのに……
つい、言い出しにくくて……」

「いいよ、そんなこと……」


年末に母が危篤だと泣いていた祥子。昔、深見が何も言わずに去っていったことを、

ずっとひきずって生きてきた。そんな想いが爆発してしまったあの日。あれから、日本へ戻り、

母との別れを済ませてきたのだ。


「あなたに会ったことで、心の奥にしまってあった気持ちが、出ちゃったのね。
もう吹っ切ったと思っていたのに……」


深見はその祥子の言葉に、閉まっていた7年前を話し始めた。


「長谷部に本社転勤の話が出た時、谷岡さんがこう言ったんだ。
長谷部が深見と結婚でもして辞めてくれたら、次は自分なのにって……」

「エ……」

「俺から長谷部に辞退するように伝えてくれないかって……そう言われた……」

「谷岡さんが?」

「うん、あの人も企画部勤務、ずっと狙っていたんだよ。でも、それは出来ないって断った。
君が企画を作って、努力していたことも知っていたし、どう考えても長谷部の方が
企画部には向いている……そう思っていたし……」

「……」

「男だったらな、あれこれ言われずに、好きなように仕事が出来るのに……って、
いつも君を見て思っていた。まだ26で、その可能性をつぶすのは正直怖かったんだ」


祥子は黙ったまま話を聞いていた。そばに残りたいと言った自分に、そんなことを言わずに

本社へ行けと言い続けた深見。


「熊沢さんが、矢沢さんに名古屋へ言ってくれないかと言っているのを知って、
僕に変わることは出来ないか……そう言った。矢沢さんは結婚したばかりだったし、
君を本社に行かせるってことは、谷岡さんとの間もぎくしゃくするだろうし……」

「矢沢さんが決まりかけていたのをわざわざ深見君が取ったって、
浅岡さんから聞いてたけど……」

「……浅岡さんも一緒にいたからね。お前実家がこっちなのに、なんで名古屋へ行くんだ、
長谷部を見捨てていく気かって、責められたよ……」

「……」

「君をどうしても企画部へ行かせたかった。後悔するような人生を送って欲しくなかったから」

「……どうして、ちゃんと伝えてくれなかったの? みんな、深見君が出世をするために
名古屋へ行ったって……そう言ってたのよ」

「……いちいち言い訳をするのがイヤだった。出世なんかじゃなかったのに、
いつのまにかそんな話になってたよ。でも、それならそれでいいって……そう思ってたんだ。
どっちが正しいとか間違っているとか……そんなことどうでもいいって、思ってた。
むしろ、そんな中で、愛想尽かすように君が本社へ行ってくれればって……」

「器用なようで、昔から不器用だもんね、深見君。怒ると、パッと切れちゃうところあるし」

「……」

「間違ってなんていないわよ。あの時、あなたのところに無理に残っても、結局、私
どこかで爆発したと思う。みんなが活躍して行くのを見ながら、私だってあの時
チャンスを生かしていたらってずっと……」

「……うん」

「全く、そんなことするから、勘違いしたんじゃない。みんな深見は出世のために
私を置いていったんだってそう言って……」

「……」

「私も意地だけで、あなたの番号を消してしまった……。みんなの言葉を鵜呑みにして……」

「もう、過ぎたことだよな……」


祥子はその言葉に、素直にうなずいていた。





病院への坂道を登っていく咲。一昨年の夏に倒れてから、何度この坂を登っただろう。

その度に落ち込んだり、気持ちを強くしたり……そんなことを繰り返してきた。



『咲……君がもし、一生事故の後遺症を背負って生きることになったとしても、
僕の気持ちはかわらない……』



深見はそう、自分を励ましてくれた。その気持ちに答えるためにも、

逃げたりせずに頑張っているのだから……。


「問題ないですね……このままあと半年、乗り切れれば……」

「はい……」

「貧血の方もだいぶ改善されてますし、薬も少しやめてみましょう」

「はい……」


ほんの少しの前進でも、咲には大きなプレゼントになっていた。半年後、

夏の検査で全てがわかる……。どうか、このまま何事もなく過ぎますように……。

咲は、誰よりも知らせたい人へ、メールを打っていた。





「アメリカのヘイロンチーフがこの企画にダメ出しをしたらしい」

「どうしてですか?」

「基本的なプランはいいらしいけど、利益率が低いんだと……」

「……スタートですよ。利益率より宣伝じゃないんですか?」

「だろ……」


その頃、深見はリーダーの石原と打ち合わせをしていた。企画を主に任されている

二人にとって、アメリカから送られているチーフの存在は、大きな壁になっていた。


「こっちに観光客を引っ張ってくることで、そこに載せられない利益が
上がるはずなんですけど……」

「そうなんだけどな。チーフは、納得してない……」

「……2年もかけてるんですよ、これでNOになるなんて、冗談じゃない」

「始めから雲行きが怪しかったんだよ。最悪の場合も考えておかないと……チーフは絶対だ」


深見は椅子に腰を下ろし、大きくため息をついていた。仙台へ転勤になり、

そこでの仕事が落ちつかないままやってきた中国。そもそも最初から乗り気だったわけでは

なかったが、ここまできたら、絶対に成果を残したい……と考えていたのだ。

残してきた咲のためにも……。何も残せないなんてことにはしたくない……


携帯電話の揺れを確認し、急いでメールを開ける。咲が病院へ行き、今までのところ

問題がないということが報告されていた。後遺症を背負ってもいい……そう言ったものの、

咲のことを考えると、早く自由にしてやりたかった。



『よかったな、あと半年だ……』



深見はそう返信していた。





それから1週間、池田から誘いのあった本社勤務の返事をしにいくため、咲は本社を訪れた。

企画部にいた時以来、もう1年半くらいになる。ストームツアーズとの提携が決まってからは、

さらに部署が増え、社員の人数も増えていた。


「あの、企画部の池田さんをお願いします……。早瀬咲と申します」


池田は5分後、1階にある喫茶店に現れた。咲は立ち上がり丁寧にお辞儀をする。


「そんな丁寧なことはいいよ。返事だけ聞かせてくれれば……」


咲は池田からもらっていた、企画部の計画書を机に置いた。

そして、それを池田の方へスッと戻す。


「池田さん、今回のお話はとても有り難かったです。私みたいにたいしたことも出来ないのを、
引き抜こうとしてくださって、本当に感謝しています」

「……で」

「でも、このお話はお断りさせてください」

「……早瀬……」


咲はもう一度、池田に深々と頭を下げる。


「企画部でお世話になって、その中で体調を崩して、支店に戻っても
結局社員ではいられなくなりました。それでも、旅行の仕事が好きだから
出来ることはしていこうと派遣社員として働いたんです」

「あぁ、だから、本社にくれば、また社員として戻れるんだぞ」

「……でも、そんな中で、他にやりたいことが見つかったんです。
自分の本当にやりたいことを、これからはやっていきたいなって……」

「やりたいこと?」

「はい……」


本社を出た咲が、駅へ向かうと、そこには旅行のパンフレットがきれいに陳列されていた。

自分たち以外の旅行会社のものもあるが、手に取るのはやはり……。



『あなたの思い出を残しませんか』



深見との思い出を残したくて考えた企画。彼の助けを得て、ここまでになった自分の想い……。



『これで十分だ……』



咲はそう思いながら手に取ったパンフレットを元に戻していた。





「エ……断ったのか」

「はい、池田さんには申し訳ないですって謝って」

「……いいのか? それで……」

「いいんです。やりたいことがあるって、そう伝えました」


咲は、今日の出来事を深見に報告していた。深見は咲の決断を、不思議そうに聞いている。


「やりたいことって何?」


受話器の向こうで笑っている咲。深見はベッドに横になりながら、頭を巡らせる。


「何か習い事でもするの? それとも……」

「深見さん……旅行はみんなくつろぐためにするんですよね。楽しい思い出残したり、
疲れた心を癒したり……」

「……あぁ、そんなことを言った気がする」

「私……そういった努力はもうたくさんしてきました。お客様が少しでも楽しくなるように、
嫌なことがあったら少しでも忘れられるようにって……」



『だから、今度はあなたの役に立ちたいんです……』



その言葉を言わずに笑っている咲。


「私の場所が……見つかりましたから……」


深見は、咲の言いたいことがなんとなくわかっていた。問いただしても、

1年経たないと返事をしないと言ったから、きっと誤魔化してくるだろう……。



『咲は深見亮介の添乗員になるってことだろ……』



仕事よりも大事なもの……。離れてばかりの二人が、その距離の中でつかんだ何よりも

重いものだった。





春、4月。満開になった桜も散り、咲は東京西支店から中央支店へ移動していた。

同じ西支店からは秋山と利香も来てはいたが、社員と派遣社員とは部屋も別になっている。


「早瀬さん、これ……」

「あ、はい……」


以前からここで派遣社員として働いている寺内文恵の指示を受け、仕事をこなす日々。

規模は大きくなったが、やれることはさらに狭くなっている気がしていた。

そして、中国で懸命に仕事をしている深見にも、突然の変化が訪れる。





「……エ……」

「とにかく、ここで待っていろ」

「どういうことですか?」


リーダーの石原から説明を受けるものの、何がなんだかわからない深見。

アメリカから送られてきたヘイロンチーフが、最終的に、深見が手がけた企画に

NGを出してきたと言うのだ。


「あれのどこが問題なんですか。ここまで引っ張ってきて、今さら……」

「いいから、お前はここにいろ……」

「石原さん! 説明をさせてください」

「……よせ、深見。今は黙ってろ!」

「どうしてですか? あの企画は……」


石原は深見を椅子に座らせると、一度ため息をつく。


「ヘイロンチーフが、お前をプロジェクトから外せと言ってるんだ」

「……」

「今はとにかく……黙ってろ……」





「中国も晴れているのかな……」


咲は社内の窓から空を見つめ、深見のことを考えていた。

                                    …………まで、あと537日





やっぱり深見だよね……

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