45 二人の父

45 二人の父


4月。

桜が花を咲かせ、その姿に新しい出発を誓い、

それぞれがまた前を向き歩き始めた日。


僕は沙織の父親と会うため、ある店を訪れた。

本当の父、進藤満の話を突きつけられ、沙織との別れを迫られた日、

そして、『陽香里』へ逃げた沙織を取り返そうと、僕に向かってきた日、

考えてみたら、いつも沙織の父親と会う時は、刃と背中合わせだった。



しかし、今日は違う。



「『Tosp』は、業績を順調に伸ばしているようだね」

「はい、優秀なスタッフが僕を助けてくれるので、少しずつ軌道に乗り始めています」

「石垣めぐみさんに次ぐランナーも出てくると、先日、新聞に記事が出ていた」

「はい……彼女の頑張りに憧れて、入ってくれる部員も増えました」


沙織の父親は、僕にお酒を注ごうと、徳利を手に取った。

僕はすぐにお猪口を持ち、それに応えるため前へ出す。

支えた指に、少しだけ感じるぬくもり。


「ありがとうございます」

「沙織は本当に明るくなった。楽しそうに笑って、毎日を前向きに歩いている。
君のおかげだ」


注いでもらったお酒に口をつけ、その後しっかりと頭を下げた。

長い間張り詰めていたものが、少しずつ取れていくのが自分でもわかる。


「恵まれた家に望まれ、結婚さえすれば、
情など後からどうにでもついてくるとそう思っていたことは、否めない。
しかし、結果的に私の判断が娘を苦しめ、追い込んだということは、
この何年かで痛感したことだ。誰よりも娘の幸せを自分が考えていると、
思い込んでいたのかもしれない。私の周りでは、
結婚を生き方の一部に利用する人間が多い。それがおかしいことだとも思えなかった」


杉町が、ごく普通の感情で沙織を愛していたのなら、

確かに、情は後からついていったのかもしれない。


「あの時、君との結婚を素直に許していさえしたら……」

「もう、過去のことは言わないでください。僕は、これから沙織さんと、
一緒に歩むことを許していただけたら、それで十分です」


沙織の父親は、議員として人を引っ張り、導くことが仕事だ。

ここでプライドを傷つけるのは、僕の本意ではない。

これからも強い父親として、君臨して欲しいところも心のどこかにある。

佐久間の父とは違う、その存在感を、尊敬していたところも確かにあった。


「佐久間のみなさんが、沙織を認めてくれるのなら、
私はもう……君のことを何も言うつもりはない」


苦しんだ娘を、幸せにしてやって欲しいという願いが、

その一言に凝縮されているのだと、僕はそう思った。

もう一度、感謝の意味をこめ、しっかりと頭を下げる。

悔しさとむなしさの中で、戦うことを選んだことは間違いではなかった。

桜の匂いが香る暖かい日は、僕をまた一歩、前へ進めてくれた。





沙織の父親という、結婚への最大の難関を乗り越えた後、

『Tosp』にも、何名かの新入社員が入ってきた。

尾崎さんはその指導に忙しくなり、僕はその下に付き仕事を覚えることになった男を、

内線で呼び出し、すぐに指示を出す。


「はい、わかりました」


その男とは、『Tosp』へ舞い戻った肇のことだ。

父を通じて、肇の父からもう一度『Tosp』への修行を提案された。

めぐみとの付き合いも順調のようで、先日、一緒に『陽香里』へ向かい、

大歓迎を受けた話も聞かされた。


「この後、新商品の広告の最終チェックをしてほしいと、新聞社の方が見えます」

「あぁ……お前は尾崎さんとそっちへ入るのだろう」

「はい……あ、そうでした。これ」

「なんだ」

「副社長宛の郵便です」


それは3度目の白封筒だった。

肇の報告を聞きながら、そばにあったはさみで、封を切る。


「めぐみのお母さんから、派手な歓迎を受けたそうだな」

「はい。めぐみが怒ってました。
そんなに大騒ぎしたら、驚いて僕が帰ってしまうからやめてくれって」

「あはは……」


封筒の中には、また1枚の紙が入っている。

今度はどんな記事だろうかと取り出すと、それは記事ではなく、

名前の部分が黒く消された診断書だった。


「でも、みなさん温かい人ばかりで、料理も美味しいし、空気も……って、
どうかしましたか?」

「ん? あ、いや……いいんだ」


カルテにはドイツ語が並んでいて、僕にはその意味がわからなかった。

名前が黒く消されているのだから、誰のものかもわからない。

選手たちが世話になっているトレーナーの付き合いで、

健康管理をしてもらっている医師にその紙を見せると、

『肺がん』の表記がされていることがわかった。


「どういうことでしょうか。いたずらにしては、おかしいですよね。
尾崎さんも気にされてましたし」

「あぁ……」


肇は運転をしながら、先日、肇の父と佐久間の父が、

久しぶりにゴルフへ出かけたことを話し始めた。

次の日は足が張ってしまって、店に足をかばいながら出ていたと笑う。

その瞬間、僕の頭の中に、佐久間の父のことが蘇った。


以前、体調を崩し、入院させたことがある。

あの時はたいしたことはないという結論になったが、

もしかしたら本当は何かを隠し、実は重い病気を抱えているのではないか。


僕を心配させまいと、一人で何もかも抱えているのでは……。


僕はそのまま本社へ戻ると、社長室にいる父の元へ向かった。


「どうしたんだ、大貴。そんなに慌てて」

「お父さん、体調はどうですか。何か、どこか……」


父は、僕の言っている意味がわからないらしく、困ったような顔をした。

僕は届いた封筒を見せ、中に入っていたカルテの病名を告げる。


「隠したりしないでください」


父はその紙を手にした後、すぐに首を振った。

しかし、それだけでは簡単に引き下がれない。


「大貴、もしこれが私なら、お前に隠したりなどするはずがないだろう。
私はそれほど、会社のトップとして、無責任ではない。
病名を隠して仕事から急に退くようなことになったら、誰が一番困ることになる?
お前だろう」


それもそうだった。

跡を継ぐことが決まった僕に、何も言わないでいるほど、

父は弱い人間ではない。会社をどうするのか、しっかり考える時間を、

僕に与えてくれるはずだ。




だとしたら……




「お父さんはどうなんだ」

「は?」

「進藤満さんのことだ。しばらく連絡がないのだろう。
この初診の日付を見ると、1年以上前のことになっている。
当時の生活ぶりを知っているわけではないし……」





進藤満





そういえば、季節の移り変わりとともに、忙しくそして周りが華やかになり、

すっかりあの男のことを忘れていた。

杉町から嫌味なことをされることもなく、幸せに向かって邁進していることしか、

頭になかった。


「お父さんのことでないのなら、それでいいです。
彼がどうなろうと、僕には関係のないことですから」

「大貴……」


佐久間の父に関係ないのならそれでいい。

僕はカルテの紙を握りつぶし、社長室のゴミ箱へ捨てた。





5月に行われる、トレーニングウェアの新作披露のパーティーを、

思い切って屋外でやるのはどうかという意見がまとまり、

めぐみ達、陸上部員がモデルとして、着用することが決まった。

尾崎さんから、おおよその会場設計を聞き出し、僕は何枚かの図面を見る。


「研究室とトレーニングルームとグラウンドと、この際だから全てを会場にして、
色々と見てもらうようにしたらどうだろう」

「そうですね……」


細かい打ち合わせを尾崎さんに頼み、呼び出しのかかった社長室へ向かうと、

テーブルの上には、以前僕が捨てたカルテのコピーが置いてあった。

佐久間の父は、あれから僕が捨てたカルテのコピーを拾い出し、

そこに記載されていた医師の名前と、下に残っていた住所の一部から病院を探し、

それが本当に、進藤満のものであることを突き止めた。

彼の診察結果は『肺ガン』で、もし、治療を進めていないのなら、

早急に手術をする必要があるらしい。


「これから後の診察について、この横川先生という方に尋ねて欲しいとそう言われた。
大貴、お父さんと連絡を取ることは出来ないのか」


僕は目の前の紙を、あらためて握りつぶし、そして何度か破る。

離れたと思った人間が、また近寄ってくる気分の悪さに、

全てを入れ替えたくて、大きく息を吐いた。


「出来ません、僕は住所も連絡先も知りませんから」

「杉町と連絡を取って……」

「嫌です! どうしてそんなことをしなければならないのですか。
あの人とは何も関係はない。今でもそう思っています」



本当に『関係がない』ことに出来るのなら、どれだけ楽だろうか。



「大貴……意地を張っている場合ではないはずだ。時間がないかもしれない」


僕と向かい合って座った日、やたらに水ばかり飲んでいたあの人の姿が蘇った。

本当に、病気が進行しているのなら、確かに治療は必要だろう。

しかし……


「僕があれこれ言うことではありません。あの人が自分で決めればいいことです」

「大貴……」

「あの人とこれから縁を持っても、何も得なことなどありません。
罪の償いも仕切れないくらい、乱れた生活をし生きてきた報いです。
少しまとまったお金が入れば、それを遊びに使い、明日のことなど考えてもいない。
邪魔をされるか、迷惑をかけられるか……どちらにしても損ばかりだ」


その一言に、父とのやり取りが止まった。

父は黙ったまま僕に近付き、そして……

僕の頬には、確かな痛みが残る。





父の手に叩かれたのは、いつ以来だろう……





「お前は、いつから損得だけで人を見るようになった。
得なことがないだと。罪を許すことが出来なければ、
何も前には進まないとそう言ったはずだ」

「進んでいます!」

「何?」

「僕は業績も伸ばしましたし、沙織とのことも父親から許可を得ました。
今まで必死にやってきた結果は、出ているではないですか」





誰にも、何も言わせない。

僕は、全てをかけて戦ってきた。

愛する人と自分の生活を守るため、歯を食いしばって前を向いてきた。

積み重ねてきたものを、崩されたくはない。


「何が悪いのですか、悪いと言われる理由が、僕にはわかりません!」


拳を握ったままの父を残し、僕は社長室を飛び出した。

進藤満が、どんな状態であっても、僕には……





……関係ない





佐久間家の墓石がある場所の横に、小さな墓石がある。

これが、亡くなった母のものだと聞いたのは、確か小学校の高学年だった。

母も、佐久間の父のように、あの男に歩み寄れと言うだろうか。

何度、問いかけても答えはなく、僕はしばらくその場所に座り続けた。







46 消えた男

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コメント

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人間関係って・・

病気になったから、もしかしたら余命がいくばくも・・
だから許してやれ。ではやはり大貴としては気持ちが治まらない。

許しを請うのは先に進藤であって、大貴じゃない。
でもな~~難しいところだよ。

損得で人間関係は図れないが、付き合って良い関係か、悪い関係かはある。

最後まで

yokanさん、こんばんは

>診断書が進藤のものだったとしても、
 この封書をいったい誰が出したか?だよね、問題はそこだよ。

yokanさん、色々と頭を巡らせてくれているみたいですね。
そう……これは誰が大貴に出したのか。
なぜ、そんなことをしてくるのか……
結局、杉町はなんなのか

全てここからわかっていきます。
どうか、最後までお付き合いくださいね。

難しいよね

yonyonさん、こんばんは

>許しを請うのは先に進藤であって、大貴じゃない。
 でもな~~難しいところだよ。

人の心は、単純だけれど、複雑です。
大貴にとってみると、あれこれありすぎて。
頭の整理もついていません。
さて、この出来事は、どうつながっていくのか、
最後までおつきあいくださいね。