46 消えた男

46 消えた男


その日は、父と言い争ったまま外出し、

尾崎さんにあとを任せると、早めに部屋へ戻った。

仕事を終えた沙織が、いつものように食事の支度を済ませると、

手書きのメモをテーブルに置く。

僕は、冷蔵庫を開こうとしたが、沙織の手の動きに、自然と目が動いた。


「沙織にまで話をしたのか、父さんは」


沙織から渡されたのは、進藤満が診察を受けた病院の住所と、

医師の名前が書かれたメモだった。一応確認はするが、すぐに自分から遠ざける。


「佐久間のお父さんも気にされているのよ。
もし、どうしても大貴が嫌だと言うのなら、自分が会うからって」

「……はぁ……」


僕はソファーに身を投げ、何もない天井を見る。

佐久間の父はきっと、あの男の治療費も、全てみると言うだろう。

全ては、僕の父親だという、その事実だけのために……


「お父さん、ご自分の余命を知っていらっしゃる気がする。
もう、長くないと知っていて、大貴に会いに来た……そう思うの」


育てなかった息子に対して、一目会いたいと願ったのだろうか。

あまりにも勝手で、あまりにも自由気ままな愛し方だ。


「もう一度、会って話をしようとは思わないの?」

「思わない」

「大貴」

「もうその話はやめてくれ。不快な思いをするだけだ」


進藤満のことで、父と言い争うのも、ここでまた沙織にあれこれ言うことも、

僕の本意ではない。目を閉じて思いを遮ろうとすると、

しばらくして、沙織の息づかいが届いた。僕の鼓動に耳を当てるようにし、

その横へそっと手を添える。


「沙織……」


閉じていた目を開け、沙織のうなじからそっと指を滑り込ませる。

少しでもそばにいたくて、僕の首は自然と傾いた。


「……ごめん、沙織が悪いわけではないのに、強く言い過ぎた」

「ううん……」


あいつの登場に鋭くとがってしまった僕の心は、沙織のぬくもりに少しずつ癒された。

彼女の息遣い、見つめる目に、吸い込まれそうになる。


「私ね、大貴が壊れてしまいそうで、怖いときがある」

「壊れる? 僕が?」

「そう。あなたの心を癒せているのかどうか、時々自分に問いかけるときがあるの」


潤んだような目で見つめる沙織を引き寄せ、僕は大丈夫だと唇を重ねた。

確かな『幸せ』をつかむまで、僕は壊れるわけにはいかない。


「沙織……僕のそばを離れないで」

「大貴……」


両手で彼女の頭を支え、言葉に出来ないもどかしさをただ唇に乗せ続ける。




君さえいれば、何もいらない……




君が生きていること、そばにいてくれること、

それが僕を支える、たった一つの思い。





それだけは、何があっても変わらない。

これからも決して、変わることなどない……





『Tosp』の新作発表会は、

陸上部が練習をこなすトレーニングジムの披露も合わせ、盛大に行われた。

父は舞台に座り、僕が引き継いだ仕事の出来に満足そうな笑みを浮かべる。


「招待客の参加リストは、以上です」

「あぁ、ありがとう。後で確認させてもらうよ。尾崎さんも疲れただろう。
少し有休でも取ってくれたらいい」

「ありがとうございます」


雑誌の取材、経済紙のインタビュー。

そして陸上の協会からもあらたなスポンサー契約を頼まれ、とにかく毎日が忙しかった。

デスクの左に積み上がる封筒の表書きだけを確認し、

処分するものは全てゴミ箱へ入れる。

ふと手が止まったのは、『佐久間大貴様』と書かれた、真っ白の封筒。

出し人もわからないものなど、捨ててしまえばいいのだが、手書きで書かれた名前に、

ナイフで封を開き中を見る。

それは以前も僕宛に届いた、あの古い放火事件の記事だった。

一人暮らしでアパート経営をしていた女性の家に入った容疑者が、

姿を見られたことで動揺し、殺人放火をした事件。

『Tosp』と何か関連があるのかと調べたが、何も浮かばなかった。


「副社長……何かありましたか」

「また、あの放火の記事だ」

「また……ですか」

「あぁ……」


華やかに見えている仕事の裏で、確かに小さないざこざや、古い契約の後始末など、

トラブルが一つもないと言ったらウソになる。

しかし、この記事になんの意味があるのか、それがどうしてもわからなかった。

また嫌がらせかと。コピーを握りつぶそうとした時、

以前と違っているところがあることに気付き、手が止まる。



『犯人は、大家である女性に見つかったことから……』

『警察はこの証拠から、犯人はすぐに見つかるだろうと……』



記事内に出てくる『見つける』や『見つかる』の言葉に全て、赤線が引いてある。

その赤線は、以前記事が送られてきた時に、ついていなかった。

犯人が見つかり、法で裁かれたことは、別の記事になっていて、

今さら何も訴えるような出来事は一つもない。

最初に送られて来た時も、あれこれ悩み、関連を探そうとした。

そんな動揺を生もうとする、くだらないいたずらなのだろうと、紙を軽く破る。

白黒の点であらわされた放火後の写真は、物悲しさと無念さだけを訴えかけた。





しかし、それから5日後、予想もしなかったことが起こる。





「進藤満の?」

「はい、最初にあの記事が送られて来た時には、犯人の名前だけを調べて、
その裏にまでは触れなかったのですが、実は、犯人があの家に目をつけるきっかけが、
昔、その大家のアパートに住んでいた仕事の元同僚から、
得た情報だったとわかりまして……」

「その元同僚が進藤満だと言うのか」

「はい……進藤満という名前に、我が社との関連を気付ける社員はいません。
ですので、そのまま『Tosp』には関係のないことだと、流してしまったようで……」




『1987年 6月 東京の下町にあるアパートが全焼し、そのアパートの大家である、
寺岩美津子さんが遺体で見つかった。警察は事件と事故、両方から調査中』




あの記事のコピーが、僕の元にもう一度届いたことで、

尾崎さんは一度調べた資料を再調査させた。犯人としてつかまった無職の男。

それが進藤満の元同僚だった。


「この亡くなった方と、うちの関わりは……」

「申し訳ありません、そこまでは調べられなくて。
しかし、進藤満さんの大家だったことは事実のようです」


僕を産んだ母と出会う前、進藤満は家賃を滞納し、

あげくのはてにその大家を騙し警察に捕まっている。

この亡くなった寺岩美津子さんが、その大家なのだろうか。



だとすると……これを出してきているのは、その関係者なのか。





過去の記事に、また迷わされ始めた僕のところに、

それから2日後、さらに驚くような連絡が入った。


「井ノ口雅美?」

「はい、どうしても副社長にお会いしたいと。
お時間がいただけるまで、ロビーでお待ちになると言われて……」


杉町の子供を産み、沙織を追い込んだ女性、井ノ口雅美が『Tosp』を訪れ、

僕との面会を望んでいるというのは、信じられない出来事だった。

影の実力者は、表に出ることなく、ただ得るものだけを求め、

暗闇の中で光るのだと思っていたのに。

10分だけという約束で部屋へ呼ぶと、井ノ口雅美はブラウンに染めた髪を束ね、

落ち着いた表情でソファーへと腰掛けた。


「あなたが『Tosp』に来ることがあるなんて、思っても見ませんでした」

「私もそう思います」


『あかり』や『ユリ』とは違った落ち着きが、井ノ口雅美にはあった。

この女は、誰が前に座ろうとも、弱さを見せることはないのだろう。


「進藤満さんと、連絡は取っているのですか?」


井ノ口雅美の口から出てきたのは、またもや進藤満だった。

夜の町に繰り出し、持ちなれない札を振り回した男が、

飲み代でも払わずに逃げたのではないかと思わずため息が出る。

断ち切りたいと思えば思うほど、僕の体にまとわりつく男。


「連絡先も知りませんし、たとえ知っていたとしても、僕から会うことはありませんね」

「親子なのにですか?」

「親子? フッ……何を持って親子だと? 私の父は、佐久間の父だけです」

「あなたの感情など、どうでもいいわ。
進藤満さんを連れ出しているのは、あなたではないと言うことなのですか?」

「何が言いたいんだ」

「連絡が取れないんです。だから……」

「それなら聞く相手が違うでしょう。進藤満の面倒を見ているのは、杉町のはずだ」


何かを隠しながら、何かを引き出そうとしても、

そんなに世の中は都合良く出来てはいない。

結局、なぜ進藤満を探しているのか言葉を濁したまま、

井ノ口雅美は何も得ることなく、『Tosp』を出て行った。





杉町が進藤満を見つけ、僕の目の前に出してきたのは単なる嫌がらせだ。

沙織の父が、その過去を嫌い、僕を遠ざけたことを知っている男の、

最後のあがきだろう、そう思っていた。



しかし……





「井ノ口雅美が?」

「そうなの。今日、『みつばち園』へ来てくれて。
どうしてももう一度大貴と会いたいから、間に入って欲しいって」

「間に?」

「何かあるんじゃないのかしら。雅美さんが私に頭を下げるなんて、
今までなかったことだもの」


僕のところに顔を出してから3日後、井ノ口雅美は沙織のところに向かった。

どうしても話したいことがあるから、もう一度会って欲しいと要求する。

沙織に頭を下げることは、確かに彼女にとって、一番やりたくないことだろう。

それでもそうせざるを得ない状況なのだとすれば、

これは単なる嫌がらせだけでは済みそうもない。


「大貴……」

「何?」

「雅美さん、杉町を救って欲しいって、そう言っていた」

「救う?」


沙織は頷きながら、僕の前にコーヒーのカップを置いた。

香りが鼻に届き、予想外の出来事に乱れそうな心をなんとか整える。


「何を勝手なことを。杉町が何をして、どういう立場にいるのかわからないが、
僕が彼を救う理由もないし、進藤満がどう関わっていたとしても、
それに手を差し伸べるつもりはない」


沙織は少し辛そうな顔をした後、僕の気持ちはよくわかると頷いた。

しかし、表情はそれと裏腹に、複雑な色をさらに重ねていく。


「僕は間違っているのか? あいつは君を幸せにするどころか、
追い込んで突き放した。葵を利用して、僕の仕事の邪魔をした。
今さら戻せない時計を無理矢理動かして、話を複雑にしようとしているのは杉町の方だ。
『Takamiya』のような、経済力にものを言わせて、店に優劣をつけるような企業と、
一線を引く商売がしたくてここまでやってきた。それは沙織もわかってくれるだろう」

「わかるわ、大貴は一生懸命にやってきた。それはわかっているの……でも……」

「でも?」

「ここで大貴が雅美さんを突き放したら、
きっと、この先も『恨みの輪』がつながっていってしまう」



『恨みの輪』



何かの事情で、杉町が本当に追い込まれているのだとしたら、

僕が、それを無視したまま、時が過ぎるのだとしたら……

井ノ口雅美が育てている杉町の息子が、母からの情報だけを信じ、

今ここで突き放そうとする僕を恨むのだろうか……





波紋は消えることなく、さらに……

別の人間を巻き込み大きくなっていくつもりなのか……





『今すぐ……消えてくれ……』



そう冷たく突き放した時の、あの男の抜け殻のような表情が、

今さらながら、僕の心を騒がせた。







47 追われる人

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コメント

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波紋

落とした石は小さかった。だが波紋は大きく外へ外へ
広がり、何人もの人を巻き込んで渦を作る。

許しは自分を救うと・・・
だが、大貴の受けた傷はあまりに痛い。
沙織だって傷ついた、なのに許せるその心の大きさに
大貴は戸惑う?

なぜ? の理由

yokanさん、こんばんは

>いったい何が起こっているのか?不安しか出てこないです(ーー;)

だと思います。
大貴も、さぞかし『?』状態だと。

『ももドラ』ですからね、最後の最後まで。
何だろう、どうなるの? を引きずりながら、
進めていきたいと思っています。

もう少し、お付き合いくださいね。

それぞれの思い

yonyonさん、こんばんは

>落とした石は小さかった。だが波紋は大きく外へ外へ
 広がり、何人もの人を巻き込んで渦を作る。

離れていると思っていたのに、
実は自分も巻き込まれている……という波紋。
さて、真実はどこにあるのか、
それはもうすぐわかります。

大貴の複雑な感情、沙織の思い。
そして、『杉町の理由』

『恨みの輪』は断ち切れるのか。

で、最後までおつきあいください。