リミットⅡ 17 【彼の背中】

17 【彼の背中】

深見は自分の部屋の中にいた。ヘイロンチーフとは、始めから意見が合わないことが確かに

多かった。それでも、自分たちのやってきた仕事に自信を持っていたし、

部分ごとのチェックで、何も指示を受けたことはなかったのだ。

それが最後の詰めになって、自分を外してくるなんて……。


栄転になった仙台の仕事をそのままにして、何よりもそばにいたかった咲を日本に置いて、

将来のためにとやってきた中国だったのに……。


「はぁ……」


出るのはため息ばかりの深見だった。


「深見君の企画がNG?」


「あぁ、参ったよ。こっちとしてはあれを軸にして回すつもりだったから。
今さらNGだって言われると、長谷部達に計算してもらっていたものも、始めからやり直しだ」

「……で、深見君は?」

「とりあえず部屋に残れって言ってきたけど。今、何言っても無駄だぞ。深見もそうだし、
ヘイロンチーフもカリカリしているみたいだ」


祥子は深見の状況が気になってはいたが、石原に言われたとおり、

その日は何も話すことをしなかった。





「もしもし……咲です」

「うん……」


咲にもすぐにわかるくらい、深見のテンションは低かった。とりあえず、

ちょっとした話をし始める。


「でね、私にもやらせてくれるって言うんだけど……」


咲の話しをずっと聞いているものの、語りかけてこない深見。


「深見さん、どうかしました?」

「エ……」

「なんだか……」

「咲……悪い。今日はちょっと考えたいことがあるんだ。電話、もう切ってもいいかな……」

「……あ、ごめんなさい。仕事で忙しいの?」


仕事……。そう考えられることが当然のことだった。まさか、ここまで来て、自分が

プロジェクトから外されるようになるとは、深見自体考えてもいなかったことなのだから。


「うん……ごめん……」

「わかった。じゃぁおやすみなさい……」

「おやすみ……」


何も知らない咲の明るい声が、今の深見にはきつく感じられていた。





「ねぇ、咲。カラオケ行かない?」

「エ? 秋山さんと行けばいいじゃない」


咲は休憩時間に利香とランチに来ている。利香から、近頃秋山の付き合いが悪いことを

聞かされていた。


「どうしたの? って聞いてみれば?」

「私が?」

「そうよ。利香が……」

「エ……何でよ。彼女でもないのに。近頃どうしたのなんて聞けないわよ!」


あれだけ仲がいいのに、付き合ってはいないと言い張る利香が妙におかしかった。

咲はデザートを食べながら、話を続ける。


「付き合いが悪いと言えばさぁ、深見さんも近頃変なんだよね」

「エ?」

「向こうから全然電話くれないし、こっちからかけてもすぐに切りたがるんだ。
何かあったのかな……」

「深見さん? 仕事が忙しすぎて疲れてるんじゃないの?」

「そうかな……。仕事のことも言わなくなったし……。体の具合でも悪いのかな……」

「そんなに気になるなら、行けばいいじゃない。派遣になって唯一いいことでしょ。
休みが取りやすいのは」


中国へ行く。そんな選択肢があることを咲はすっかり忘れていた。自分が迷って、悩んだ時も、

結局は深見の顔を見て安心することが出来た。ならば、今自分が中国へ行って、

深見の変化を確かめるべきなのだろうか……。





「深見さん……ねぇ、中国へ行ったらダメ?」

「エ……」


チーフとの溝が埋まらないまま、仕事を離れている深見。毎日ダラダラと過ごす中で、

今、咲がここへ来ることを受け入れることは出来ない。どうしたらいいのか

迷っているような自分を、咲に見せるのは……。


「今は、来ないでくれ……」

「……」

「会いたくないんだ……」



『会いたくないんだ……』



その言葉が咲の耳に突き刺さるように残る。咲が黙ったことに気づき、

慌てて深見が訂正をする。


「ごめん、言い方が悪かった。今、会える状態じゃないんだ……ごめんな、咲」

「……ううん」


その咲の不安そうな声に、深見は以前、自分が言ったことを思い出す。



『黙っていて解決する事なんて……ないよ……』



「咲……」

「はい……」

「ごめんな、変な言い方して。実は今、ちょっと上の人間とぶつかって、
プロジェクトから外されるかもしれないんだ」

「エ……」


予想もしていなかったことに、驚く咲。


「突然のことで、まだ気持ちの整理がつかなくて……。だから、変な言い方になった……」

「外されたらどうなるんですか?」

「よくわからない……。とりあえず、もう少し様子見て……で、また、連絡する。
心配しなくていいから。咲に、変なふうに考えて欲しくなくて、今、話しをしたんだ。
だから、気にするなよ」

「……はい」


『会いたくない』と言ってしまった深見の気持ちは理解できたが、

また、違った不安を感じる咲だった。





「イェーイ!」

「はぁ……」


利香に言われるままカラオケに付き合う咲だったが、歌うことが好きじゃない咲にとって

見ると、ただ聞いているだけの時間。秋山でもいれば、二人で盛り上がってくれるのに……。


やっと、店を出て、繁華街を歩く二人。少しのお酒を飲みほろ酔い気分の利香。

咲は曲がり角でふと見た光景に驚きの声をあげた。


「あ……秋山さん!」

「ん?」


ある店の前で、ホステスと見られる女性を引きずり出そうとしている秋山を見つける咲。

咲の視線の先をなぞるように見た利香。

咲以上に驚きの表情を見せた利香は、酔った勢いのまま秋山の方へ歩こうとする。


「ちょっと利香、ダメだって!」

「離してよ、咲! あいつ、こんなところでスケベなことしてるんだ!」

「利香ってば!」


咲の手を降りきり、利香は秋山へ向かって走り出した。慌てて追い掛ける咲。


「秋山! この大バカ者!」

「……エ?」


その瞬間、利香の平手打ちが秋山に飛んでいた。


「利香!」

「早瀬さん……」

「エ?」


咲のことを呼び止めた人物は、秋山に店から引きずり出そうとされている女性だった。

化粧は派手だが、よくみると、その人物が誰なのかがわかる。


「寺内さん……」





少し落ち着いた喫茶店に、秋山と利香を連れて入る咲。


「寺内は同期なんだよ。あいつ、急に派遣になったから、移動した時に聞いてみたんだ。
そしたらバイトを始めたって言うから……」

「ホステスですか……」

「うん。規則として社員じゃない以上、違反だとは言えないけど、でも、状況として
いいとは言えないだろう。知らなかったら通り過ぎることが出来ても、知ってからは……
出来なくて」

「秋山さん、近頃早く帰っていたのはそれが理由なんですか?」

「……いや、それだけじゃないけど……」


秋山はその理由を話したくないような顔をする。


「いいんじゃないですか……。同期の方に優しい手をさしのべてあげれば!」

「利香! 叩いたんだから謝りなよ」


そっぽを向いたまま、謝ろうとしない利香。


「いいよ、早瀬。宮本の勝手にしておけば……。まぁ、そういうことだから、俺は帰るよ」


席を立つ秋山。利香は顔を合わせないまま座っていた。





「深見君……」

「ん?」


企画担当から外され、裏へまわることを許された深見。仕事を終えた後、

祥子は部屋を訪ねてきた。手には日本酒を持っている。


「ちょっと飲まない?」


何も言わない深見の側へコップを置き、座る。タマはあいかわらず深見の側を

自由に走り回っている。


「まだ、チャンスはあるわよ。ヘイロンチーフがNG出しても、
最終会議にかけたわけじゃないでしょ。それに……」

「いいよ、そんな慰め言ってくれなくても。外されたのは事実だ……」

「……」

「なんのために……ここで頑張ってたんだ……」


深見は天井を見ながら、ため息をつく。残り何ヶ月かの時間が、

これから何年にも感じられるくらい、一日が長い。


「言って失敗だったかな……」

「誰に何を言ったの?」


祥子はテーブルの上に、持ち込んだつまみを置きだした。


「咲に現状を話したんだ。あいつ、こっちへ来たいって言い出したから。体のこともあるし、
今、来られても、明るく対応してやる自信もないし。でも咲は逆に気になるみたいで、
電話をよこすんだけど、どう話してやっていいのか……。電話をかけなきゃ、
また、心配だろうし……」


祥子が深見の方を向くと、椅子に寄りかかって目を閉じている彼がいる。

自分が辛い立場にいながらも、気になっているのは、日本に残した咲のことだった。

祥子はスッと立ち上がると部屋を出て行こうとする。


「どうした?」

「ちょっと、忘れ物。すぐに戻るから……先に飲んでて……」

「あんまり飲みたい気分でもないけどな……」

「そんなこと言わないの! すぐに戻るから……」


深見は祥子に背を向けたまま、軽く右手をあげた。


部屋に戻った祥子は、自分の仕事で使っているケースを開けた。

何枚かの名刺の中に入っている1枚の名刺を取り出す。


早瀬咲……。


本社企画部に配属になった咲と、仕事をすることになった時、互いに名刺を渡して、

携帯の番号を交換していたのだ。

その番号を指でなぞりながら、祥子は電話を咲にかけていた。


見慣れない番号に、一瞬戸惑う咲。しばらく待ってみても切れる気配がないため、

受話器をあげる。


「もしもし……」

「早瀬さん、お久しぶり……長谷部です」

「……長谷部さん……」


急にかかってきた祥子の電話に、少し身構える咲。祥子から咲に連絡があるということは、

深見に何かあったのかもしれない……。そんな考えが頭をよぎっていく。


「深見君のことなんだけど……」


やはりそうだった。咲は少し大きく息を吸い込み、次の言葉を待つ。


「プロジェクトから外されるかもしれない話しは聞いてるのよね。もちろん、
そんな条件をこっちものむつもりはないけど、ちょっと微妙なところにあって、
あなたからの電話にも、彼、あまり話をしたくないみたい」

「……あの、どうして外されるなんて……」

「細かい説明をしても、わかってもらえないと思うけど……。上に立っている人と、
ちょっと衝突してね。彼、思っていることはきちんと口にする人でしょ? だから……」


そう、例え相手が誰であっても、自分の意見を曲げたりしないのが深見だった。

祥子の言葉を頷きながら聞く咲。


「私たちも、きちんとした対応をしてもらえるように、交渉しているし、たとえ、
その部署を離れたとしても、彼のやるべきことはまだたくさんあるの。
だけど……少し気持ちが落ち込んでいると思うから……」

「……」

「しばらく放っておいてあげてくれない?」


放っておく……そんな選択肢は咲には用意されていなかった。祥子の話を聞いていて、

すぐに頭に浮かんだのは、中国へ行って彼に会いたい……そのことだけだった。


「あの……会いにいったら、やっぱりまずいでしょうか。
深見さんにはダメだって言われたんですけど……でも……」

「エ……」


こっちへ来たい……という咲の言葉に、祥子の心が小さく動く。


「うまくいかないことも、ダメだって言われることも、私なんて何度も経験してきました。
深見さんだってたまには……。だから、ちょっとだけでも話しを聞いてあげて……それで……」

「あなたと一緒にしないで……」


強い祥子のセリフに言葉を止める咲。


「早瀬さん。あなたが彼に一番近い存在なのは認めているわ。でもね、どんな時でも
あなたがいればいい……そんなことにはならないのよ。今まで1年半、
メンバー全員で色々と練りながらやってきたことなの。彼一人だけの問題じゃないのよ。
だから、こんな時、彼を支えるのも私たちでしょ。だって、仕事のアドバイスや、
悩んでいることを、あなたが救える?」

「あの……」

「私が支えるから……」



『私が支えるから……』



その祥子の言葉に、咲はそれ以上話を続けることが出来なかった。

                                    …………まで、あと523日





やっぱり深見だよね……

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