48 最後の手紙

48 最後の手紙


僕はマンションを出てから少し走り、景色のいい場所で車を止めた。

特に休みではなかったため、人は思ったよりも少ない。

しばらくは黙ったまま、流れる曲を聴いていたが、

DJが交代する時間になり、沙織が口を開く。


「あの子、猛君って言うの」


沙織がそう言ったのは、帰り際に僕達に手を振った、杉町の子供のことだった。

進藤満への恨みから、僕達の運命は杉町にどれくらい狂わされたのだろう。

互いに夢を見た平凡な生活をつかもうと、まっすぐに生きてきた。

沙織と出会って10年以上が過ぎるのに、その形はまだ、ここに存在しない。


「杉町の子供のことなんて、知ろうとも思わない」

「そうじゃないの。進藤満さんを救うとか、杉町を救うとかではなくて、
あの子を大貴にして欲しくない」

「……僕に?」


沙織はそう言うと、確かに大きく頷いた。

意味がわからないと突っぱねようとしたが、

真剣な沙織の表情を前にすると、言葉が出ない。


「もし、杉町が進藤満さんに、恨みを晴らすようなことがあったら、
猛君は、犯罪者の息子になってしまう。自分とは全く関係のないところで、
そんな過去を背負わされる辛さは、大貴が一番わかるでしょ」


沙織の父親が調べた、進藤満の過去。

僕がその血を引いたという事実だけで、ここまでどれくらいの障害があっただろう。

その悔しさと空しさから、今までやってきたといってもいいくらいだ。


「進藤満さんを探しましょう。みんなで探しているといえば、
警察にもすぐに動いてもらえるはず。大貴と進藤満さんの事情を話せば、
何か起こるかも知れない出来事も、未然に防げるかもしれない」


井ノ口雅美が、プライドを捨てて僕に頼ってきた事実を考えても、

杉町が祖母の死で背負った傷の深さを考えても、確かに何かが起こる予感はあった。



「沙織……君はあいつを許せるのか。杉町は……」



沙織は僕の問いかけに、無言のまま首を振った。

許せる……わけがない。


「許せるのかって言われたら、頷くことなど出来ない。
でも、大貴が人を恨み続ける姿は、これ以上見たくないの」

「沙織……」

「私自身が大貴に許してもらえたことで、今があるから……」


沙織の今……

毎日を明るく過ごし、『みつばち園』でしっかりと自分の場所を得た。


「大貴が私を許してくれなかったら、私は絶望の中で声を無くしたままだったはず。
父を恨み、運命を恨み、杉町のことを憎んで、
それで全てが終わっていたかも知れない」


杉町に振り回され、声を無くした過去。

沙織はそこから懸命に這い上がってきた。

僕はそれを一番近くで感じ、応援してきたことは間違いない。



「私は『恨みの輪』を、ここで切り離したい。大貴、あなたにしか出来ないの」



沙織の言いたいことがわからないわけではないが、

それでも僕は、すぐに返事が出来なかった。

沙織を『みつばち園』へ送り届け、そのまま母の眠る墓地へ向かう。

佐久間家の大きな墓の敷地内に置かれた、小さな墓石。

そこには、まだ供えたばかりに見える小菊が風に吹かれている。

佐久間の父が、ここへ来たのだろうか。





「いや、私は今日、経済新聞の太宰君と会食があったからな、行ってはいないが、
何かあったのか?」

「いえ……」


その日、仕事を終え、僕は佐久間家へ戻った。

あの花は、父ではなかった。





だとすると……





「お父さん、お話があります」

「あぁ……」


僕は、今日、井ノ口雅美から聞かされた事実を、全て父に語った。

以前、送られて来た古い新聞記事の意味、そして、杉町がなぜ進藤満を見つけ、

自分のそばに置いたのか。

父は積み重なる事実に驚き、一度手にしたカップをテーブルに置く。


「それで、警察には届けたのか」

「いえ……」

「何をしている。杉町が進藤満さんに危害を加えるかもしれないと、
そういうことなのだろう。急ぎなさい、すぐに探して……」

「正直、まだ迷いがあります」

「大貴……」


父は僕の方へ歩みを進め、すぐ目の前に立った。

以前のように、何をしていると叱咤し、頬を殴られるのではないかと身構える。

すると大きな腕が僕に回り、父の中に抱きしめられた。


「迷うことなどない。生きているからこそ恨むことも出来る。
すぐに手を打ちなさい」

「父さん……」

「お前は……誰がなんと言おうが私の息子だ。こんな醜い争いの中に巻き込まれ、
それを知らないふりして過ごすようなことをしたら、必ず後悔する」


大きな父の腕の中で、僕はあの小さな子供を思い出した。

杉町がどんな男で、自分がどんな立場に生まれてきたのかすら知らず、

未来に向け、小さな手を広げ歩いている。





あの子の未来に向けた目は……

誰かを恨み、そして暗い闇を見ることになるのだろうか……





その次の日、井ノ口雅美が杉町の捜索願を提出したと、

沙織から連絡が入った。

警察には、少し仕事の疲れが重なり気持ちが病んでいると説明したらしい。

一緒にいるのではないかと、進藤満の名前を挙げ、調べを進めたが、

以前、使っていたという携帯は、すでに契約が切れていて、

井ノ口雅美が知っていたアパートにも、もう何日も戻っている形跡はない。

昔、勤めていた教習所にも連絡が入ったようだが、

進藤満のその後がわかるような証言は、何一つ得られなかった。





僕は……





次の日、あの記事に残されていた、放火事件の現場へ向かった。

その場所に立ち、自分の素直な気持ちを感じてみたかった。

今ではコインパーキングとなっているようで、周りを見ても、

白黒に残された写真のような悲惨さは、感じられない。

隣のパン屋から女性が出てきて、店の前を丁寧に掃き始めたので、

僕は、コインパーキングになる前は、何があったのかと尋ねてみる。

すると、店をオープンしたのは2年前なので、

それ以前のことは何も知らないのだと頭を下げられた。


どんな出来事が起こっても、その場所は次へ向かって変わって行く。

人は、生きている限り、歩みを止めるわけにはいかないからだ。



しかし、人の心は……



そう簡単に作り変えることなど出来ない。



誰にも邪魔されない場所が、唯一、この世にあるのだとしたら、

それは『自分の心』ではないだろうか。



沙織を妻にしても、祖母の面影を持つ井ノ口雅美を、杉町は決して離さなかった。

放火をした犯人は進藤満でないことはわかっていても、

すでにこの世にいない犯人を恨むことが出来ず、処理しきれない思いを、

手当たり次第にぶつけ続けた。



杉町も、深い傷と恨みを背負ったまま、生きてきたのだろう。

過去への集大成として、あの男が何をしようとしているのか、

それは今の僕にはわからない。



佐久間の父は、恨みからは何も生まれないとそう言ったが、

僕自身、今の立場があるのは、杉町への恨みがあったからだ。



あいつを突き放したい。




その強い気持ちが、『Tosp』を変え、僕を変えてきた。




今さら……




あいつらに関わって、時間を戻したくなどない。

僕の幸せは……

今、目の前にある。





むしろ、互いに傷つけあい、報われない思いを処理しあうのなら、

僕にとって……





それは……





コインパーキングに停めていた1台の車が、出発するためにクラクションを鳴らした。

僕は進路を邪魔していることに気付き、道を開ける。





道を……開ける。





井ノ口雅美が、杉町の捜索願を出してから5日が過ぎた。

僕は結局、日々の忙しさを受け入れ、それを理由に暗闇から目をそむけている。





「はぁ……参ったな、あれだけ長い話をされると、
途中から、何を言われているのか、よくわからなくなった」

「お疲れ様でした。お話好きの方とはうかがっていましたが、確かに長かったです」

「あぁ……」


取引先の新工場が建設され、そのお披露目式に尾崎さんと参加した。

戻る道路が渋滞し、予定よりも時間がかかってしまう。

部屋へ戻り、時計を見るが、こちらの感情などおかまいなしに規則正しく進んでいく。


「あと30分で出られますか? 副社長」

「そうだな、道路事情を考えても、あと10分ほどしたら出た方がいい」

「はい」


ソファーに腰掛け、サイドボードに目をやると、

陸上部が2連覇を果たした『東日本企業駅伝』のトロフィーが見えた。

7区間ある中で、3区間の『Tosp』選手が記録を作る。


「めぐみは……今、新潟だったな」

「また戻ってきたら膨れるんじゃないですか? 
自分がいないと『Tosp』が好成績になるって」

「……ったく、あいつは、フルマラソンの選手なんだから、
もう駅伝はいいと沢口さんが決断したのに、文句ばかり言いながら、
新潟に出発したそうだからな。肇が呆れていた」

「そうでしたか」


窓から見える景色は、夏の色を濃くしてきた。

扉を叩く音がして、茶封筒を手にした女子社員が入ってくる。


「どうした」

「申し訳ありません。バイク便で速達が届いたものですから。
もしかして、急ぎの用件かも知れないと思いまして、ここへ直接お持ちしました」

「バイク便?」


女子社員から封筒を受け取った尾崎さんは、それを僕の目の前に差し出した。

宛名は『Tosp 副社長 佐久間大貴様』となっていて、

差出人は『寺内美津子』となっている。

杉町の亡くなった祖母から、届く封筒などありえない。

胸騒ぎをさせながら開くと、そこには1枚の手紙と、

例の放火事件の記事が収まっていた。



そして……






『お前の望み通り……消えてやる』






「副社長……」


誰が誰の望みを叶えるつもりなのか、僕にはすぐ理解できた。

これは……杉町からの手紙だ。





進藤満に最後にあった日、望みはないかと聞かれ、

確かに消えて欲しいとそう言った。

進藤満は肩を落とし、人形なのかと思えるくらい抜けた表情をしたままだった。

長い間の恨みを晴らした気分で、僕は車へ戻ったが……






『自分の犯した罪と、お前の大切なものと、一緒に……』






大切なもの……





僕の大切なもの……





『大貴……』





「副社長!」


携帯を開き、すぐに沙織の番号を呼び出した。

落ち着こうとしても指は震え、思ったように動かない。



『おかけになった携帯は、現在電源を切っているか、もしくは……』



杉町は、進藤満に『僕の大切なもの』を奪うよう、指示を出したのだろうか。

自分の祖母を、間接的に奪った恨みをはらす方法として、

どうしようもない人生を生きてきた男の最後に、





沙織が、引きずられるようなことになったとしたら……





『私は『恨みの輪』を、ここで切り離したい。大貴、あなたにしか出来ないの』






僕は……

君がいなくなったら、きっと、

生きていることをやめてしまうかも知れない。






沙織……君はまた、僕の前から消えてしまうのか……






誰か……

教えてくれ……





いったい、何が間違っているのかを。







49 狙われた人

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コメント

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大人になって

うォ~~此処まで来て、又沙織を・・・

人の気持ちってそう簡単には変われない。
大貴が進藤や次男を許せないと思うと同時に、
二男も又大貴と進藤を許せない。

でも、大貴が大人になって『負けるが勝ち』ってことで、ね。
沙織を救い出そう!

『ももドラ』ラストスパート!

yonyonさん、こんばんは

>大貴が進藤や次男を許せないと思うと同時に、
二男も又大貴と進藤を許せない。

その『恨みの輪』が、また悲劇を生むのかどうか。
大貴が大人になれるのか

……は、次回へ。
『ももドラ』ですからね、『ももドラ』

ラストスパートです

yokanさん、こんばんは

>それぞれの立場で見ると、それぞれの行動も理解できる。

はい。長い間、なぜ杉町はここまで……と不思議に思っていた
読み手のみなさんが、それなりに事情を感じ取ってくれたかなと。
だからといって、そうだよね、それでいいよとは思えませんが。

大貴の感情も、沙織の感情も、どちらもあることだと思います。
ラストスパートですので、最後までどうかお付き合いください。


『デコポン』、本当に甘かったです。
そうそう、yokanさんは愛媛ですもんね。
柑橘類も、色々とご存じなんだろうな。