リミットⅡ 18 【プライドの壁】

18 【プライドの壁】

『私が支えるから……』



祥子のあの言葉。確かに彼女の言うとおり、深見の仕事を理解し、

フォローすることなど咲には無理なことだった。しかし……。

あの言葉をそのまま受け入れることなど、絶対に出来ない。咲はそう想いながら、

携帯電話を見つめていた。





深見はベッドに横になり、天井を見つめている。一緒に飲んでいた祥子は、

こんなこともある……と軽く笑っていた。放り投げていた携帯電話を取り、

一番そばにいてほしい人に電話をかける。


「もしもし……」

「咲?」

「……はい……」

「今日はどんなふうに過ごした?」

「ちゃんと仕事もしましたし、体調もいいですよ。心配ないです……」

「そう……」


『会いたい……』そう言って欲しい。咲は受話器を握りながらそう思っていた。

その一言さえあれば、仕事など放り出してでも、すぐにそっちへ向かうのに……。


「深見さんはどうしてました?」

「……うん、どうも裏に回ることになりそうだ。企画の方は石原さんが引きついでくれる」

「そうですか……」



『会いたい……』その一言を言いたくなる。自分が抜けることでさらに忙しさを増す、石原達。

追い込みで忙しいこの場所に、自分だけ咲を呼ぶことは……。


「深見さん、私……」

「大丈夫だから、こっちに来るなんて言うなよ。こうやって話しが出来ればそれで十分だって」


予想通りの答えだった。私が切り出せば、絶対に拒否されるだろう。咲は少し口元を緩める。


「はい……」


そう返事をしたものの、咲の気持ちはしっかり固まったものになっていた。





朝、出社しようと駅からの道を歩く咲。


「早瀬さん……」

「あ、寺内さん」


寺内は咲を休憩室へと連れて行く。


「この間はごめんなさいね。みんなを驚かせて」


「いえ……」


この間、そう、秋山を利香が平手打ちした日のことである。寺内はちょっとしたきっかけで

作った借金があったこと。それを返したくてアルバイトをしたことを話してくれた。


「でも、あんなことになって、解雇よ、解雇!」

「……あ、秋山さんが引っ張ったからですか?」

「そうよ。秋山君、主任試験準備で忙しいのに。同期だからって放っておけなかったんでしょ」

「主任試験?」

「うん、6月にあるんだって。その主任試験に合格したら、告白したい人がいるって、
そう言ってたわよ……」


秋山が告白したい人。それが誰なのかすぐにわかった咲だった。





「エ? 中国へ行く?」

「はい、すぐに行けるツアー、探してください」


咲は深見の状況を知り、一人で中国へ行くのだと言い出した。

秋山は少し戸惑い気味の顔を見せ、利香は手帳を開き出す。


「ねぇ、咲。2週間待ってよ。そしたら休み取ってついていくから……」

「大丈夫だよ、利香。ちゃんと一人だって行けるって……」

「でも……」

「深見さんには言ったのか?」

「言うわけないじゃないですか。言ったら絶対にダメだって言いますよ。昨日だって、
一言『会いたい……』って言ってくれたら、私、仕事なんて放り出して飛んでいこうと
思っているのに、プライドだけでがっちり固まっちゃって、絶対に言わないんです」

「プライド……か。男はそういうもんだぞ、早瀬。ああだこうだ言いたくないんだって」


利香は隣にいる秋山の顔をチラッと見る。


「プライドが大事なのはわかります。でも、深見さんは私の上司じゃないんですよ。
こんなことで意地を張られているようじゃ、この先、困るじゃないですか。
私、あの人に一生ついていくって決めたんですから。
悪いところは今のうちに直してもらわないと……」

「……あはは……言うね、咲!」

「じゃぁ、何も言わずに行くんだな」

「はい。何も言わずに、わがままな私が勝手に行くんです。それなら、向こうのみなさんに
言い訳出来るじゃないですか。あぁ……あいつ、勝手に来ちゃったって……」

「……」

「……」

「ダメかなぁ、それ……」


自分が去年そうだったように。相手を心配させまいとして、無理して強がってみても、

結果がよくないことは分かっていた。それに……。

『私が支えるから……』というあの言葉だけは、絶対に認められない……。


「ねぇ、でもさ、深見さん。怒って意地張って会わないって言ったらどうするの?」

「……そんなわけないだろ。深見さん、早瀬が会いに来たってわかったら、
すぐに飛んでくるよ。何よりも早瀬のことを、大事に思ってるって……」

「そうだといいんですけど……」


素直に自分を受け入れて欲しい。咲はそう思いながら深見のことを考える。


「あぁ、見たいなぁ……。深見さんが早瀬が来たことを知って、慌てるところ……」

「秋山さん!」

「……でもさぁ」


咲が一人で行くことに、どうも納得が行かない利香。


「利香、深見さんはそこまで意地悪じゃないよ。でも、もしそんなこと言って来たら……」

「……」

「そうだな、パンダでも見て、万里の長城でも登って、『深見のバカ!』って叫んで
帰ってくるから」

「……」

「……」

「ダメですか? それも……」





その日の仕事を終えた咲のところに、秋山がチケットを持ち現れた。


「1週間後、飛行機とホテルのチケットだ……」

「ありがとうございます。あ、秋山さん……」

「ん?」

「絶対に深見さんに言わないでくださいね」

「あぁ……」


秋山は小さく何度も頷いている。咲は周りに利香がいないことを確かめ、秋山のそばに寄る。


「私も、主任試験のこと、利香にはちゃんと黙ってますからね!」

「……」

「ね!」


1週間後、咲は中国へと旅立っていった。





空港から直接、深見達の宿舎へ向かう咲。こんな昼間にいるわけはないと思いつつ、

どんなところに暮らしているのか、1度見てみたかったのだ。

茶色のビルにはたくさんの部屋がある。10以上あると言うことは、

他にも住人がいるのだろうか……。入り口まで行き、深見の部屋がわかる手がかりがないか

探していると……。


「あの……」


日本語で話しかけられ驚き振り向くと、そこには石原が立っていた。

怪しい人間と思われたのではないかと、咲は寺内に作ってもらった中国語のメモを取り出し、

自分は深見に会いに来たのだと言おうとする。


「……日本人でしょ?」

「……あ、はい……」


石原は咲を自分の部屋へ通し、コーヒーを入れていた。こんなはずではなかった展開に、

少し戸惑う咲。


「すみません、お仕事の邪魔をしてますよね、私……」

「いえ、今日僕はオフなんですよ。というか、深見もオフだったんですけど、
引っ張り出されて……。すぐ連絡入れますよ」

「あ、いいです! 自分で入れます。まだ、深見さんは来たこと知らないので……」

「エ! 知らないんですか?」

「はい……」


咲は自分が深見の状況を心配し、許可もなく勝手に来たことを石原に話していた。

仕事の邪魔はしたくないので、ここへ来るつもりもなかったのだが、

どんなところに住んでいるのか確かめたかったのだと……。


「そうですか……。あいつ、落ち込んでいるところを見せたくなかったんでしょう。
それでも会いたい……と思ってるはずですよ」

「だと、いいんですけど……」

「深見がタマを飼った理由が、あなたを見てわかりました。
写真の印象よりも背が高かったな……」

「エ?」

「いえいえ……」


1時間ほど石原から深見のことを聞き、咲はカバンを持った。





「送りますよ、ホテルどこですか?」

「いえ……自分で帰ります。そんなご迷惑をかけたら……」

「大丈夫ですよ。それより、一人であなたを帰してしまったら、
逆に深見に睨まれるんじゃないかな……」

「……」

「深見の大事なお客様ですからね……」


咲は丁寧に頭を下げ、石原の車に乗っていた。その頃、深見は、現地スタッフの運転する車で、

祥子と二人北京へ戻る途中だった。


「ねぇ、戻ったら仕事手伝ってね。深見君が手伝ってくれたら、予定より早く進むし」

「……長谷部、そんなに気を使うなよ」

「エ……」


車は道路を右折し、さらにスピードをあげる。


「なんだかんだと仕事をふってきて、俺が余計なことを考えないようにしてくれてるんだろ」


その通りだった。深見が落ち込んでから、祥子は何かと深見に仕事をふり、

目の前のことを処理しなければならない状況を作っていたのだ。


「悪いな……」

「……何言ってるのよ。戦力にならない人には、そんな仕事ふらないわ」

「手伝いますよ……長谷部さん」


深見が少しふざけたように言った言葉を、嬉しそうに受け取る祥子。

その時、深見の携帯がいきなり揺れ始める。石原からであることを確認し、電話に出る深見。


「もしもし……」

「お、深見! 今どこだよ」

「今、戻る途中ですけど、何かありましたか?」

「なぁ、俺、今どこにいると思う?」

「は?」


なんだか嬉しそうに話している石原。今日はオフだったはず。どこにいるのかなんて、

全く検討もつかない。


「わかりません……けど……」

「ウエストンホテルの前! たった今、無事にお届けしましたよ」

「……は?」

「日本からやってきた、お前のタマちゃん!」


その石原の言葉に、頭が真っ白になる深見。まさかとは思うが、

咲がこっちへ来ていると言うことなのだろうか。電話を切った後も、まだ信じられない。


「どうしたの? 何かあった?」

「……咲が来てるみたいなんだ……」


その言葉に反応する祥子。


「まさか、一人で来るなんて。あいつ、何も言ってなかったし……それに……」


咲が突然来たと言う知らせに、深見は理由を探し始める。


「私が……」

「ん?」

「私が、余計なこと言ったから……」

「エ?」


祥子は自分の手を固く握り、下を向いたまま話し始める。


「深見君が、落ち込んでいるから。少し放っておいてってそう電話した。
中国へ来たいって早瀬さんが言ったんだけど、今、来られても役に立たないって……。
私が支えるって……そう言ってしまった……。きっと、それを気にして来たんだと思う」


そんなことを長谷部が言っていたなど、深見は何も知らなかった。長谷部のその言葉を、

咲はどう受け取ったのだろう。そして……。



『会いたくないんだ……』



自分もそんな言葉を、つい言ってしまった。咲はショックだったに違いない。それなのに、

何も言わずに一人でここまでやってくるとは……。

大丈夫だなんて言っておいて、今、近くに咲がいると思うだけで、

気持ちが高ぶっているのが自分でもわかる。





咲が来たことを知ってから深見は車の中でずっと黙っていた。祥子は何も言えず、

ただその横顔を何度も見る。車がマンションにつくなり、飛び出すように降りていく深見。


「石原さん!」

「お……深見。電話するって彼女言ってたけど、すぐに行ってやれ。
一人じゃ食事にも行きにくいだろうし、……な」

「すみませんでした。ご迷惑かけて。あの……」

「2、3日休暇取ってこいって。お前ここまで頑張ってやってたんだし、
それくらいいいだろ……」

「でも……」


石原は深見に車のキーを渡し、肩をポンと叩く。


「顔だけ見て、置いてこれるか? 心配して一人でここまで来た人を……。
お前のために来たんだぞ。素直に行ってこいって!」

「……はい……」


そのまま外へ出ようとする深見と、戻ってきた祥子がぶつかりそうになる。


「長谷部ごめん……仕事、手伝えない……」

「……」

「おい、深見! お前、着替えくらい持って行けよ」

「……あ……」


慌てながらも、嬉しそうな深見の表情を、ずっと追い続ける祥子。役に立たないのは

自分の方で、深見が何よりも待っていたのは咲であることを、あらためて知らされる。


「深見君!」


その声に振り向く深見。


「早瀬さんに……謝って……」


深見はわかった……と何度か頷き、自分の部屋へかけて行った。





「そう、リーダーさんに会ったの?」

「うん、すごく楽しい人だった。話しは深見さんに聞いてたんだけど、色々と状況も聞けたし、
少しほっとした」

「で、深見さんは?」

「後で電話する。ちょっと、気は重いんだけどね……。秋山さんには結構強気なこと
言ったんだけど、こうやっていざ来てみると、結局他の方に迷惑かけたし……」

「大丈夫だよ、咲」

「ん?」

「深見さん、絶対に喜んでくれるって……。会いたくないはず、ないじゃない……」

「うん……」


咲はベッドに転がり、横を見る。


「ねぇ、でもさ、秋山さん。ツインなんて取ってるんだよ。もう、気がきくんだか、
なんだかさぁ……」

「あはは……」

「笑わないでよ。会えなかったらすごく寂しいんだけど……」


利香との電話を終えた瞬間、電話が鳴り出し、相手が深見であることがわかる。

咲は、一度大きくきく深呼吸すると、受話器を上げた。


「もしもし……」

「咲! 誰と話してたんだ。何度かけても、話し中で……」

「エ……」


つい言ってしまったこととはいえ、『会いたくない……』と言っていたはずの

深見の慌てようが、何とも言えないくらい、おかしい咲。


「部屋は何号室? 今、下にいるんだ……」


石原さんだ……。咲はすぐにそう思っていた。

きっと、自分が来たことを深見に知らせたのだろう。


「907ですよ……」


すぐに電話は切れ、咲は扉の方を向く。何分かの沈黙の後、扉を叩く音がした。


会いたくて、会いたくて、ここまで来た。わがままだと怒られてもいい……そう思って。


ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。


ドアを開けた次の瞬間、咲の体は、深見の腕の中にあった。

                                    …………まで、あと515日





やっぱり深見だよね……

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