36 真っ白な空気

36 真っ白な空気



菅沢さん、普段と変わらないような態度で仕事を続けているけれど、

腕を動かしているほど、中身は進んでいない気がする。


「姉貴が津川さんにお礼もしたいって言うし、よかったら一緒に来てくれないか」

「お礼?」

「あぁ……結局、姉貴が陽を連れて行くことになった。
どうもお袋が、何度も姉貴と連絡しあっていたみたいなんだ。
いい加減に引き取りなさいって」


陽くん、お母さんのところへ行くんだ。

そう決まったんだ……


「そうですか」

「一緒に暮らしている男性も、納得してくれたらしくて、
あ、そうだ、この間は悪かったな、お前の事情も知らずに親の話なんてして。
お父さんが亡くなっていること、津川さんから聞いた覚えがあったのに」

「いえ、いいんです。正直にうらやましいと思っただけですから。
ただ……」


ただ、この結論を、菅沢さんが納得できているのか、

それだけが気がかりだった。

敦美おばさんが言っていた通り、菅沢さんにとってはいいことなのかもしれないけれど、

常識論だけで語れるほど、人の情は簡単なものではない気がする。


「菅沢さんは、納得できますか? お姉さんが陽くんを育てること」

「……納得……してやるしかないだろ。お前も言ったじゃないか、
やってみなければきっと後悔するって。俺もそう思う。
陽と一緒に新しい家族を作ることが、姉貴の幸せにもつながるんだろうと思うし」

「そうですよね、私、確かにそう言いました。言いました……けど……」

「なんだよ、歯切れ悪いな」

「菅沢さんの……」

「お前のよく言う言葉」

「言葉?」

「そう、『ケ・セラ・セラ』なんだろ」



そうだった。

『ケ・セラ・セラ』なるようになる。

ここで否定するのは、私……



「はい……」



私と菅沢さんの一言ずつが、ポロポロと零れ落ちるように床へぶつかった。





次の日、津川のおじさんとおばさんを連れ、私は菅沢家に向かった。

菅沢さんのお姉さんは手際よく料理を並べてくれ、

陽くんは食器を出したりしながら、準備を手伝っている。


「陽、お箸を並べて」

「うん……」


津川家で見るような、空気など全く読まない弾けた陽くんではなく、

このままお受験でもしたら合格しそうな子供がそこにいる。


「本当にありがとうございました。郁から、津川さんご夫婦がいなかったら、
保育園から追い出されていたと聞いて、驚きました」

「いえいえ、私たちは子供がいないもので、陽くんが遊びに来てくれるのを、
楽しみにしていたんですよ」

「そう言っていただけると、重石が取れる気がします」


菅沢さんとお姉さんの間に座る陽くん。

津川のおじさんが、あっちでちゃんばらでもするかと誘ったが、首を振った。


「熊本へはいつ?」

「一度私だけ戻って、また1週間後に迎えに来ます」

「そう……すぐなのね」


おばさんはバッグから茶色の包み紙を取り出し、それを開けた。

津川家に来ると、陽くんがいつも使っていた、ぞうやライオンのイラストつき茶碗。


「これ、熊本のおうちでも使ってくれる?」

「まぁ……陽のために。よかったね、陽」

「……うん」


陽くんは小さな両手で受け取ると、大事そうにそのお茶碗を抱え込んだ。





菅沢家からの帰り道、車の中は静かだった。

誰かが口を開いたら、同じ方向に意見が固まる気がして、言い出せない。

陽くんは、間違いなく無理をしていた。

本当は言いたい気持ちをこらえて、小さな子供なりに耐えていたのだとそう思う。

ほとんど話さずに、黙っていた菅沢さんも、きっと耐えていた。


「子供だもの、すぐに新しい環境に慣れるのよ」


敦美おばさんは、自分を納得させるようにそうつぶやいたけれど、

私もおじさんも、その言葉に、頷くことも応えることも出来なくて、

エンジンの音だけが、空しさがあふれそうな心の中に、

どさくさまぎれに入り込んだ。





陽くんが熊本へ旅立つまで、あと1週間。





人気の店へ取材を終え、菅沢さんと最寄り駅まで歩く。

給料日を過ぎたばかりなので、ショーウインドーに足を止め、

あれこれ考えるようなOLの姿が、あちらこちらに見えた。

私にも似合いそうなかわいい靴……


「このくらいだったら、仕事で履いてもいいですよね、菅沢……」


隣にいると思ったのに、菅沢さんはもう少し手前のショーウインドーの前で、

足を止めていた。中に入っているのは、小さなマネキン。



ランドセル姿の……



「菅沢さん、行きますよ」

「あぁ……うん」


きっと陽くんがランドセルを背負った姿、想像していたんだろうな。

真新しい服に、ランドセルに、靴に……

『いってきます』なんて笑って、手を振って。



いいのかなぁ、手放してしまって……



「飯島」

「はい」

「お前、足短いんだな、歩く度に遅れてるぞ」

「は? 考え事をしていたんです。普通に歩けば……」



菅沢さんも、田ノ倉さんに負けないくらい長いんだよね、足。

これって田ノ倉一族の特長なの?

飯島一族は、同じ人間でも、種族が違うのかしら。

追いつかない。

普通に歩いている振りをしながら、必死に菅沢さんを追い続け、

なんとか『秋月出版社』がある駅まで戻ってくる。


「菅沢さん、私、『STAR COFFEE』買いますから、先に戻ってください」

「コーヒー? そんなもの編集部にもあるぞ」

「味が違いますから」


そんなものお前にわかるのか? という顔をされながらも、

なんとか菅沢さんと離れることに成功した。

よかった、これからは自分のペースで歩ける。


薄く茶色がかった自動扉の上に乗ると、自然と開いた。

緑の紙帽子をかぶった店員が、何になさいますかと声をかけてくれる。


「えっと……カフェラテのSを」

「はい」


サーバーの音が響き、私は何気なく店内へ目を動かした。

そこにはものすごく美人の女性と向かい合い、笑顔で会話をする田ノ倉さんがいた。



37 園児の決断


何かを降ろすと、菅沢は変わるのか?
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コメント

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あちゃ~

小さい子が必死で我慢してること、陽君のお母さん以外は皆気づいただろうに、
それでも何も言えない。
言ったら陽君の折角の我慢が・・・

ケ・セラ・セラとはいかない時も・・・

おや?

田ノ倉さんと一緒にいる女性……?
誰だろう。

菅沢さん、陽くんのランドセル思い出してるのか、ちょっと切ないなぁ……です。

心配事

yonyonさん、こんばんは
すみません、お返事がこんなに遅くなりました。

>小さい子が必死で我慢してること、陽君のお母さん以外は皆気づいただろうに、

気づいているでしょうけれど、誰も『決める』ことは出来ないので。
何が正しいのか、わからないところもありますからね。
続きもUPしました。
また、よろしくお願いします。

心配事

天川さん、こんばんは
すっかりお返事が遅くなりました、すみません。

>田ノ倉さんと一緒にいる女性……?
 誰だろう。

はい、誰ですかね。
和も気になるところです。
本日、続きをUPしました。
また、よろしくお願いします。

心配事

yokanさん、こんばんは

>まじめな(無理してる)陽君を見たら、心配になりますよね(ーー;)

『本当』を見てきた郁や和にしてみたら、心配ではありますが。
それを止めることが正しいかもわからない。
微妙なところです。

続きも、よろしくお願いします。