47 訪問者その2

47 訪問者その2



「ねぇ、本当に編集部へ行くの?」

「行くわよ。いけない?」

「いけないって言ったら、諦めてくれるの?」

「今日もいい天気ね、和」


自分のことは主張するが、人の話は都合のいいときにしか聞かないらしい。


「ほら、遅刻するわよ」

「しません、ここから転がっていけるほど、余裕があります」


田舎からラッシュに慣れない母が出てきたからといって、

毎日戦闘状態のサラリーマンたちは容赦ない。

目の前の空いた吊り輪につかまろうとした母は、

思い切り押されて、手すりにみぞおちをぶつけてしまう。


「痛い! ちょっと痛いです!」

「お母さん、我慢してよ、ラッシュなの、しかたないでしょ」

「何言っているのよ、痛いことは痛いって言わないと……」


母の文句が聞こえたのか、

いつもと違う雰囲気に、これから起こるかも知れない

得体の知れない出来事を回避しようとしたのか、

そばにいたサラリーマン達は、体を動かしながら、母のためにスペースを空けてくれる。


「すみませんねぇ、ありがとう」


母はそう言いながら、最初につかもうとした吊り輪をしっかりゲットした。

少し前まで思い切り痛がっていたのに、それだけすました顔が出来るなんて、

年齢を重ねるって、こういうものだろうか。


「ねぇ、和。あといくつ?」

「あと5つ。それから乗り換えだよ」

「乗り換えるの?」

「そう……」

「はぁ……息苦しい」


手当たり次第に文句を言い続ける母に、

誰かから責められたわけではないが、私は車内でただ一人、頭を下げた。





「おはようございます、飯島和の母でございます。娘がお世話になっておりまして」

「いえいえ、こちらこそ。飯島さんは一生懸命仕事をしてくれるので、
編集部でも助かっているのですよ」

「あら、そうなんですか」


恐れを知らぬ母は、堂々と半地下編集部に入り、秋田編集長に挨拶をした。

土産の羊羹を手に持ったまま首を動かすと、細木さんを見つける。


「はい、どうぞ。これ、みなさんで食べて下さいね」

「あ……ありがとうございます」


細木さんが一番食べ物にうるさいこと、直感で気づいたのかしら。


「あ、お母さん!」


ちょっと待って、ダメだって。

及川さんは……





「及川信長と申します。こちらこそ、飯島さんには色々と助けてもらっています」





ウソ……

及川さんが、しっかりと起立して、普通の人のように母を見て挨拶している。

『色々と助けてもらっている……』なんて、思ってくれていたんですか?

いまだかつて、あなたと会話のキャッチボールをした記憶がないんですけど。


「そうですか、思い切りだけはあるんですけどね、慎重さが足りなくて」

「いえ……」

「どうぞよろしくお願いしますね」


母が菅沢さんの方を向いた瞬間、編集部の扉が思い切り開き、

ヒールを履いた女性が飛び込んできた。

『訪問者』はうちの母だけではないらしい。

誰の顔を見ることなく、挨拶することなく、菅沢さんのところに向かい、

その膝の上に、躊躇なく座ってしまう。


「おい、りお!」

「かおるぅ……」


コアラの親子のように、もちろん向かい合ったまま。

両手はしっかりと菅沢さんの首に回っている。



見ようによっては、ものすごく刺激的な格好なんですけど。



「お前、どこからきた、ものすごく酒臭いって」

「ごめ~ん。でもね、一番に報告しようと思って来たの。
ねぇ、かおるぅ……私、映画に出ないかって言われたよ」

「映画?」

「そう、え・い・が」


『野口りお』さんの、綺麗にマニキュアを塗った人差し指が、

『え・い・が』の文字にあわせて、菅沢さんの両頬と鼻の頭を順番に触れる。

さすがの編集部も、私の母も、突然の出来事に対応できなくなった。

母の恋愛経験など知らないが、こんな仕草をしたことはおそらくないだろう。




……私も……ない。




「和……」

「何?」

「負けないように、しっかり」





……お母さん、どういう基準点で話をしているの?





『野口りお』さんは、編集部員の見ている前で、菅沢さんの頬にキスすると、

納得したように膝から降りる。


「みなさん、おはようございま~す。『野口りお』です!」


菅沢さんは私のデスク前にあったティッシュをつかむと、

冷静な顔で、りおさんのキスマークをふき取った。



48 心は裏表


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