49 女の要求

49 女の要求



パラダイスに出かけた菅沢さんは、それから結局編集部に戻ることなく、

健全な社員である私たちは、当たり前のように次の日を迎えた。

細木さんもいつもなら、菅沢さんが定時に来ないと、

どうしたんだろうかと大騒ぎするくせに、どこかでわかっているのか何も言い出さない。


「郁はまだか、あいつらしくないな、定時にいないのは。
どこかに直行する予定でもあったのか?」


何も知らない編集長は、思いっきり地雷を踏みつけた。

爆発しても、誰も処理をする人はいない。

こうなったら私が……




「解放されてないんじゃないですか? 菅沢さんは……」




「解放?」


編集長にそう返事をした私のことを、細木さんが驚きの目で見ている。

だって、恋愛は自由ですからね。

しかし、仕事に影響したら、それは編集者として最低です。


「まぁ……郁もね、色々とあったし、やっと自由になったわけだしさ」

「自由? 何を言っているんだ、飯島さんも細木も」



「昨日、菅沢さん、『野口りお』さんの家に行ったまま、戻りませんでした」



うわぁ……及川さん。

人と関わるのが苦手なのに、人のことには興味があるんだわ。



「ん? 『野口りお』ちゃんの家? りおちゃんってあの……」

「はい、郁が見ていると張り切るAV女優さんです」


混沌とする編集部の扉が開き、明らかに眠たい顔をした菅沢さんが登場した。

昨日と同じ服、少し疲れた顔、首を動かしながらだるそうに入ってくるなんて、

全く……


「おはようございます、菅沢さん」

「おぉ……」


階段を降りると、椅子に座る前に軽いラジオ体操のようなことをした。



「まいった……腰がきつい、使いすぎた」



……腰? 使いすぎ? うわっ……細木さんと目が合っちゃった。



「りおのやつ、終わりがないんだよ、もっと、もっと……で」



……もっと、もっと?

菅沢さん、あなたの性格はずいぶん理解したつもりですけれど、

それはあまりにも表現が……私がいるってこと、忘れてませんか?

意識はされていないんでしょうけれど、私だって女性ですからね。



「女の要求っていうのは、底がないな」



断らないと言った、あなたが悪いんです。



「今日は午前中寝るわ、体全体がだるい」



誰も何も言わないし、ううん、誰も何も言えない。

菅沢さんは腰を叩きながら、奥のソファーへ向かった。



「もっと、もっとで解放されなかったってことか……」



編集長のつぶやきに、編集部一同が無言のまま頷いた。





それから30分後、突然ソファーから起き上がった菅沢さんが戻ってくる。


「飯島……思い出した!」

「なんですか」

「ここへ来る前に本社へ寄ったら、諒が大変みたいだったぞ。
お前の手を貸してもらいたいって言うから、わかったって言っておいた」

「私の手? 田ノ倉さんがですか?」

「あぁ……食堂で待っているって言ってたな、あはは……すっかり忘れてたよ。
もう30分も経ってる」


菅沢さんは笑いながら、編集部の壁にかかった時計を指差した。

なんてことをしてくれるのよ、他の人の約束ならともかく、

田ノ倉さんの用件を忘れるなんて、最低も最低!


「菅沢さん、どんなプライベートを送っても結構ですけれど、
人に迷惑をかけるのはやめてください!」

「は? どんなってなんだよ」

「朝から……その……」


そう言った菅沢さんにも、やっと編集部の空気が重いことが理解できたようで、

細木さんが慌てて目をそらしたことを、追求し始める。


「なんだよ、針平もなにコソコソするんだよ」

「いや、あのさ……ほら、昨日はりおちゃんとずっと一緒だったんだろ、郁は」

「あぁ……いたよ、あいつと」

「ずっといたんだよね、ここに来るまで」


あぁ、なんだろう、田ノ倉さんが大変だなんて。

私に出来ることなら、何でもしますけど。

急がなくちゃ。


「何? 俺がりおと何かあったって思っているわけ? みんな」

「菅沢さん、そこどいてください通れません」

「お前も思っていたの? 飯島」




「みなさん、菅沢さんが野口りおさんと一日中、愛を語る状態にいたと、
思っているみたいですよ」




及川さん……

『愛を語る』なんてロマンチストですけど、どうしたんですか? 

そんなに積極的に出るなんて、思考回路、壊れかけてません?




「は? お前たち何考えているんだよ、そんなことあるわけないだろうが」

「菅沢さん、どうでもいいですから、そこをどいてください。
私、遅れているんですよね」

「昨日は引越しをしたんだ、あいつの」

「引越し?」


『野口りお』さんは以前、引越し業者の人に部屋をブログでばらされてしまい、

ファンやストーカーの被害に苦しんだらしく、今回は信用できる人だけを集め、

引越しをすることになったという。


「家具はあっちだ、こっちだって、あいつの要求は終わらないわけよ。
こっちは使い慣れない筋肉を使うから、腰は痛いし、体はだるいし……って、
わかったか。誰がりおと男と女になるんだよ。だったらここであれこれ言うか」



……まぁ、確かに。



「ほら、さっさと行けよ飯島。どいたぞ」

「あ、はい」


階段を駆け上がり、田ノ倉さんが待つ本社ビルへ目を動かした。

これから大変なことが起こるかもしれないのに、なぜか私の心はスッキリする。

今、行きます田ノ倉さん!

『手をたたきましょう』のリズムが、私に勇気をくれる、そんな気がした。



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コメント

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急げ!

郁!表現が意味深なんだよ!

しかも大切な大切な諒の頼みを忘れるなんて・・・

急げ和、王子が悩ましげ顔で待ってるぞ!!!!

さて、和は?

yonyonさん、こんばんは

>郁!表現が意味深なんだよ!
 しかも大切な大切な諒の頼みを忘れるなんて・・・

あはは……そうそう、意味深だから意味があるのよ。
まぁ、yonyonさんの怒りは、王子に対してだろうけどね。

さて、遅れた和は……

さて、和は?

yokanさん、こんばんは

>上の空でBOOZの仕事してて
 何か失敗をしたんじゃないのかと心配になりますーー;

ねぇ、和なら何かやらかしそうでしょ(笑)

>和ちゃんのお母さんの職場訪問は痛快というか、楽しかったです^m^

はい、和の母ですからね。
色々なやり方、言い方はあっても、子供を思う気持ちは一緒。