CIRCLE piece8 【プレゼント】

CIRCLE piece8 【プレゼント】

    CIRCLE 8 プレゼント



「早苗、ハンカチどこだ」

「エ? お父さん。テーブルの上に出したって言ったでしょ!」

「……あ、そうか」


娘の早苗は、少しずつ大きくなるお腹を抱えて、今日も動いている。

私は、階段を気をつけるようにと声をかけ、いつもの時間に家を出た。

結婚する前に、子供が出来た……。そう言って頭を下げた隆と早苗。

冬の寒い中、何度も通ってくる男に負け、結婚を許した日。


そう……あれから半年が過ぎ……。


当たり前のように、生まれてくるはずの命を待っている自分がいる。

男なのか、女なのか、早苗はあえて聞かないつもりらしいのだが。





「おはようございます」

「あ、おはようございます」


職場である小学校に着くのは、いつも8時15分前だ。これは赴任先が変わっても、

変わることない自分のリズム。

2年3組の出席簿を取り、朝の準備を始める。次の3月が来れば定年退職。

教頭や校長を目指すことなく、最後まで現場の教師にこだわった。その最後の教え子達。


「おはよう、逸樹。今朝もちゃんと水やってくれたのか」

「うん……」


坂上逸樹。彼の母親から相談を受けたのは、5月のことだった。


「再婚……ですか?」

「はい。夏休みになったら、彼のいる仙台へ引っ越します。ただ……」

「……」

「逸樹が……」


3歳になる時、逸樹の母は父親と離婚をした。それでも年に何度か会っている父親と、

今度新しく父親になる人との境で、逸樹の気持ちは乱されているようだった。

小さな子供は、新しい変化に、心を追いつかせることが、なかなか出来ないのだろう。


「先生、こっちのあさがお、去年のタネから伸びたんだね」

「そうだな。去年、みんなで実験したこと、覚えてるか?」

「うん、覚えてるよ。色出して、あと、枯れた茎はクリスマスリースを作った」

「そうだよな。また、咲くといいな」

「うん」


あと、4日で1学期が終わる。なんとか逸樹に声をかけてやらないと。





「へぇ……再婚」

「あぁ、母親の職場の人で、よく知っている人らしいんだが、親になると思うと、
気持ちもまた違うんだろうな」

「お父さんは、どうして再婚しなかったの?」


早苗の母は、早苗が中学生の時に病気で亡くなった。

そう言われてみれば、再婚しろと言われた時期もあった。思い出す過去のこと……。


「再婚は難しい。お前が女の子だったから、色々と家のことをしてくれるようになって、
それでいいな……と。私は甘えていたのかもしれないな」

「ねぇ、お父さん。赤ちゃん産んで、隆の仕事が落ち着いたら独立しろって言ってるけど、
ここに住んだらダメなの?」


早苗は湯飲みにお茶を入れると、私の前に置く。


「お父さんを一人にするのは……辛いんだけど」


私は食べ終えた食器を片付けると、早苗の肩を軽く叩く。


「二人の時間を大切にしなさい。私はまだ、大丈夫だ」


早苗は何も言わないまま、椅子に座っていた。





夏の日差しが眩しく、子供達の集中力も続かなくなる。授業の終わりをつげる鐘がなり、

プリントを回収した。


「よし、休み時間だ。元気に外で遊んできなさい!」

「エ……暑いもん……」

「先生、クーラー入らないの?」


そう言ったやんちゃ坊主、恭平の頭をポンとプリントで叩いてやる。確かに、昔に比べて、

暑さは半端ではない。ふと教室に目をやると、逸樹はもういなかった。


いつもの花壇の前、私は水をかけている逸樹にそっと近づいていく。


「逸樹……」

「……先生、これじゃ、花が枯れちゃうと思って。水、もっとやった方がいいよね」

「いや、こんな暑い中でやったら、花がしおれちゃうぞ」

「エ?」


逸樹は水やりを止め、こっちを向いた。私は咲いている花に触れ、逸樹に話しかけていく。


「なぁ、逸樹。水はたくさんやった方がいいんだけど、今、ここに水をかけても、
土が熱いから花が蒸れてしまうんだ。だから、水は朝か夕方」

「……そうなんだ」


私が腰を下ろすと、逸樹もそのまましゃがみこんだ。クラスで目立つ存在ではない逸樹だが、

任された仕事を投げ出したりするようなところはない、真面目な子だ。


「逸樹がいなくなったら、ここの花壇は誰が水をやるのかな」

「……龍に頼んでおくよ」

「そうか、よろしくな」


逸樹は咲いている花を見つめながら、小さくつぶやいた。


「先生、僕、新しいお父さんと、仲良く出来るのかな……」


新しいものに対して、恐怖心を持つ気持ちは、よく理解できた。そう、たった半年前、

自分のテリトリーに急に入ってきた男を、追い返し続けたことを思い出す。


「なぁ、逸樹……。先生も最初は怖かったんだぞ」

「エ?」


子供達のあさがおの茎を頑張って登っていく小さなアリ。そう、こんな小さな生き物も、

同じように生きている。


「先生の大切にしていたものを、くださいって急に言われたんだ」

「大事なもの?」

「うん……」


大事なもの……。そう、何年も、何年も、ただその幸せだけを考えていた娘の早苗。

それこそ、この花壇の花たちのように、毎日、毎日、愛情を注ぎ続けたのだ。


「クラスのみんなと、一生懸命育てた花を、急にちょうだいって持って行かれたら、嫌だろ?」

「うん、嫌だよ」

「だから、絶対にやらないって、先生、その人に言ったんだ」


結婚したいと言ってきた隆を、何度も追い返した。廊下で早苗が泣きながら、

隆に謝っていた姿を、台所の隅で見ていたことを、ふっと思い出す。

自分は娘を思っているんだ……。そう言い聞かせながらも、どこか虚しく、

だんだん孤独になっていった日。


「でもな、ある日気がついた。先生が大事にしていたものを欲しいと言ってくれた人は、
そのすばらしさに気付いてくれた人なんだって……」

「……」

「逸樹も先生も、ここのお花が大好きなように、他の人が綺麗だね……と思ってくれたら、
それは嬉しいことじゃないかな」


ちょっと難しいだろうか。逸樹は何も言わず、黙って聞いている。なかなか計算力もあり、

成績も優秀な男の子だけれど、まだまだ小学校2年生。どこまで理解できているか、

ちょっと自信がなくなってくる。


「お母さんを……大好きだって、思ってくれたんだね、克彦さん」


母の再婚相手の名を、口にする逸樹。自分の状況をなんとか受け入れようと、

懸命になる小さな子供。その姿が愛しくて、私は逸樹の頭を軽くなでてやる。


「そうだぞ、逸樹のお母さんが素敵な人だから、一緒に暮らしてくれないかって、
そう言ってくれたんだろ」

「……うん。僕のことも、好きになってくれるかな」

「あぁ、好きになってくれるさ」


目の前の黄色い花に、蝶々が一匹とまりにきた。逸樹が触れようとすると、

その蝶々はすぐに花を離れていく。


「あ……飛んで行っちゃった」

「そうだな……」


まっすぐに飛ぶのではなく、ふわふわと揺れながら前に進んでいく蝶。


「いいなぁ、花があるって。花があるからアリも蝶も、ハチもここへ集まってくる。
1本より2本の方が、たくさん集まってくれるだろ」

「……うん」

「先生、その人に大事なもの、あげたんだ。そうしたら新しいプレゼントを運んできてくれた」

「プレゼント?」

「もうすぐ先生、お爺ちゃんになるんだよ」


隆と早苗がくれるプレゼント。まだ顔も見たことがない、かわいい孫。


「逸樹のお母さんも、そんなかわいいプレゼントを逸樹にくれるかもしれないぞ」

「……赤ちゃん?」

「妹かもしれないし、弟かもしれないし……」


逸樹はそこで下を向いた。私は花壇に生えているちょっとした雑草を、手で抜いていく。


「でも、僕が仙台へ行ったら、お父さん……僕のこと、忘れちゃうかな」


離れて暮らすことになった、本当の父親。大人の事情は飲み込めない、男の子の本音。

私は逸樹の方を向き、首を横に振る。


「忘れるわけないだろう。逸樹のお父さんは、いつまでも逸樹のお父さんだよ。
クラスのみんなだって、きっと、花壇を見たら逸樹のことを思いだしてくれる」

「……みんなも? 僕を忘れない?」

「あぁ、忘れないよ。毎年、花が咲くと……あ、そうだ。逸樹。このあさがおが枯れて
タネが出来たら、先生逸樹に送ってやる。そうしたら、みんなと同じあさがおが、
お前のところにも毎年咲くだろう」

「……うん!」


花が大好きな逸樹。嬉しそうに笑った顔が、太陽に反射し、眩しく見えた。





「みんな、今までありがとう。仙台に行っても、みんなのことは忘れません」

「逸樹、元気でね!」


それから2日後、逸樹のお別れ会が教室で開かれた。手作りの飾りと、手作りのプレゼント。

私も色紙にしっかりとコメントを残す。


「じゃぁ、これからは龍が水やり、しっかりと引き継げよ!」

「はぁ~い!」


不安と期待を背負って、小さな逸樹は仙台へ旅立っていった。





季節は暑い夏を過ぎ、秋へと進んでいった。私は病院の駐車場に車を止め、

足早に中へ入っていく。廊下をあちこち歩いてみるが、新生児室が見つからない。


「あの、新生児室は……」

「あ、産婦人科はこの上の3階ですよ」

「あ……」


よく見ると、そこは2階で、外科病棟の看護婦が、笑顔で間違いを教えてくれた。

おそらく私のように、慌てる人間も多いのだろう。階段をあがり、奧へ向かう。

一足先に、隆と早苗が、二人で新しい命を見つめていた。


「早苗、もういいのか? 立ったりして……」

「あ、お父さん。大丈夫よ、来て!」


私は明るい部屋の方へ視線を移し、頭の上にかかっている名前を探す。

『尾崎早苗』と書かれた札の下に、新しい家族がいた。


「男の子だった……」

「あぁ……」


どっちなんだろうなどと、仏壇の女房に話しかけていたが、

産まれてみたらどっちでもよかった。まだくしゃくしゃな顔で、小さな口だけが母を捜し、

動いている。


「お父さん……」

「ん?」


隆は早苗と顔を見合わせ、少しだけ笑っていた。私は自分の表情が気になり、

赤ん坊から視線を外す。


「僕たちをこのまま、あのうちに置いてください」

「……」

「私たち、4人で一緒に暮らそうよ、お父さん……」


子供が産まれたら、独立して部屋を借りるように。そう言い続けてきた。

今さら、赤ん坊の泣き声や、若い連中のリズムに、自分の生活を乱されたくはない。

そう思っての提案だったのだが。


「きっと、この子はお爺ちゃんが好きになりますよ。お腹の中で、
ずっと聞こえてきた声なんですから」



『僕のことも、好きになってくれるかな……』



そう不安そうに言った、逸樹の言葉を思い出す。新しいものを受け入れるのは、いつでも、

期待と不安が入り交じる。私は何も返事をしないまま、産まれたばかりの孫を、見続けた。

なぁ、おい……。お前はどうだ? こんなお爺ちゃんを家族として認めてくれるのか?

そう心で問いかけてみた……。





「お父さん、早く! 隆さん、早く!」

「あ……歩。パパはお仕事に……」

「隆さん! 電車の時間、歩と遊んでいる時間はないのよ!」


歩が産まれてから、隆は全く早苗にかなわなくなった。

今や、わが家の中心は早苗と歩になっている。あれだけ早苗に頼っていた私も、

自分の支度は自分で出来るようになった。


「歩……行ってくる」

「二人とも、行ってらっしゃい!」


新しい命は、また、あらたな幸せを運んできた。尾崎家は親子3代、

この家で暮らすことになったのだ。


新しい環境へ旅立った逸樹から、手紙が着いたのは次の日だった。



『先生、3組のみんな。あさがおのタネ、ありがとう。春になったら、
みんなと同じあさがおを、ぼくもうえきばちにうえます。きのうは家ぞくみんなで、
うんどう会に出て、ぼくは1ばんになりました』



幸せのタネは、また小さな花を咲かせるのだろう……。

全ての人のために……。

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しあわせ……って、人それぞれだよね

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