CIRCLE piece9 【ANGEL】

CIRCLE piece9 【ANGEL】

    CIRCLE 9 ANGEL



そんなことは何も知らなかった。元々運動なんて得意じゃないし、それなのに、

付属病院対抗のソフトボール大会に、なぜか借り出されることになり、私は練習を余儀なくされた。


「あぁ……もう!」


病院の中庭で、壁にボールを当ててみる。跳ね返ってきたボールは、私を無視して、

後ろへ逃げていった。


こんな時は、嫌なことが重なるものだ。急に入ってきた患者の担当にされ、部屋へ向かう。

個室を使い、布団を頭から被っているのは、プロ野球選手の『広瀬和哉』。

私は義務的に用事を済ませようと声をかける。


「広瀬さん、検温です……」

「いいよ、足なんだから関係ないだろ!」


なによ、その態度! シーズン最終日に滑り込んで痛めた腰と足。

結局、優勝シリーズにも出られなくなり、イライラしているんでしょうけど。


「言うことを聞かないのなら、何が起こっても知りませんよ!」


負けるものか! あんたみたいなわがまま患者に、いちいち振り回されていたら、

私、仕事にならないんだから。

布団を思い切りはがし、私は自分の仕事をしようとする。

ちゃんと包帯で巻かれているはずの足は、なぜか素足になっていた。


「あ! ちょっと、包帯はどうしたんですか?」

「……勝手に取れた」


うそだ! プロがしっかりと巻いた包帯が、そう簡単にはずれるはずもないのに。

私が病室内を見回すと、ゴミ箱に入った包帯が見えた。


「ちょっと広瀬さん。こんなことしたらダメなんですよ。本当に治す気があるんですか?」

「うるさいなぁ。素振りするのに邪魔なんだよ」

「素振り? そんなことダメに決まっているじゃないですか!」

「どうして?」


呆れた、呆れかえった。なんと自己中心的、なんとわがまま。私はバットやグローブを取りあげ、

部屋から出ようとする。


「何するんだよ」

「閉まっておくんです。ちゃんと先生からOKが出るまで、触ったらダメですから。
ここにあると触れたくなるでしょ? だから……」

「余計なことをするなよ。商売道具なんだぞ! 俺がいいと思ってやってるんだ、
あれこれ言うなよ!」


そう言うと、右足を引きずりながら、取り返しにきた。私も負けずに強くひく。

その瞬間、私の手がバットから外れ、体は壁に思い切りぶつかった。


「痛い……」


背中を思い切りぶつけ、私は床に崩れ落ちた。


「大丈夫か……おい!」


わがまま男が、私に近づいてくる。片目を開けて確認すると、一応表情だけは

心配しているように見えているけど……。


「ごめん……強くひきすぎた……」

「……検温です!」


それから、私とこいつの戦いが始まった。人の目を盗んでは、筋力トレーニングなどを

しようとする広瀬選手。そして、それを見つけては大騒ぎする私。

知らない間に野球シーズンは終わり、北風が冷たい冬を呼び込んできた。





「はぁ……」


相変わらずボールには嫌われている私。大会はもうすぐだと言うのに、どこにも進歩が見られない。


「美加ちゃん、僕もやる!」

「あ、幸雄くん、今日は外へ出ていていいの?」

「うん、先生がいいっていったんだ」


うちの病院には小児病棟もあり、色々な病気を持った子供達が入院をしていた。

中には外に出ることさえ許されない子もいたり、病院の外を全く知らない子供もいる。


「ねぇ、美加ちゃん。僕もうすぐ退院できるんだ」

「エ……本当? よかったね……」

「そしたらね、野球を見に行くんだよ。いつもテレビでしか見られないけど、
パパが春になったら連れて行ってくれるって……」

「へぇ……」


私はその時、ふっとあのわがまま男のことを思い出していた。怪我をしているとはいえ、

子供たちにとっては憧れの選手。本来、どんな人が入院しているのか話してしまうことは

タブーなのだが、小さな夢を持つ子供たちに、何か希望を与えて欲しい……。

そう思い、505号室へ乗り込んでいった。


「ヤダね!」


そして、いきなり撃沈した。


「ヤダって、広瀬さんは『東京ウイングス』の選手じゃないですか。ちょっと子供たちに
野球を教えてくれたら……」

「簡単に言うなよ。俺は怪我の治療で来てるんだぞ。なんだよ、バット持てば取りあげるし、
筋トレしようとすると担当医を呼ぶくせに」


確かにそうだった。野球から離れろと指示しておいて、片方で教えてくれと言うのは

おかしいことかもしれない。でも……。


「子供たちにとっては、一生の思い出になると思うんです。どうにか出来ませんか?」

「……」

「お願いします……」


彼は少し考える顔をした後、私に右手を差し出した。


「レッスン料、1時間……そうだな……3万でいいや」


そのマメだらけの手を思い切り叩き、私たちの交渉は決裂した。





「よし、幸雄くん、投げて!」

「うん……行くよ、美加ちゃん」


軽く投げてくれたボールは、何度か目の前で弾み、私の足の間をくぐり抜ける。

後ろで待っていた松葉杖の恵ちゃんが、その杖でボールを止めてくれた。


「美加ちゃん、本当に運動オンチなのね。あれくらい止めないと、試合にならないよ」

「……そうなんだけど、止まらないのよ」


この姿を、外科部長は見てくれないだろうか。内山美加は、あまりにもお粗末だから、

試合に参加する必要なし! という診断をしてほしいものなのに。


「もう一回、いい? 幸雄君、投げて!」

「行くよ、美加ちゃん……」


私は真剣な顔で、幸雄君の手にあるボールを見つめた。


「ちょっと待てって!」


聞き覚えのある声に振り向くと、そこにはあいつが立っていた。包帯は随分軽くなり、

歩く姿も楽そうだ。


「あ……広瀬選手だ! 広瀬選手ですよね」


幸雄君は嬉しそうにあいつに駆け寄った。私は思わず睨み付ける。

いい? 純真な子供達を傷つけたら許さないから!


「あぁ……そうだよ……」


なによ、その笑顔。どういうこと? 

あいつは幸雄君に近づき、手にあったボールをこっちに貸してと合図した。


「おい、お前腰が高いんだよ。もっと低く構えろって」

「エ? 腰?」


私はズボンの白衣を着ていたため、自分なりに少し腰を下ろした姿勢を取る。


「それじゃ、土俵入りだって!」


あぁ、やっぱりそうなった。どうせ、私はコロコロしてますよ! ふん!


「いいか? ボールを投げる時には、ひじをこうして……」


あいつは、幸雄君に投げ方を教え始めた。ねぇ、ちょっと、こっちはどうなるのよ。

私は姿勢を戻し、二人を見る。


「こう?」

「……そう、そういうふうに足を前へ出して……」


二人の様子に気付いた患者達が、だんだん彼の周りに集まりだした。それは子供だけでなく、

大人も、そして年配の人も。


「あんた、『東京ウイングス』の広瀬だろ。やっぱりここに入院していたんだね!」

「ねぇ、ちょっと……サインもらえない?」


彼は適当に笑顔を見せながら、幸雄君に投げ方を教えていた。それでも集まる人達は、

だんだん彼に要求をし始める。


「ねぇ、サイン頂戴!」

「ねぇ、ちょっとだけこっち向いて……」


携帯電話を取りだし、写真を勝手に撮る見舞客。私はその輪から外れ、唯一見えている

あいつの足だけを見つめていた。


みなさん……彼は、治療にきているんですよ……。

あれこれ、要求しないでもらえませんか。


その時初めて、あいつが有名人だったことを実感した。





「ほら、みなさん。ダメですよ。自分の病室へ行ってください」


それからあいつの病室前には、やたらに人が集まるようになった。中を覗こうとしてみたり、

子供にサインをねだる親が出てきたり。私はいつのまにか、マネージャーのように、

その野次馬達を蹴散らすのが役目になる。


「ごめんなさい」

「……なんだよ、急に。君でもしおらしくなることがあるんだな」


片手にバーベルを持ちながら、笑っているあいつ。私はカルテに記入しながら、

そんな様子をじっと見た。


「幸雄君に投げ方を教えた、あの日からですよね。みなさん、ゾロゾロ覗きに来て、
プライバシーもあったもんじゃないし……。私が、野球を教えろなんて言わなければ……」

「なぁ、俺、来年レギュラーに戻れると思うか?」

「は?」


あいつはどこか不安そうにそう言った。私は答えることが出来ずに、ただ下を向く。


「ファンですなんて言って、みんな嬉しそうにサインを持って帰ってくれたけど、
もし、来年試合に出られなかったりしたら、あっという間にそんなものゴミ箱行きだろ」

「……」

「最高に調子がいいシーズンでさ、せっかくスタメンとして活躍していたのに、
思い切り怪我して、最後出られなくて……。で、イライラしながらここで、
どうしようもない気持ちを、あんたにぶつけていた気がする。こっちこそ、悪かったな……」


そんなふうに出られたら、何も言い返せないじゃないですか。私は、ただじっと動けず、

その場に立っている。


「でもさ、楽しかったよ。あんたはいつでも本音だし、でも、野球詳しくないから、
全然俺に興味ないし、ワーワー言われているうちに、すっかりイライラもなくなってた。
だから、そのお礼に、この間は子供に野球を教えようと……」

「幸雄君、喜んでました。退院して春になったら、見に行くって……」

「……出られたらいいけどな……俺……」


なんだろう、なぜだかわからないけど、私は一歩前に出て、ファイルで彼を叩いていた。


「甘えるな! 男だろ!」


あいつは一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに大きな声で笑い出した。


「見に来てくれると嬉しいんだけど……」

「……幸雄君、行くって言ってましたから、大丈夫ですよ!」

「……」

「ん?」


ちょっと不思議そうなあいつの顔。


「……そうだよな……」


そして、それから3日後、あいつは無事退院していった。マスコミが病院を囲み、

先生や患者が小さなアーチを作る中をにこやかに歩いていった。

私は、その輪の外れに一人立ち、出来る限りの拍手を彼に送る。





季節は動き……3月。今までナースステーションで、野球が映っていても、

見たこともなかったのに、今日からのオープン戦が気になって仕方がなかった。

『東京ウイングス』。あいつは、もう一度戻れたのだろうか。



『2番……ショート、広瀬……』



歓声の中、ユニフォームを着たあいつが、グランドへ飛び出してきた。

引きずっていた足は、もうしっかり完治し、軽快なフットワークでボールをさばいている。


「広瀬かぁ……。ここに入院していたんだよな……」

「そうよね……」


医師や看護師達が、口々に彼のことを話し始めた。たった4ヶ月前のことなのに、

ずいぶんと日が経ってしまった気がする。あんなに近くで、言い合ったのに、本当は……

こんなに遠かった。


ねぇ……私のソフトボール大会、散々だったんだよ……。

なんとなく画面を見ていられずに、私はナースステーションを出ていった。

受け持ちの患者さんのところを回り、もう一度ナースステーションへ戻る。

試合は終了し、東京ウイングスが勝ったように見えた。


「ねぇ、美加ちゃん。広瀬が決勝打だよ」

「……あ、そうなんですか……」


ヒーローインタビューに呼ばれるあいつ。女性アナウンサーにマイクを向けられる。


「ねぇ、内山さん、これ……」

「エ?」


同僚から渡されたのは、私宛の封書だった。あいつのインタビューを気にしながら、

近くにあったハサミで、封筒を切る。


「それでは、怪我から無事復活した、広瀬選手です。どうですか? 足はもう……」

「はい、すっかりよくなりました。みなさんの応援のおかげです!」


ファンに向かって手を振るあいつ。病室でポツリと不安な心を漏らしていたけど、

もう、心配ないじゃない……。


「……エ……」


差出人は、目の前で笑っている『東京ウイングス、広瀬選手』だった。


「もう一度、ここでこうして頑張れる勇気をくれたみなさんに……そして……」

「……」

「僕を支えてくれた……運動オンチの天使へ……感謝の言葉を贈ります」


あいつは目に少し涙をためているように見えた。いや、違う。目に涙をためているのは……

私の方。



『あの日、見に来てくれると嬉しいんだけど……と言ったのは、君のことです。
看護師さんだから、時間もなかなか取れないと思うので、年間シート席を送ります。
時間のある時でいいから、声援を送ってくれないか』



こんなもの、送ってきて……。でも、運動オンチは……余計だよ……。



『君がこの席で、俺に声援を送ってくれる日が来るのを、楽しみにしています』



私は、その大事な手紙を握りしめたまま、テレビに映るあいつを見た。

婦長! 私、いつならここへ行けますか?

                                      piece10 へ……





しあわせ……って、人それぞれだよね

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