72 近くて遠い人

72 近くて遠い人



田ノ倉さんが病院に運ばれた……

その情報に、私の手は全く動かなくなる。

聞くことは怖いけれど、聞かないでいられるほど、のんきでもない。


「田ノ倉さんに何か……」

「言わないでおこうかと思ったけれど、どうせお前一人で会社へ戻しても、
どこかから耳に入るだろう。だったら、俺と一緒に病院へ行ったほうが、
逆にすっきりするとそう思って」




……すっきり? それって、どういうこと?




「諒が、『スプリング社』へ出かけた帰り、事故に遭ったそうだ」


整然と並べていたはずのカメラの部品を、どこに入れたらいいのか、

私の頭は一瞬で混乱した。無理に触れたら壊しそうで、手を出せなくなる。


「連絡をくれたのは、親父の奥さんで、今病院には諒のお母さんがいる。
ムリな追越をしようとしたトラックが別のトラックに追突して、
そのまま諒の車にぶつかったらしい」


田ノ倉さんの前には1台の車があったが、その車は無事に直進し、

2台目にいた田ノ倉さんの車に、弾かれたトラックが衝突した。

その反動で中央分離帯にぶつかり、田ノ倉さんの車は潰れたのだという。


「……田ノ倉さんは……」

「『麻見記念病院』に救急車で運ばれた。運ばれるときには、
意識が朦朧としているようだったけれど、問いかけには何度か頷いたって……」

「朦朧?」

「救急車の中でも呼吸と脈拍は安定していたし、命に別状はないだろうと、
医者は言っているらしい。ただ、絶対はありえない。
車に押されて臓器に圧力がかかった可能性があるし、足の骨折、それに頭も」



『明日また……笑顔で会いましょう』



田ノ倉さんは昨日、そう言ってくれた。

まさか、こんなことになるなんて……

笑顔で会わないとならないのに……


「今、ここにバイク便を呼んだ。あと数分で到着するから、カメラを全て預けよう。
針平に電話して受け取ってもらうようにしたから、俺とお前は病院に……」

「菅沢さん」

「なんだ」

「本当に……田ノ倉さんは大丈夫なんですか」

「飯島……」

「事故ですよね、車が壊れるくらいの……」

「大丈夫だ、あいつはそんなにやわじゃない」





わかっています。

田ノ倉さんは優しいけれど、決して弱い人じゃない。





……でも





この不安は、どうしたらいいんですか。

地球がどう動いても、何が起こっても……



『田ノ倉さんは、絶対に大丈夫だ』と、誰か私にそう言ってください。





『オレンジスタジオ』を出た私たちは、バイク便に取材の機材を全て渡し、

田ノ倉さんが運ばれた病院にタクシーで向かう。

『明南通り』を通ると、渋滞なのか、急に車が動かなくなった。


「ここでも、事故みたいだな」


菅沢さんの言葉に前を見ると、白い小さな車が、電信柱に車体をぶつけ、

そばには若い男性が一人、腰に手を当てた状態で立っている。

その横にはライトの部分が壊れたバイクと、植え込みに腰かける男性。



田ノ倉さんが運転して、海沿いの店へ連れて行ってくれた深緑の車も、

あんなふうに壊れてしまったのだろうか。

あの人は立って警官と話をしているけれど、頭を打った田ノ倉さんは、

今も、呼びかけに返事が出来ているのだろうか。



『明日また……笑顔で会いましょう』



私が病院へ向かったら、笑顔を見せてくれますよね。



「飯島……」

「はい」

「携帯が鳴ってるぞ」

「はい」


バッグに押し込んだ携帯を取り出すと、取材の申し込みをした店からだった。

一度深呼吸をし、受話器を開ける。


「はい、『BOOZ』の飯島です。ご連絡ありがとうございます」


こちらの約束通りの時間で、取材の許可が出たこと、

準備するものがどういうもので、どれくらいの時間が取れるのか、

私はメモに書き込みながら、何度も『わかりました』と返事をした。





30分もないはずの道のりが、やたらに遠く感じ、

『麻見記念病院』へ到着すると、事故処理のためなのか、数名の警察官が歩いていた。

一般の人が診察をする時刻は終了し、

ロビーの椅子には、数名の患者しかいない。


「……あ、郁君……って、あなたはどうしたの、腕」

「お久しぶりです。これはたいしたことないですから」


最上階まで上り、広い待合室のような場所へ入ると、二人の女性が顔を合わせていた。

菅沢さんに声をかけたのは、今の社長の奥さんである康子さんで、

その隣で不安そうな顔をしているのが、田ノ倉さんのお母さんだった。


「諒の様子は」

「命に別状はないだろうって。ただ、色々検査に回っているみたいで、
まだ、こっちには戻ってないのよ」

「そうなんだ」

「持っていたバッグも、全く傷がついていなくて。助手席の方が無傷に近いだなんて、
珍しい形の事故だって、警察の方にも言われたわ」


社長の奥さんの視線が、私の方へ向いた。

小さく頭を下げると、『BOOZ』の編集部員の方ですか? と問いかけられる。


「はい、飯島和と言います」

「そう……そうよね、仕事中だったのよね、ごめんなさい。
連絡をもらって、なんだかひとりで処理できない気がしちゃったのよ」

「いえ……」


少し離れた場所でエレベーターの開く音がして、全員の視線が一方向に揃った。

医療器具をつけられた状態の田ノ倉さんが、運ばれてくる。


「諒!」

「大丈夫ですから」


田ノ倉さんのお母さんが駆け寄ろうとしたのを、ベテランの看護師さんが制止した。

頭に巻かれた白い包帯と、口につけられた呼吸の機械、

そして動かせないように固定された右足が痛々しい。



『明日また……笑顔で会いましょう』



今、その笑顔を見ることなど、とても出来そうになかった。



73 追加のケーキ


『笑顔』を見せられない、3人の距離。
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コメント

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どうして・・

あーー胸が痛い・・・

うー……

yonyonさん、こんばんは

>あーー胸が痛い・・・

ですよね、
そのまま次へ!