85 影の手

85 影の手



田ノ倉さんの携帯電話に、かけてみようかと思ったことは確かにある。

それでも、私のことを忘れてしまっている人に、ムチをうつようで……

とても出来なくて……


「諒は今、『SOFT』の誌面構成には参加しているけれど、
『SLOW』の映画関係の仕事からは、全て外された。
『MERODY』のチーフも、今は実際、別の人間がこなしている」

「それと携帯って……何か」


田ノ倉さんの携帯電話。

入院している田ノ倉さん自身が解約することなど出来ないだろう。

だとすると、他の誰かがしたことになるんだろうか。


菅沢さんは黙ったままコーヒーカップのとってを握る。

飲むのかなと思ってみているけれど、そのまま動かない。

こんな時間が何秒も続くと、隠されている言葉がとても重たそうで……


「飯島……」

「はい」

「こんな話をお前にするべきじゃないことはわかっているけれど、
事情が事情だ、よく聞いてくれ」


菅沢さんはそういうと、やっと一口だけコーヒーを飲んだ。


『秋月出版社』は、国内大手の出版社であるけれど、

近頃の電子書籍の波の中では、新興出版社に遅れをとり、

業績は頭打ちの状態が続いていた。

活字と誌面の出版物には限界があって、近頃はどこの出版社も新しい動きを見せている。


「ネットの活用や、映像業界との統合も、あちこちで進んでいるんだ」

「映像……ですか」


役員たちは、映像業界との強い結びつきを狙っていて、

その第一歩として、『SLOW』の映画化が決定したのだという。


「『映報』にとっても、『秋月出版社』との結びつきは、
業績を上げることにつながるからね」


『映報』

実玖さんのお父さんが経営している会社。

実玖さん自身も、社員として働いている。


「昔から、映報の息子と諒は大学の同級生で、親同士もよく知っている。
今も、映報の娘が、諒にぴったりとついていて、面倒まで見ているし」



『思い出すでしょ……』



いつか、田ノ倉さんが私のことを思い出すと言った実玖さん。

諦めているような素振りだったけれど、そうではないのだろうか。


「諒が俺に何度も田ノ倉家へ来るように言っていたのは、会社の株があるからなんだ。
親父は、元々、『秋月出版社』を2つに分けてという考えがあったらしくて。
色の違う出版物を出す会社が、名前を2つ持つのは、よくあることだし」


『SOFT』や『MERODY』のような、看板雑誌と、

『BOOZ』のような、利益をあげる雑誌。

2人をトップに並べようとした社長の気持ち。


「『秋月出版社』のトップは、諒でいいんだ。
あいつのように、周りとうまくやれる人間じゃないと、企業はまとまらない。
それが、この事故で、妙な方向へ急に走り出した」


実玖さんのご両親は、以前から田ノ倉さんとの交際を望んでいて、

田ノ倉さんのお母さんも、昔からかわいがってきた実玖さんが、

かいがいしく田ノ倉さんの面倒を見てくれていることに感動し、

このまま二人が結婚することに対し、前向きだという。


「全く知らないもの同士の結婚じゃない。
お前が好きだったという過去を思い出せない諒が、周りに押されて、
このままそれを受け入れる可能性だってあるんだぞ。
だから、その方向へ走るのは待って欲しいと……」




田ノ倉さんが、実玖さんと……




「あいつは元々、自分を押し殺す性格なんだ。
自分が我慢して周りがうまくいけば、それでいいってそう思う男だ」


そうだった。

それは私もよく知っている。

田ノ倉さんはいつも、自分で抱え込んで、自分を犠牲にする。


「あくまでも俺の想像だけれど、携帯電話も、あえてなくされたのかもしれない。
自分たちに都合の悪い過去なんて、諒が思い出さない方がいいわけだし……」

「そんな……」


田ノ倉さんの事故を、自分たちの仕事を有利に進める材料として使おうだなんて、

そんなこと、あるんだろうか。


「あいつの優しさが……あいつ自身を苦しめる」




田ノ倉さんの優しさ。




「自分の価値観に全て当てはめるなと、俺はずっとそう言ってきた。
それは、嫌味でもなんでもなく、諒が気付いていないことがあるからだ」

「気付いていないこと?」

「あいつは、自分が我慢しているだけだと思っているけれど、そうじゃない。
本当はあいつを一番認めている人に、迷惑をかけていることに気付いていない。
あいつだけが我慢しているわけじゃなくて、あいつの周りの人間も、
ムリをしていることに気付いていない」



田ノ倉さんを認めている人……



そういえば、『SOFT』の連載が不調で、打ち切られることになった京塚先生が、

それは困るとごねたことがあった。

先に移動していた園田先生は、『MELODY』の自分の場所を明け渡したっけ。

諒を助けてやらないとと言って、先生は笑っていた。



『MOONグランプリ』では、何も知らなかった私をかばうために、

菅沢さんが走ってきた。

あの時も、『価値観』の話が出たんだよね。




そして……




「あいつの決断に、今回は黙って身を引くお前が泣くかもしれないんだぞ……」




私?

私が……


「あいつの事故で、抑えていた箱の蓋が、一気に取れた……」





菅沢さんの声は、少しいつもより低かった。





そして……小さかった。



86 私の王子様


そう、お金持ちの人達は、あれこれ考えていると思い込んでいる私(笑)
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