87 たいしたこと

87 たいしたこと



田ノ倉さんは、思い出せない過去に苛立ちながら、仕事をする日々。

周りの人たちも、気を遣うことだけに精一杯で、歯車はズレっぱなしだ。

私は、私に出来ることで、田ノ倉さんを助けたい。





「1週間前の昼食ですか」

「はい。何を食べました? 何ヶ月も仕事をしていると、
いつも同じようなものを食べている気がして。たまには人の話を聞くと、
違ったメニューが出るような……」


一度そらされた目が、また私とぶつかった。


「飯島さん……」

「はい」

「僕の昼食なんて、参考にしなくてもいいのではないですか?
あなたが好きなものを食べたら……それで」

「思い出すことなんて無駄だってことですか?」

「いや、無駄だとは言いませんが……」

「遠慮なく言って下さい。そんなことは無駄だって、だって過去なんですから」

「は?」




田ノ倉さん、大切なのはあなたが大きな怪我もなく、こうして仕事に戻れたことで、

また、会社の人たちと一緒に、楽しい雑誌を作れることで……




「すみません、ややこしい聞き方をしてしまって。
でも、こうして何かを聞かれて思い出せないと、イライラしてきますよね。
どうでもいいことだから、余計に……」

「まぁ、気にはなります」

「そうなんです。私も同じ質問をされたらきっと、イライラすると思います。
でも、過去の献立なんて思い出そうとして、イライラしていたら、
時間がもったいないですよ」

「時間?」

「はい。この間、私、見てしまったんです。
編集部で田ノ倉さんが苛立っていたところ」


思い通りにならないことに、腹を立てていた田ノ倉さん。

思い当たるところがあったのか、表情が変わる。


「そうですか……それはみっともないところを」

「いいえ……」




私、まるで重箱の隅をつつくようなことを言って、嫌なヤツ。




こうして話をしているのに、距離はどんどん離れてしまう。

でも、私にはこれしかしてしてあげられることが、浮かんでこないんだもの。




「田ノ倉さんのこと、みなさんが『王子様』って呼ぶことをご存知ですか?」

「あ……はい。経営者一族なので、そんなふうに呼ばれるのでしょう。
からかわれているのです」

「違います」




田ノ倉さん……

あなたは正真正銘の『王子様』なんです。




「素敵な人だから、みんな『王子様』って呼ぶんですよ。
女性はみんな、心の中では自分がお姫様だと思いたいので」




あなたの優しい笑顔と、まっすぐな人柄が、そう呼ばせるんです。

前にもそう、話したじゃないですか。




「だから、事故から助かってよかったと、どうか素直にそう思ってください。
思い出せない過去なんて、1週間前の献立と同じですよ。
いつかまた、同じようなことがめぐってきたときに、
ふっと思い出したりするものです。もし、思い出せなくても……」




思い出せなくても……

それでもいい。

あなたが、また笑顔を見せてくれるのなら……




私のことを『好きです』と言ってくれたことも、

たくさん食事をして、笑ってくれたことも……




「たいしたことじゃないんです」




忘れてしまってもいいんです。

だからどうか、笑顔でいてください……

そしてこれからも、私の好きなあなたの笑顔を、遠くからでも見せてください。




「今を楽しく出来なかったら、毎日がつまらないじゃないですか。
人生は『ケ・セラ・セラ』なんです。なるようになりますよ」




ダメだ……あれだけ何度も頭の中で復習したのに。

これ以上話していると、泣いちゃいそうだ。

それじゃ、せっかくの芝居も台無し。




「『ケ・セラ・セラ』?」

「はい、思い悩んでいるよりも、
前向きに気持ちを切り替えてどうにかなると思った方が、結果がついてくる、
私はそう思います」


田ノ倉さんは表情を変えないまま、黙ってしまった。

一方的に、好き勝手に話をしてくらいにしか、思ってもらえなかったかな。


「さて、編集部に戻ります。菅沢さんからまた雷を落とされるので」


何を言っているのかすら、理解してもらえなかったのかもしれない。

変な人だと、そう思われたかもしれない。

もしかしたら、こんなふうに話せるのは、最後かもしれないのに。


「それじゃ、失礼します」


階段をかけおりて、『手をたたきましょう』にせかされながら横断歩道を渡りきる。

それでも音楽の心地よいリズムが、『和、よく言い切った』と、

そう言ってくれた気がした。





半地下編集部へ戻ると、どこかで会ったような、初めて会うような、

スーツ姿の男性が、黙ってソファーに座っていた。

菅沢さんは朝から出張で出ているし、細木さんも外出中。



……となると、この深緑色した『青汁』ばりのお茶、及川さんが出したってこと?



「あの……」

「お邪魔しております。約束の時間よりも、30分早く着きまして……」



約束? まさか……



「僕ではありません、編集長です」



そうですよね、及川さんが人と待ち合わせだなんて、ありえないもの。



「先日は、お怪我がなくて何よりでした」



怪我?

あ! 思いだした。菅沢さんと『オレンジスタジオ』に行った日。

車にひかれそこなった私を心配して、日向淳平が楽屋を訪ねてくれたっけ。

そうそう、この人。


「日向淳平さんの、マネージャーさん」

「はい、田沢と申します」


日向淳平の関係者と知った私は、

及川さんの入れた『青汁』のようなお茶をさっさと下げ、

先日取材のお礼でいただいた、高級な紅茶を取り出し、田沢さんに出し直した。



88 低気圧の行方


淳平のマネージャー田沢登場! さて、何をするのか……
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コメント

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おや!

わーぉ!和言ったね。

そうそう人生は「ケ・セラ・セラ」i-185

身体の傷が癒えるころには、心も少し軽くなってるといいね^^

お、田沢さんなんの御用かしら?

そう、言ったのです

yonyonさん、こんばんは

>わーぉ!和言ったね。

そうなのです、言ったのです和は。
『ケ・セラ・セラ』
諒には、その言葉がどう響くのか……

田沢が来た理由は、次回で!