4 昔の彼女

4 昔の彼女



事故というアクシデントから、俺は永原を前向きに変えるという任務を背負った。

でも、冷静に見たあいつは……


「本部長、どうして永原を会社に残したんですか」

「どういう意味だ」

「あいつ、頑張ろうって気が全くないように思えて。
ちょっとわがままな客が来ると、もうダメだと決め付けるんです。
あ、もちろん俺もそう思うことはあります。でも、なんとかしようとするのが普通で。
あいつは、違うと思ったら、客を怒らせてでも帰らせようとするんです」

「そうか」


悪口だと取られるだろか。それならそれでもいい。

深見本部長も、あいつの仕事ぶりを見て、薄々は気づいているはず。


「東京本社で研修したときの評判がどうだったのか、俺は知らないですけど、
あれじゃ、客も怒り出しますよ。あいつ、本当にこの業界に入りたかったんですかね」


大学を出て、なんとなく入社して、なんとなく結婚して辞めればいい。

そんなふうにしか、思っていない気がする。

『雲の上』で告げられたことを実行するためには、もう少し……


「国定」

「はい」

「旅行業界は他の業界とは違う。売る商品には形が見えなくて、
『思い出』として記憶に残るものだからな」


『思い出』を売る商売……


「たとえ有名な観光地で、ものすごくすばらしいものを見ても、
旅行の添乗員やホテルの従業員が、嫌な態度を取ればいい思いはすべて消えてしまう。
逆に、何も期待しない旅行だったとしても、美味しい食事が出ただけで、
心まですっきりすることだってある」


……確かに。


「なんとなく入ってきたって社員は、他の業界に比べたら少ないはずだ。
旅行が好きだとか、以前、紹介してもらった場所がとても綺麗だったとか、
そういういい思い出があるからこそ、この業界を選ぶし、きつくても続いている。
お前もそうなんじゃないか?」


俺が旅行業界を選んだ理由。

そう、中学生の時に、父親が連れて行ってくれた小さな温泉宿。

パンフレットには載らない店だったけれど、

いつも家族で泊まっていたホテルより静かな場所にあった。

多感な時期に『男二人』、顔をつきあわせていたあの時間は、

俺にとって、特別なものだった気がする。

少し現実から抜け出し、旅をするっていいなと、確かにあの時そう思った記憶。


「永原もきっと、自分なりの思いを持っていたはずだ。
ただ、それが何かで、消されかけている……
だから、どうでもいいような態度を取るような、そんな気がするけどな」


何かがあった……

それが、あいつを『弾丸』にした理由なんだろうか。


「あの事故のまま、会社を辞めさせたら、永原の中に残るのは、
旅行業界に対する嫌な『思い出』だけだ、それは再出発にもよくない。
俺はそう思っただけだよ、だから残した。入社した部下には、
全て定年まで働いて欲しいと思っているけれど、
でも、どうしてもやめていかないとならない人だっている」


本部長は何かを思い出しているのか、目の前で軽く腕を組んだ。

この『横浜支店』に来る前も、仙台や東京西支店で色々な思いをしたのだろう。


「それでも、やめていく部下が下向きではなくて、
前を向いて、希望を持ってやめていってほしいと、そう思っているんだ」


本部長はそう言いながら、片手に持っていた缶コーヒーを目の前に置いた。

いただきものだと笑顔を見せてくれる。


「まぁ、少し様子を見てやってくれ」

「はい……」


本部長は俺に向かって軽く手をあげ、『横浜支店』を出て行った。



『前を向いて、希望を持って……』



それって、まさしく『前向き』にってことだよな。

そういえば、俺自身も絶対に旅行会社へ就職したいと、意気込んで入社した。

お客様の笑顔を見るのが楽しくて、自分の好きな場所を、紹介したくて、

毎日必死に営業していたときもあった。



いつからだろう……そんなこと、あまり考えなくなったのは。

俺だってこんなふうに永原のことを意見できるような、

そんな模範的社員じゃなかったはず。



俺は、本部長が残した缶を見ながら、

永原の態度にただ愚痴ったことを、少しだけ反省した。





家に帰る途中、道に落ちていた石を軽く蹴り飛ばすと、

端の方にあった小さなドラム缶に当たり、思ったよりも大きな音がして、

横を歩くサラリーマンに嫌な顔をされた。

消えかかって点滅する街灯の前を右に曲がると、

マンションの前に立っている人の影に気付く。

後ろ姿だったけれど、それが3か月前に別れた萩野桃子だということは、

さすがにすぐわかった。


「宏登……」


桃子の目は、潤んでいた。

何をしに来たんだ……と聞こうとしたけれど、頭の中とは別の意志が動き、

とにかく中へ入れとカギを開けてしまう。



……俺、弱いんだよね、桃子の涙。



桃子は、俺が事故に遭ったことを新聞で知り、何度か病院の前まで来たことを語り出す。


「病室の前まで何度か行ったの。
でもね、宏登がどんな状況でいるのか想像すると怖くて、結局入れなかった」


3か月前、よくここへ来ていた時と同じように、

桃子は俺の隣にちょこんと腰かける。


「宏登」

「何?」

「私、わかったの。ううん……こんなことがあったからわかっただなんて、
情けないんだけど、でも、本当にそう思ったから……」


桃子の懐かしい声に、こっちの心も揺れ始める。

心が揺れるのと同時に、触れて確かめたいという衝動も沸き上がるんだけど……


「許されるのなら、もう一度、あなたのそばにいさせてほしい……」


桃子と別れた3ヶ月前、確かに俺自身も今とは違っていた気がする。

仕事の失敗が重なって、部屋でも口数は少なかったし、

側にいることに慣れてしまっていて、その関係をどう扱ってもいいものだと、

勘違いしていた。

桃子の腕が少し動いたのを逃すまいと、右手が行動を開始する。



言葉であれこれ繕わず、昔みたいに……

仲直りは、全てさらけ出せばそれで……



桃子の懐かしい香りと、確かに包まれた感覚を抱きながら、

俺は、次の日の朝を迎えた。





約束の日が来るまで、あと……129日


5 空の端

半年後の『リミット』、宏登が ↓ マークのような幽霊にならないように……(笑)
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